第32話

 背中から、優しい重みを感じた。それは凄く温かくて、同時にすごく脆そうだった。

 演奏会のリハーサルでのプレッシャーや、今日のことで、何度も精神をすり減らしていた。それでも、エルは頑張ってこれた。

 きっと、まだ苦難は続いていくのだろう。エルに限らず、俺も。

 でも、乗り越えれば乗り越えるほど成長出来る。エルはきっと、いいピアニストになれるのだろう。

 

「う……ん? あれ、師匠? うわ、師匠なんですかこれ!?」


 突然、目覚めたエルが騒ぎ出した。ゆらゆらと揺れ動き、上手いことバランスが取れない。


「おっと……。何って、おんぶだけど。おい暴れるなよ分かった降ろすから!」


 1度降ろさないと落ち着く様子がなかったし、起きたのなら背負ってる必要も無くなったので、すぐに降ろすことにした。


「うう、なんてことを……。もう、恥ずかしいです……」


「別に恥ずかしいってほどでもないだろうに」

 

「恥ずかしいものは恥ずかしいんです。……ってあれ? 師匠、このまま家に帰るんじゃないんですか?」


「ああ。ちょっと、おっさんの店でご飯食べようと思ってな」


「あ、そうだったんですね。確かに、少しお腹が空いてきました」


 夕ご飯の準備を今からするのは、かなり面倒臭いからな。

 それに、今日くらいおっさんの店で美味しいもの食べたいだろ。頑張ったご褒美ってやつだ

 おっさんの店は、特に夜が賑やかだ。仕事帰りにお酒を飲みながらピアノを聴くのが、今は流行っている。喧騒の中のクラシックも中々面白い音に聞こえる。

 今日は俺とエルが居ないのもあって、満員というほど混んでいるんわけじゃない。でも、おっさんの料理目当てで来ている人が何人かいるようだった。


「いらいっしゃい! ……ってお前らか。今日はお前らの仕事は休みだぜ?」


「ああ。今日はご飯食べに来た」

 

「なんだ、金落としてくれるのか。お前も変わったな。前まで無駄遣いなんてしなかったろ」


「そりゃ金がないからだよ。それに、今日はエルへのご褒美だ」


「わ、私のですか」


「まあ、俺も含めだけど」


「ほう。てことは、演奏は上手くいったんだな」


「……まあな」


「なら、上手いもん作らないとな。何食べる?」


「このお金で美味しそうなので」


「分かった。なら、取り敢えずはこれ食べとけ。その間に、取っておきのもん作ってやるよ」


 おっさんはもやしのナムルを2人分と、ビールとオレンジジュースを置いた。

 おい、ちょっと待て。


「俺酒は飲まねぇよ」


「今日くらい良いだろ。こっち越してきたばっかりは飲んでたじゃねぇか」


「あれはエセ教祖に無理やり飲まされただけだよ!!」


 あいつマジでクリスチャンの風上におけねぇくっそ野郎だよ!!

 聖職者が高校生に酒を進めるかぁ!? 確かにここは俺の歳じゃ酒飲めるけどさ! それでも普通は躊躇するもんだろ。あいつ躊躇どころか嬉々として俺に勧めてきやがった。

 しかも、やんわりと断ったら逆ギレして無理やり飲ませてくんのマジ最悪だよ。


「しょうがねぇな。ならこれは俺が飲むか」


「マジかよ仕事中だぞ」


「ルーズな酒屋はそんなもんだろ」


 おっさんはオレンジジュースをもう一杯出して、ビールを一気に煽った。

 普通にいきやがった。どうかしてるだろ。

 俺が呆れ返っているのを他所に、エルはオレンジジュースをチビチビ飲みながら夢中でナムルをつついている。

 分かる。俺もお父さんと居酒屋行ったけど、お通し美味しいんだよな。勿論、酒は飲んでないからな?


