第22話 深紫の砂浜

 その日の海は凪いでいた。まだ昼間なのに夜更けみたいに暗い。ヲネはコヂカから離れ、夕闇に染まる深紫の水面を見ていた。冷たい海風が吹く砂浜には誰もいない。人間ではないヲネだけが、物悲しい瞳をして風にスカートをなびかせる。




「どうして人間の傍を離れたの?」




 誰かが言った。姿はなかった。




「だって面白くないんだもん、人間なのに、人間らしくないんだもん」




 ヲネは拗ねるような言葉で呟くように答えた。




「あんたも、エコウらしくないじゃない。お似合いよ」




 違う誰かが、そう言った。




「そんなことないもん。ヲネ頑張ってるもん」


「人間の心を満たせないエコウなんていない」




 誰かの声がヲネの胸の奥に滑るように刺さる。




「ヲネ。コヂカちゃんの願いを叶えてあげたよ。透明にして、入れない場所に連れていってあげたし、コヂカちゃんが好きな人から好きな人の記憶を消してあげた。それに、それにね。選挙で票を消して、生徒会長にしてあげたよ」


「でも、あの娘の心は満たされてないみたい」


「どうしてなの?」


「あの子は知らないのよ。人間がみな、一人で生きていることを」


「どういうこと?」




 穏やかな波音が、海の不気味な息遣いのようだった。




「……あなたはまだまだ人間世界への探求が足りてないわね。一度、あの娘の心を空っぽにしてみなさい。そうしてもう一度、望みを注いでみるの」


「でも心を空っぽにするなんて、どうすれば……」


「決まっているわ。薄っすらと心に張っている、膜のような水を抜くの」


「膜のよう水?」


「水のような膜でもあるわね」


「それって一体?」


「綻びよ。あの娘の周りを観察すれば、すぐに分かるわ。人間はとても単純で、ほとんどが目でしか見えないし、口でしか話せないから」


「わかった。ヲネ、頑張る」




 氷の解ける音がした。砂浜はまだ深い紫に染まっていた。




「頑張って。あの娘を満たせなければ、あなたは消えてしまうのよ」


「うん、もちろん。それはわかってる」

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