第一章「繰り返す螺旋」1-6


 最近はすっかり卒業後の話題で占められるようになったな。皆、次を見据えている。俺はその空気に馴染めていない。この楽しい生活がずっと続くならいいけど、その次はいよいよ就職を考えなければいけないと思うと俺は、気が沈む。

 バイトをしている人なら少しは分かっているはずだと思うけど、その楽しい学生生活から一転、会社のいいようにこき使われて体が、精神が疲れ果てていくような生活が待っているかもしれないんだぞ。それなのになんで皆、楽しそうにしていられるんだろう。

 まだそんな事を考えるのは早い? 俺はそうは思わない。

 そんなネガティブな思考の俺を救ってくれたのはそう、今、目の前にいる真里だ。真里が居てくれたから、真里が俺を必要としてくれているようだから今でも俺はこうして学校に来られているのだと思う。そういう意味では感謝している。けど、これからも真里と一緒にいるなら、いつか壁にぶち当たるだろう。俺がずっとこのままなら。

 そうならないためにも俺も卒業後の事を真剣に考えなければいけないんだけど、やっぱり直ぐに答えは出せそうにない。そんな数ヶ月では時間は足りない気がする。

 俺は何がやりたいんだろう? なんだったら向いている? これだ、というものは今のところ見つかりそうにない。それはとりあえず進学でもして、その環境の中に身を置いても変わらないような気がする。そして気がついたらまた、月日が過ぎて卒業の時期を迎えるんだ。そんな未来しか見えない。

 別に今までの人生が不満なわけではない。好きなことはある程度、自由にやらせてもらえて今ここに素敵な女性も傍に居る。

 それも鳥籠という安全な場所で過ごしていたから、いつかはここを出なければいけない。そのために備えるためにとか、そこらへんを学校は特に何も教えてはくれなかった。いきなり無知のまま、野に放たれる。そんな流れで上手く生きていけるはずはない。だから俺は危機感を抱いているんだ。

 それに気がついているのはどうやら今のところ周りには俺しかない。

 こんな事を考える俺がおかしいのか? いや、そんなことはないはずだ。思考を停止していなければ誰もが気がつくはずなのに、どうしてみんな気がつかない。

 もう既に諦めているというなら、俺は諦めることはできない。

 これからも続く何十年という人生、自分の意志で歩みたい。周りに流されるままではなく。




 7月27日がやってきた。凛は時間通りにいつものように現れた。

「あっ、なんか服装がすごいオシャレ」

 凛は赤のタートルネックに黒いワイドパンツを履き、黒いベレー帽にサングラスをしてやって来た。一気に女性としての色気も漂う。

「この時代に合わせて着ている服、素材を選んだんだけど、今が夏ということ直前まで頭から抜けていたのが失敗なんだけどね」

「確かに。見ているこっちも暑くなる。そういえば未来のファッションってどんな感じなの? 普段着ているのも作業着みたいであんまり未来っぽくないんだけど」

「服の基本形なんてずっと変わらないし、着るのが同じ人間である以上、実はそんな変わっていないのが正直なところかな。素材とかは便利な物ができているけど。むしろかつて流行していた服を着てみたいっていう人もいて、未来といっても真里が見慣れているような服を着ている人もいる、言えるのはこんなところかな」

「あっ、そうなんだ」

「それで申し訳ないんだけど……」

 凛はこの時代の、日本の硬貨、紙幣を当然、持っていない。いくら科学、技術が進んだ未来でもその時代に合わせたお金を用意することはできなかったらしい。つまり今日かかる費用は全て真里持ちということになる。

「うっ、考えてみればそうか」

「ごめん、その代わりこの服、帰る時、真里にあげるから」

「えっ、いいの?」

 この言葉を聞いて表情が明るくなる。もしもこの一式の服を買おうと思ったら、デザインの良さからしても見るからに高そうである。交通費とその他のちょっとした費用でこれが手に入るのなら安いそうだと思えた。

 二人は外へ繰り出す。凛はいわば何もかもが新鮮に映る赤子当然であった。まだ真里の自宅周辺でも不思議そうな瞳で辺りを見渡している。

 真里は先ず渋谷駅へと連れて行くことにした。最近は鉄道ICカードが当たり前になっているが凛のために久しぶりに切符を購入する。

「これが電車か。実は初めて乗るの」

 電車に初めて乗る、普段はなにで移動しているのとそんなことも聞いてみたくなるが凛は質問してもあまり具体的には未来の事は話したがらない。過去の人間にあまり詳しく話せないのも分かるが、この時代のものを見るたび、触れるたびにそんな反応をするとどうしても聞きたくなってしまう衝動に駆られる。それをぐっと堪えて凛のはしゃぐ姿をただ見ていた。

