第49話 決着、その後。


「ツカサちゃん! 落ち着いて! あとアウト1つだよ!」


 倭田莉緒菜がマウンドを降りた後、両チームとも点数スコアの動きなく最終7回の裏、蘭華女子の攻撃を迎えていた。

 前の回から莉緒菜に変わってマウンドに上がった変則左腕大塚おおつか有咲ありさはこのイニングも何とか2アウトまで漕ぎ着けていたものの、ランナーを1塁と3塁に背負う同点の危機を迎えていた。


「ふぅぅ……」


 一時も気を抜けない緊迫した展開の最中、自然と早くなる呼吸を一度整えてから続く1球のサインを吟味する。

 試合終了ゲームセットまであと1アウト。決着を焦りたくなる気持ちがないはずはなかったが、あくまでも冷静に戦況を見極めていた。


 現在の打順は9番。上位打線に打席を回したくないバッテリー心理など百も承知であろう打者はゾーン内の投球を積極的にスイングしてくるだろう。その心理を逆手に取り、ストライクゾーンを横断する大きな曲がり球を追いかけさせる。それが横投げサイドスローである大塚有咲の強みを活かせるベストピッチだった。


「ふッ!!」


 葵の要求通りストライクゾーンを横切るように曲がる白球に対して、打者は予めその変化を予期していたかのような鋭いスイングを繰り出した。



 ────キィッッ!!



 引っ張り込むようなスイングにとらえられた白球は地を這うような弾道で三遊間を襲った。


「……ふッッ!!」


 抜ける。ヒットになる。

 誰もがそう確信した鋭い当たりへ、三塁手の末永栞李が果敢に身を投げ出しながら白球をグラブに収めた。


「ナイス! シオリちゃん!」

「よしっ! 2塁うしろ!! 間に合う!」


 物理的にも精神的にも一切の余裕がなかった栞李は懸命に身体を起こし仲間の声がするほうへ白球を投じた。


「……ッ!!」


 1塁方向へ逸れた送球に対してメイが小さな身体を目一杯伸ばして捕球した。


「…………」


 立ち昇る砂埃が凪ぐのを待って、塁審が判定をコールした。



「────アウトッ!!」



 その右拳が振り上げられるのと同時に、明姫月ナインの歓声が弾けた。


「やっっっッッ……」

「『────ったぁぁああああ!!』


 その瞬間、そのアウトをもってして試合終了ゲームセット

 ゲームスコア3-2。これがイチ練習試合に過ぎないとはいえ、全国区の強豪校である蘭華女子を相手に無名の弱小校である明姫月が鮮やかな逆転勝利を収める結果となった。


 地に留まる熱気の合間を縫うように、柔らかな涼風が駆け抜けた。


 蘭華の選手も監督も、観客でさえ想像していなかった番狂わせアップセットを成し遂げた明姫月ナインは暫しの間、閉鎖的な空間の中でそれぞれの喜びを分かち合っていた。

 その瞬間、誰がどんな言葉を発していたか、その手が誰と触れ合っていたか、きっと当人たちも記憶していないだろう。ただ、水しぶきが目に浮かぶような青々しい笑みを浮かべて、その一瞬に熱中していた。




 ****************




「みんな〜! そろそろバスに荷物積むよ〜。忘れ物ないようにね」


 歓喜の時はあっという間に流れ、GW合宿最後の試合を終えた明姫月一行は帰途につくべく荷物をまとめていた。


「あれ、グローブない……」


 そんな最中、どこか落ち着かない様子で自分の荷物を掘り返していた莉緒菜が何やら不穏な独り言を呟いていた。


「えー、もうみんな荷物乗せてるよ? ロッカーに忘れてきたんじゃない?」


 その言葉をたまたま隣で聞いていた栞李はその先に待つ面倒事を予期してか露骨に表情を曇らせていた。


「分からない。探してくる」

「あー、ちょっと待って! 黙っていなくなったらみんな心配するから! せめて沙月先輩に……って、ねぇ!? 聞いてる?? せめて一度は足を止めてってば!」


 栞李の静止に一切耳を貸さず、莉緒菜は一目散に元いたロッカーへ引き返していった。沙月や菜月を含めた他の面々は荷物の積み込みを行っていたために誰もその事に気づいていない。

