第一章「繰り返す螺旋」1-9

 凛は堂々と、既にこの時代に溶け込んでいるかのように渋谷駅周辺を歩いていた。あの時のようにサングラスと今日はつばが広いハットを被っている。時おりすれ違う人は凛に視線を向ける、女性であればあの人オシャレ、男性はそのミステリアスな風貌に思わず視線を奪われるといったところだろうと凛は感覚的にそう読み取る。

 それに悪い気分はしないと思いつつ自分が今日、何をするのかを思うとそう意気揚揚ともしていられなかった。

 インターネットカフェ。その中で、仕事の都合で今すぐパソコンを使いたいと言って会員登録をしなくても利用できる所を探し当てた。ここを利用するためにわざわざこの時代に存在しても違和感のないノーブランドにみせた衣服数点と、そして精巧に作られた保険証を用意してそれを古着屋に売って現地の紙幣、硬貨を手に入れた。こうする事が出来たのも真里とこの周辺を歩き回ったおかげである。嬉しい誤算だったのが買い取り額が1万円未満のため身分証の提示は求められなかった。記載されている情報は全てデタラメであるがそれ故、万が一それが発覚した時には余計な波風が立つ。こうしたリスクを回避できたのは大きかった。

 無愛想に受付とのやり取りを済ませると個室へ入る。正面にあるパソコンを前にして感慨深そうに見つめる。

 どんな科学技術が進歩した未来でもできないことはある。その一つに時代の流れと共に隅へと押し流されて地下深くへ埋葬された当時の情報を知るというのが挙げられる。

 厳密に言えば出来ない事はない。我々の仕事は何かと考えた時に過去を監視して、こちらが把握している過去と大きく異なる事が起きていないかをチェックする事なのだから。

 その比較データはどこから来ているか? こちらのデータはフィジカル的に集めたと言えばいいのか、一人の人間の普段の行動を集めたデータという意味でも合致する。

 その集積はかなり実験的な動機から始まった。過去は確定していない、その事実を知ってしまった未来人達はまさにある実験をしてみた。

 何度も、いやその数は何百万回に及ぶ気が遠くなる回数、例としてある指定された時代、指定された日付け、指定された時間から時間までを観察する。

 観察するのか? それは監視社会の国であれば喉から手が出るほど欲しがる超小型で光速に近い速さで飛行が可能な監視カメラ。実際にこのカメラは犯罪を未然に防ぐという目的で使われた。この監視カメラ一台だけで日本全域に生存している人間の体温を瞬時に感知できて、その人々の行動を用途通り監視して行動データを集める。その膨大なデータを分析した結果、やはりどのデータも微妙な誤差が生まれており完全に一致するデータは殆ど無かった。同じ過去に二度巡り会える事はできない、少なくとも極々稀だと言えた。

 その中でもさらに極稀に明らかに比較しているデータとは振れ幅が大きく異なるデータが現れる。これが要確認案件だ。この変化は未来は大きく変える可能性を秘めているのかクローズアップして精査する。

 これが凛を始めとする未来人がやっている大まかな実態だ。その過去のデータとは未来人達が圧倒的な科学技術を駆使して集めた結晶に過ぎない。過去のデータと言いつつ、そのデータは未来人が後追いのような形で集めたのだ。

 このデータは他人のプライバシーを明らかに侵害しているとして必要な時以外は詳細を閲覧できないようにしてある。つまり何か不都合な出来事の予兆をキャッチするまでは。どこまで覗く事ができると言うとまるでその人物の住む家、全ての部屋に、外出時も密着取材しているかのようにその監視カメラが追ってズームアップ、多角から覗く事ができる。

 今もこの監視カメラは稼働している。いつ終わりが来るのかと聞かれたら分からないとしか現時点では言えない。ただこの調査を続けたおかげで傾向として判明した事もある。

 一つ目はその過去の変化は人々の暮らしが急激に便利になった時代であるほど大きくなるという事。正確には第二次世界大戦以降、ありとあらゆる文明の利器が登場して一般市民に浸透した時代だ。そう判断されて以降はこれらの時代より先が集中的に監視されるようになって負担は軽減された。

 二つ目は過去は変化しているという面倒な事を知ってしまった元凶であるタイムマシンが完成する時代に近づけば近づくほどその変化は少ない。先ほどは便利な時代になればなるほど変化が大きくなると言われたのになぜか?

