スナッフと言って、ロウソクを消して

高橋末期

スナッフと言って、ロウソクを消して

 あの日の空は、いつまで経っても目に焼き付いて離れない。とても透き通るような、雲一つない、晴天の空であった。


 六時に起床し、七時半から夕方六時までの勤労動員。去年の八月頃から発令された「学徒勤労令」によって、十四歳のわたしも、軍需工場へと駆り出されていた。


 初めはとても浮かれていて、工廠での勤務だと聞かされたとき、お国のために非力なわたしでも役に立てるのではないかと、意気揚々と向かってみたものの、わたしの班が回された場所は、耐火レンガを製造する工場であった。


 くる日もくる日も、朝から晩まで、重い粘土を窯場へ運び、そこで成形された熱々のレンガを並べていく、本来だったら工員がやるべき力仕事を、戦場へ駆り出された男の代わりに、わたしたち女が代わりに行っている過酷な環境は、わたしをホームシックにさせるには、そうそう時間はかからなかった。


「母ちゃん……帰りでえよう」


 工場の寮で布団で顔を覆いながら、わたしがむせび泣いていると、誰かがわたしの布団を静かに叩いた。


「寝れねぁの? だったらおらがいいもの見せでけっぺが」


 それが、柴田美智子との最初の出会いだった。同じ班に配属されて、寮部屋の隣の布団にいた美智子は、毎晩泣いているわたしを見て、故郷にいる妹とソックリだったらしく、その妹をあやす為に行っている事を、美智子はわたしにも披露しようとしていた。


 それは一本のロウソクに火を灯し、六つ切りぐらいの少し大きな和紙を、木の枝で固定させたお手製の幕のようなものをわたしと彼女の布団の間に設置した。さながら、小さな劇場が現れたかのようだ。いったい何が始まるのだろうか、わたしは久々の非日常感に心が沸き立つ。


「むかしむかし、あるところに……」


 美智子の声が幕の後ろから聞こえた。さっきまでの、訛りが強い言い方ではなく、綺麗な標準語だ。その力強そうで、繊細なピアノの旋律のような声によって語り出される美智子の物語に、わたしはホームシックの事など、明日から続く耐火レンガを運ぶ苦しみの事など、ロウソクの火を消すように、どこかへ吹き飛んでしまった。



「スナッフ……それは、ロウソクをの炎を吹き飛ばすオノマトペで、『殺す』を意味するスラング。本物の殺人を動画で撮ったいわゆるスナッフフィルムで有名なやつといえば、今じゃ伝説にもなっている、アドルフ・ヒトラーを暗殺しようとした男、エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベンの処刑を撮ったものが有名だよね。上半身を裸にして、長くもがき苦しむように、ピアノ線でじっくりと……今のレイナお嬢様のようにね」


 そう言ってマナは、無邪気にクランクを回す。わたしの首に掛けられた鉄の輪がジワジワと、わたしの首を締め上げ、背面のボルトがゆっくりとねじ込みながら、わたしの首骨を断裂しようとしていた。


「痛いよう……や、やめてぇ……マナァ……何でも言う事、聞くからぁ……だからさ」


 わたしの低い声が甲高いロリータボイスに変換され、ルーマニア人の小学四年生という外見のロリータが、2.5次元調のトゥーンレンダリング風デザインで、スペインの処刑器具として有名な鉄環絞首刑装置ガローテにかけられようとしていた。


「だから? お嬢様がすべて悪いんですよ。わたしをこんな風にしたのも、ぜんぶ、あなたが。責任はとって貰わないと……ねえ?」


 エリザベス朝風メイド姿のマナがふと、カメラ目線をして、観客を煽った。ヘッドホン越しから、次々と金額が振り込まれるチャリンという音がした。「無残に」「惨めに」「殺せ!」というメッセージと一緒に添えられて。


