エピローグ
今日も相も変わらずそれぞれの日常が流れている。吉田幸樹と話をした商業施設の出入り口前で少し長く話し込んでいると斜め向かい側では二人の20代後半であろう男女が何やら深刻そうな表情で話し合っていた。特にロングヘアーで化粧が濃い女性は腕を組み不服そうだ。
その前後に無関係な人々が平然と横切っていく。あの二人が立っているわずかなスペースだけ区切られたかのように修羅場と化しているようだ。
「だからきっと、真里と別れて直ぐに、あまり間もおかず付き合い始めたんだと思う」
「そっか、そんなに早く二人は……。ねぇ、ここだとあれだからまた中に入ってさっき空いていなかった喫茶店とか覗いてみて、中でもっと詳しく話を聞かせて」
「分かった、いいよ」
二人は再び商業施設の中に入っていく。
「正直、あそこで話していると向かいのカップルが喧嘩しているぽかったから、こっちまで気分悪くなりそうで嫌だったんだよね」
「えっ、そうなの」
「麻里は背を向けていたから気づかなかったか」
「面白そうだからちょっと引き返していい?」
「いいって、そんな事しなくて」
つい言ってしまったというような表情で反省する西田。
お昼を過ぎれば予想通り昼ご飯を済ませた同じく施設内で働く人々や家族連れは一気に居なくなっており店内は嵐が過ぎ去った静けさを醸しつつあった。窓際の席に座る二人。若い女性店員がすぐさまお冷やを持ってくる。
「私はアイスココアで」
「私は、アイスのカフェラテを」
真里、西田の順で注文の品を告げる。談話目的なので『いつもの』といった感じで直ぐに注文した。それに西田は何かを思い出して「ふふ」と笑う。
「どうしたの?」
「いや、今、注文した品、あの時と全く一緒だなって思って」
「あっ……」
あの時、でいつの日を指しているのか直ぐに理解した。
「あとから来た恭ちゃんは、確か……」
「紅茶を頼んでいた」
「そうそう、恭ちゃん、コーヒーより紅茶派とか言っていたから」
その後はどうなったかを思うと重い空気に変わりもする。
「ほんとうになんで真里はあんな事になっちゃったんだろうね。やっぱり特定の人物一人の記憶が無くなってあとは大丈夫なんて症状、映画やアニメでも見た事も聞いた事もないよ、私が知る限り」
「それなんだけど……その前に聞かせて、麻里が知っている恭ちゃんのここまでの軌跡を」
「キセキって……あぁ、あの単語の事か。じゃあ、先ずは……あれから私が磯村さんと会ったのは偶然で、駅の改札前で会ったの……」
西田はこの事を真里に話せる喜びにも似た感情を噛みしめつつ話し始めた。
「こういう事もあろうかと一応、持ってきたの。ネット上でも出回っていない記念すべき磯村さん真のファーストライヴの写真。これはさっき言った磯村さんの友人で、ギターを担当している拓実さんが通っていた学園祭でのライヴ。この時はまだコピーバンドっていう位置付けで、メンバーもベースの人が違うのかな」
「うわぁ、マイクスタンド持ち上げてなんかシャウトしているっていう写真だね……。そんな経緯でバンド始めたんだね。それで、ある程度は軌道に乗せたんだから大したもんだよ」
「色々と運が良かったというのもあるけど、そういうのも含めて磯村さんは音楽をやる運命だったんだと思う。それなのに、なんで初のツアーで東京を飛び出して、いよいよ本格的に売れているバンドらしい活動が始められた矢先に……そう考えるとよく分からないね、人の運命というのは。絶対に磯村さんはこんなに早く逝くべき人ではないというのは明らかなのに」
「まぁ、そんな風に惜しまれて亡くなった人なんてたくさんいるのも事実だけどね。偏見かもしれないけど音楽関係の人は特に多いイメージがある」
「有名な人はどうしても大々的に報じられるからそのイメージが強くなるんだろうね。でも、それもそうかもね、美人薄命とか偉人な人ほど短命っていう言葉はよく聞くし」
「うん。ところで、ここからは私が話す番なんだけど……」
「えっ、話すって何を話すの? 別に私が何か聞きたい事なんてないはずだけど」
「あると思うよ。さっき、吉田さんが話してくれた話の真相。麻里も知りたいでしょ?」
「……真里、何か知っているって事?」
