第三章「ふたりのマリア」1-1

 時刻は20時43分、吉田俊彦が自宅へ帰ってきた。玄関、廊下は暗い。だが廊下の先、右側に位置するリビングのドア、ガラス部分から漏れている明かりにより最低限の明かりは確保できていた。先ずは2階の自室へ向かい荷物を置き部屋着に着替える。部屋の電気を点けずとも、もはや体に染み付いた感覚だけで椅子の背もたれ部分に掛けてある部屋着を手に取り、着替えを終える。次に吉田は1階の洗面台へ向かい手洗い、うがいをする。ここでも電気は点けずマメな節電意識の一面を見せる吉田。帰宅後のするべき行動を済ませドアノブを回しリビングへ入る。テレビに今日のニュースを伝える番組が映し出されていた、アナウンサーが地名を読み上げている。吉田は通っている大学から近いと反応してテレビ画面に視線を向ける、見覚えのある顔写真と名前が映っていた。

 吉川真里18歳、彼女が昨日から行方が分からなくなっているというニュースであった。吉田はやや前屈みになりながら静止したように固まった。それを隣の和室で横になり休んでいた母親が不審な目で息子を見ていた。

「(吉川さん)・・・そんな」事実を確認して最後はたまらず声に出してしまう。


 昨日、時刻は午後18時45分。吉田が通学で使っている駅東口にある横断歩道。

「吉川さん、大丈夫?」

そう吉田が声をかけるも返事はない。真里の顔を見る吉田は思わず怖気づいてしまう。完全に生気を失った瞳であった、そして崩れ落ちるように地面に座り込む。それでも顔は正面を向いていた。その視線の先へ吉田も向けると一人の男が頭から血が流れ出て意識を失っているようだ。

 ざわつく周囲、駅前の交番から警察官が駆け寄る、救急車のサイレンが鳴り響く、そこで吉田にできる事は何もなかった。所詮は一時、同じバイト先、同じ時間帯で働いていただけの仲、連絡先を知っていてもそれがなんだ、と誰かに頭の中で言われているような気がした。

 救急車に乗り込んだ真里を後ろからそっと見送る吉田。真里は吉田の存在を認識していないに等しい。

 は無事だったのだろうか、もしも駄目だったら真里は……。人身事故で運転を見合わせていた電車がようやく動き出し自宅へ向かう吉田は電車の中でずっと真里の心配をしていた。何かできることはないか、真里に想いを寄せている吉田は必死に模索した。だが今ではもう働く時間が変わり日常の流れから会うことのない真里と、どう接触するか、わざわざ連絡をして会う、そんな事をするということは真里に自分の想いに勘付かれることも意味する。できれば自然の流れが望ましいと思っていた。

 もしも彼氏が亡くなったとして――自分の入り込む余地などなかった所に大きな隙間ができる。完全にこの想い、叶うことのないと打ちのめされた。そこから奇跡を起こす方法は? 残酷な、自分の欲に忠実な、こんな事、考えてはいけないと分かっていても無意識に考えてしまう自分に、嫌気がさした。

 そこに真里の幸せが全く考慮されていない。後からいけないと気づけても人間はこんなことを平然と考えてしまえる事が恐ろしかった。本来あるべき姿は、彼氏の、一人の人間の無事を祈ることである。


 ニュースでは当然、言及されていなかったが吉田はあの日、何が起きてしまったかを知っている。行方をくらます、失踪するということは……。思い浮かぶことは一つしかない。吉田は居ても立ってもいられなくなった、時間は20時51分、ある決心をして動き出す。