「うんうん、そうだよね……みんなもそう思うよね!」


 マナが装置のクランクを勢いよく回す。苦しさと痛みに耐えきれず、「あががっが」と息が出来ない苦しみと、首の骨が折れる苦痛を伴った声を発しながら、わたしは白目をむき、足をガタガタ震わせながら失禁させた。


「がっ……許してぇよぉ……許してぇ……マァナァ」


 金額を振り込まれる音が鳴り止まない。次にマナの殺し文句。


「お嬢様のその顔! ……その顔が見たくて、マナは生きてきたのよ!」


 マナはわたしの涙を舌ですくい、そのまま涎まみれの唇へキスをした。そして、クランクを大きく回す。


 バキっと大袈裟に、わたしの首の骨が砕けた音がして、わたしのアバターは絶命した(と、思わせるアクションを起こした)。満開の拍手とともに、マナはうやうやしく一礼しながら、スナッフチャットを閉じる。


「やったよ! レイナ! 観覧者は三千人! 売り上げも二十万円を超えたよ!」


 二人だけの閉鎖されたチャットルームで、マナはさっきまでの、復讐に燃えるクールなキャラとは打って変わって、少女のようにピョンピョンと飛び跳ねる。マナのアバターデザインは、化粧品のCMに出てきそうな、180センチの高身長、物理エンジン殺しな長髪ロングのサラサラヘアを持つ、いかにもなモデル体型のデザインだった。


 わたしのアバターがマナに拷問され、殺害されるライブ映像だけで、三千人もの人間が視聴していて、なおかつお金を払う……一年前まで、ネットのフレンド数がゼロだったわたしには、にわかに信じられないと、未だに実感している。


「マナの作ったストーリーも良かったんだよ。両親を殺されたメイドが、残虐な幼令嬢を拷問して殺すというリベンジものがね。ちょっと高かったけど、ガローテのオブジェクトデータも役立ったし」


「レイナの名演技もね。拷問しているこっちまで、痛さが伝わってきそうだよ。さすが、本職が声優だけはあるよね」


「声優じゃないよ、本職は舞台役者」


「レイナが、出ている舞台を見てみたいな……」


「リアルで出会うのは、お互いに禁止しているでしょ。それに、わたしが自称舞台役者の五十歳のハゲで腹が出ているロリ―タ趣味のバ美肉ネカマ野郎だったら嫌でしょ?」


「えー……それじゃ、わたし仮想とはいえ、五十歳のおっさんと、キスしていたことになるじゃん」


「ね? キモいでしょ? 現実なんてそんなもんよ」


「(ま……五十ぐらいじゃ、まだまだよねぇ)」


 遠い空を見ながら、マナはボソッとそんな事を言った。


「なんか言った?」


「ううん……なんでもない! それじゃ切るね! バイビー!」


 そう言って、マナはログアウトをする。「バイビー」って……時々、マナは死語というか……古風な言い回しをすることがある。もしかしたら本当は、わたしじゃなくて、マナこそが五十歳のオッサンなのかもしれない。


 HMDヘッド・マウント・ディスプレイを外し、パソコンの画面にモーショントラッカー用のカメラによって映し出されるわたしの顔が映し出されていた。


「……ま、現実なんてそんなもんよね」


 カメラに向かって、すっぴん顔のわたしがそう嗤った。



 美智子は同年代の中でも高身長で、キリッとした狐面のような、凛々しいツリ目が印象的だった。実家では長女であるらしく、班の中でも面倒見のいいみんなの「富士姐山」と、そういうあだ名で呼ばれていた。手先がとても器用で、紙とハサミがあれば何でも作り出せた。


「ほいな残酷な話だった?」


「そうだっちゃ、元々童話は残酷な話ばりなのよ」


 美智子は切り抜いた紙を使って、ロウソク越しに影絵劇を演じていた。内容はおとぎ話をモチーフにしていたのだが、問題はその中身だった。


 自分を殺そうとした王妃に焼けた鉄の靴を履かせ死ぬまで踊らせる白雪姫と、死体愛好家の王子様。


 お婆さんの死体を、肉や赤ワインだと思って飲んで食べる赤ずきん。


 魔女だと思っていたのは、実は自分たちを食べようとしていた母親で、それを焼き殺すヘンゼルとグレーテル。


 美智子の演じるおとぎ話は、これまで聞いていたものより残酷であり、夢も希望もない死や堕落と退廃に満ち溢れていた。まるで、現実のわたしたちの状況と何ら変わらない残酷なおとぎ話であったのだ。