「う〜ん、あの私にもの凄く似た女性については仮説だけど、その女性が『リン』って名乗っていたというのを聞いてほぼ確信しているし、もちろん紛れもない真実の話もある。私がした不思議な体験、今から麻里にするね」
真里は初めて話すこの世界のもう一つの側面を。今のうちに話しても良い人には話すべきだと思ったから。
「……なに、それ、本当の話?」
既視感か、ちょっと前も同じ台詞を言ったような気がした西田。だがその衝撃はさっきの比ではない。
「直ぐに信じろというのは難しいかもしれないけど、本当の話。この話からさっき言った仮説が立てられる。吉田さんが遭遇したその女性はもう一人の私。一度、時の揺り篭へと吸い込まれて、未来人に保護されたもう一人の。そうとしか考えられないよね、だって……」
「ちょっと待ってよ。そもそも真里がもう一人いて、その真里が、時の揺り篭というのに吸い込まれて、そこに運良く未来人が来て保護してもらったっていう話とか、あとその他諸々がまだ受け止め切れていないよ」
「そっか。でもごめん、続けるね。そのもう一人の私が吉田さんが大学生の時代に出没していた事実と、私から恭ちゃんの記憶が急に戻ったのは無関係なわけがないって思っているの。だって私とそのもう一人の私は繋がっていた、いわば二人で一人の関係だったの。でも、そのもう一人の私が居るはずのない時代に出現していたっていう目撃証言で、何かの手違いで目覚めてしまった可能性は高い、それで繋がっていた糸が切れて、私は恭ちゃんの記憶を取り戻した。どう?」
興奮している真里は上手く言いたい事が説明できているのか、自信はあまりないと自覚はしている。が、この熱意で西田に言いたい事は伝わっているはずだとは信じていた。
「う〜ん、確かに、とは思う仮説だけど、じゃあ、なんで真里は磯村さんの記憶をいきなり消されたの?」
「それは、多分、私にまた苦しい思いをさせないためだと思う。結局、一度は早すぎた死から救えても、またその早すぎる死が訪れる。しかも今度は変えてはいけない未来。そのまた近い将来やって来る苦しみから避けさせるために……」
「そうとも言えるか……でもなんか納得いかないな。真里にはもう苦しんでほしくないって言っても真里はあの時、十分苦しんだでしょ? 理由はどうであれ」
「そう、だね」
「真里はどっちが良かった? また磯村さんの死に直面するのと、あの時の苦しみ、どっちがマシだって思える?」
「それは、どっちも嫌だよ。でも、どっちかの苦しみからは逃れられないんなら、私は少しでも恭ちゃんのそばにいたかったかな……今だから言える事かもしれないけど」
「そうだよね。もしかしたら真里のためというよりやっぱりその未来人さんは歴史通りに事を運ばせたかったんだよ。真里と磯村さんは別れるっていう本来の歴史通りに。実際にそうなっているじゃん。時期は多少ずれたかもしれないけど、それは問題ないんでしょ?」
「別れる歴史……そういえば凛も分からないって言ってたな。なんで私と恭ちゃんが向こうの知っている時期に別れなかったのか。なんでだと思う? しかも最後は言ってしまえば強制的に別れさせた。それってつまりこのままいくら待っても別れないと思ったからだよね」
「そんなの、私が分かるわけないじゃない。高校生の話でしょ」
「そうだよね。別れようとは言われたんだけど、そんな固い決意で言ってきたわけじゃないから私が別れたくないって言ったら、簡単に意思を変えて別れずに済んだはずなんだけど」
「けどその事実、なかなかハッとさせられたかも。未来人が知っている過去とは異なる事象が起きているって。言われてみれば過去は変えられない、過ぎ去った過去なんだから同じなはず、そんな保証はどこにもないって、常識が覆されたようで今、なんか頭がクリアになった気分だもん」
「うん、過去は確定していないって凛の言葉、私も衝撃的だった」
「……ねぇ、こんな事を私に話していいの?」
「多分、未来人的には好ましくないだろうね。でも私は、現在って言うのかな、それを掻き乱そうと思っている」
「ヴェ?」
今まで出した事がない変な音が出てしまい、西田は恥ずかしくなり口を手で押さえながら下を向く。が、真里から出た不穏な言葉。彼女は何を考えているのか、そんな目で視線を戻す。