 自室にあるノートパソコンのスリープ状態を解除してこのニュースの情報をもう一度、見直す。家の中ではスマートフォンよりもパソコンで調べてしまう習慣故の行動であった。

 最後にはっきりと目撃されたのは20時半ごろ、事故現場である駅前の横断歩道から歩いて15分ほどの距離にある総合病院。そこから出て行った時。この時の真里の気持ちを想像すると胸が張り裂けそうになる。その後、駅から公立高校までを走るバスの路線に真里らしき人が、歩道を一人で歩いている姿を見たという目撃情報をその横の道路を走っていたドライバーから複数寄せられた。その路線の道を地図で確認してみた、特に目的地になりそうな場所はない。あるのはほとんど集合住宅、一軒家だけ。なぜ真里がこの道を歩いたのかこれだという推測はできなかった、ただ当ても無く歩いただけかなのか。彼氏の家がこの辺り? 思わず吉田はこんな時でも真里が男に体を委ねる姿を想像してしまい、瞼を閉じながら顔を梅干を口にした時のように萎めてしまう。あんな無垢な人でも女性ならやはり、それに選ばれた男を心底羨ましがった。

 気を取り直し理由は何にせよこの道を歩いていたという情報がある以上、そこを当たるしかない。既に警察が動員されているなど関係はない、吉田は真里を探すことに決めた、そうでもしないとこの気持ちは鎮まりそうにない。

 21時11分、親には適当に理由を言って家を出る。今からであれば22時頃に着ける、帰りの最終電車は0時32分、2時間は探せるはずだ。

 家から最寄りの駅までは徒歩圏内、吉田は自分の体力に合わせて適度に走った。21時27分の電車に乗る、車内はガラガラで荷物を隣の席に置いても文句を言われる心配はなかった。こんなにソワソワしながら電車に乗るのは初めてだ。ここでは自分がどう願ってもこれ以上スピードが速まることはない、途中の停車駅で一度閉まりかけてドアがもう一度開いたのを見ただけで着く時間が遅れてしまうと腹が立った。

 この逸る気持ちを抑えながら電車から降り小走りで階段まで向かい一段抜かしでテンポよく上り改札を出る。途中までは大学までと同じ道だったので迷うことなく早速その道を辿ってみることにした。駅から近いところだとスーパーやファーストフード店、居酒屋がある、さすがにこの辺りに居るならとっくに見つかっているはずだと気にも留めず先へ進む。

 時間に余裕がある時、たまに友達と雑談しながら上ったり下ったりした長い長い坂道。ここからは車の通りは激しいがこの坂を上ると思うと見るだけで辛くなる、ちょうどその手前でバス停もあることから坂の先に用のある者が歩くことはあまりいないため歩行者は一気に減る。そのおかげで真里が目につきやすかったのかもしれない。

 坂を黙々と上るが周辺は大きなマンション、アパートと公園のみ、ここもスルーして良さそうだと直感した。坂を上りきり横断歩道を渡る、ここを右に行けば吉田が通う大学、左の下りの坂が公立高校へ行ける道である。ここからは吉田は行ったことのない未知の地となる。その道は木々で覆われ、右側に設置されてある柵の向こう側はちょっとした急な斜面となっており下には田んぼや畑が広がる。建物の明かりが激減して一気に暗くなった。真里は今のように暗い時間、ここを歩いたのかと思うと最悪の事態も想定しまう。自分でさえここを一人で歩くのは少し気が引ける、でも進むしかなかった。

 途中、今となっては営業していない小さなレンタルビデオ店の前を通る。文字が薄くてもかろうじてビデオと読める看板からそうだと分かった。回送バスが左の道路を走っていくのを見るだけで自分は一人ではないと思えて気を紛らわすことができた。

 歩いて10分ほどで、煌々とした明かりが見えた。それだけで気分が安らいだ。それはよく見る名前のコンビニ、吉田も地元で働いているコンビニでもある。横断歩道を挟んで向かい側に位置する。その横には小さな地下鉄の駅もありここは少し人気があった。スマートフォンで道を確認すると公立高校へはこのまま横断歩道を真っ直ぐ渡りコンビニを通り過ぎる必要がある、ここがちょうど中間地点と言っても良さそうだ。

 ここまで歩いて真里の居そうな場所は無さそうであった、この先も住宅街が続き終点の高校前である。見つかっていないということはここから見当もしない所を行ってしまった可能性が高いと思いたくもなった。ため息をつき右へ視線をやるとより一層深い闇に包まれた道があった。しかも一定の間隔で設置されてある外灯が薄いオレンジ色であった。この色は幼い頃どこかの遊園地で入ったお化け屋敷を思い出す。

