序章「螺旋」 2-1

 去年の12月27日午前11時、郵便の配達員から受け取ったのは不合格通知であった。少し来るのが遅いのではないかと不安が日に日に増していたがそれが的中してしまった。真里はそのまま浪人したのだ。

 磯村からなんとか卒業できたとメールがきた3月、それに返事をすることはなかった。本当だったら大喜びで返事を返したいところだった、4月から晴れて大学生になっていたのなら。

 4月4日。真里はこれから今日は何もすることがない。いや、今日はではない。明日も明後日も明々後日も……。ベッドでうな垂れる。休みの日とは本来、至福のひと時であったはずである。それが何日も続くと逆に憂鬱になると知る。

 最後に会った12月7日から磯村には何も連絡をしていない、気がついたら今はあの時と立場が逆転していた。あの時の磯村の気持ちが分かった、自分の身辺がしっかりしていないと恋人にすら気が回らないということを。

 あの時がそうであったようにこのまま何もしないわけにはいかない、今日が何の日か思うとそろそろ何かしらの連絡をした方が良さそうであった。

 携帯が鳴る、メールだった。噂をすればなんとやら、磯村からだ。そろそろ入学式なのか、前に大学の場所が近いって言っていたけど何処なのか、そういった内容だった。やっぱり今まで連絡ひとつ寄こさなかったことは不問、大学に進学したのを信じて疑ってないのが心苦しかった。今日中に言おう、そう心に決めたが今すぐにとはいかなかった。もう少し時間が経ったら……。

 夕方18時、いつの間にか眠りについていた。頭がまだ起きてないが磯村に連絡を、というのは直ぐに思い出した。このまだ頭がボーっとしている時に電話すれば言えるかもしれない。携帯電話に手を伸ばし電話をかけた、出てくれるだろうかと呼び出し音が聞こえ出すと途端に心臓がバクバク鳴った。

「もしもし」

「あっ恭ちゃん」

「うん。どうしたの? 正直、心配したよ。いつもだったら返してくれそうなメールにも返事がなかったから」

「ごめんね、実はすごい言いにくいことなんだけど、言わなきゃいけなから言うね……わたし、大学、落ちたの」

「えっ、今なんと」

「だから、大学落ちたの。何度も言わせないで」

「でも推薦もらったとか言わなかった」

「それでも落ちたんです」

 彼氏、彼女揃って高校を卒業するも浪人、フリーター。なんとも悲しい話だったが共に境遇が同じということで変な絆も生まれるようであった。

「そっか、そっちも大変だったんだな」

「ようやく打ち明けられてすっきりした。どうせ暇だし久しぶりに会おう」


 次の日、平日なら夕食を食べる時間辺りまで真里一人ということで再び磯村を家に呼んだ。今日なら思う存分時間があった。

「しかし二人揃って浪人、フリーターかー」

「もうそれはいいでしょう。それにしても恭ちゃんも本当に進学しなかったんだね、どこもいきたいところなかったの?」

「俺は、進学するなら何か明確な目標持ってからの方がいいと思って。その目標とやらが卒業までに見つからなかったってことだね」

「そんなこと考えているんだね。推薦でいければどこでもいいって思っていた私はなんなの?」

「なんなんだろうね?」

 バカにされたような返しでムッとする真里。

「いいもん、今年は恭ちゃんとたくさん思い出つくるから」

 そう言って磯村に寄り添う真里。構ってアピールをする。

「それはいいけど、ちゃんと将来のことも考えろよ。真里も何か夢を持って生きていく方が絶対に楽しいよ」

「そんなこと言われても……だったら恭ちゃんと結婚するでいいかな」

「そうじゃなくて。どうせ大学にはいくんだろう? 大学でこれ勉強したいというのは一つくらい持ってから進学しろってこと」

「はい、わかりました」

 明らかに渋々と答えた一言であったがこの言葉が真里に全く影響を及ばさないということはなかった。最愛の人が言っている言葉は少なからず気に留めるものである。

「いつまでこうしているの?」

 5分弱、磯村に膝枕してもらっている真里。磯村はするのはこれしかないと真里の上半身を一旦、起こし今度こそと寝かしつける。手は大丈夫なはずだ。

唇から始まり、鎖骨、首筋、そのさらに下へ、狂ったように舐め回す……「ゴムはして」この台詞は性行為が生々しく描かれている映画を友達と見た時に聞いた言葉だ。そこまで気が回らなかった。今日はお預けかと、気持ちが萎んでいくくらいの冷静さはあったようだ。