 簡潔に言えば、全ての面倒事が末永栞李ただ1人の身に降りかかっていたのだ。


「……あー、も──っ!!」




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「はぁぁ……で? あったの? グローブ」

「なかった」


 沙月と菜月に状況を伝えてから後を追った栞李が再び莉緒菜を視界に捉えた時にはもう、彼女は早々にロッカーを後にしていた。


「ソレ、本当にちゃんと探した?」

「うん。でもなかった」

「……じゃあ他にどこか心当たりないの?」

「分からない。試合中は持ってた……けどその後は覚えてない」


 まるで悪びれる様子もなくそう言い切られると、それ以上責め立てる気にもならなかった。


「はぁ〜、私は莉緒菜ちゃんの将来が心配だよ」

「……? ありがとう」


 せめてもの皮肉を呟いてみるが、もちろんそんなものが彼女に通用するはずもなく。


「あれ、アナタたち……」


 すっかり行くアテをなくしていた2人に背後から声をかけたのはマスクを脱いだ大矢優姫乃蘭華の正捕手だった。


「あ、えっと……これは、そのあの」

「良かった。まだいたのね」


 咄嗟のことで言葉を絞り出せずにいた栞李に構わず、優姫乃は一足飛びで駆け寄ってきた。


「これ! このグローブ、ベンチに置いてあったんだけど、アナタたちの忘れ物じゃない?」


 彼女がその手に持っていた左利き用のグラブは見紛いようもなく、倭田莉緒菜が試合中手にしていたそれだった。


「それ、私の……」

「あっ、ありがとうございます! すみません。わざわざ」

「ううん、いいのよ。どうせ今から急いで確認に行こうと思ってたところだったから、ちょうどアナタたちが来てくれて助かったわ」


 その落ち着いた表情や気遣いからは、人として年の差1つ以上の隔たりを感じていた。


「あれ〜? ヒメちゃんが誰かと話してる! 楽しそうだねぇ」

「げっ……」


 が、次の瞬間、チームメイトであるはずの藤宮柚希が顔を覗かせるとその表情が一変した。


「あ! キミたち、さっきの試合出てた子だよね? どうしたの〜? 忘れ物??」

「いいからアンタは練習に戻りなさい!!」

「えー、どうして? 私も2人と話したいよぉ」


 自由奔放な同い年のチームメイトに振り回される姿に、栞李は同情せずにはいられなかった。


「あ〜! キミ、ピッチャーやってた子でしょ? 私、覚えてるよ」


 優姫乃の注意など意にも介さず、藤宮柚希は一直線に莉緒菜の傍に駆け寄った。


「あの……」

「おお〜、近くで見ると綺麗な顔してるんだね〜。へー、スゴいまつ毛長いね〜」


 当人が戸惑って声をかけてしまうほどの距離から興味深そうに莉緒菜を見回していた柚希は、滲みひとつない笑みを浮かべながらこう言い放った。


「なんかまるで、両目の上に蚊が止まってるみたい!」


 不意に飛び出した身の毛のよだつような発言に栞李と莉緒菜が一斉に言葉を失う中、彼女に隣に立つ優姫乃が即座にその笑顔を叩き落とした。


「コラっ! そんなこと言われて嬉しいわけないでしょう!?」

「え〜、そうなのぉ? じゃあ、アレ! あの〜砂場に磁石突っ込むと付いてくるヤツ!」

「砂鉄……」

「そうソレ〜!」