 辺り一面は先ほど歩いて来た道からも臨むことができた畑や田とで点々と一軒家が立っているだけ。信号が青になり横の車が走り始める、5台の車はこの道へ曲がることなく真っ直ぐ、或いは左へ曲がり走り去っていた。

 唾を飲み込んだ後、吉田は歩き始めた。少し先へ進むと虫の鳴き声が鮮明に聞こえてくる。まるで全く場所が異なる土地へ飛ばされたようだった。



 神社巡りが趣味のとあるブログ。

『今日、訪れた場所は地下鉄○○駅から歩いて10分ほどの所にある神社です。電車を降り駅へ出るとびっくり、駅前とは思えない自然、田んぼ、畑が広がっていました。この地下鉄に乗り換えるために降りた駅はまだそれなりに賑やかだったのですがまさかそこから1駅離れただけでこんな田園風景に様変わりするとは面白いものです。

 さて、そんな風景を楽しみながらお目当ての神社へ。先ず田んぼと田んぼの間に神社まで続く舗装された道がありその先に鳥居が。いや、この時点で凄い良い雰囲気の所にあると少し興奮してしまいました。鳥居を潜ると石段、その脇には石祠もありました。石段を上りきると左右に狛犬が出迎えてくれ、そして御社殿がその姿を現しました。拝見してみてびっくりこの社殿、どちらかと言えば神楽殿のような造りをしています、これはちょっと初めて見るかも。小高い丘に位置するこの神社、周囲は木々で覆われ静かでゆっくりとした空気が流れています、この地元民にしか知らなさそうな神社というのも、味があっていいですよね。無人の神社なので御朱印は貰えないのが残念。階段の途中、右手にも何やら道があったので行ってみたのですが直ぐに行き止まりで奥に文字が彫られた石碑と石祠が二つあるだけでした』


 このブログは既に長く更新はされていないためトップには広告が出ている。数年前に書かれたこの記事に最近1件のコメントが寄せられた。

『この神社、はっきりした理由は分からないけど今は立ち入り禁止になっている。噂では未だに発見されていない行方不明者の所持品が発見されて気味悪いからだとか』



 勢いに任せてここまで来たことを後悔し始めた。一人で、しかもこんな夜中に人を捜すなど頭が悪いと言われても仕方がない。この道を気が済むまで歩いて気になるところが無さそうであれば引き返そうという諦めの考えが頭を支配していた。幸いにもコンビニの前にあった地下鉄から乗換えて帰ることは可能であったが電車賃がたった1駅移動するだけのわりには高い印象を持った。これだったらバスの方が安いと思ったが駅へ向かうバスはもう終了していた。

 本当に田んぼ、畑しかない、やはりこんな場所に真里はいないと憔悴した目で周辺を見渡していた。ふと右側に先へ進める空間があると探知して目線を変えた。花道のように続く先に鳥居があった。

「神社」

 ぼそっとそう口にしてある事を思い出した。今月のニュース、行方が分からなくなっていた女子高校生が神社の境内から発見された。

「これだ」

 そう口にしたのを合図に走り出す吉田。闇雲に、何の計画もなく捜し始めた、馬鹿だなと呆れていたところに光明が見えた。スマホのライトを点灯させ階段を駆け上る。そして拝殿の上に何の躊躇いもなく土足で上がり扉の小さな隙間からライトを当て中を見た。

「吉川さん!」

 少し大きめの声で真里の名を呼んだが人は居なさそうであった。中にいない、一番いる可能性が高いと思われた場所が潰え、それでもとりあえずその周辺も隈なく捜す。

「くそっ」

 息を整えるために両手を膝に当て立ち止まる。冷静になってみると神社という神聖な場所を踏み荒らしているようでだんだんと罪悪感がわいてきた。拝殿の前に姿勢良く立ち深々と頭を下げる吉田。賽銭箱にお金をと思ったが生憎、鉄道ICカードしか持ち合わせてなかったのでそれはできなかった。