「面白がった!」


 けれども、わたしは美智子の語る物語の虜になっていた。手だけで作られた影絵だけではなく、紙と木の枝や葉っぱなどで作られたおとぎ話のキャラクターたちや、細かく切り分けられた西洋風のお城や古民家、可愛らしい食器から、恐ろしい武器やバラバラになる人間のパーツなどなどの小道具の数々は、影絵越しでもハッキリと感じられるディテールの細かさで、美智子の甘美で雄弁な語りと共に説得力を更に重ねていく。とてもじゃないが、短い休憩時間の中で作りだしたものとは到底思えなかった。


「ねえ? 次の話は?」


「そうだな……寝で考えるわ」


 そう言って、美智子はロウソクの明かりを吹き消した。



 虚空にロウソクが燃え上がり、「WAVE300」と表記されている。ここまで、到達したのは彼女と初めてだった。いや……果たして、彼女は女性なのだろうか。


 数年前に流行ったVRMMOで、ブームが下火になった今でも、自ら好きなように改造したアバターで、おとぎ話のキャラクターが地獄の悪鬼や妖怪と果てしない闘争を行うこのゲームは、日ごろのストレスを解消するのにはもってこいの娯楽でもあった。


 わたしのアバターは銃器を沢山装備できるロリータ服を着た人魚姫を使っていて、ボイスチェンジャーによって、元々低いわたしの声が、アニメキャラのような甲高い、理想のロリータボイスにへと様変わりした。


「いい声ね」


 ランダムでマッチングされたCo-op二人協力プレイの相手が、わたしの耳元で囁き、オーガーの頭を巨大な拳銃で吹き飛ばす。それがマナとの最初の出会いだった。


 マナのアバターは、いかにもなパワータイプである巨大化クッキーを食べた不思議の国のアリスを用いたアバターで、筋骨隆々とした手の先に持った巨大リボルバー拳銃を西部劇のように回しながら、手慣れたようにヘッドショットを決めていく。テキパキと対処していく手慣れた動きと、その持っている連続ログボで配布される皆勤賞もののレア装備の豊富さから、このゲームが配信された日から、一日も休まずにプレイしているのではと思ったぐらいだ。


「あなたも……随分といい声してるわよね」


 ドロップによる運が良かったのか、それともマナの腕が良かったのか、わたし――レイナとマナのプレイスコアとタイムアタックスコアは、未だにランキングに残り続けている。


 ボイスチェンジャーによって変化しているとはいえ、互いの「声」を気に入って、意気投合したわたしたちは、多種多様なVRゲームを渡り歩くゲーム上でのチャットフレンドとなり、時々、仕事とか趣味のゲームの愚痴など、他愛もない話を二人だけのチャットルームで過ごすのが日課であり、楽しみになっていた。


「ねえレイナ? お金を稼いでみたいと思わない?」


「えっ……」とわたしは一歩引いて、フリーズした。いつでも逃げられるように、手元のキーボードに手を置いていた。


「ち、違うから! 宗教とか詐欺とか、ネズミ講式の化粧品を買わせる訳じゃないから! ログアウトしないで!」


 マナは必死に、わたしの身体を抑えながら事情を説明した。


「話は聞いていたけど、ポルノチャットねぇ……」


「以前、凌辱系エロゲの声をやっているって言っていたからさ、もしかしたらと思って」


「そのエロゲだって、される方じゃなくて、する方の役だったんだけどね……」


 ポルノチャットというのは、VRアバターを使った仮想ポルノライブである。VRアバターの高解像度化と、自分の動きを即座にアニメーション化させるモーショントラッカーの普及によって、誰でも簡単に、好きなキャラ同士でセックスをしたり、ビデオとして制作、公開ができて、映像系に疎いわたしたちでも、安く簡単にポルノライブを行う事が出来た。


