第二章「枯れた夢」1-4

 8月25日。磯村はJR川崎駅が最寄りのライブハウスで行われるライブに足を運んでいた。好きなバンドのドラマーがDJとしてではあるがゲスト出演すると聞いて興味があったからだ。このライブに出演する3組のバンドはどれも知らなかったのでライブ自体を楽しめるか不安ではあったがそんなものは直ぐに払拭された。音が鳴り出した瞬間、なにか胸にくるものがある。単純に言えばいいじゃん、と思った。こんな良い曲を作るバンドがなぜ著名な音楽番組に出られないのか、もっと有名にならないのか。昨今、音楽業界はCDが売れなくなったと言われて久しい。なら、こういうバンドをもっと売り出せばいいじゃんと思うものがあったがそこは大人の事情で簡単にはいかないのだろう。もうテレビに出るものが人気がある、良いと必ず思われる時代は終わった。視聴者がそう気づき始めた今、本当に良いものを探し求めている。磯村はそれに出会えた気がした。

 1組目のバンドが終わり一旦、黒い幕でステージは隠された。その次のバンドの準備ができるまでゲストDJが曲を流すことになっている。フロアの中央、柵を挟み壁際に特設ステージが設けられてそこでプレイをする。

 さすが元が何万人のキャパシティを埋めるバンドのメンバー。登場した途端にファンが少しでも近くで見ようと押し寄せる。

 流している曲はどれも洋楽。磯村には誰の曲かも分からなかったが、それでもやはり良いと思えた。もしかしたら良いと思う音楽は知っていようが、知っていまいが関係なく感銘を受けるものなのかもしれない。

 しかし当然ながら知らない者はそれを知ろうとする、徐々に一体これは誰の曲なのであろう、曲名は? それが気になって仕方がなくなり始めた。中学生までは音楽にほとんど興味がなかったが今ここまで、邦楽のみならず洋楽にまで前のめりになっているのは自分でもにわかに信じられなかった。

 18時から始まり4時間にも及ぶライブが終わった。気がつけばずっと立ちっぱなしで足が棒のように硬くなっている。途中、離脱して休む人もいた中で磯村はずっとステージを見届けた。それだけ夢中になっていた。

 ライヴが終わり駅まで戻るとなにやらどこかの電車が2時間くらい前まで停まっていたらしくその影響で磯村が乗る線にもダイヤに乱れがあった。それよりも磯村は早く今日、聴いた曲の正体が知りたかった。きっと今日会場内に居た洋楽に詳しい人がツイッター上で教えてくれるはずだ。もしかしたらもうツイートされているかもしれないと思い検索してみると1度目のDJで流れた曲のリストが既にあった。さすがネット上は情報が回るのが早い。そこには。

「あっ、やっぱりデュラン・デュランの曲も流してたんだ」

 伊藤も好きだというデュラン・デュラン。先ずはこの曲を改めて聴いてみようと思う。今のご時世、検索すれば動画サイトでその曲が上がっていることも多く便利になった反面、これこそCDが売れなくなった最大の要因とも言えなくもない。

 磯村はデュラン・デュランの『Ordinary World』をイヤホンで聴きながら電車に乗った。



 9月、当たり前のように過ぎていく日常のようにこの月を迎えた。

「お邪魔しまーす」

 真里はこの日、初めて磯村の自宅を訪れた。どうやら磯村の家も平日は夕食の時間を少し過ぎる時間辺りまで両親は仕事でいつも不在のようだ。もうここからは真里も知らない、未来が進む。ようやく戻ってこれた、そして磯村ともう一度、歩み始める喜びに溢れていた。

 玄関で靴を脱ぎ中へと上がるとリビングへ通された。

「すごーい。この部屋、綺麗じゃん」

「引っ越してきた時にリフォームしたから」

 その部屋に真里には慣れない匂いが漂っていた。他人の家に訪れた時に感じるあのなんともいえない独特のにおいとはまた別の匂いが。それを嗅ぐとなんだか神妙な気持ちになる。その匂いは、どうやら隣の引き戸で締め切られている部屋からきているようだ。

「これからは私が定期圏内だから、ちょくちょくお邪魔していいよね?」

「うん、駅からちょっと遠いけど、お互い都合が合えば」

 磯村の様子がいつもと違う。言葉を発する度にそれが沈むように重い。何か嫌な事でもあったのか心配になる。

 無言で磯村は真里に寄り添い右手を真里の後頭部に添えそのまま抱きしめた。なぜ今なのか、そんな理由なんて求めることはない。真里は目を瞑り身を委ねる。

「あっ」

 真里は咄嗟に声を上げる。磯村が膝を曲げてきたので真里もそれに合わす。そして半ば押し倒すように床へ寝かせた。横になる二人。まるで母親に縋る子供のように磯村は暫く真里を抱きしめていた。行為には及ばなくても、なにか求めていたものに浸るように微動だにしない。

「なにかあったの?」

 もしかしたら泣いているのではないかと、それを案ずるように声をかけた。その問いに磯村は答えるわけでもなく、頷くわけでもなかったが、やはりなにかあったのだと予感した。

「多分、時間が経てば次第に落ち着くんだろうけど今はごめん、やっぱりまだ不安定かも。でも、だから、こんな時こそ真里を見るといつもより一層、愛おしく思えて、抱きしめたくなるのかも」

 なぜこんな言葉が出てくるのかは分からなかったが無理に詮索しようとも思わなかった。

「……私が少しでも助けになるなら、好きなだけ頼っていいよ」

 深く、愛を確かめるような口づけを交わした後、二人は次第に淫らに求め合っていた。真里は包み込むように磯村を受け止める、あなたには私がいると心で訴えるように。

 これかも一緒に、ずっと、その意志が一致したと感ずれば自然と二人は一つになろうとした。ここへ来てほしいと両足を大きく広げ磯村にしがみついた。腰を揺らしながら探る磯村、二人は今、一番近い場所にいる。今日はゴムも事前に用意していた……。

 引き戸に寄りかかりながら磯村は座っている。スマホを片手にある写真を見つめていた。先ほど、真里が帰る前に二人で撮った写真。まるで既に遠く過ぎ去ってしまった過去の写真を懐かしむ表情をしていた。今まさに磯村は生きている意味を掴んだかのようだった。自分の気持ちを俯瞰してそういきつく。これからずっと変わらないであろうものが見えたのだ。

「これを死ぬ日が来るまでずっと繰り返すだけ、できるだけ多く味わいたいな」

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