第22話

 公園に様々な人が立っている。家族連れだったり、カップルだったり、後は学生だったり。

 でも全員何故か顔にモヤが掛かっていて、のっぺらぼうみたいになっていた。

 服装も曖昧に歪んでいて、それでも何となく、制服だとか、ベビーカーだとかが分かった。

 でも、そんな人間ともいえない何かの中にただ1人だけ、はっきりと俺の目には映っていた。

 俺をシンガーソングライターの道へ連れ出した人だ。

 その人は、拗ねたように口を尖らせて俺の歌を聴いていた。思ったより完成度が高くて、悔しかったのだろう。

 この日に関しては明らかに見てくれた人は俺の方が多かったし。

 それでも、最後はちゃんと拍手をくれる。そして、ぎこちない笑顔でこう言ってくれた。


「ま……まあまあだよね。売れるかどうかは分からないけどね! でも、私はこの歌好きだよ。うん」


「なんだよそれ。嫉妬か? やーいやーい」


「きーっ!! 調子乗って! 見ててよ。私だってやれば出来るんだから」


「なにそれ。もっと向上心とかじゃなくて、音楽を楽しめばいいのに」


「楽しんでるよーだ」


 拗ねている時は、本当にいたずらっ子な女の子という雰囲気だ。

 そんな、普通の人みたいな雰囲気をしてるのに、音楽になると別の人が宿るみたいに雰囲気が変わる。

 俺にシンガーソングライターを進めてきた時も、同じように不思議な雰囲気をしていた。そして何より、どんな友達よりも俺の事を第1に考えてくれた。

 だから俺は、この音楽が大好きな少女のために歌を歌っていた。


◇ ◇ ◇


「――また夢か」


 また、あいつの出てくる夢だ。

 本当に、今の時期にはいい加減にして欲しい。そんな夢を見たところで元の世界に帰れるわけじゃないのに。

 今はそんなことを気にしている暇はない。

 とにかくエルのピアノと、俺の心にある何かを解決しないと先へは進めない。

 それにしても、あいつのため……か。今の俺はなんのためにピアノを弾いているのだろう。

 

「むにゃむにゃ……」


 ……あれ? なんでこいつここで寝てるの?

 あーあ、ふとんがそこら中に散らばって……寝相悪すぎだろ。本当に貴族出身なのか?

 雑なところがあるのは確かだが、それでも寝ている時に寝言のように奏でる鼻歌は囁くように息が漏れていて、子鳥のさえずりのようで気持ちがいい。

 ……いや、ロリコンじゃないぞ。


「んー……。美味しそうですよししょ〜」


 ……なんかこのセリフはデジャヴを感じるな。えーっとなんだったっけな〜。結構最近の事だったと思う。

 確かあの時だな。こう……確か昼下がりの公園で寝てて、俺の二の腕をガブッと……。


「……はむっ」


「いってぇ!! クソ野郎やりやがったな!」


 俺は反射でエルをぶん投げた。


「うみゅっ!! うう……痛い。酷い、酷いです師匠」


「酷いのはお前だ! 勝手に人の腕に噛み付くな。ったく……さっさと着替えろよ」


 エルが床から起き上がると、俺は机に向かった。

 あの時と同じように、二の腕にはくっきりと歯型が付いてしまっている。ヒリヒリと肌が痛む。

 俺は腕を擦りながら書き途中の譜面に向かった。昨日はオールしようと思っていたが、寝落ちする寸前まで書いて我慢できずに寝てしまった。

 ただそれなりに時間を掛けているだけあって、順調にいけば今日中に書き終わる。

 そうすれば、遂にエルもショパンを弾けるようになるわけだ。

 ショパンで初めて弾くのが別れの曲っていうのはなんか凄いな。普通ならワルツ集とそういうのから入るよな。


「師匠、あと少しですね」


 エルが髪を梳かしながら楽譜を覗いてきた。

 さわさわと丁寧に髪に触れる指を、さらさらの髪が滑るように避けていく。


「まあな。早めに書かないと練習時間取れないからな」


「そうですね。……あれ? 師匠? ちょっとこっちを向いてくれますか?」


 ん? 何だ急に。

 言われた通りにエルを見ると、じっと顔を覗き込んできた。

 あんまりマジマジとエルの顔を見たことがなかったけど綺麗な顔をしてる。

 年が離れているとは言えど、こう近くで見つめられると心拍数が上がらないでもない。

 なんなんこれ?

 絹のようにキメの細かい金色の髪の毛。そこからふわりと甘い香りが香ってくる。そして、脳味噌がぐるぐると混乱していく。

 いや、気をしっかり持て。俺は違う。そう、違うんだ!

 なんて心の叫びは虚しく響き、エルの手がスっと伸びてきて、ペタリと頬に触れた。


「……師匠。やっぱりおかしいです。クマができてるじゃないですか。顔色も悪いし、最近寝れてますか?」

 

「ん、ん? ああ、ちゃんと休めてるよ。大丈夫だって」


「本当ですか……?」


「ああ。それより、エルもちゃんと練習しろよ」


「えっと……まあ、はい。そうですね」


 歯切れの悪い返事だった。多分、俺のことを心配してるんだと思う。

 確かに、最近俺は余り寝れていない。楽譜を書くのと、元の世界への手がかりを探すのと、ピアノの練習でかなり時間を削っていた。そのせいで日中突然眠気に襲われることもあるし、足取りが重くなることがある。

 でも、だからといって休むわけにはいかない。追い込むなら今だからな。


「ふぁ……寝み」


 そんな言葉をつぶやく度に、エルは心配そうに俺の事を見つめてきた。そして、その度に俺は気を張って誤魔化す。

 おっさんの店への道程でも、ずっと心配していた。

 まあでも、なんとか何事もなくおっさんの店へ着くことが出来た。

 

「おっさん。コーヒー今入れられますか?」


「おお、来ていきなり図々しいな。寝不足か?」


「まあ、そんな感じですね」

 

「あまり無理すんなよ」


「まあ、分かってますよ」


 おっさんが適当にコーヒーを作って、俺はそれを一気に飲み干した。

 そして、俺は楽譜とにらめっこをする前に、少しだけピアノを触った。

 適当な曲で初めの部分をなぞって音を確認した。

 ……特に変化はなしか。


「じゃあおっさん。裏で楽譜書いてきます」


「手が空いたら接客手伝えよ。お前も一応店員なんだしな」


「分かってますって」


 そしてまた、俺は裏へ回って楽譜を書く。そこに何も変わりはない。

 俺が楽譜を書いているとエルの演奏が聞こえてきた。そして、何となく心が安らいでいく。これが、最近の日常の風景になっていた。

 エルは多分人に演奏を聞かせるのに慣れてきたのだろう。所々遊びを持たせて余裕を持って弾けるようになっていた。

 

 ――このままいけば、エルの方は何も問題は無いな。

 問題といえばやっぱり俺の方だ。早く演奏の原因を突き止めなければいけない。

 俺が足を引っ張るわけにはいけないからな。


「……あれ?」


 突然、地面が歪み始めた。

 地面が歪んだかと思うと、今度は自分のたっているこの世界全てが色んな絵の具をかき混ぜているかのように歪み、俺はその場に立っていられなくなった。

 頭も痛い。


「師匠!! ……!」


 エルの必死な叫びが聞こえたが、その声も次第に遠くなっていった。

 そして、エルの声が聞こえなくなった時、俺の視界も同時に暗転した。

 

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