 わたしたちが行うのは、スナッフチャットと呼ばれるポルノチャットの中でも、かなりのアブノーマルなジャンルに属するキワモノであり、「スナッフ」という名前の通り、VRアバター版のスナッフフィルム。つまり、アバターを拷問にかけて処刑する見世物である。



 まるで、見世物小屋の様相だった。シンデレラを虐めていた継母の娘たちの目玉が、鳥たちによって目玉をえぐられた時、「きゃあ!」と、小さな悲鳴が上がったが、他の女生徒たちが一斉に、「シー!」と注意する。


 わたしと、美智子だけのは、それを隠れて見ていた同室の女生徒たちによって、瞬く間に広まった。最初は、二人、次に四人、八人、十六人と……見物人が膨れ上がり、いつしか、入場制限を設け、くじ引きなども作られる始末。引率の先生にバレないよう、見張り役なども出てきた。それだけ、わたしたち勤労学生は娯楽というものに飢えていて、美智子の語る残酷なおとぎ話に、惹かれていたのだ。


「王子様はそのままあられもない裸となり、筋骨隆々とした肉体を誇らしげに、眠るいばら姫に見せつけた後、そのまま――」


 酷い脚色だな……と思いつつ、紙でできた王子様の服を脱がし、いばら姫の唇を執拗にキスをしながら、やたらリアルに作ったアレが出てきた腰を下品に動かす。「きゃあ!」と、さっきとは別の意味での悲鳴が上がる。


 気が付いたら、わたしは美智子の影絵劇を観劇する方ではなく、手伝う立場にへと変わっていた。手伝っていた方が、美智子の影絵芝居を一番堪能できるからだと思ったからだ。影絵の幕も、六つ切りから半切りぐらいの大きさになり、毎夜毎夜、エログロナンセンスなおとぎ話が繰り広げられ、過酷な工場勤労を行う、わたしたちのささやかな楽しみでもあったのだ。


 美智子の実家は書店であるらしく、彼女が語り出すおとぎ話や昔話も、原著をそのまま直訳したり書き換えた所謂「大人向け」のものであり、戦時中のこのご時世には、御法度どころか発禁ものではあるが、書店の奥の方には、発禁処分を免れた……というより、忘れ去られた本が数多く眠っているらしく、その本を日夜、読みふけるのが、美智子の日課だったらしい。


「でも憲兵さんに見づがったらどうするの?」


「大丈夫! メルヒェンは同盟国ドイツのものだがらね、おらだづは別さ国賊でねぁーよ!」


 美智子は胸を張って、わたしにそうよく言い放っていた。



「そこで、レイナの役者としての演技力が試されるってわけ!」


 マナが胸を張りながら、どうしても一回だけと強く押すので、とあるMMOの通貨とレア装備を引き換えに、「もしかしたら、ホラーの演技の勉強にもなるかもしれないから!」と、マナに強く説得されて、わたしはしぶしぶ首を縦に振った。すると、次の日からわたしのメールボックスに、三万文字を超えるキャラクターの設定や世界観の詳細、シナリオなどがマナから届いたのだ。


「レイナ! あんたが! あんたがいなければっ!」


「ああっ! やめて! マナッ! それだけはっ! いたいっ! いだああああっ!」


 生きながら、身体を拘束され、マナによって調理用バサミで腹を裂かれる。わたしは、ボイスチェンジャー越しから、ビブラートを震わせ、渾身の感情を込めて演技をした。2.5次元とは不釣り合いな、血しぶきと精巧な臓器が溢れ出て、本物のような効果音と相まって、本当にわたしの腹が引き裂かれたかのようなリアリティがあった。