 それはその時代背景を読み解けば一つの答えとも言えるものが出せる。それを説明するにはなぜその時代の人々は時に歴史を変えてしまう恐れのあるような突発的な行動を起こしてしまうのかを分析しなければならない。

 捜査の厳しい目が向けられている時代に言える事は閉塞感が漂っている事だ。それだけなら何もこの時代に限った事ではないかもしれない。だがそこに世の中が便利になり個人レベルでも質の高い情報を手に入れる事が容易になったという違いがある。その一番の原因はインターネットの登場、普及だ。

 この時代をよく見ると一つの到達点に達したとも言える。人々の暮らしはこれ以上、飛躍的に良くなるのかとも言えるくらいに。ここからさらに発展をするには針の穴を通すような狭く細い道を通らないとならない。その閉塞、停滞感が飽きっぽい人々に不満をもたらす。何か劇的な変化が欲しいと。その欲求が一つの原動力としてあるのではないかと言われている。

 それを助長したのが先に述べたインターネットの存在。これのおかげでテレビ、新聞、雑誌、ラジオ等だけではなく様々な個人の思想が発信されて、受信するする事が可能になった。それが繰り返されて新しい価値観に触れる、それで人は今までになく変わっていく。

 それだけではない。世の中はこれではおかしい、一部の金持ちしか得していないと多くの人々は気がつき始めた。これは黙っていられない、変えなければならないと立ち上がる者もいた。

 また、この社会で生きていく以上はこうあるべきという従来の考えが崩れ始めた。その影響でかつてのように大人になったら仕事に就き結婚をして子供を産む、それだけが人生の過ごし方ではないと生き方に多様性が生まれてきたのもその対象となる時代を特徴付ける一つに挙げられる。

 そんなこれから先はどうななるのか、何が起こるのか予測できない時代でどう生きるのか?

 まさに混沌の渦の中に居ると言っていいので、この時代は特に変動が大きくなるのも無理はないのかもしれない。

 そんな人々が目を向けたのが宇宙である。そう、その閉塞感を打破するにはもはやこの地球では狭すぎるのだ。その見立てが正しいと言うように人類にとって宇宙が身近な存在になり始めて、いよいよ一般人にも宇宙へ旅立つ事が当たり前になる時代の到来からはその変化は少なくなると分かっている。

 宇宙版、大航海時代とも言えるあの時代は異様な熱気に包まれていた。どこか、ここじゃないどこかへ行きたいのならこの惑星から飛び出せばいい、ようやく人類はまた長い闇を経て太陽が昇る景色を眺める事ができた。そこへ辿り着くまでに多くの、貧困者の不満が爆発したりと争いが起きて犠牲を払ったが。

 人類の生活、行動圏が地球だけに留まらなくなった、これこそ人々の暮らしを根本的に変えた最後の転換点。これ以降は小さな、狭い世界に縛られる事なくのびのびと生きていく人類は必然的に視野が広くなり何かしら、自分なりの人生を見つけて己の道を邁進する。各地に散らばった人間、一部の権力者が大勢を統治するのはもはや難しくなっていった。

 そこまで辿り着くまでに犠牲となった最初の時代がまさに凛の立っている時代である。当人達に犠牲になったという自覚はないかもしれないが、この地に立ちその空気を肌で感じてみてやはり人間が一つの狭い箱にぎゅうぎゅう詰めになるまで詰め込まれて、さぞ息苦しいだろうと哀れみの眼を向けたくもなる。

 この監視はいつ終わりを迎えるのか分からないとこの任務に携わっている者であれば誰もが思っていると言ったが、一応終着地点はあるにはある。我々、人間は生きている、だからいつか死を迎える。それは命が宿っている者全ての宿命。地球も生きている、そしてその星々を包んでいる宇宙も。その宇宙が寿命を迎えてこの次元が終焉を迎えた時、嫌でも解放される事だろう。気が遠くなるような話だが。が、もっと早い時期も想定されている。

 それは先に挙げたその前の地球と密接に関わりのある太陽の寿命を迎えた時。これにより人類は地球から別の住める惑星へ移住する事を余儀なくされる。

 現在のタイムマシンで行ける過去は地球が辿ってきた歴史に限定されている。出発地点が地球の未来である以上は思い通りの時代に行けるのは地球内に限られている。もしもそれ以外の場所に行きたければ片道切符の時間旅行になる。戻っては来れないという事だ。そもそも地球以外の惑星に辿り着く可能性は限りなく低く宇宙の真ん中に放り投げられてご臨終というのがオチだ。そして最近ではタイムマシンでまだ訪れた事のない時代は監視する必要はないんじゃないかと言われている。未来人は主に大規模災害、紛争で多くの当時を知る資料が失われた時代に興味を持っていた。まだ手を付けていない、介入していない時代はそのままノータッチでいれば大丈夫となればもうこれ以上、過去には触れず地球の寿命を待てばこの任務からは解放される事を意味する。こういう話をするとやはり過去には戻れないという常識を守っていた方が良かったと言える。過去に戻れるタイムマシンとは人類にとって禁断の宝具だった。

