第42話 リョウの彼女

 水平線に沈んでいく太陽を、しっかりと見たのは何年ぶりだろう。海辺の街に住んでいるのに随分と久しぶりな気がする。マリはこんな美しい景色を毎日のようにみているのだろうか。


 日が暮れると、マリの両親がコヂカとカンナに夕食を振舞ってくれた。地元の港で水揚げされた魚に、近くの畑で採れた野菜。刺身に味噌汁、それからポテトサラダ。食卓を囲んで家族で食べる夕食にコヂカは懐かしさを覚えていた。夕食を食べる時間がバラバラなコヂカの家ではなかなか見られない光景だ。


 マリのお父さんはおしゃれで、話上手だった。禿げかけた髪にはウェーブがかかっているし、身体は引き締まっている。コヂカのお父さんと違って、身だしなみにも気をつかっているようだ。夕食のときはコヂカやカンナに何度も質問をして、会話を盛り上げてくれた。マリの明るい性格は、きっと父親譲りなんだろう。




 コヂカとカンナがお風呂に入っている間に、マリが近くのコンビニでお菓子とジュースを買ってきてくれた。マリの家はお風呂まで独特で、白いタイルの中に大きなヒノキの浴槽が鎮座している。そんなあまりにも豪華すぎる浴室に、コヂカとカンナは思わず笑いだしてしまった。




「なにこれ、マリのやつ、いつもこんなお風呂に入ってるの?!」


「なんか普段のマリからは想像もできないね」


「マリは五右衛門風呂とかのイメージだったわ」


「それは言い過ぎでしょ」




 浴槽は広すぎて、なんだか落ち着かなかったが、せっかくだから二人で入ることにした。暖かい湯船の中で太ももをこすり合わせて、コヂカとカンナは他愛もない話で盛り上がった。友達とお風呂に入るなんて修学旅行以来かもしれない。いつもとは違う日常に、コヂカは胸を躍らせる。お風呂から出てマリの部屋に戻ると、マリは一人、明かりを消してストレッチをしていた。




「びっくりした、何やってるの?」




 月明りと、海から反射した光だけが部屋に流れ込んでいる。そんな中でヨガのポーズをしているマリは神秘的で美しかった。




「日課。ささ、楽しい夜のはじまりはじまり」




 暖色のルームランプをつけて、マリは二人の布団を敷いてくれた。冷えるといけないからと、床暖房のスイッチを入れる。買ってきたジュースとお菓子を開けて、マリが紙コップに注ぐ。




「マリん家、ほんとにすごいわ」




 じゃがりこをつまみながらカンナが言った。




「うん、お風呂もおしゃれだったし」




 コヂカもカンナからじゃがりこを差し出されて食べながらマリに言う。マリはジュースを飲み干すと言った。




「でしょーっ。いつも一人じゃもったいないなあって思ってたんだ。今度は3人で入ろうよ」


「3人はどうだろ、入れるかな」




 コヂカが困り顔をすると、




「大丈夫だって、ちょっとくらいぎゅうぎゅうのほうが、修学旅行みたいで楽しいじゃん」


とマリがチョコの袋を開けながら言う。


「たしかに、てか今も修学旅行みたいだよね」




 カンナの声にコヂカが同意する。




「うん、なんか遠くまできたって感じ」




 マリは枕を抱え込むように持って、二人にある提案をした。




「修学旅行の夜といえば、あれでしょ」


「なに?」




 カンナが怪訝な顔をすると、コヂカが横で




「恋バナ……とか?」




と言った。二人がすぐに冷やかしを入れる。




「言うねえコヂカ」


「したことないんだけどね、なんとなくイメージで」




 恥ずかしく目をそらしたコヂカをみて、マリはカンナと目を合わせた。




「じゃあ決まり、恋バナしよ」


「おっ、いいねいいね」




 三人でお菓子を囲んで、普段は言えない秘密の会話が始まる。コヂカがカヅキに思いを寄せていることは、カンナとマリの間では暗黙の認識だったらしく、コヂカは驚いて顔を赤らめた。




「うちらが気づいてないと思った?」




 カンナがコヂカをからかうように言った。




「うんうん。コヂカってば、あの生徒会の後輩くんの前だけ表情が違うもん。さすがにわかるよ」


「そ、そうかな。あんまり意識してないんだけど」




 コヂカは前髪を引っ張って目を覆った。予想外のピュアな反応に二人は驚いたようだ。カンナはそんなコヂカを暖かく見守りながら、マリに尋ねる。




「そういうマリは彼氏とかいないの?」


「さぁーって、どうかなー」




 マリとぼけたような反応にカンナは即答した。




「よし、これはいないな。じゃあ次に」


「ちょっと待って、まだ何も言ってない!」


「彼氏は?」


「……いない」


「じゃあ好きな人とか、気になる人はいるの?」


「いないってわけじゃないけど、別にそんなんでもないみたいな」


「誰?」


「うちも気になるな、マリの好きなタイプ」




 コヂカは両手で紙コップを持って上目でマリを見た。マリはしぶしぶ答える。




「2組の、リョウとか」


「あー……、マリ面食いだからなあ」


「うるさい!」


「リョウ?」




 顔が浮かばないコヂカに、カンナが耳元で囁く。




「ほら、片岡達とよくいっしょにいる。黒髪で背が高くて、アイドルみたいな子」


「ああ」




 コヂカはやっとリョウの顔が浮かんだ。顔は良いんだけど、王子様気質でいつも偉そう。クラスも違うのでほとんど顔を合わせないが、コヂカはリョウのことが苦手だった。でもリョウって確か既に誰かの……。




「あれ、でもあの子付き合ってなかった?」


「え?」


「誰と?」




 突然のコヂカの言葉にカンナとマリは目を丸くする。カンナは




「そんな話、初耳だけど」




と言い、マリも小さく頷く。




「たまに2組にお弁当食べに行ってたよ。今日は彼氏と食べるからって。ほら、うちらも良く知ってる、ほら、あの子。おしゃれで、美人で、数学が得意な、同じクラスの……」




 誰だっけ? 薄っすらとシルエットが浮かんでは、コヂカの頭から消えていく。何故だが、その子のことをコヂカはよく知っている気がした。本当なら、今日も一緒にマリの家に泊まるくらい仲がいいはずだ。でも名前も、顔も思い出せない。




「そんな子いたっけ?」




 マリは腕組みをして天井をみた。盛り上がっていたおしゃべりが急に静かになる。コヂカは少し怖くなって、




「ごめん、何でもない。中学の同級生と勘違いしたみたい」




とつじつまを合わせた。少し沈黙が合って、




「びっくりさせないでよコヂカ」




とカンナが肩の力を抜いた。




「ちょっとホラーっぽかったね、今」




 マリがそう言って、笑いに変えた。そのおかげで、その場の和やかなムードは保たれた。しかしコヂカは、歯の間に挟まったじゃがりこの欠片を舐めながら、なんとも言えない後味の悪さを感じていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る