「これだけのライブ放送で、千人も回覧していて、五万円も稼げたの?」


「レイナの演技力があってこそだよ!」


 わたしはモツを垂れ流しながら、マナはわたしの返り血を浴びながら、集計結果の画面に唖然としていた。女の子同士のこういうやり取りが好きな世界がある事は知っていたが、こんなにも見に来て、お金を落としてくれる変態がいるのも意外だった。


「それにしても、この可愛いアバターモデルといい、この臓器のテクスチャにアニメーション……これをぜんぶ、マナが用意したの?」


「アバター関係は知人のゲーム会社の元社長から、音は親戚の映画会社のアーカイブから貰ってきたのよ」


「貰ってきたって……マナ……あなたいったい何者?」


「まあ、そんな事よりさ……」


 わたしのメールに何か通知が来た。四万円分の金額がわたしの口座にへと振り込まれている。


「ちょ……四万って! 今日の売り上げのほとんどじゃん! 受け取れない!」


「いいから! 劇団の稽古のせいで、お金が無いって言っていたでしょ。これはわたしからのお礼! いいから! わたしから誘ったんだし受け取って!」


 渋々、わたしはそのお金を受け取ったが、上手い話には裏があると、祖母がよく言っていたので、新手の詐欺だと思いながら、しばらく使う事はなかった。だけど、マナはどんどん、次のスナッフチャットの内容についての詳細と、台本を次々と送りつけてきて、そんな懸念など、氷のように溶けて無くなっていた。



 凍えるような寒さの冬の日だった。工場が軍と関係しているせいか、食べ物には困らないと思っていたが、年が明けてから日に日に、食事の回数は二回から一回となり、その量や質も、だいぶ衰えていたのは目に見て明らかであった。農家を営む両親から届いた手紙には、自分たちが米農家なのにも関わらず、わざわざ闇市で米を買いに行き、川のザリガニを釣って食べながら、何とか飢えをしのんでいる事が、淡々と書かれていた。


「おしまいがもしれねぁーね、この国負げるは」


「こら! 美智子! 誰がに聞がれだらどうするの!」


「国防は台所がらっていうげど! こいな風呂にしか入れん今、国守れるわげねぁーべ!」


 そう美智子に言われて、ぐうの音も出なかった。食事の回数と一緒で、風呂の回数も二日に一回となり、熱いレンガを運ぶ仕事のせいで、肌にまとわりつく汗をぬぐえないのは、耐えがたいストレスだった。他の班との共同浴場を使っていて、交代制となっていたが、最近、美智子とわたしのエログロナンセンスな影絵劇が、引率の先生にバレてしまい、罰として、風呂の交代時間を一番最後に、わたしと美智子に充てられた。


 ほとんどお湯も残っていない、足首ぐらいの高さにあるぬるま湯、これが風呂と呼べるものであろうか。美智子の言いたい事も大体分かった。


 結局、風呂に入るというか、行水に近い形で汗を流した後、わたしはガタガタ震えながら、布団の中で何とかして暖を取ろうとしていた。今日は特に気温も低い、お腹も空いていて、体温が上昇する訳もなく、髪も少しだけ凍っているような気がする。


 酷く惨めな気持ちだった。こんな所なんて早く出て、家に帰りたいと、久々にむせび泣いていたら、背中に優しい温もりが伝わってきた。


「美智子?」


「シッ! おらは体温高えがら構わねぁーよ」


 美智子は、わたしをギュッと抱きかかえていた。確かに、美智子の体温は高く、次第に、さっきまでの震えも徐々に無くなっていった。


「まだ泣いですまって……ほんと泣ぎ虫だな」


「わりい……んでも……どうも」


 わたしは鼻水をすすりながら、美智子の温かい身体へギュッと抱き寄せる。


「美智子……なにが物語聞がせでよ、寝れねぁーの」


「そうだな……ほんでは」


 美智子は「マッチ売りの少女」を語り出した。寒さに震えながら聞く物語にしては、悪い冗談のようであるが、美智子の淡々とした優しい語り口と、寒さで徐々に凍死していく少女の話を聞いていくうちに、なんでみんなが、美智子のエログロナンセンスなおとぎ話に惹かれていく理由が分かったような気がした。