「……私が今、こうして記憶が戻ったのはきっと向こうからしたら想定外のはず。だからまた私を監視する対象として注視するかもね。そうする事によってまた凛を私の前に引きずり出そうと思うの。で、問い詰めるの『これはどういう事なの?』って」
「そう、上手く、いくかな?」
「そうさせるために私の知っている事を今、麻里に話しているんじゃない。今まで聞いた事のない未来を予想した話をどんどん広める。それでもしかしたら何かが変わるかもしれない。これも凛が言っていたんだけど、『小さな変化を侮ってはいけない』ってそこから大きく何かが変わる可能性がある」
真里らしくない言葉が次々と出てくる。誰かの影響を受けているのは間違いがなさそうだ。
そして彼女は悲しみよりも怒りに震えているのかもしれないと西田は親友の変貌ぶりに気後れする。もう止める事はできないまでに深く、憎悪の淵に落ちているかもしれない。
「そんな事していいの? 最悪、訪れるべき未来がこないとか言ってなかったけ」
「別にいいんじゃいの? そんな理由でこの気持ちは抑えたまま生きろなんて私には無理。そこまで器はデカくない」
「真里、一旦、落ち着こう。あなたの言葉を信じるなら絶対に私は止めなければいけない事を言っている!」
身を乗り出して説得する西田。また新しい騒動の芽が土の中から出ようとしている、その動物的な勘が騒いでいた。
「麻里も変な事を言うから悪いんだよ。こうして結果だけみれば未来人の思惑通りの歴史に修正されているって聞いて、なんだかいきなり怒りが込み上げてきたの。最初は恭ちゃんの命さえ救えれば良いって話だったのに」
「あぁ、そうか、それはごめん。けど、それが本来の歴史なんでしょ? だったらそれに従って生きていく方が真っ当な気がするけど。あまり、なんと言うか『時』に逆らうのはよくない気がする。本来、歩むはずの人生を無理やり捻じ曲げたら、痛いしっぺ返しが来そうで怖いよ」
あの威勢の良さはどこへやら、真里は少なからず慄いて、太ももに置いてある両手をギュッと握った。肩も上がる。西田の言う事も一理ある、そう思った証。私はとんでもない事をしようとしている、そう思えるのは頭が冷えて我に返ったからか。真里はそこからある疑問を口にする。
「そういう掟って言うの? それを打ち破って訪れるべき未来が来なくなってしまったっていう例があるみたいだけど、どんな事が起きてそうなったんだろうね」
「言われてみれば気になるね。そう言えるって事は実際に起きたって事だし」
はたから聞いていたら何をあの二人は話しているんだというような内容、それが休憩に入り沈黙している時に注文の品が来た。議論が白熱している時ではなくて助かったと思いながらとりあえず甘い汁を啜る。それで幾分か心も頭を和らいだようだ。
「なんでこんな風にもう一度、凛にどうしても会いたいかって言うと私、まだ恭ちゃんは生きているような気がするの」
「また……なんでそんな事、言えるの?」
「まず、恭ちゃんの遺体、発見されていないんでしょ?」
「……そうだけど、海に落ちたっていう確かな目撃証言があるんだよ。しかも複数人から。2、3人だったと思うけど」
「そう。話は変わるけどなんで厳重に管理されているはずのもう一人の私が目覚めてしまったのか、その原因も考えてみたの。間違って押してはいけないボタンを押してしまいました〜なんてそんなアホな原因じゃないと思うんだよね。だって凛がそんな初歩的なミスをするとは思えないし。実際に会って話してみた感想としては、すっごい頼りになる存在で、もう職場の上司があんな人だったらいいのにって思えるくらい」
「そうなんだ。まぁ、タイムマシンに乗る事が許された人ならかなり優秀なのは間違いなさそうだよね。宇宙飛行士だって相当、厳しい審査、試験を潜り抜けた人じゃないとなれないし」
「そんな優秀な人しかいないのになんでそんな事故が起きたか? きっと普通なら有り得ないんだろうけどもしも『普通』じゃない事が起きたらどう?」
「普通じゃない事って?」
「私だから分かるけど、もしも恭ちゃんに起きてくれって声をかけられたらきっと目が覚めると思う。だって一番会いたい人だし」
「……何言っているの。つまり磯村さんがタイムマシンの中に潜入したって事?」
「潜入じゃなくて、連れて来られたじゃない? 凛に」
