第47話 メリーゴーランドの光彩

 もうシオンが学校にはいないのだとしたら、この広い街のどこに今いるのだろう。考えられる可能性として、彼氏のリョウのところと、シオンの自身の家が浮かんだ。しかしコヂカは、そのどちらも違うように思えた。シオンは姿だけでなく、存在ごと消えてしまっている。つまりシオンの家に娘はいないし、リョウも違う女子と付き合っているのだ。プライドが高いシオンがそんな場所に長居するとは思えない。


 購買部近くの廊下を通りかかった時、コヂカはふと懐かしい香りを感じた。べっこう飴が舌の上で溶けてなくなる前の、甘い味に口蓋や歯茎の血なまぐささが混じった匂いだ。




「クリヲネちゃん、待って」




 二人して学校中を探し回っていたコヂカは、階段下の掃除道具入れの前で足を止めた。白く細い絹のような魂が、埃っぽい階段下で揺れている。




「見つけたの? コヂカちゃん」




 しかしその魂は明らかに人間のものではなさそうだった。ゆっくりと煙のような光の発生源へ目を向けると、檸檬色の短冊が目に着いた。色は抜け落ち、靴で踏まれたような跡まである。その真ん中には、赤く古臭いフォントで、楽しげにこう書かれていた。




『紀伊の新名所 観音ワンダーランド ごあんない』




「これって……」




 コヂカはそのパンフレットをおもむろに手にとって開いてみた。白い光の煙は、まるでたばこの副流煙のようにそのパンフレットについてくる。間違いない。このパンフレットはあの日、コヂカが片岡たちを驚かすために、観音様のふもとから持ち帰ったものだ。ずっと忘れられてここに放置されていたらしい。大観覧車、メリーゴーラウンド、大平和観音像。今見れば安っぽい乗り物や見世物が、さぞや面白そうに描かれている。そしてその一つ一つから、白く小さなもやが噴き出して、コヂカの眼前を漂う。




「クリヲネちゃん。野良魂って、基本的には忘れられた存在なんだよね?」


「ええ、そうよ」




 コヂカはふと考えついて、廊下の窓から裏山の観音様の方を見上げてみた。思った通り、遊園地があった一角だけ、他の場所よりもはるかに眩しく輝いている。この街のどこよりも、あの場所は忘れられた存在が多いのだ。




「シオンの居場所、わかったかもしれない」


「え、本当に?」


「うん、たぶん観音様のところ。一緒に飛ぼう、クリヲネちゃん」


 コヂカとヲネは目を瞑ると、思いっきり息を吸った。そして息を吐き出して再び吸い込むころには、夜の匂いに包まれた観音ワンダーランドのメインストリートに立っていた。




☆☆☆




 野良魂に彩られた観音ワンダーランドは、在りし日の姿よりもはるかに絢爛で煌びやかだった。そのあまりの美しさは、コヂカの心を一瞬で奪って去っていく。ここがあの忘れられた遊園地の廃墟だなんて、いったい誰が想像つくだろう。


 チケット売り場の周りには蛍のように無数の魂が散らばっていた。おそらく発券されることのなかった入場券の思いが、行き場を失って漂っているのだろう。メリーゴーラウンドの子馬たちは、もう二度と揺れることのない鬣たてがみを、白い霞のなかで蜃気楼のように滲ませる。ここには一際明るく、強い魂があるのがわかった。生き物の、それも人間の魂である。




「野良だけどシオンのものじゃないわね。エコウによって体と分離された魂じゃない」




 美しく輝くメリーゴーラウンドの光を見て、ヲネは言った。




「小さい男の子だ。でも私よりもずっと前に生まれて、ずっと前に亡くなった。事故で、この場所で命を落として、名前も顔を忘れられた。でも輪廻のなかに帰れずにここにいるみたい。どうしてなの?」




 コヂカははじめて人間の魂を見て、ふと湧いた疑問をヲネに尋ねてみた。男の子のことはコヂカが探ろうとしなくても、すっと頭のなかに流れ込んできた。




「彼のことを覚えている存在がいるのよ。それも生きているかのようにね。だから魂として役目を終えることも、輪廻のなかへ戻ることもできないの。不幸な魂だわ。きっと親御さんやお友達は彼の死を受け入れたのだけど、どこかで死んでないって思っている人がいるんじゃないかしら。そのままの姿で、ここに現れてくれることを願っている人がね」




 ヲネの話を聞いて、コヂカはかつてマリがバスの中で言っていたことを思い出した。




『しかもここ。ほんとに出るらしいよ。昭和の時代に、小学生くらいの男の子が、あの遊園地であった事故で死んじゃったんだって』




 マリの言っていた噂通りだとしたら、面白がって肝試しのネタにされている以上、この男の子はこの場所から動くことができない。




「私たちはどうすればいいの?」


「彼がもう二度と戻らないということを認めてあげて。そうして誰の心からもその存在が消えた時、自然の輪廻のなかに戻っていくと思うわ」


「そうすることしか、できないんだね」




 コヂカは何も知らずに白い馬にまたがる男の子の魂がかわいそうに思えて、少し寂しくなった。




「忘れられて、輪廻のなかに戻ることは魂の自然な流れよ。さあ、シオンの魂を探しましょう」


「うん」




 ヲネにそう言われて、コヂカはメリーゴーラウンドの前から歩き去った。どこよりも明るい遊園地に、やがて太陽の光が注ごうとしていた。


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