 それは、酷く残酷かつ不道徳で、悪徳の栄えた人間の愚かさの物語を聞くことによって、自分がこの酷い現実の中、マトモに生きていることを実感し、それを物語る美智子の溢れる生命力を羨望し、惹かれているのかもしれない。そう思いながら、暖かい美智子に抱かれたまま、わたしはゆっくりと夢の中へと溶けていった。



 時に、わたしはマナの家族を殺した復讐の為や、マナが連続猟奇殺人鬼だったり、長年マナを虐めた報復、恋愛のいざこざによってなどなど、わたしは異なるシチュエーションによって、マナに切り刻まれ、刺され、焼かれ、骨を折られ、脚をもがれ、皮を剥がされ、目玉を抉られ、内臓や脳味噌を食べられたりしながら、身近にある日用品から世界中の見た事の無い多種多様な拷問器具で、わたしを次々と殺していく。


 気付いたころには、一回の放送で数十万円を稼ぐこともあり、どっちが本職なのか分からなくなる事があったが、どっちみち、マナとこうして、悪趣味で悪徳の限りを尽くした猟奇的な殺人ショーに付き合うのも悪くはなかったし、自分をひたすら可愛く見せたり、声の演技だけでやっているアイドル活動と比べれば、わたしには一番、性に合っているような気がした。


「そんなこと言って……どうして、レイナはそんな可愛い見た目のアバターばかりを選んでいるの?」


 ライブ配信の後、無残にも晒し首となったわたしは、介錯人の格好をしたマナからそんなことを唐突に聞かれた。


「反動だよ。元々わたしは、マナが想像するより大柄な身体でね、声も低くて、劇団でやっている役も、声優の方だって男役ばっかりなんだ。だから、ここのVRは居心地がいいの。好きな時に、小さくて可愛いって言ってもらえる身体を簡単に手に入れられて、ボイスチェンジャーによって、いつもの低い声とはおさらば。こうやって、マナと一緒に、理想のこの姿で、現実のわたしより、お金を稼げているだから、マナには感謝してもしきれないよ……って生首で言う台詞じゃないよね」


 ツボに入ったのか、マナはゲラゲラと笑いだす。


「ひひひー! 苦しい……そ、そうね……やっぱりわたしたちお似合いなのかな」


「屈強そうで、背の高い現実のマナはもしかしたら、お金持ちの小柄な学生さんだったりして」

 

「そうよ……わたしは永遠のじゅうなな……ゴホッ!」


 いきなりマナがせき込む、HMDを外したのか、マナのアバターが突然フリーズする。

 

「マナ? どうしたの?」


 わたしがいくら呼んでも、マナはフリーズしたままだった。


「ううん……何でもない、ちょっと調子が悪いから、このまま切るね」


 マナにしては妙に余所余所しく感じたが、わたしはそのときはあまり気にしなくなり、次のスナッフチャットの演目はどうしようかという事だけを考えていた。



「次はどうすっぺが?」


 その日は、とても透き通るような、雲一つない晴天の日であった。


 午前十一時の休憩時間中、顔を洗いながら、わたしは美智子に次の影絵劇の演目を聞いてみた。わたしらは懲りずに、劇を続けていたのだ。腹は減っていて、身体は臭くなっても、娯楽だけを飢えさせる訳にはいかないという、美智子とわたしの信念のようなものだ。


「うーん、やっぱりこれがな」


 美智子は影絵で用いる猫の形を両手で作る。


「注文の多い料理店!」


「最後は原作ど違ってな猟師だぢ派手さ黒猫さ食いさせでけるんだ!」


 美智子の手が猫の形のまま、わたしを食べる仕草をする。


「わー! お助げー! この化げ猫ー!」


 死んだフリをして、空を見上げたら見慣れない黒い飛行機が飛んでいるのに気が付いた。


 それを見つけた瞬間、けたたましいサイレンが鳴り響いた。



「マナ……マナ!」


 いつも通りのスナッフチャットで、マナが突然フリーズした。はじめはマナのほうの機材トラブルか、通信エラーか何かだと思ったが、マナがわたしの心臓に銃剣を突き刺そうとする瞬間、突然、彼女が咳きこんだかと思うと、大きな音を立てて、そのまま動かなくなった。