「アンタもう黙りなさい! イチイチ気持ち悪いのよ! センスが」


 絶えず絶句するような文句を産み続ける柚希は、ついには物理的に口を塞がれてしまった。


「ごめんなさい。この子、悪気とかは一切ないんだけどちょっとだけ感性が気持ち悪くて……」

「いえ、多分こっちもあんまり響いてなさそうなんで大丈夫かと」


 栞李の言葉通り、当の本人である倭田莉緒菜の関心は既にその会話から逸れていた。


「ホームラン……私、初めて打たれました」


 そう呟いた莉緒菜は、一時も逸らさず藤宮柚希を見つめていた。

 一瞬、2人の間に如何とも形容し難い緊張感が走る。


「どうやったらあんなに打球飛ばせますか?」

「お?」

「え?」

「はい?」


 が、その視線は敵意からではなく、純粋な興味や好奇心から生まれていた。


「なになに〜? キミ、バッターにも興味あるの?」

「今日の試合見てて、少しだけ」

「いやいやいやいや! 莉緒菜ちゃん、前にピッチャー以外できないって言ってたじゃん」

「できない……けど、この指治るまでは投げられないから」

「スイングもダメだよ! しばらくはもう大人しくしててよ!!」


 ガーゼの巻かれたその指を見た優姫乃は心配そうに目を細めた。


「それ、マメでも潰したの?」

「はい。試合中に、ちょっと……」

「なるほどね。どおりで変なタイミングでピッチャーが代わった訳ね。けど、そんな状態になるってことは試合中も痛んだんじゃないの?」

「いえ、試合中はあんまり……」


 受け答えする表情を覗いていた優姫乃は何かを嗅ぎとったのか、呆れたように顔を顰めた。


「試合中から薄々感じてたけど今の会話で確信したわ……アナタ、新雪を踏み鳴らすことに興奮を覚えるタイプでしょ?」


 唐突に向けられた風変わりな質問に対して、莉緒菜は首を傾げながらも思い浮かんだ自分の考えを素直に口にした。


「……よく分からないですけど、誰かが踏んだ後をわざわざ辿ろうとは思いません」


 恥ずかしげもなくそう言い切る莉緒菜の姿を見て、優姫乃は大きなため息を吐いた。


「だから、そういうことを言ってるのよ」


 そんな優姫乃の反応とは対照的に、隣にいる柚希は嬉しそうに頬を緩めていた。


「ね〜。私も雪の上歩くの好きなんだぁ。焼きたてのクロワッサン踏み潰してるみたいで気持ちいいよね〜」

「その猟奇的な発言が想像の産物であることを祈るわ……」

「ねぇねぇ、キミはどう?」

「はいっ!? 私? ……ですか??」


 その爛漫笑顔は特別な前触れもなく栞李に飛び火した。


「うん! 雪の日とか外歩きたくならない?」

「え、いや、私はできれば雪の上とか歩きたくないです……滑ったら危ないですし」

「まあ、普通そうよね」

「えー、じゃあお揃いは2人だけかぁ。ねぇ! キミ、名前なんだっけ?」

「莉緒菜です」

「りーなちゃんか〜。よろしくねぇ」

「……莉緒菜です」


 同類を見つけて至極ご機嫌な様子の柚希とは対照的に、優姫乃の眼にはその純粋さ故の危うさも映っていた。


「確かに、アナタみたいな選手がいるとチームとしても心強いでしょうね。けど気をつけなさい。平地にいる間はいいけど、アナタがもし切り立った雪山の頂上を目指すつもりなら、先人が踏み固めてくれた上を歩かなきゃいけない時もあるのよ」


