番外編① ある日の放課後


「ハルカせんぱ──いっ! 一緒に帰りましょ──っ!!」


 天まで突き抜けるような高声を携えて3年生の教室に飛び込んできたのは、金糸雀色のショートボブを踊らせる小柄な少女だった。


「はるかぁ〜。今日もおたくのワンコちゃんきたよ〜」


 名前を呼ばれて顔を上げたのは風にも靡かないような長さで後髪を切り揃えた凡庸な少女だった。


「……あの子は犬じゃない」

「はーいはい。ほら、早く行ってあげなよ」


 彼女は抑揚の欠落した声音で同級生と言葉を交わしながら、落ち着いた足取りで金碧少女の待つ廊下へ向かった。


「ごめん。お待たせ」

「いえ、ヘーキです」


 感情表現の乏しい先輩、小坂遥香が手の届く距離まで歩み寄ると、それを待ちわびていた後輩、メイ・ロジャースは白熱球を点けたような勢いで顔を綻ばせた。


「ねーねー先輩! 今日こそあの新しいカフェ行ってみましょーよぉ。ほら! パンケーキとか美味しそうじゃないですかぁ?」

「いいよ。空いてたらね」

「やったぁ! ほらじゃあ早く行きましょ!」


 上機嫌な会話を交わす遥香とメイが教室を去っていった後、その様子を眺めていたとある生徒たちの間で2人の話題が持ち上がった。


「あの2人って不思議だよね〜。見た目も性格も全然違うのにいっつも一緒にいるし」

「ね〜。趣味とか合うのかなぁ?」

「どうなんだろ。私、1年の時から小坂さんとクラス一緒だけど趣味とか知らないし」


 彼女たちが興味をひかれるのも無理はない。名前や容姿だけでなく、その出自まで広く知れ渡った存在であるメイに対して、小坂遥香は際だった個性や社交性もない人並みな生徒だった。

 外見や話し口調など、一見するとアンバランスにも見えるその2人の関係性はしばしば学年やクラスの違う生徒たちからも関心が寄せられていた。


「ワタシ噂で聞いたんだけど、メイちゃんって野球部でも小坂さん以外にはよっぽど懐かないんだって」

「懐かないって、そんなペットの犬みたいな……」

「でも毎日満面の笑みでこの教室まで迎えに来るの、律儀なワンコみたいで可愛くない?」

「それは、まあちょっと分かるけど」


 アテもなく流浪する言葉たちに悪意がなくとも、それらは確かな外郭を有しており、ふとした瞬間に意図せぬ相手に届くこともある。




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜





「ん〜〜っ、あまぁ〜〜い」


 クリームたっぷりのパンケーキを口いっぱいに頬張った金碧少女は幸せそうに頬を丸めた。

 彼女が注文したのはお店の看板商品でもある『ベリーベリー・ハニーパンケーキ』。泡のように軽く高く焼き上げられたスフレパンケーキと罪悪感度外視の生クリームタワー、そこに色とりどりのミックスベリーやパイナップルをトッピング。更にその上から10種類以上のはちみつかけ放題という甘いもの好きのメイにとっては夢のようなメニューだった。


「……ふふっ」


 そのあまりにも微笑ましい光景を前に、遥香も普段強固な表情筋を綻ばせながらこっそりとスマホカメラを彼女に向けた。


「……? なんですか? もしかして、口にクリーム付いてましたか!?」


 カメラのシャッター音でその視線に気づいたメイは慌てふためきながら口元を拭った。


「いや、そうじゃないけど。ただ美味しそうに食べるなぁって。イヤだった? 撮られるの」

「むぅ……別にイヤじゃないですけど、ちょっと恥ずかしいです。ソレ、SNSに投稿しあげたりしませんよね?」

「しないよ。多分」

「も──っ! ほら、先輩のアイス溶けちゃいますよ!」


 からかわれることに慣れてないメイは咄嗟に話を逸らそうと遥香の手元にあるスイーツへスポットライトを投げ渡した。


「甘くてイイ匂いしますね! そのアイス、何シロップでしたっけ?」

「コーラシロップ……だったと思う」


 遥香が注文したメニューはコーラシロップがけのバニラアイス。香り高いバニラアイスクリームに、自家製のコーラシロップをかけたお店のこだわりが詰まった逸品だった。


「へ〜、美味しそうですね! ひと口くださいよぉ」

「え? まあ、メイが欲しいなら……いいよ。はい」

「やったぁ! あーん……」


 遥香から差し出されたスプーンを口に含んだ瞬間、メイはそれが爆ぜたかのように肩を跳ね上げながら口をすぼめた。


「ばああぅ、辛いぃ……」

「だから言ったのに」


 柑橘の風味とカラメルの甘みを待ち構えていた口内に訪れたのは、想定外の辛味と鼻を刺すようなスパイスの香りだった。


「これ、クラフトコーラシロップだからそんなに甘くないよ」

「ソレもっと早く言ってくださいよぉ……」


 涙目で訴えるメイだったが、そもそも2人の味覚的嗜好は真逆と表現できるほど対照的だった。

 食パンにジャムとはちみつとホイップクリームと練乳をかけて食べるほどの甘党であるメイに対して、遥香は基本的に香辛料の効いた料理を好み、メイが大好きな生クリームは苦手なほどだった。