「チャージされている分から払えればいいんだけどね」最後にそんな冗談を言ってここから立ち去ることを決めた。

 階段を下りようと一歩足を出した時に踏み外してしまい、滑り落ちるように数段下ってしまった。さすがにこれは大人でも涙が出るような痛みが襲った。

「いってー」

今までの緊張が途切れるように気が抜けて油断したというのもあったが罰が当たったのかもしれない、背中、お尻あたりの痛みを堪えながら起き上がった。その流れで右手に目がいってじっと見つめる。先へ行けるような道が続いている気がした。

 スマホのライトを照らすと道といえば道のような歩けるスペースはあった。なぜこんな所に道が、単純に気になった吉田はその先へ進んでみることにした。さほど期待はしていなかったがやはり直ぐに行き止まりと分かった。一番奥に小さな石碑と石祠が二つあった。石碑には奉や祀という漢字は認識できたがあとは文字が薄くなっており目をこらしてまで読む気にはなれなかった。

 地面にもライトが当たった時、女性が使うような肩にかけるタイプの鞄が落ちていた。誰かの落し物にしてもなぜ忘れたことに気づかずに置いていってしまったのか理解できなかったがそれをよくよく見てみると急に背筋が凍った。どこかで見たことがる。

 悪いと思いながらも中を物色してしまっていた、何か持ち主が分かる物はないかと。財布があった、チャックを開ける。カード類が収納されている所に身分証はないかと一つ、一つ丁寧に確認した。名前の記載がないポイントカードが続いたが美容室の会員証と思われるものがあった。二つ折りになっているそれを開くと会員番号の隣に名前が書かれていた『ヨシカワマリ』カタカナでそう書かれていた。

「(まだ、まだ分からない、カタカナだと別人の可能性もある)」

 次が何やら他のとは少し作り込み具合が違うものであった。高等学校の学生証、それだと分かる文字だけが見えていた。

 一気に心臓の鼓動が早まりその振動をはっきりと感じ取ることができた、それを引き抜き全容を見てしまった時に吉田は。

「うぁあぁー!」

目玉が飛び出るような顔で絶叫した。勢いで落としてしまったスマホを拾い上げ何度も何度も確認した、目を大きく開きながら、必要以上に顔をそれに近づけながら。このあと何をするべきか、頭で分かっていても体がまだ言うことを聞かない、現実をまだ受け入れることができないといっているように右、左とさまようように歩く。右手を頭に添えながらふらつきいつの間にか涙を流していることに気がつく。

「吉川さんはここにいた、さがさなきゃ」


 17時4分、歯科院の待合室に設置されているテレビに映っている夕方のニュース番組を見ながら山根真衣やまねまいは自分が呼ばれるのを待っていた。自分も気になっていたニュースの続報であった、その内容を聞きある記憶が呼び起こされた。

 行方が分からなくなっている吉川真里さんの鞄、地下鉄○○駅から歩いて10分の神社から発見される。

 この事件は山根の地元で起きた事件であった。その神社も小さい頃に何度か行ったことがる、そして。

「(嘘でしょう)」

 その記憶はできればもう思い出したくない辛いものであった。


 普段は静かな所に報道関係者が散見される、空を飛んでいるヘリコプターもそれだろうか。あの日以来、この周辺へは足を踏み入れていない。変わったところといえば駅前にコンビニができたことくらいであとは最後の記憶とさほど差異はないと思われる。山根はあの神社で一人、消えてしまった人物を知っている。まさか二人目が現れるとは、そう思いたくもなる今回の事件になんとか確認したいことがあり意を決して訪れた。ネット上では場所が神社ということもあり神隠しかという声も上がってちょっとした話題になっている。

 神隠し、そうあの事件もそう言っても差し支えないかもしれない。オカルトの類いは信用する派ではないが世の中では不可解な事件が起きているのも事実。それを自身も体験した、もしも人智を超えた何かが本当に起きているのであればそれを突き止めたい、それができればあの日の呪縛から解放されるような気がしていた。