 さて、いよいよ本題に入る。

 大きな時代の変化で失われた資料も多いと言った。その後世に語り継ぐには足らない、その時代を生きた人間にしか知りえない情報はエベレストよりも高い山のように積み上げられていて大気圏も突破する。その日だけ報じられたいってしまえば小さな事件、事故。どんな有名人だっとしても、輝けたのはほんの一瞬で、徐々に存在感は薄まり、その人物を知るものがいなくなればやがて一般人と同じような扱いで、消えてしまうこともある。それだけ何百、何千年と先まで語り継がれるのは難しい。

 その中には行方不明者、失踪者というカテゴリも含まれるだろう。必死の捜査、探索も報われず結局、発見されなかった人達の情報。

 凛もその一人である。調べてみる価値はあった。自分が生まれた年は今、地に足を付けているここからそう遠くないはずである。今もあんな事にならなければ普通に暮らしていてもおかしくない。この同じ空間のどこかに両親も生きているかもしれない、そう思うとそちらに興味が引きつけられる。

 これはやはり、運命なのかもしれないとさえ思う。今ではあまり気にしてはいなかったが自分が本当は何者なのか、知りたくないはずはなかった。そのチャンスが巡ってきた。知ろうと何か特別な努力をしてきたわけではないがあの日から流れた月日をおもえばようやく辿り着くかもしれない、凛の鼓動は自然と速くなる。

 椅子に座り、マウスを珍しそうに見つめながら動かして検索サイトを開いた。分厚いタッチキーに戸惑うも『行方不明者 未発見』と入力してエンターのキーを押す。機械の操作には慣れているはずであったが使い勝手がまるで異なるため手の動きはいつもより遅かった。勘で操作するがその勘はおおよそ当たっている。この時代のパソコンはいたって単純であると思うところか。

 最初のページに今、現在も発見に至っていない行方不明者がまとめられているサイトが表示された。そのサイトをクリックするがそこには確かに見るのが怖いという感情が若干あったが立ち止まるというのは頭になかった。

 主に日本の年号、平成に入ってから行方不明となった事例が情報提供を呼びかける顔写真付きのチラシと共に紹介されている。男女共に幼い子供、中高生の若者が目立つ。

 5回ひとさし指を動かし下へスクロールしてその指が止まった。もう何十年前の姿であったが忘れるはずはない。そこには確かに保護された当時の自分の姿が目に映っていた。こんなにもあっさり見つかったことで笑いも込み上げてきそうだったが――

 大きな文字で名前がチラシには記されていた。これが自分の本当の名前である。行方不明になったのは今から19年前、小学2年生の時に行方が分からなくなる、今も凛がこの時代に生きていれば27歳か28歳ということになる。

 客観的事実として凛の正体が突き止められたがそれで当の本人の失われた記憶が戻るわけではなかった。正直なところまるで他人事のように受け止めた。蓋を開けてみて中身を知った途端、さっきまでの緊張はどこへやら、肩の力が抜けて空しくなる。

 期待しすぎたのか。いざこうして欲しかったものを手にしても、さほど嬉しくもない感情とどこか似ている。求めていたものに辿り着き、手に触れた瞬間から無意識に次を探し求めていた。次の自分の心を掴む何かを。実は良くも悪くも一番心が充実しているのはそれに向かって夢中になっている時であるのかもしれない。

 何者なのか知りたかったはずである、だがそれが分かったところで何か大きく変わるわけではないと知った。

 凛は改めてこの名前で検索して事の詳細を調べた。

 階段を下りて陽射しを浴びる凛。空を見上げる。この空だけは何百年、何千年と経とうと変わることはない。視線を下ろすとまだ新鮮に映る街並み。

 ここはもう自分の帰るべき場所ではなかった。



 再びあの強い風に当たる。違うのは春の匂いが冷たさの中にほのかに感じる。まだ冬と春の間を行き来しているのだろう。

 身に引き締まる想いである。いつもはだらしなく背筋を曲げて座っている人もピンと伸ばしている。この場から離れなければならない、別れなければならない。もう暫く来ることはないであろう場所。その現実にここへ来るのが面倒だと思っていた自分を殴ってやりたい気持ちになる。本当は楽しかった、だから別れるのは寂しいと。