「うぅぅ、まだちょっと口の中ピリピリしますぅ」

「ほら、甘いの食べて」

「んん〜ぅ……甘ぁぁいぃ」

「本当に甘いもの好きだよね。メイは」

「はいっ! ワタシの身体は甘いものだけで生活していけるようにできてるんですよ! きっと!」

「……栄養失調で倒れないでよ」


 何から何まで好対照な2人だったが、通学に利用している路線が一部共通していることもあり、部活動の有無に関わらずこうして帰路を共にすることが日常となっていた。


「じゃあほら、お店混んできたし、それ食べ終わったらもう出よう」

「ええ──っ!? もうちょっとゆっくりしてきましょーよぉ」

「わたしもそうしたいけど、食べ終わったのにいつまでも席埋めてたら迷惑だろうし」

「む〜ぅ……こんな事なら人気店は避ければ良かったです」


 口ではもごもごと不満げなことを呟くメイだったが、大好きなスイーツを目の前にしたその表情かおは不満に染まりきっていなかった。




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「ふぅ〜〜、パンケーキ甘くて美味しかったです。並んで待った甲斐がありました」


 店を出た後も、メイはしばらく余韻に浸るような甘い表情を見せていた。


「そう。なら良かった」

「先輩はどうでしたか? お口に合いませんでした?」

「いや、わたしは別に……」


 そんな取り留めのない2人の会話に、不意に目前から幼い声が割り込んできた。



「────あ、あのっ!!」



 2人が反射的に声のした方へ視線をやると、そこには中学生と思わしき歳下の少女がいて。彼女は緊張の面持ちでじっと金碧少女のことを見つめていた。


「もしかして、“メイちゃん”……ですか?」

「えっ……や、あの」


 見ず知らずの相手に名前を呼ばれ狼狽するメイだったが、少女は興奮のあまり返事も待たずに捲し立てた。


「わたしっ! 初めて雑誌で見た時からずっとファンで、こないだの大会も全試合見に行きました!」

「あ、えっと……ありがと」

「あっ、あのっ! 良ければ一緒に写真撮ってくれませんか!?」


 憧れの人を前に節制が利かなくなっている様子の少女を相手に、露骨に二の足を踏んでいたメイは咄嗟に一歩後ろにいる遥香へ視線を投げた。


「ど、どうしましょう……」


 遥香は知っていた。

 メイが自身に対する好意や憧憬といった感情を持つ相手との交流を不得意としていることを。その苦手意識が過去の傷に起因していることも、本心ではその気質を克服したいと望んでいることも。


「いいんじゃない? 撮ってあげたら? 写真」


 だからこそこんな時、遥香は決まって背中を押すような言葉を選んでいた。ただの不得手であるそれが悪意と誤解されぬように。


「いいんですかっ!?」

「わっ、ワタシで良ければ……」

「やった! ありがとうございますっ!!」


 メイが撮影に応じると少女は満面の笑みで画角に写った。


「うん。ありがとうございました! いい感じですっ!」

「あ、うん。よかった」

「次の大会も絶対応援に行きます! だからできるだけいっぱい勝ってくださいね!」


 少女は2ショット写真を収めたスマホを後生大事に抱えながら力強く拳を握った。その心情が透けて映るような澄んだ笑顔に、メイは最後まで漠然とした言葉を返すことしかできなかった。


「……ありがとう。頑張るね」




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「あ゙あぁぁぁ……なんか一気に疲れました」


 夕焼け色に染まった電車の座席に腰を下ろした金碧少女は、深々と息を吐き下ろした。


「でもあの子も喜んでたみたいだし、良かったんじゃない?」

「んー、そうだと良いんですけど……」


 隣に座る遥香の肩に頭を丸々寄っかけながら、メイは自嘲的な笑みを浮かべていた。

 重々しく寄りかかる彼女を特段気にする素振りも見せず、遥香は車窓に映る夕景を眺めていた。普段と何ら変わることのない街色、温もり、甘いフレグランスの香り。

 お互いの吐息が近く聞こえるような安穏とした一時だった。


「お疲れ様。メイ」

「はぁ、本当に今日はハルカ先輩がいてくれて良かったです」

「わたしなんて、いてもいなくても一緒でしょ」

「そんなことないですよぉ。ハルカ先輩がいなかったら絶対もっとテンパってました」

「そんなに見栄はらなくても、自然体でいいんじゃない?」

「イヤですよ。せっかく声かけてくれたのに、がっかりさせたくないじゃないですか」


 照れくさそうに首を振るその横顔は変に強張ることなく、自然な胸裏を映しているようだった。

 そんな表情を見ているとふと、思い出す。

 初めてこの場所で出会った彼女は常に気を張っていて、緩んだ表情を不特定多数の他者に晒すことはなかった。

 ましてや、名前も知らない他人と写真を撮ったり、その心情を慮ったりなどするはずもなかった。


「そっか……」

「そうですよ。だから先輩は明日もワタシと一緒に帰ってくださいね!」

「なにそれ。明日は部活あるし、言われなくても同じ電車で帰るでしょ」


 だからといって遥香は、そのを全て自分の手柄にしてしまえるほど自惚れてはいなかった。あるいは、そう思い上がることを恐れていた。


「え、えーっと、じゃあ来週! 来週もまたオフの日一緒に帰りませんか? まだまだ行ってみたいお店がたくさんあるんですよぉ」


 目には見えないその溝が、いずれまた新たな変化の始点になってゆく。


「……はいはい。わたしでよければ、付き合うよ」



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ダイヤモンドの向日葵 水研 歩澄 @mizutogishiro

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