 今日、何気なく言った一言、結婚。その一言がずっと頭にチラついていた。体を預けている最中、彼の顔を見ながらずっとそのことについて想いを馳せていた。磯村はほとんど冗談で聞き流していたかもしれない。言った本人も咄嗟に出てきた言葉。改めてそれについて考えてみると悪いとは思わなかった。むしろこのまま付き合っていけばその二文字も浮かび上がってくるのが自然である。

 だが二人の今の境遇はどうだ。とてもではないがそんなことを考えられる時ではない、時期尚早というものだ。でもいつかは。そうでなければいつかは磯村と別れるこということになるのか。それは考えられなかった。

 時間が経てば人の考え、価値観も変わる。好きな人も。そうと分かっていても真里はこの想いを信じた、これは不変だと。

 磯村はどうなのだろう? 一度は別れを切り出した男、あと何年かすると心変わりをしてしまうかもしれない。そうさせないためにはできることは、自分をより魅力的に磨くしかないと思った。他の女に視線を向かせないために。

 彼は頭が良い、私も頑張ってみた。ちょっと無理そうだった。部屋にある姿見の鏡で自分の顔を、全身を見た。なんだかんだ言って人は外見。そこには多少、自信がある。そこをもっと磨くしかない。

「夢か」

 鏡の前で座り込みじっと見つめる。磯村も探し続けている夢、それは私にはあるのかと自問してみた。

 偶然は重なるものでそういうことを考えていると同じような話題が風に乗っかってやってくる。今日の夕飯後、母とのテレビを観ながらの会話。

「だからね、せっかく頭良い大学卒業して、大企業に就職したのに今ではファミレスのアルバイトなんだって。真里もよく考えなさいよ」

 同僚の娘さんが最初に就職した職場環境があまりにも劣悪で僅か1年で退職してしまったらしい。帰れるのは終電ギリギリも珍しくない、電車がなくなりタクシーで帰ったこともある、上司が仕事をまともに教えてくれない、無視される。ぞんざいに扱われてストレスで嘔吐もしてしまった。

 高学歴といえば人生を成功させるために必要な武器の一つと言われている。それで大企業に就職、ここまで聞けば絵に描いたような人生、その努力は報われず現実は非情であった。

 なら学歴のない者はどうすればいいのか、磯村の言っている言葉に重みが増しのしかかる。真里も自分なりに考え始めた。

 意外な人物から連絡がきた。磯村と同様に黙ったままも同然にいなくなった原口えみ。一番仲の良かった真里には話しておかなければと、ようやく気持ちも整理できて連絡に至ったらしい。


 今日は久々の再会を果たす日。

 春らしく暖かい日もあれば今日のように曇り空で肌寒い日もある、そんな4月だなと感じながら待ち合わせ場所の駅前の銅像前で原口を待つ。

 どこからこんなに人がわいてくるのだろうと絶え間なく続く人の波を見つめる。県内どころか日本でも屈指の利用客を誇る駅だけある。

 その人の塊に一人、輪郭がはっきりした人物が目の前を通り過ぎた。磯村である。目を大きく見開き、まさかという表情を浮かべた。

 確かに磯村のはずである、だが普段見る姿と格好が何もかも違った。先ず黒ぶち眼鏡をかけていた、眼鏡をしているとは聞いたことがない。鹿のような動物がプリントされた赤いシャツの上に黒のMAー1、下はダメージ加工が施されたジーンズ。

 真里の前で見せる清潔感溢れる青年とはまるでファッションの方向性が違った。そもそもあれは磯村かと冷静になって考えてみたが、目撃した瞬間に真っ先にあれは彼だと真里の直感が訴えた。

 そうこうしている間にその人物は通り過ぎてしまう。気になってしょうがなくなった真里は小走りで追えば間に合うと踏んでその場から離れた。

 時おり人とぶつかり軽く謝りながらも後を追う。なんとかすり抜け人混みから脱したその先、背中に赤字で英字が刺繍されたMAー1が目に映る、あれだと思い最後、スピードを上げて走り肩を叩く。

「恭ちゃんだよね?」

「えっ?」磯村のリアクションは薄かった、振り向いた男の顔をじっくり観察する、間違いなくあの磯村恭一郎だった。

「あっ、真里、どうしてここに?」

「恭ちゃんこそ、何しているの?」

「俺はバイトの面接帰り」

「そうなんだ、次はどんなお店?」

「それは受かったら教える。で、真里は?」

「私は、友達とこれから会うの。そこに偶然、恭ちゃんを発見して」

「あぁ、そうなんだ」なんだか声がいつもより低い気がした、そんなことより聞きたいことがある。

「いつから眼鏡かけているの?」

「実は去年の11月から」

 編入した学校での授業中、黒板の字が一番後ろからだと見えにくかった。そういえば高校入学時にした視力検査で視力はかなり落ちていたことを思い出す。そろそろ買った方がいいと思ったらしいが。