 真里は違った。目の前に広がる光景を前に凛々しく佇む。あの時、居なかった人がいる。それだけで別れに落ち込む余地はなかった。

 今、見据えている未来は明るかった。またあの日からやり直せる。それが嬉しくてたまらなかった。

 卒業式が終わり仲の良いクラスメイト達と記念撮影の応酬が始まった。教室の黒板の前で、中庭に出て筒に入った卒業証書を空高く投げた、最後は校門の前で。

 異質な存在だと自分でも思う。楽しかった事、落ち込んだ時もあった。様々な想いが詰まっており、3年間通った思い出のある場所。人が巡り巡り、たとえ自分が居たと知る者がいなくなり薄れていくとしても、その跡は地層のように重なり歴史を濃いものにしていく。

 その一部になることを拒否するかのように磯村は尖っていた。皆と向いている視線が違った。磯村の眼に映っているのは漆黒の闇であった。そこへ今、自ら飛び込もうとしていいる。

 不安はあっても、偽りの楽園に行くくらいならマシだと思っていた。その旅の途中で朽ち果ててもそれはそれで仕方がない、それでもここだと思える居場所を求めているのは間違いない。

「磯村、進路が決まったら連絡しろよ」解散を告げた教室で同じクラスメイトの広瀬がこう声をかけた。作った表面的な笑顔で「うん」とだけ答えた。

 卒業アルバムにはメッセージを書けるページがあった。皆こぞって何か書いてほしいとお願いしていた。磯村の卒業アルバムは真っ白であった。

 つまりはそういうことだろう――卒業後、ここにいる人達とまた会う可能性はほぼないに等しい。つながれていた鎖から解放されたかのように磯村はせいせいしていた。

 かつて一人、孤独は嫌だった。どこかのグループに属せた時は安心した。今日からはまた一人になる。今は寂しくはない。またどこかに身を置いても直ぐにバラバラになってまた一人になると知ったから。最後はいつも一人と。

 そう強がってもやはり人間は人との触れ合いを求めていた。欲しいのは心から通じ合える人。ただ一人。

 外に出ると強風が吹く。その風に乗ってやってきたかのように磯村の背中を叩く者がいた。吉川真里だ。

 後ろを振り向くと真里の笑顔。こんな自分にも付いて来てくれる人がいる、それを心から喜んだ。微笑む磯村。その笑顔は本物であった。

「(ありがとう)」

「ねぇ、校門の前で写真撮ろう、撮ってくれる人もいるから」

 早速こう言われて嬉しくないはずはなかった。それを表に全て出し切るのは難しく、そこにもどかしさを感じたが胸には確かにじわっと広がっていた喜び。

 写真を撮ってくれている目の前の、顔は見た事あるが名前は覚えていない女子はどう思っているのだろう。

 言葉では確認しなくても、二人は羨ましいと思うくらい仲睦まじい姿を出してやろうと思惑が一致して、意気込んだ。抱きしめ合い互いの頬をくっ付け合う。とびきりの笑顔も付けて。

 ビクッと微かに左足が後ろに下がってしまったが、撮る合図である掛け声をしてその女子はシャッターボタンを押した。

「ありがとう」

 真里は礼を言う。早速、取れた写真を確認してみるとそこには他人さえ思わず笑顔にさせてくれるような、そして羨ましいと誰もが思う二人が写っていた。幸せなカップルとはこのことだろう。「お幸せに」という一言もかけたくなる。満足そうな顔でそれを見つめる真里。

「どれ、見せてよ」

 そう言う磯村に真里は咄嗟に。

「えぇーどうしようかな」

 思わぬ返答に不満を口にする磯村、真里はもっと困らせてやろうと悪戯の心が芽生えていた。

「大好きだよって言った後にキスしてくれたら、見せてもいいよ」

 去ろうとしていた女子にも聞こえていたらしく両手を口で覆って走り去って行った。

 「大好きだよ」

 囁くようにそう言った刹那、磯村の顔は真里の唇に一直線に向かった。

 急な出来事に頭が追いついていなかった。もっと恥ずかしそうに、どうしようか右往左往すると思っていた真里は不意打ちをくらった。気がつけば頼んでもいないのに同時にお尻も両手で撫でられていた。最近スキンシップが激しいと思う。

「ほらやったよ、写真見せて」

 その顔を見た時、自分の知っている磯村とどこか違う、そう真里は思った。今、目の前に居る磯村は、きっと新しい、生まれ変わった磯村だ。真里はそう予感した。

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