 チャットルームを終わらせて、わたしは動かないマナをVR空間で待ち続けていたが、一向に動く気配がない。諦めて、ログアウトをしようと思ったら、マナのマイクに音声表示が現れる。


「遅いよ! マナ! 心配したじゃないの!」


 わたしがマナの元へと詰め寄る。


「えっと……レイナさんですか? マナというアバター……祖母の孫の者ですが、伝えたい事がありまして……」


 わたしは、その場で硬直した。ボイスチェンジャー越しではないマナとは別の声を聴いて、驚いただけではなく、今……なんて言った? 祖母? 孫だって? じゃあ、マナは……。


「マナを演じていた祖母、立花霧江が倒れて、緊急搬送されました。レイナさんも、祖母からの要望で是非、会いに行って欲しいのです」



「霧江! 早ぐ防空壕さ!」


 美智子はわたしの手を引っ張り、空襲警報が鳴り響く工場内を、近くの防空壕に向かって駆け出していた。ヒューという、花火が打ちあがる音がしたと思うと、目の前が突然、真っ白になる。「あ、死んだな」と思った。


「伏せろ!」と、美智子と一緒に地面へ伏せた瞬間、耳をつんざくような爆音と共に、破片がバラバラと降ってくる。ドサッ! と何か重いものが落ちたかと見てみれば、顔半分と、顎の部分が欠落した顔と思しき、人間の生首であった。


「ひっ!」


「見るな! まだおららは生ぎでる! 走れ! 走り続げろ!」


 鳴り止まぬ爆音、爆炎と共に降り注ぐ破片と、一緒に転がる人間の一部と思しき欠片。美智子が毎夜語る残酷なおとぎ話が、まだまだ生優しいものだったと感じていた。いつか突然、自分に襲い掛かるかもしれない死の恐怖に耐えられなくなり、気が付けば美智子が握る手を振りほどき、両手で耳を押さえながら走っていたのだ。


 しばらく走りながら、わたしは美智子がいなくなっていることに気が付き、振り向くと、崩落した工場の鉄骨に下敷きとなった美智子がそこにいた。


「美智子……美智子!」


 急いで、彼女の元へ駆け寄るが、鉄骨が美智子の右足の辺りを押し潰していて、左腕が、あらぬ方向にへと折れ曲がっている。


「ああ、霧江……こいな腕じゃ、影絵でぎねぁーなあ……」


 か細い声で、けれど優しいあの声で、美智子がわたしに笑っていた。ヒューというあの音が、わたしのすぐ後ろから近づいてきた。近づいてきたような気がしたのだ。


「助げ呼んでぐる!」


 わたしはそう言って、美智子の元からすぐに離れて、一気に駆け出した。わたしは彼女に嘘を言ってしまった。生き残りたいが為に、とっさに嘘を言ってしまったのだ。わたしは泣いた。走りながら泣き叫んだ。そんなわたしにお構いなく、B29から落とされる爆弾は、容赦なく、わたしの叫びを、あっという間に吹き飛ばしたのだ。


 空襲警報が止み、工場近くの裏山にある防空壕から出てみると、外はすっかり夕闇に包まれていた。夜なのに妙に明るいなと思ったら、それは燃え広がる工場の明かりだという事に気が付いて、わたしはようやく今の状況を理解し、炎によって照らされる自分の影を見つめながら、ふと……わたしは……猫の影絵を作っていたのだった。



 病室に入ると、チューブだらけの老人がベッドに横になっていた。わたしが部屋に入ってくるのを見ると、ニコッと笑って、少女のように右手をヒラヒラさせながらわたしに振っていた。