 神社の階段前は規制線が張られていた、警察官も見張っている、これは入れそうにもない。一般人が訊ねたところで何も答えてはくれなさそうであった。あの時も今のように慌しい雰囲気であったのだろうか、警察官、地元周辺の住人がボランティアで、消防団達も辺りを散策している。元々、何かを、ましてや見知らぬ人に質問するというのが苦手な山根は必死になって捜している人達の動きを止めてまで聞く勇気はあまりなかった。どうするべきか、このまま立ち止まっていたら怪しまれそうな気さえして引き返そうか悩んだ時、他の人達とは違いラフな格好をした若い男性を見つけた。手袋もマスクもしていない、地元の人でもほとんどが男性の老人と言っていい外見だったので一際、浮いている存在であった。山根は歳も一番近いであろうあの男性に話を聞いてみることに決めた。

「あの、お忙しいところをすみません」

 男性は山根の方を振り向く、自分なんかに声をかけてきたことを不思議に思う顔であった。

「お聞きしたいことがあるのですが」

 山根は今回の行方不明事件で知りたいことがると単刀直入に聞いた、その2日前に見つかった鞄は神社のどこで見つかったのかと。

 神社のどこで、そんなことを気にするなんてますます不思議に思った男性は吉田である、しかし偶然にもその鞄を発見した本人に聞いてくるとは何かの巡り合わせかと思い素直に答えた。

「その鞄でしたらね、階段の途中にも道のようなものが続いているのですけど、その先の石碑がある前に落ちてたんです、こう言って通じますか?」

 境内の構図を把握してなければこんな質問はできない。山根は当然知っている、階段の途中にある道、石碑の前、あの日と同じ場所であった。何かある、震えながらそう確信した。

「ちなみにその鞄を見つけたのって僕なんですよ」

 自分の言葉で受けた山根の胸中などいざ知らず吉田は自慢気にそう話す。おかげで自分もすんなり捜索に協力できていると言う。

「どうして神社に居たのですか? あそこは一部の地元住人がたまに異常はないか確認するか、子供が好奇心でしか訪れない場所なのに」

 普通だったら居ない人が見つけた、この質問はごもっともであった。吉田は恥ずかしがることもなく言ってのけた。

「行方が分からなくなっている吉川真里さんとは知り合いなんです、もっと言えば僕が想いを寄せている女性で、だから行方が分からなくなったというニュースを聞いたら居ても立ってもいられなくて」

「そうなんですか。でもよくここが怪しいって分かりましたね」

「ほんと偶然なんです。何の計画もなく家を飛び出して、それであとから後悔して。そこでこの道がなんかまだ誰も手を付けていなさそうな気がして、何もないなって思ったら神社があって」

 偶然であったとしてもこの男性の行動力は賞賛されるべきだと感心した。むしろその想いが実を結んだ結果なのかもしれない。こんなに心配してくれている人がいる以上、なんとしても無事に見つかってほしいと強く願った山根であったが。

「ちょっと私の話を聞いてくれます?」

 立ち話もあれだということで吉田は地下鉄の隣にあるコンビニまで戻りそこの外、建物の横に設置されてある丸いテーブルに向かい合って置いてある二つの椅子に腰かけて話を聞くことにした。

「珍しいですよね、コンビニにカフェみたいな椅子とテーブルがあるなんて」

 ホットのカフェラテとブレンドコーヒーを両手に持ってきて吉田は言う。通学路ということもありこのコンビニは学生客で賑わう。そのちょっとした喧騒を気にかけつつも山根は軽く頭を下げそっと口を開いた。

「あの、申し遅れました。私、山根真衣と申します」

「僕は吉田俊彦と言います」

「なんで私が初対面のあなたに、話があるのかと言いますと、あなたの吉川さんに対する強い想いに惹かれたのと、だからこそ話しておいた方がいい残念な可能性があるからです」

「残念な可能性?」

「はい、もしかしたら吉川さんはもう見つからないかもしれません。なんでこんな事を言えるかというともう一人、あの神社から姿を消した人を私は知っているからです」

 聞き捨てならない発言のあとに続いた思わぬ事実、吉田は思わず身を乗り出した。

「もうかなり昔です、私が小学生の時……」

 この事件はインターネット上でも未解決失踪事件として検索すれば出てくる、山根はネットで詳細を知ってもらった方が早いということで吉田に先ずスマホで調べてもらうように促した。