「正直、あんまり似合っているとは思っていないんだよね。だから俺の眼鏡姿を知らない人と会う時は使い捨てコンタクトしている」

「そうなんだ、でも似合っていると思うからたまには眼鏡をかけてよ。印象が変わってなんか新鮮な気持ちで見れるし。それともう一つ、なんで私と会う日はそういうこだわりが見られる服で来てくれないの?」

「えっ、真里はこういう服、大丈夫なの? 好き嫌い分かれる服だと思って」

「別に今まで見た服も悪いとは思わないけど、そういう違うバリエーションもあるならどんどん見せてほしいな。誰でも着ていそうな服ばかりじゃなくて」

「わかったよ、じゃあこれからは」

 少々、話し込んでいたら10分ほど待ち合わせ時間から過ぎていた。ちゃんと時間前に着たはずなのに、急いで引き返す。

 原口は既に来ていたが、「私も今、来たばかりだから気にしないで」と言われた。そうじゃないのにと言いたかったが説明するのも面倒なのでそういうことにしておいた。

 彼女と会う時以外に着る彼氏の服が、会う時の服よりオシャレな場合がある。偶然、発見できた豆知識。彼氏はちょっと奇抜かなと思い避ける模様。

「(でもあの服でバイトの面接に行ったの)」

 気を遣う相手を間違えている気がしたが付き合ってもう直ぐ3年目にして、まだ見ぬ新しい彼の一面を見れてますます惹かれていった。

「(これがギャップ萌えってやつか)」


 駅近くのファミレスで原口と話すことにした。互いに話したいことは山ほどある。

「ごめんね、急にいなくなって」

「別に謝らなくていいけど。どうして辞めちゃったの?」

「先生にはやる気なくしましたって言って、無理やり辞めさせてもらったんだけど本当は一馬が別人みたいに変わっちゃって挙句、3年に進級しないで辞めちゃったからなんだよね」

「あぁ、やっぱりその影響が大きかったんだ」

「1年の時から好きで、頑張ってアプローチしたけど振り向いてくれなくて。それでも一馬もなかなか彼女できないから諦めなかったんだけどね。それがまさか不良みたいに髪を金髪に染めて部活まで辞めて、それを見た途端に私の好きな一馬じゃないって急に拒否反応が出て」

「うん、あの派手な髪の色はファンの間でも賛否が分かれるじゃなくて圧倒的に不評だったよ。一馬も2年生になってから部活内で先輩にいじめられていたみたいだから、かわいそうではあったんだけどね」

「うん。それに同じ人であるはずなのに前と比べて不良になったり、髪の毛の色変わったらこんなにも冷めちゃうものなんだって思ったら、もしかして私の好きって大したことなかったのかな、なんて思ったりして。それでその一馬自身もいなくなったってなったら、もうどうでもよくなっちゃった。私の高校生活なんだったんだろうって。そういう意味では真里は磯村くんを選んで正解だったかもね、彼も確かによくよく見ればかっこいいって思ったし」

 原口とはその後、お昼の12時から6時間にも渡って話し続けた。原口は現在、高校時代から続けているバイトをしているのみ。今はそのバイトで貯金しつつ、結婚相手を探しているらしい。

「結婚したいんだ」

「うん、現金な話、私一人では生きていけないしね。今のバイト先、ちょくちょく学生とかも入ってくるからそこで良い出会いないかなって」

 高校すら卒業できなかった自分の立場を理解していた。できれば大学まで卒業して正社員になる相手という現実を見ていた。

 真里は原口と別れて自分もバイトをという気持ちが強くなった。磯村も早くも面接を受けていた。さすがにこの年は母親からも受験勉強するわけじゃないんだからバイトくらいしなさいと言われた。帰りの道中、店の前を通ればアルバイト募集という紙が貼ってあることがある、そこに目を光らせながら歩いていた。

 地元の駅まで着くとちょうど駅前のコンビニにもアルバイト募集の貼り紙があった。ここなら家からも近くて良いと思った。職種も初心者が選びそうなイメージがあり即決した。電話番号をメモして明日かけてみることにした。

 こういう電話は慣れていなかった。感じの悪そうな人だったらどうしようと不安な気持ちになりながらもそれは余計な心配であった。温かい声のおじいさんが対応してくれた。電話した場所はアルバイト採用係で先ずは働くことを希望する店舗を聞かれ、週何回出れるか、働ける時間帯と必要な事をざっと聞かれて改めて希望する店舗から電話をかけるということであった。

 次の日の午前、携帯に登録されていない電話番号からかかってきたが直ぐに希望している店舗からだと分かった。面接希望日を聞かれて明日でも良いと答えたが社員の都合上、2日後の午後14時からとなった。順調に面接までこぎつけた。



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