 1つ年上の優姫乃から忠告を向けられた莉緒菜は、珍しく深刻な表情をしていた。


「……登山、お好きなんですか?」

「ヒメちゃんは物知りだねぇ」


 が、隣の柚希共々やはりその言葉の真意までは理解できていなかったようだ。


「…………ものの例えよ。アナタたちは一度滑落して思い知りなさい」


 2人から似たり寄ったりの感想を寄せられて、優姫乃はついに匙を投げた。


「あ! いたいた」


 そんないたたまれない空気の中、無遠慮に割り込んできたのは見慣れた幼顔だった。


「まったく……2人ともなかなか帰ってこないから何してるのかと思えば」

「葵先輩……」


 これまで散々煙たがっていたその顔が、この時ばかりは栞李の眼にも頼もしく映った。


「グラブ、見つかったの?」

「はい。ここに」

「じゃあもう帰るよ。みんな待ってるから」


 葵は端的に状況を確認すると、柚希と優姫乃にいつも通りの笑顔ソトヅラを向けた。


「すみませ〜ん。練習中にご迷惑おかけして」

「いや別に、迷惑ってほどじゃ……」

「えー、2人とももういっちゃうの? もう少しお話しようよぉ」

「アンタは迷惑かけてるわよ! 少しは自重しなさい」


 優姫乃にキツく窘められて、柚希は駄々っ子のように口を尖らせた。


「はぁ〜、じゃあ次会えるのは夏の大会の時かな」


 彼女が何気なく口にしたその言葉をきっかけに、お互いの間に仄かな緊張感が走った。

 明姫月と蘭華女子は学校同士の距離が離れているため、夏の大会で対戦するためにはまず明姫月が決勝リーグまで勝ち上がらなければならない。


「はい。必ず、また……」

「うん! またグランドで会おーねぇ」


 口火を切って頷いた莉緒菜に対して、柚希は和やかな笑みを向けた。


「はぁ……まったく、気持ちだけじゃどうにもならないこともあるのよ」


 まるでアテのない約束を交わそうとする2人を見かねて、優姫乃が横から口を挟んだ。


「いい? もしアナタたちが本気でこの夏、本気で決勝リーグ私たちのトコまで勝ち上がりたいと思うなら信頼のおける監督とデータを集められるスコアラー、この2つは最低条件よ。大会までまだ時間はあるんだから、なんとしてでも適任者を見つけなさい」


 彼女の口から出る言葉はどんな時も理性的で、反感を買いかねないような直截的な物言いをすることもあった。

 それでも、その多くは自分ではない他者のために成されていた。


「あ、ありがとうございます……」

「どうも」


 思いもよらぬ助言を戸惑いながらも受け入れる2人に反して、津代葵は軽く眉をひそめた。


「……いいんですか? ついさっき負かされたばかりの相手にアドバイスなんかして」

「別にこれくらいワタシでなくとも気づけることよ。ただ、気づいていながらそれをわざと黙ってるのがワタシの主義に反するだけ。相手を選んでる訳じゃないわ」


 優姫乃の言葉は全て本心であって煽る意図があった訳ではないのだろう。それは葵も理解していたはずだったが、同じユニフォームを着ているせいか、その余裕綽々とした姿がと重なって見えた。