西田は絶句する。ここまで来ると受け止め切れない現実に、妄想を膨らませてそれを信じ込みなんとか自我を保とうとしている人にしか見えなくなってきた。真里の磯村に対する執着心は相当なものであった。
「もう一度、同じように聞くけど、なんでそんな事が言えるの?」
「う〜ん、女の勘ってやつ? 凛も恭ちゃんに実は惚れていてもおかしくないしね。生まれた年代もそこまで離れていないから同じ匂いがする恭ちゃんを凛が一目惚れしてもおかしくない気がするし。だから遺体は発見されないけど、おそらく亡くなった事にはなるであろうその好都合な死に方を上手く利用して、こっちに引き込んだ。あっ、そうそう、その凛って子、本名は『宮田はな』で二十年前くらいにこの日本で失踪していて、ネットで調べればこうして出てくる」
真里は慣れた手つきで指を動かして、スマホの画面を西田に突き出した。
「この子と真里は会ったっていう事?」
「そうそう。もしかしたら向こうでは良い相手いなかったのかもね。それか恋愛禁止になっているか。存在してはいけない人だし」
「同じ境遇の磯村さんとなら許される可能性もあるわけか」
「その通りっ! 麻里も分かってるじゃん」
「その話が本当なら今、向こうではかなり大変な事になっているんじゃない?」
「うん、そうだと思う。もう修羅場かもね。さっきのカップルの喧嘩どころの騒ぎじゃないと思う。もしかしたらもう一人の私は、追い出されてしまったのかも……だから」
そう言いながら頭を左手でおさえて顔を歪める真里。
「真里、ごめん、今日の私はもう疲れた。今日、聞いた話、吉田さんのも含めて整理させて」
急いで残りのカフェラテをストローで吸い込む西田。ズズっと音が鳴るまで飲み干す。
「これ、お金。お釣りはいいよ。私の奢り」
西田は去っていく。気がつけばまた一人、喫茶店に取り残された真里。無言で西田を見送った。最後にかいま見せた態度でもう関わりたくないというオーラが出ていたような気がした。
こんな事を言う私はやはりおかしいのか? 真里は拗ねたような表情を浮かべて背もたれに横を向いて寄りかかる。
窓の外を眺めた。人の往来を見つめる。あの人達は今、どんな思いであそこを歩いているのか知れるものなら知りたかった。
店内から昨日観たテレビドラマの事で話が盛り上がっている二人の女性が居る、話し声が嫌でも耳に入ってきて分かった。声色からして40代くらいの女性だろう。
私だけ宙に浮いているような気がした。目の前で繰り返される日常に溶け込めず自分だけ浮いている存在。そう、まるであの揺り篭にゆらゆら揺られているように浮いている感覚に近い。
目を瞑る真里。あの感覚はものすごく心地よかった、僅かな時間でも、いやそうだからこそしっかりそう記憶していた。あの安らぎは高校3年生の夏、磯村が真里のマンションに泊まりに来て、幸せ一杯に眠りについた時と同じだと真っ先にそう思う。
あのままもう目が覚めなくても良いと願った。でも、目が覚める。その繰り返し。
そのように巡っているのだ。どっちが先かは分からないが眠りから目が覚めて、また眠る……この宇宙もやがてまた眠りにつく時が来るのだろう。
これが
再び目を閉じる。
これから先は? この宙に浮いた状態からこの世界の地に足を着けて前へ進まなければいけない。そう思うと気が滅入った。
あの時、不可能を可能にしたのはただ強いおもいからだ。その一途で真っ直ぐな強いおもいが見えない分厚い壁を貫き、穴をこじ開けた。そして磯村と再会を果たす。
もう一度、それは可能か? 新しい体に また代わって……。
もう一人の真里の姿が瞼の裏に映し出される。
いつか、いつか『時』があの真里を連れて来てくれるのではないか。磯村と一緒に……。その瞬間を思い描く真里、もう一人の真里はすやすやと眠っている磯村をお姫様抱っこしていた。
ゴゴォーという音が地の底から這い上がって来た、体を貫通する。それに驚きハッと目が覚める真里。
辺りを見回してその流れでまた窓の外を眺めた。やや曇っていた空に日差しが差し込み真里の顔を照らす。
その頭上に感じる暖かさに誘われて真里は窓側に上半身を傾けてまどろむ。
その瞬間を大事に握りしめながら、右手を心臓部分に当てた。
青い薔薇 浅川 @asakawa_69
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