 その名前は宮田はな、確かにこの町周辺で失踪している事件であった。

「最後にはなちゃんと一緒にいたのが私なんです。はなちゃんと別れたと書いてある場所はそこの横断歩道手前の橋です」

今、事件現場で、そして当事者から語られている状況により臨場感をもってこの事件が伝わってくる、それに興奮せずにはいられなかった。

「でも、それは本当は誤りであって。家とは逆方向、つまりはなちゃんがいきなり神社へ続く道に行きたいって言い出して仕方がなく私も雨の中、付いていったのです。だから最後に別れたのはそこじゃなくて、その神社なんです。別れたというか、はなちゃんが消えたという方が正しいですけど」

「まさか、その消えた瞬間を見たというのですか?」

「いえ、私はなんだかその神社の雰囲気が前から怖いと思ってて入りたくなかったのです。その日は雨も降っていましたし。だから鳥居から少し離れた所から待っていたのですけどなかなか帰ってこなくて」

「それでその場所から離れてしまったと?」

「いえ、さすがに心配だから勇気を振り絞ってはなちゃんを探しに行きました。でもいくら呼んでもいなくて、それで最後にその階段の途中にあるあの道をふと見たら雨で濡れてぬかるんでいる地面に足跡があって、それを辿っていくとその足跡はあの石碑の前で途切れていた。まさかと怖くなった私はその場から逃げ出しました。これがこの事件の私しか知らない事実です」

「なんでそれを言わなかったのですか?」

「なんでなんでしょうね? やっぱり言ってもどうせ信じてもらえないとか思ったのでしょうね。あの狭い神社で迷子になるんて普通は考えられないですし。でもはなちゃんが向かった正しい方向は教えました、あの神社周辺もしっかりと探索されたはずです、それで見つからないっていうことは」

「神隠しということですか?」

 その言葉が休符記号のようにピタッと沈黙が流れる、この後の言葉がまだ見つからない。そうです、と誰も言うことはできない、そんな昔話でしか聞かないことを誰が信じるのか。吉田も当時、山根が本当の事を言えなかった気持ちが分かったような気がした。落ち着こうと少し温くなったブラックコーヒーを口にするがこの沈黙の中の興奮状態に一層、拍車がかかるようで逆効果であった。頭が覚醒したように次の思考へと移り始めた吉田。

「本当に神隠しであれば、吉川さんはどこかで生きているということになりますかね?」

 消えてしまったのは事実だが、それでもどこかで生きているはず。これは素晴らしい発想だと思った吉田。

「どうなんでしょうね……でも少し調べたことありますがオカルト好きの間ではそういうのは異次元に飛ばされてしまったという解釈もするらしいです。つまりどこか違う世界へ」

「そっちの方が良いかもしれません。正直、あそこで鞄を見つけた時は吉川さんは攫われたと思っていました。それで想像もしたくないけど、何かされたと思ったら気が狂いそうになって」

「そんな風に考えたことなかったです。確かに神隠しということは亡くなったわけではないですもんね、どこかで生きていると思えば」

「会えないという意味では死んだも当然かもしれませんが、それでも異世界の地でも生きていると思うだけでなんとか希望が見出せそうな気がします。その場所が平和だとも限りませんけど」

「はなちゃんも何処かで生きているのですかね?」

「そう信じましょう」

 決して希望は捨てたくない、そんな想いが言葉の端々に滲み出る。

「この事、はなちゃんのご両親に話した方がいいですかね?」

「うーん、確かに無関係の僕がそれを知ってご両親が知らないというのも変かもしれませんね。発見に繋がることではなくてもあの時なぜ、はなちゃんが家と逆方向へ行ったのか分かるだけでも一つ謎が解けるという意味では」