 

「立花さん……」

 

「なによ、水臭いじゃない……霧江と呼んでもいいし、これまで通りマナでいいでしょ」


 その勝気な言葉遣い、確かにマナだった。


「な、なによ……マナ……わたしじゃなくて、あんたが……五十歳のオッサンどころか、ヨボヨボのババアじゃないの。なに? ……わたし、VRとはいえ、ババアとキスしていたの?」


 わたしは涙ぐみながら、彼女の細く小さな手のひらを握りしめていた。


 元々は高齢者の認知症治療の一環で、VRを用いた先端予防を行っていたが、新しいもの好きであり、行動力の化身でもある「コンピューターおばあちゃん」な立花霧江は、このVRという玩具を大変気に入り、マナと呼ばれるアバターを作り、もうじき卒寿を迎えるにも関わらず、医者に止められる程、VRゲームにのめり込み、ついにはわたし――坂本美知子演じる、レイナと出会って、今に至るという訳だ。


「美知子ですって?」


 わたしの名前を聞いて、霧江は目を丸くして驚いた。


「変な名前かな?」


「ううん……もしかしたら、これは巡り合わせなのかもしれないわね……ね? 美智子」


 霧江は遠い方を見ながら、両手で猫の影絵を作り出していた。そして、ハッとしたような顔をして、わたしの方へ振り向く。


「ねえ、美知子……いえ、レイナ。わたしからの……最後のお願いなんだけどさ、ダメ……かな?」



 「美智子……美智子!」


 急いで、彼女の元へ駆け寄るが、鉄骨が美智子の右足の辺りを押し潰していて、左腕が、あらぬ方向にへと折れ曲がっている。


「ああ、霧江……こいな腕じゃ、影絵でぎねぁーなあ……」


 か細い声で、けれど優しいあの声で、美智子がわたしに笑っていた。ヒューというあの音が、わたしのすぐ後ろから近づいてきた。近づいてきたような気がしたのだ。


「助げ呼んでぐる!」


 わたしはそう言って、美智子の元からすぐに離れて、一気に駆け出した。わたしは彼女に嘘を言ってしまった。生き残りたいが為に、とっさに嘘を言ってしまったのだ。わたしは泣いた。走りながら泣き叫んだ……泣き叫びながら……わたしは――。


「わりいよ! 美智子! 一人で逃げで悪がったよ!」


 わたしは美智子の元へ駆け寄り、思いっきり泣いて謝った。


「はあ……相変わらず泣ぎ虫だな霧江は、おらの分まで楽しんだんだべ? それで充分だ……思い残すものはねぁー」


 ああ、あの声が聞こえる……力強く、ピアノの旋律のような優しい……美智子を演じる美知子の声が……。


 カンッ! と何かが地面に当たったかと思えば、ゴロゴロと転がりながらまだ起爆していない爆弾がこちらの方へ向かってくる。


「美智子……いえ、美知子! わたしね……今、とっても、幸せよ!」


 精巧なリアリティと高揚感のあまり、わたしは若い霧江の演技を忘れてしまって、マナとなり、美知子にキスをしていた。


「わたしも好きだよ。だから今度は、霧江が先に待っていていてね。霧江の分まで、わたし楽しんでくるから!」


 転がってきた爆弾が起爆した。わたしと、美知子は互いに抱いてキスをしながら、自らの肉体がバラバラになるのを感じていた。抱き合ったまま吹き飛ばされた上半身だけ、地面に投げ出されながら、わたしと美知子が握りあった両腕はしっかりと、猫の影絵を作っていたのであった。


 カメラがわたしたちの元から離れていく。燃え広がる工場を俯瞰し、米粒ぐらいになったかと思えば、カメラがぐるりとチルトして、空を写し出していた。とても透き通るような、雲一つない晴天の空を。


 スナッフチャットがロウソクの火を消すように、そのままログアウトする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

スナッフと言って、ロウソクを消して 高橋末期 @takamaki-f4

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