「お前たち。それそろ練習に戻れ」

「あー、カントクさん」


 心内の噂を追ってきたかのように、葵の前に顔を出したのは見知った黒縁眼鏡の女だった。


「ん、お前は……」


 蘭華女子の指揮官でもある彼女、大柿紫も葵の存在に気づき、僅かに眉を動かした。


「……はぁぁ」


 願ってもない場面で因縁の相手と再開を果たした葵は一度大きく息を吐いてから、これ以上ないほど目一杯の笑顔で彼女へ皮肉を投げつけた。


お世話になりました。次もまた、勝たせてもらいますね。カントクさん?」


 その言葉を置き土産に葵は大柿紫に背を向けた。


「ほら、2人とも帰るよ!」

「はい」

「あ、その……お世話になりました! 失礼します!」

「うん! みんなまたね〜」


 ひらひらと手を振る柚希の傍らから、事の成り行きを覗き見ていた陽野涼が気まぐれに首を突っ込んできた。


「おーおー、エラい因縁の付け方されてたけど、アイツ知り合いか? ゆかりん」


 興味本位が透けて見える軽薄な質問に対し、大柿紫は表情を動かすことなく淡々と返答した。


「そうだな。彼女が中学生の時、1つ上の学年に全国でも有数の投手がいた。そのスカウトに際して一度、顔を合わせたことがある」

「へー。そうだったんだぁ」

「それであの子は見知った風だったんですね」

「あ? いや、そんなピッチャーウチにいたか? アイツの1個上ってことは今の3年だろ?」


 その投手の行方に言及されて初めて、大柿紫の目元が揺らいだ。


「……いや、その生徒は中学最後の大会で怪我を負い、ここではなく明姫月高校に進学した」


 過去を惜しむような口ぶりの指揮官に対して、陽野涼は腑に落ちない様子で声を上げた。


「らしくねーな。ゆかりんならちょっとくらいケガしてよーとそんだけ見込みがあるなら問答無用で引っ張ってくるだろ」

「コラ涼! 馴れ馴れしい口利くなってアンタ何度言えば……」

「彼女が怪我を負った場所が“肘”だったからだ」


 その言葉を聞いて、3人が揃って息を呑んだ。


「試合中にマウンドに蹲るほどの痛みだ。軽傷ではなかっただろう。それ程の怪我ならば強豪校で競争に身を置くのではなく、落ち着いた環境でまずは治療に専念してもらいたかった。彼女の素質であればそれからでも十分に遅くないはずだった」

