第40話 潮風の抜ける部屋

 マリの家は市街地とは離れた場所にある小さな集落の、さらに外れにある岬の上にポツンと建っていた。白い壁に青い屋根の美しい佇まいは、エーゲ海を望むギリシャの街並みを髣髴とさせる。周りには家やお店はなく、ただ岬の上に緑と一面に臨む海の青があるだけだ。その簡素な景色が、いっそうマリの白い家を際立たせている。


 土曜日の午後、コヂカとカンナがマリに言われたバス停で待っていると、マリのお母さんが黒いセレナで二人を迎えにきてくれた。助手席にはマリの姿もある。セレナは曲がりくねった海岸沿いの一本道を進み、開けた岬の頂上を目指した。マリ曰く、いつもこの車でバス停まで送り迎えをしてもらっているらしい。彼女の家を見たコヂカとカンナは、普段のマリからは想像できないおしゃれな実家に思わず声をあげた。




「ええ! これがマリんち?」


「綺麗、コテージみたい」


「でしょでしょ!」




 マリは得意気に体を揺らして言った。そのまま舗装されていない駐車場に車を止め、4人は車を降りる。その瞬間、胸まで突き抜ける爽快感を持った潮風が、コヂカに吹き付けた。なんて気持ちいい場所なんだろう。




「何もないところだけど、2人ともゆっくりしていってね」




 マリのお母さんは、はしゃいでいるコヂカとカンナに言った。身長が高くて若々しい、綺麗なお母さんだ。白いブラウスが良く似合う。マリとは似ても似つかない風貌だったが、笑った時にできる無邪気そうな笑窪が、マリにそっくりだった。




「そんなことないですよ。すごく綺麗で、落ち着きます。私、山県カンナです。お世話になります」


「海野コヂカです。よろしくお願いします」


「二人ともうちの娘と仲良くしてくれてありがとね。マリはいつもあなたたちのことを話してるわ。山県さんは面白くて、海野さんはしっかり者だってね。今日と明日はうちの娘みたいなものだから、何か困ったことがあったら、いつでも言ってちょうだいね」


「はい、ありがとうございます」


 カンナとコヂカは二人そろって頭をさげた。そんな3人のやりとりを、遠くから聞いていたマリは何だか照れ臭そうだ。はにかみながら、二人の親友に言う。


「ささ、早く家の中いこ。カンナとコヂカに見せたいものがあるんだ」




☆☆☆




 家に上がった二人にマリが見せてくれたのは、二階にある彼女の部屋からの眺めだった。白い壁にフローリングの木目が映える6畳ほどの小部屋に、海側にある大きな窓からの光が注いでいる。その窓を開け、青い柵の小さなベランダに立つと、視界から海以外のものが消えて、どこまでも続く大海原が、眼前の世界に広がっていく。まるで鳥になって海を渡っているようだ。




「気持ちいいね」




 コヂカは胸いっぱいに潮風を吸い込んでそう言った。カンナも感激した様子で海を眺めている。




「なんかジブリのヒロインの家みたい」


「あはは、確かに」




 コヂカは口に手をあてて、カンナの例えを笑った。カンナは振り返ってマリに言う。




「どんなお金もちの家よりも、マリん家が一番羨ましいわ」


「えへへっ、でしょ」




 マリはまた得意気になって鼻の下を触った。この家の二階にはマリの部屋しかなく、そのせいか隠れ家のような雰囲気さえある。部屋のインテリアは白で統一されているものの、色鮮やかな本棚の少女漫画たちや、ベッド横のコルクボードに貼られた中学時代の写真たちが、部屋の主が年相応の高校生であることを証明しているようだ。マリは白いシーツのベッドに腰を下ろして言った。




「パパが建築の仕事しててさ。わざわざこの場所に家を建てたいって言うから、うちが中学生の時にママと3人で東京からこっちにきたの。転校するときは寂しかったな。でもそのおかげでカンナとコヂカに出会えたわけだけど」


「てかマリって東京生まれだったんだ」




 しみじみと感傷にひたっているマリに、カンナは驚いた声で訊いた。




「えっ、いまさら?」


「いやきいたことないって、そうだよねコヂカ」


「うん、私もはじめてきいた」


「ほらコヂカも言ってるじゃん」


「そっか、言ってなかったっけ。でも言わなくても、うちの溢れる都会人オーラで気づくと思ったんだけどなあ」


「わかるか! むしろオーラは田舎人だわ」




 カンナの物言いにコヂカはすごく納得した。たしかに日焼けした肌に茶色い髪のマリは、むしろ漁師の娘のような雰囲気を醸している。まあ偏見でしかないのだが。




「じゃあ染まっちゃったんだな、仕方ないか」




 マリはいつの間にか床の上に寝転がっていた。海から吹いた風が彼女の茶髪を散り散りにし、白いキュロットをふんわりとめくりあがる。マリはまるで床の上で空に浮いているように、潮風に彩られた。




「コヂカとカンナはずっと地元だっけ?」


「うん、うちらは小学校から一緒だよね」


「うん。カンナと……」




 誰だっけ? コヂカの記憶に誰かの顔が浮かんだ。でも思い出せない。するとマリがすぐ言った。




「いいなあ、うちもこっちで生まれたかった」


「え? 東京の方がよくない? だってこの街って何もないじゃん」


「そんなことないよ。海はあるし、山もあるし、ご飯は美味しいし、変なやつもいない」


「そのへんは見飽きちゃったからな。でも変なやつはいるじゃん。肝試しして、はしゃぐような片岡みたいなバカとかさ。この前だって、幽霊が出たって廊下で騒いでたし。顔がよくても中身がダサすぎ」


「あははっ、横顔だけ菅田将暉の子でしょ。うちもあいつはないよ。てかあの遊園地早く取り壊してほしいよね。授業中、視界に観音像が入って不気味って感じ」


「わかるわ。霊感ないけど、見てるだけで呪われそう」


「そう、かな」




 カンナとマリが同意して盛り上がる中、コヂカがベランダの上から小さく言った。


「え?」




 カンナとマリは声を落として、そろってコヂカを見る。




「あの観音様、うちは好きだけどな」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る