「はなちゃん、隣町の子なんであの歳だとまだ神社のことは知らないと思うんですけどね、私でもなんでいきなり行きたいと思ったのか未だに分かりません」

「そうですか。それはもう、はなちゃんのみ知るというやつですね」


 真里が失踪して1週間が経った。吉田も神隠しや未だに解決されていない失踪事件について軽く調べてみた。過去にもこれが実際に起きた事件だと思って読むと寒気がするような事が数々起きていた。なぜ見つからない、或いは帰ってこない? 大人ならまだしも中にはまだ深刻な悩みを抱えるには早い幼い子供の失踪事件もある。いなくなる理由も分からず遺体としても発見されないなら、神隠し、そこへ行き着くのも分かる気がしてきた。

 残念ながら真里にはある、失踪した日に恋人を亡くしている。そのショックで夜間、街を彷徨い誰かに襲われた、そして誰も居ない暗闇の神社へ。そんな道理が通っている仮説に異議を唱える証拠が出てきた。山根と話しをしたコンビニの外に設置されている防犯カメラから真里が歩みを止めることなく無心のようにただ神社の方へ向かう姿が映し出されていた、つまり真里は自らの意思であの神社へ向かった可能性が高い。そしてその真里の後を追う不審な人物、車は数時間に渡って映像を見ても映し出されていなかった。そもそも本当に誰かに襲われたのなら車もあまり通らず虫の声がよく聞こえる静かな所、神社の近くに住む住人が叫び声、不審な物音の一つ聞いてもよさそうなものだが今のところ周辺住民からはいつも通り静かな夜だったと思う、普段は見ないような怪しい車、人もいなかったという証言しか得られていない。なぜ真里が神社へ向かい、わざわざあんな場所に居たのか、別の市出身者がなぜ地元民にしか知らないような神社の場所を知っていたのか、理由が分からない謎が多い。もしかしたら真里の恋人『いそむらきょういちろう』が教えたのかもしれないが彼はもう本当にこの世界から消えたと確認されている、確かめる術はない。偶然にもなぜ神社へという意味では宮田はなの失踪事件と共通するところがある。

 あの神社に間違いなくいたと断言できる遺留品、防犯カメラの映像、人間の記憶よりも確かな物的証拠があるのに見つからない。真里がまだこの世界に居るなら形はどうであれ見つかっても良さそうであった。吉田は敢えて可能性の低い方を選んでみることにした。真里がどこか違う世界で生きている、そう信じて吉田は無理やりでも前を向こうとした時に、吉田の父が自室から出てきて真剣な眼差しでリビングで新聞を読んでいた息子に話しかけてきた。

「お前、この子に会ったことがあるのか?」

 父の手には真里と思われる人物が写っている写真があった。

「なにこれ?」

 明らかに古そうなフィルム写真であったがそこに写っている真里は自分の記憶に鮮明に残っている姿をしていた。だがそうなってくるとおかしな話になる。

「この写真はね、俺が大学生の時に撮ったものだ。で、お前はこの子に会ったことあるのか?」

「うん、同じバイト先で働いてた」

「どういうことか、俺もこの子に会ったことがあるんだよ」

二人の間に数秒沈黙が流れた。吉田は鼻で笑うように質問する。

「えっ、いつ?」

「俺が大学生の時だ」

吉田の父は現在54歳、大学生の時ということは30年以上前の話ということになる、真里も吉田も生まれていないのは言うまでもない。また吉田は馬鹿にしたように言う。

「いや、何を言っているの?」

「じゃあこの写真はどう説明すればいい? これは俺が21の時に撮った写真だ」

 まるで息子ではない、誰かに話しかけているような父に吉田は困惑する、もう一度その写真を手に取りじっくりとその写真を見る。横向きで、白いワンピースを着てしゃがみこんで笑顔をカメラに向けている。僅かに覗かせる内側のももがセクシーに写る。写真が色褪せていても間違いなく自分の記憶と一致していると脳が信号を送る、違和感は何一つないと。

 真里はどこか違う世界で生きている――

「どこで会ったの?」

 態度を一変させて今度は聞いた。信用できるかもしれないという気持ちで。

「そうだな、どこから話せばいいか……」

 吉田の父は話し始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る