「……なるほど。それで推薦は取り止めにしたんですね?」

「ああ。ただ、同じく彼女に関心を持っていた他校も一斉に手を引いたところを見ると、当人からもそういった希望があったのかもしれない」

「そうだったんですね。あ、じゃあもしかして試合前に言ってた“理由ワケ”って……」


 大柿紫が首肯することはなかったが、それがこの試合をスケジュールした目的の一端であったことは明々白々であった。


「えー? けど、今日投げてた子は確か1年生と2年生だったよね? 私たちの1つ上なら今は3年生のはずだけど……」

「ああ。つまりはなんだろうな」


 柚希の無邪気な疑問が暴き出した事実が、再び彼女たちに重たい沈黙を押し付けた。


「……なぁソレ、ちゃんと本人たちに伝えたのか?」


 鬱蒼とした雰囲気の中、陽野涼は相も変わらぬ砕けた言葉で二回り以上歳上の指揮官を問い詰めた。


「…………伝えた」

「ウソつけ! どうせまた“つもり”だろ!? そりゃ自慢の先輩を袖にされたらあの態度になるだろ」

「……そうか」


 自身の至らなさと悔恨の情を呑み込むように、大柿紫は少しだけ深く呼吸を摂った。


「まー、仮にゆかりんが時間をかけて説得してたとしても、ソイツは結局マウンドに上がってただろうけどな」

「……? 顔も知らないアンタがどうしてそう言いきれるのよ?」


 気を落とす指揮官を気遣ってか、それとも譲れない持論なのか。陽野涼の語り口は呆れるほど断定的で、優姫乃が思わず口を挟んでしまった。


「あ? まあはっきりした理屈はねーけど、ピッチャーなんて大抵どいつもそんな生き物だろ」


 偏見と呼んで差し支えのない発言も彼女が口にすると妙な説得力があるのは、彼女が尽くその僻見を地で行く存在だからだろうか。


「アンタってほんっと……ピッチャーでなきゃ許されないような性格してるわよね」

「ん? そうかぁ? アリガト」

「褒めてないわよ! どう考えても!」

「ヒメちゃん! 私は〜? どんな性格してる〜?」

「知らないわよ……自分で考えなさい」

「え〜、じゃあ涼くんはどう思う?」

「ん? まあ、図太くていいんじゃね?」

「やったぁ。褒められた」

「褒めてるの? ソレ……」


 いつの間にかすっかり日常的な会話に立ち戻ってしまう3人を、大柿紫は傍らから安らかな表情で見守っていた。


「お前たち、そろそろ練習に戻れ」

「すっ、すみません監督! ほらアンタたち! 行くわよ!」

「へーへー……」

「はーい!」


 優姫乃に促されグランドへ向かうその背中に誓いを立てるように、大柿紫は釈然と言い切った。


「……次は、勝つぞ」


 指揮官の小さな、それでいて力強い宣言に3人はそれぞれ満面の笑みで頷いた。


「はいッ!」

「とーぜん」

「うんっ! 楽しみだねぇ、夏の大会!」




 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜




「よ〜し。これで全員乗ったね。みんな、もう忘れ物ない〜?」


 栞李と莉緒菜も戻り、発進を待つばかりとなったバス車内は穏やかな雰囲気に包まれていた。


「はぁ〜〜、ようやく帰ってこれたぁ」

「おつかれ。栞李」

「誰のせいだと……まあもういいけど」


 付き添いの任を終えた栞李は背もたれに身を投げる勢いで深く座り込んだ。

 5日間に渡る合宿の全日程を消化した充足感からか身体に重たい疲労がのしかかったが、それでも不安や気苦労を抱えていた初日と比べれば幾分か心は軽かった。

 その副産物か、隣に座る莉緒菜からの視線に気づいた。


「なぁに? 莉緒菜ちゃん。私の顔何か付いてる?」

「いや、そうじゃないけど……」


 じっと凝視されていたにも関わらず、その視線に肌を焼くような熱はなく。どこか長閑な温もりを瞳に浮かべながら、彼女はそっと口を開いた。


「不思議……昨日より、アナタが少し近く見える」


 呆気にとられるほど素朴な言語表現だったが、飾りないその言葉は栞李の心に摩擦なく馴染んだ。


「まあ……隣なんだし、昨日よりはね」

「昨日……」

「あーイヤイヤ! 思い出さなくていいから! 昨日のことは。是非とも忘れて! ね?」

「私は嬉しかったけど」

「私にとっては記憶から消したい大失態だったんだよぉ」

「栞李……なんか可愛い」

「その表情かおでからかわないでよ……心臓に悪いんだけど」


 取り留めのない会話を交わしすっかり気を緩ませていた2人の前座席から、川神沙月が丸々と太ったビニール袋と共に顔を出した。


「これ。ひとつずつ取って後ろに回してほしい」


 栞李が受け取ったその袋の中には結露するほどよく冷えた缶のジュースやスポーツドリンクが無作為に詰め込まれていた。


「どうしたんですか? コレ」

「蘭華の方からいただいた差し入れだそうだ」


 その袋が1番後ろの座席まで渡ったところで、面に立つ菜月が合宿を総括する音頭をとった。


「みんな、ジュース貰った〜? んんっ! それじゃあ私から少しだけ。え〜、1年生が入ってきてくれてから初めての合宿ってことで色々と不安なこともある中で……えーっと、こうやってみんなで無事に5試合戦いきれたことを、今後の……えっとぉ?」

「センパイ、話長ぁーい」

「まぁたカッコつけようとしてるよ。菜月センパイ」

「い、イオちゃん……話、ちゃんと聞いてあげようよ」

「これもう飲んでもいいですか〜?」

「あ、ハルカ先輩のジュース期間限定のヤツじゃないですかぁ! ひと口交換しましょう?」

「別にいいよ。メイが全部飲んでも」


 昨晩から考えていたスピーチを意気揚々と披露する菜月だったが、試合後の疲労と解放感からか乾杯を催促する面々が半分とそもそも耳すら傾けていない面々が残りだった。

 その惨憺たる有り様には、沙月も苦笑いを浮かべるばかりで肩を持ってくれそうになかった。


「もぉ──! みんなおつかれ様! カンパーイっ!!」


「『カンパ──イっ!!』」



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