 4人が向かい合って座るボックス席の窓側に座り窓から見える景色をずっと見ている凛。真里からしてみればただ建物が並んでいるだけの風景。真里は質問してみた。

「ずっと外を見ているけど、そんな珍しいんだ?」

「うん。だって私からしてみればここは異国の地。真里だってどこか初めて訪れる海外に行けばそこの街並みを見るだけでも飽きないでしょう?」

 自分が海外へ行くなど今まで考えたことがなかったが、その例えでなんとなく感覚は理解できた。

 自分達が住んでいる世界はあまりにもちっぽけ――磯村がそんな事を言っていたのを思い出した。真里からしてみれば見慣れた世界でも今、目の前にいる人物はそれを全然違う眼で見つめている。

 これから先、私はそのような体験をすることができるのだろうか、ふとそう思った。この世界にはこんな場所があったのかと思うような。

 真里の頭の中でただ漠然と思い描いている未来にそのような体験をするというのは含まれていない、そんな気がする。

 だが、今この瞬間その芽が少し顔を出したような気がした。もっとこの世界を見てみたいと。

 真里は窓越しから空を見上げた。

 渋谷のスクランブル交差点を井の頭線乗り場がある2階の位置に相当する場所、大きなガラス窓から見上げる。

「なんでこんなに人がいるの」

「人が多い場所が良いって言ってたじゃん」

「そうだけど、ここまで密集しているとは思わなかった。皆、息苦しくないの?」

「大丈夫、なんじゃないかな?」

 やや困ったようにそう答える真里。この光景にここまで驚くのはなぜなのか、そこが気になった。

 エスカレーターで下に降りる二人。その人混みの中へと飛び込んで行く。凛はその人の塊にただ驚くばかりであった。

「この時代の日本の人口ってどれくらいなんだっけ?」

「約1億人かな?」

「1億、それにしても一つの場所にこの人数は多い気が」

「東京は日本の中心だから。人が集まるんだよ」

「これがあの地方格差ってやつか」

「そうだね。ちょっと早いけどお昼、なに食べたい? 食べたいものとかって決めているの?」

「うん。私、味噌汁を口にしてみたかったの」

「み、味噌汁?」

「あと豚汁もできれば」

 スープが好物の凛は日本で日常的に食べられている汁物に興味があるようだった。

「日本といえばお寿司とかだと思うけど」

「それなら有名すぎるからこっちでも伝承されて、本格的なものが食べられるの。でも味噌汁はなかなか本当にこういう味だったのか疑問に思っていて」

 意外な料理名がでてきて戸惑う真里。メインディッシュとは言えない味噌汁、豚汁。それが美味しいお店など聞いたことがない。


「ここなら食べられるよ」

 パッと思いついたのが松屋であった。ここなら牛丼を注文すれば付いてくる、豚汁もメニューとしてある。しかしここがその料理の名店かと言われたら違うだろう。せっかくはるばる時を超えてやってきた客人、ここでいいはずがないと思いつつも、ここしかないと思った。そもそも真里自身もここで食事をしたことがない、互いにそわそわしながら入店した。

 券売機の操作に少々、手こずったが無難に牛丼の並盛りに一つは豚汁を加えて注文する。お目当ては牛丼ではない、そういう気持ちで買うとなんだか申し訳なくなった。混雑する中でもタイミングよくカウンター席ではなく二人が向かい合える席に座れた。

「えっなに、もう来たの」

 注文してわずか5分ほどで注文したメニューが来たことに驚いた凛。

「ここは速さと安さが売りだから。だから申し訳ないけど味は期待しないで」

 学生やサラリーマンが気軽に立ち寄れ腹を満たせる食べ物でも、凛にとってこれを口にするのは緊張の瞬間であった。先ずは前座で牛丼を食べてみることにした。

「牛丼、これも確か日本発祥の料理だっけ?」

「そうなのかな。ちょっと分かんない」

「……なに、これ、凄い美味しいじゃない!」

 凛の大袈裟にも見える反応に思わず開けた口をそのままにして凛をじっと見つめる真里。

「もう、なに。味には期待しないでって言っておきながら、本当はこんな美味しいなんて」

「えっ、だってここどこにでもある牛丼屋だよ」

「そう。日本の店が出す料理はどこも安くて上手いっていうのは本当だったか。いい真里、あなた達、日本人はこれが当たり前だと思っているようだけど、そんなことはないということを覚えておいた方がいい。量も申し分ない、この味の牛丼を、真里のような学生でも二人分払える価格で食べられるなんて世界中探してもそうあることじゃないから」

「凛って普段、何食べているの?」

「私? 私は、仕事柄、非常食のようなものしか食べられない時もあるし、休みの日に食べるケバブサンドが楽しみの一つかな」

「ふーん。ちなみにケバブならここら辺にもあると思うよ」

「ほんと? ここ日本でしょう?」

「そうだけど、屋台とかで売っているのもよく見るし」

「そうなんだ。日本ってやっぱり恵まれた国ね。羨ましい」

 味噌汁、豚汁が食べたいと言って入った松屋だったが気がつけば牛丼の味に虜になっていた。その本命だったはずの味噌汁は味が薄すぎるとのこと。期待した味とは違ったようだ。豚汁は美味しいかったそうだがそれでも牛丼の感動には敵わないそうだ。