「かーっ!! うめぇ! それでソータ。お前は今回演奏で大成功を収めたわけだ。ここに留まらずにもっと大きくいこうとか、そういうことは考えてないのか?」


「あーそういうのは考えてないな」

 

 元の世界に戻ることを諦めたわけじゃないし、今のところはそれ軸で動くんだろうな。

 まあでも、資金も手に入ったしこれからはユーリだとかに頼りすぎずに、もっと自分から大きく動いてもいいかもしれない。

 もちろんピアノがないと練習出来ないし、その条件だけは必須だな。

 だから、これからはピアノを軸にして手掛かりを探すことになるんだろうな。


「その内作曲以来とか来るのかな。まあ、そういうのは全部エルに丸投げすればいいか」


「なんでですかっ!?」


「いやほら……なんかさ、練習になりそうだろ」


「適当じゃないですか〜!! そういう仕事こそ師匠がやるべきじゃないですか?」


「アーソウダナー」


「適当!? うう〜!」


「おいおい。あまりからかいすぎるなよ。お前の弟子なんだろ?」


「まあ、普段から恨みつらみがあるから」


「お前はエルに何をされたってんだよ」


 主に寝起きが悪くて迷惑かけられてるんだよな。エルに噛まれたり、エルに噛まれたり、あとはエルに噛まれたりしてるから。


「ほい。刺身の盛り合わせだ」


「おおー!!」


 刺身!! ここじゃあ生で魚を食べる文化がないからな。これはマジでありがたい。

 おっさんの店でも、刺身は食べるやつが居ないからって裏メニューになってるし、かなりのレア物だ。

 油の乗っている刺身がキラキラと光っている。海老や貝も新鮮で美味しそうだ。


「え……そのまんま食べるんですか……?」


 エルは明らかに嫌な顔をしている。

 まあ、そうだよな。


「俺の地元だと魚は刺身が1番だよ。うわ、この魚なんだようまっ!?」


 しっかりと弾力があって噛めば噛むほど味が染み出してくる。歯ごたえはフグに近くて、でも味はマグロのように濃い。

 面白い魚だ。


「ここら辺じゃよく取れる魚だな。結構癖になる味だよな」


「ああ。俺結構すきだなこれ」


 俺が刺身をパクパクと口に放り込んでいると、流石に気になったのかエルもちびちびと食べ始めた。


「なんか、ねとっとしますね。悪くは無い……ですけど、お腹壊したりしませんかね」


「んな腹壊すようなもんは出さねぇよ。だから安心して食べろ」


 うんめー。この貝とかもめっちゃ濃厚だわ。いやー、久しぶりにこんな美味いもん食べた。ピアノまた始めてよかったわ。

 飯だけの話じゃない。エルと出会って、こんなに楽しい思い出を作れたのもピアノのお陰なんだ。

 

「師匠」


「なんだ?」


「こうして師匠とご飯が食べれて良かったです。」


「そうだな」

 

「師匠の故郷の料理を新しく知れましたし。何より、ピアノがまだ続けられる訳ですから」


「ああ。俺も嬉しいよ」


「師匠。師匠のピアノが聞きたいです」


「結構疲れてるんだけど! まあ、エルの頼みなら仕方ないな」


 俺はタオルで手を拭いて、ピアノへ向かった。

 夕ご飯を食べてた人がざわつきだした。

 今日来てくれた客へのちょっとしたサプライズっぽくなった俺の登場。

 でも、俺はただ1人のためだけに弾く。別れの曲を。

 エルは目をとろんとさせながら、微笑んで俺の事を見ていた。

 ――エル。本当に今日はよく頑張ったよ。

 本当に、凄い演奏だった。あのレーナの演奏にも決して劣らない凄い演奏だった。

 エルならきっと、ウルムストで素晴らしい演奏を見せるんだ。それこそ、ショパンにだって劣らないような演奏だ。

 その為にもっと、練習しないとな。俺も全力で教えるし、俺もエルに負けないようにめちゃくちゃ練習するつもりだ。それでお互い上手くなっていこう。

 長かったが、俺がエルに伝えたいのは一言だ。


 ――エル。これかりもよろしくな。


 1曲弾き終えると拍手が起こる。俺は、椅子に座ったままエルを見た。

 エルは太陽のような笑顔をしていた。


「――流石です師匠! こちらこそ、これからもよろしくお願いします!!」

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異世界でピアノを弾くならロリ弟子は必須だよね? いちぞう @baseballtyuunibyou

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