第23話 玲瓏のバス停

 生徒会長になったコヂカは、なんだか、もやもやしたものを抱えながら、学校生活を送っていた。落選が決まった時のシグレの潔い対応が、コヂカにそんな思いをさせるきっかけになっていたのは間違いない。彼女は選挙が終わった後、コヂカのところまで歩いてきて手を差し出した。




「おめでとう、海野さん。会長、頑張りなさいよ」




 悔しそうではあったが、シグレは僻んだり妬んだりもせず、純粋にコヂカを応援してくれた。コヂカは、




「ありがとう」




と握手を交わしながら、どうして今までシグレのことが苦手だったんだろう、と考えてしまった。シグレは確かに強気で、はっきりものを言うタイプの生徒だ。しかしコヂカみたいに、自分の思いを嘘で包み隠してしまうようなことはしない。こんな真っすぐな思考を持っている子に、自分はズルをして勝った。気持ちがいいとはいえない後味が、選挙後のコヂカを支配していた。


 もう一つ、コヂカは気にかけていることがあった。それは、選挙のあとめっきり姿を見せなくなったヲネのことだ。コヂカがあまり力を使いたがらないから、ヲネはつまらなくなって姿を消したのだろうか。それともコヂカの願いをすべて叶えてしまったので、ヲネは消えてしまったのだろうか。真相はわからなかったが、コヂカはヲネに会ってまた魔法を使わせてもらいたかった。これまで2種類の魔法を使ってきて、コヂカは使い方さえ間違わなければ便利なものであるという印象を抱いていた。確かにシグレとの選挙で、不正な票の操作に魔法を使ってしまったのは間違いだったかもしれない。だが、カヅキとユリカの恋仲を消滅させたり、片岡たちをお化け騒ぎで懲らしめたことは、コヂカは別段、悪い事だとは思ってはいなかった。


 今回のことも、票の操作ではなく、そもそも選挙自体を行わなかったとしたら、どうなっていたのだろう。もしただの紙切れの投票用紙を消すのではなく、人間の候補者を、消すのだとしたら……。そんな恐ろしい考えが、コヂカの胸にふっと湧いてはゆっくりと消えていった。




☆☆☆




 潮風は秋に入って冷たさを増していく。コヂカはそのひりひりした感触に、深く目を閉じて、再び薄眼を開いた。開いている窓の外を見ると、暗くなった学校にもう生徒はほとんどいない。コヂカは生徒会長の仕事を片付けるため、遅い時間まで生徒会室に残っていたのだ。腕を伸ばして一息つくと、会室の鍵を閉めて学校を出た。


 薄曇の日は夜が早く訪れる。コヂカは暗闇に包まれたバス停で、帰りのバスを待っていた。時より通る自動車のヘッドライトがミラーボールのようにバス停の付近を照らしている。その明かりの中で、コヂカは赤白い小さな人影が近づいてくるのを見つけた。ヲネだ。コヂカはあたりに誰もいないのを確認してから、ヲネに話しかける。




「クリヲネちゃん、どこに行っていたの?」


「うーん、ちょっと人間観察にね」


「人間観察?」


「うん。おもしろいものをたくさん見ちゃった。コヂカちゃんに関わるものもあるから、後で教えてあげるね」


「私に関わるもの?」


「ふふふ、でも今は言わない。ヲネ、お腹が空いちゃった」




 ヲネはコヂカの横でバスを待つように立ち、お腹をさすった。少女のような振る舞いだ。




「ポッキー食べる?」




 コヂカはリュックから食べかけのお菓子を差し出して言った。生徒会での仕事の最中に食べようと思っていたものだ。




「気持ちは嬉しいんだけど、ヲネたちエコウは人間の食べ物を口にできないの。ごめんね」


「そうなんだ、じゃあクリヲネちゃんたちは何を食べるの?」




 ヲネはコヂカを一瞥して、下を向きながら続けた。




「……霞、みたいなものかな。本当はちょっと違うのだけど」




 ヲネがそう言い終えると、すうーっと海が凪いでいった。続けて風が、廃墟がそびえる山々が、静まりかえる。




「今から、食べるから、コヂカちゃんもよく見てて」




 次第に空気が変わっていった。ミラーボールのような自動車の光は影を潜め、バス停の明かりも2、3回点滅を続けたあと、ぱたりと消えた。月明りですら薄く引き伸ばされ、暗闇は漆黒に変わる。




「え? どうなってるの?」




 コヂカは驚いてヲネを見たが、彼女は何も言わなかった。ただ風船を膨らますようにお腹を凹ませて、大きく息を吐いていた。するとヲネの息が蛍火のように微かに光を持ち始めた。その光だけが真っ暗な中で、ヲネやコヂカ、バス停や周り雑草たちを照らしていく。不思議な光景だった。時間が流れているのか、止まっているのかさえ、分からない。やがて、廃墟の奥にある木の陰や海岸の砂浜から、ヲネの光に呼応するように光の玉が湧き出してきた。それぞれがヲネの光より明るく、大きい。




「……いただきます……」




 ヲネは手を合わせて、吐いていた息を一気に吸い込んだ。彼女の口から出た光もろとも、湧き出した光の玉たちは、一瞬のうちにヲネの口の中へ吸い込まれてしまった。そして頬を交互に膨らませながら、ヲネはゆっくりと光たちを咀嚼した。




「……ごちそうさまでした……」




 再び手を合わせて、一礼すると、月明りやバス停の蛍光がもとに戻っていた。風も、潮も、自動車のエンジンも息を吹き返す。




「驚いたでしょ?」




 ヲネは得意気に、少女らしくコヂカに言った。白い歯が見えている。




「うん、今のはなに?」


「『雫』よ。ヲネたちエコウは、溢れんばかりの命の輪廻、その繰り返しから漏れた、僅かな魂をいただいているの」




 命、輪廻、魂。コヂカはヲネの言葉に弟を思い出さずにはいられなかった。ヲネはすかさずフォローするかのように続けた。




「大丈夫、ヲネたちは誰も殺してないし、亡くなったり、生まれる前の魂も食べない。ヲネたちがいただくのはね、役目を終えた魂の欠片。それを『雫』と呼んでるの」


「役目を終えた魂……」




 コヂカはその響きになんとなく落ち着きを見出した。深く考えようとしたところで、バスが来て、ヲネは無邪気に笑った。神妙な顔つきのコヂカがなんだか可笑しかったらしい。




「人間だって、家畜や魚の命をいただくでしょ。それと一緒よ」


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