「牛丼があそこまで美味しいとは予想外だったな、日本って美味しい食べ物ほんといっぱいあるね」

 とりあえず満足してくれたようでホッと胸を撫で下ろすも、相変わらず価値観の違いをまざまざと見せつけられた。同じ言語を話し、同じ匂いを感じ親近感がわいたあの日が嘘のように今は不思議な人物に見えてしまう。

 ただ分かったのはこの今の日本という国は外から見れば素晴らしい国だということであった。

 渋谷を離れ今度は横浜、みなとみらいへと連れて行く。渋谷駅から東急東横線へ乗りみなとみらい駅へ向かう。


「すごい。なに、この街!」

 ランドマークタワー、観覧車、パシフィコ横浜といったお馴染みの景色を前にして凛は目を輝かせた。

「ここはね、私も来る度にいいなって思うお気に入りの場所なの」

「そうだよね。建っている建物も綺麗だし、ずっと見ていても飽きないよ、これ。まさに未来が目指した街の原型って言ってもいい」

「って事は遥か未来の街もこんな雰囲気ってこと?」

「あっ、えっーっと、うん、そんなところ。渋谷の街を見た時は窮屈そうだなっていうのが第一印象だったけど、ここは近いものがある。むしろ人間味があってこっちの方が好きかも」

 曖昧な表現で逃げたように言った凛。だが意外にも未来人から見てもこの時代には光るものがあるとはなんとなく分かった。彼女が住む世界はどんな風になっているのか、想像するのも楽しくなってきていた。

 真里の提案でランドマークタワーへの展望台へ行ってみることにした。今日は天気も良く遠くまで見渡すことができる。

「あれは東京タワーって言うんだけど、さっきまで私達あそこら辺にいたんだよ。こうやって見るとすごい遠くに感じるけど、1時間くらいでここまで来られるなんて、なんか不思議だよね」

「ある意味、電車も未来へ行けるタイムマシンって言っていいかも」

「えっ?」

「真里の言う通り本来、人間の足であそこからここまで来ようと思ったらもっと多くの時間がかかる、それを電車という乗り物は1時間でここまで連れて行ってくれる。タイムマシンもそれと本質的には似たようなものなの」

「なるほど。今の説明解りやすい」

 夜になれば明かりが灯されまた違った顔になる、それも見せたかったが凛には時間がないようだった。夕方5時頃なったところで引き返すことになる。帰りは電車を乗り換える横浜駅までは歩くことにした。

「今日はありがとう。楽しかった」

「私も凛があそこまで楽しそうなところを見ると案内した甲斐があったなって思うし、なにより私の住む国って良い所なんだなって気がついたし」

「そう。それを忘れたらばちが当たるからね。特に食に関しては世界一だと思う」

「世界一か。タイムマシンができた未来から来た人が言うなら本当なんだろうね」

「確かに、この時代に生きている人から見れば夢のような事もたくさん可能になったけど、当時に失われたものもあるって言っておく。それも加味すれば科学技術の進歩って生きていく上ではそこまで重要じゃないって最近、思うの」

 その言葉を聞いて、裏にはどれだけの想いが詰まっているのか、全てを理解する事は難しそうであったが真里が想像するような夢の世界ではないのかもしれないとは察しがついた。現に彼女は今、何をしているのか? を考えれば未来人には未来人、特有の問題を抱えてここに居るのだ。この時代はあの時代より良いなんてことはないのかもしれない。どの時代にも良い所はあるし悪い所も必ずある。




 あれは真里……それともう一人隣にいるのは、誰だ? 同じクラスの女子ではなさそうだけど、そもそもあんな子うちの学年にいたかな? こんな暑いっていうのに長袖、長ズボンだし。余程、日焼けしたくないのか。

 でも、サングラスで目は隠れていても間違いなくスタイル良くて美人だって分かる。そんな子をここまでの間、見逃すはずはない。

 どこで知り合った子だろう。下の学年の子か。いや、部活も入っていないし後輩と仲が良いなんて聞いたことがない。そうなると中学生時代の友達か。今度会う時に聞いてみたいけど、止めておこう。他の女性の事を聞くと真里が変な想像をしてしまいそうだ。美人の友達だと気になるのはしょうがないと思うんだけどね。




 横浜駅の構内で二人を偶然、見つけた磯村。このままだと同じ電車に乗ることになりそうだ。磯村は知らない友人が一緒だったので声をかけることはなく、向こうからは気づかれないように別の改札口から入ることにした。

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