第26話 記憶の履歴

 コヂカがカンナと出会ったのは、10歳の頃だった。集団登校に班分け、均等に並べられた机に、分単位で区切られた時間割。小学校という社会を模倣したミニチュアに、すでに辟易としていたコヂカは、クラスの中でも浮いた存在になっていた。


 そんな中、5年生になってはじめて同じクラスになった山県やまがたカンナは、コヂカとは正反対の性格で、いつもみんなの中心にいた。学級委員の職務怠慢によって生み出された席替えの阿弥陀くじで、コヂカとカンナはついに隣り合うことになる。初めてしっかり見たカンナの横顔は、教室のすりガラスの光を浴びて産毛が輝き、まるで後光が差しているようだった。眩しい、でも目は背けたくはない。この時抱いたアンビバレントな感情が、コヂカの心に幕を下ろして、今も本当の姿を隠し続けている嘘の正体だと思う。こんな子と友達になりたい。でも、そのままのコヂカではきっと釣り合わない。




「はじめましてだね。うちはカンナ」




 両手を胸の前で組み、肘を机に付けてカンナはそう言った。その煌びやかな瞳は、コヂカに、新しい出会いに、興味津々のようだった。




「あ、うん。私はね、うちはね、コヂカ。変な名前だけど、笑わないでね」


「コジカ? どんな字を書くの?」


「そのまま、カタカナ」


「ジは、ザジズゼゾのジ?」


「ううん、ダヂヅデドのヂ」


「変わってるね、ふふっ」




 カンナは少女らしく吹き出すと、「しまった」と唇を指で押さえるようなしぐさを見せ




「でも、かわいいね」




と続けた。




 コヂカの本質をカンナが見抜いていたかはわからない。でもコヂカの努力もあって、カンナとはすぐに休日も遊ぶような仲になった。コスメにアクセ、制服の着崩しからテスト勉強法まで。要領の良かったカンナは、コヂカにこれまで知らなかった世界を見せてくれた。やがて中学生になっても、二人の関係が変わることはなかった。クラスも違ったし、コヂカはバレー部、カンナはダンス部とそれぞれ別々の部に入部した二人だったが、それでも毎日欠かさずLINEした。この適度な距離感があったから、カンナとの友情が長く深いものになったのだとコヂカは思う。お互いのクラスや部活の愚痴も、カンナになら気兼ねなく話すことができた。そうやって二人で支え合いながら、コヂカとカンナはそれぞれ別の世界で、一緒に大人になった。




『カンナはさ』




 LINEの緑色の吹き出しが、いつになく緊張感を帯びている日があった。




『うん』


『高校どこ受ける?』




 いつもなら既読がついてすぐの返信が、少し間があった。




『コヂカは?』




 本当なら将来に関わる大切な話は会ってするべきなのだろう。でも会えるような時間も、勇気も、コヂカは備えていなかった。




『○○高校』




 そう返すと、またしばらくの間があった。その間、コヂカは震える手でスマホを握っていた。




『え』


『一緒じゃん』




 通知を見て、コヂカは思わず笑みがこぼれた。何も言わなくても、互いのことが分かる。そう思えるような奇妙な一致が、この頃のコヂカとカンナには多かった気がする。


 そして二人は数か月間、スマホを封印して高校受験に挑んだ。合格発表の日、コヂカとカンナはお互いの合格を確認すると、高校の玄関前で笑って抱き合った。それはコヂカがずっと追いかけてきたカンナへの憧憬が、友情に変わった瞬間でもあった。




「コヂカぁ、高校でもよろしく」


「うん、こちらこそ。よろしくね」




 息を吸うように喜びを噛み締めて、コヂカは笑った。潮風が砂埃を舞い上がらせ、春の到来を予感させる。校庭の端に咲く小さなソメイヨシノは、まだ蕾のままであった。


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