第15話

 それにしてもこの状況。一体どうすればいいのか……。

 自分で考えろって言われてもなぁ。俺は今こそあのクソ野郎に頼りたいってのに。

 1度エルに聞く……訳にも行かないよな。

 隠してる人に直接聞いたら、跳ね返されるに決まってる。

 でも、多分聞かないといけないんだと思う。直接聞いて向き合わないと、真の意味での師弟関係とは言えない。

 関係性っていうものは、些細なところでいとも容易く崩れてしまう。だから隠し事はない方がいい。

 まあでも、まずは1度無難におっさんに相談だな。話はそれからだ。

 おっさんの店へと近づいていくと、それと同時に綺麗なピアノの音色が聞こえてきた。

 うん。ちゃんと練習してるみたいだな。

 だが、エルの演奏はいつもと雰囲気がいつもと違う。

 練習してると言うより……誰かに聞かせてる?

 ……誰かエルのピアノを聞いてるのか?


 ドアを開けて中を見てみると、ピアノを弾いているエルの近くの席に、1人の男が座っていた。

 机にはコーヒーとシュガートーストが置かれていて見た目からして明らかに普通の人と違うのがわかる。そこら辺の貴族なんてレベルではない。恐らくもっと上だ。


「師匠。おかえりなさい!」

 

「おう、待たせたな。それじゃあ、練習始めるか」


 状況は飲み込めないが、やることは変わらない。練習させるだけだ。

 エルが家出をしてきたと分かったとしても、やることは変わらない。弟子にすると決めた以上は、ピアノをちゃんと教える。

 多分、あのエセ教祖もこういうことが言いたかったんだろうし。


「それなんですけど」


「ん?」


「この方が師匠の演奏を聞きたいそうなんですけど」


「俺の?」


 なんだ。ただなんとなく来てエルの演奏を聴いてただけじゃ無いのか。


「知り合いから面白い噂を聞いたものでね。是非君の演奏を聴かせて頂きたい」


 俺のピアノねぇ……。

 正直、これだけいい服を着ているような人なら、名だたる演奏家から幾らでも質の高い演奏を聞けるだろうに……。

 態々こんなとこまでピアノを聞きに来るとか、物好きがいるもんだな。


「いいですよ」


「因みに君はどんな曲が弾けるんだい?」


「オリジナルは無いです。誰かが作曲した曲を適当に弾いています。でも、有名な曲は弾けませんよ」


「そうなのか。因みに誰の曲を?」


「ショパンとか、リストとか、その世代はすごく好きですね」


「ふむ。知らないな」


 分かってはいたけど、こう言われると本当に弾いていいのか不安になるな。俺の世界だとピアノ触らなくても知ってるくらい有名な人だけどな。名前は知らなくても、曲弾いたら1発でピンとくる。

 1発でいい曲だと分かってくれるはずだが、それでももしかしたらと心配になってしまう。


「では、リストの曲を弾いてみますね」


 俺緊張しすぎだろ。弾いてみますねってなんの宣言だよ。


「うん。楽しみだね」


 その男は堂々とした態度を崩さずに俺の目を見ていた。

 俺が弾くのは、リストといえばこれ、みたいな有名な曲。

 正直、あまり得意な曲じゃないし心配もあるが、こういう綺麗な曲調の方が貴族の人とかは好きなのだろう。っていう偏見で選んだ。幻想的で響きが良くて、かつ圧倒的な存在感のある曲。

 雰囲気は違うけど、エルが別れの曲を気に入ってたし、ウケはいいはずだ。


 リストは、このピアノで鐘の音を表現しようとしたらしいと、そんなことを聞いた。

 今回は、特に響きを第一に起き、丁寧に鍵盤を鳴らしていく。

 ハンマーがピアノ線を打ち鳴らし、それが響きとなってこの店の空間を行き交う。

 空気を繊細に震わせるような音を、しっかりと全ての感覚を集中させて意識する。

 うん、大丈夫だ。弾けてる。

 それにしても毎回思うが、練習と本番で手応えが違う。練習では無機質で、音に何も籠っていない機械のような音に聞こえる。

 でも、本番になればこうして自分がピアノによって何かを思い浮かべて表現出来る。勿論、所々違和感を感じることはあるが、それでもほんの少ししか感じることは無い。

 その違いは一体なんだろう。

 まあ、それは後だ。今はどうでもいい。集中しろ。苦手な曲で少しでも手を抜けば、そこで一気に崩れてなくなる。


 ――よし、後半……! ここからが本番だ。

 意識を深く沈めろ。深く、深く。

 音を聞いて指を動かせ……!!

 あ、やっぱりズレた。畜生! やっぱもう少し得意な曲にすりゃ良かった……。

 でも後悔する暇なんてない。反省は曲が終わったあと。ミスを引きずらないように気を引き締めて、しっかりと曲を締めた。


 まあ、あのズレ以外は気にならないでもない。危なげ無い演奏ではあったとは思う。

 正直良く耳の肥えた人は満足しないだろうとは思うが、初見なら全然誤魔化せると思う。

 反応はどうだろうか……?


「ふむ……。君は面白い曲を弾くね。美しくもあり、それでいて情緒的とでも言うのかな。とても心を揺さぶられる曲だ。こんな曲は、今まで聴いたことがないね」

 

「ありがとうございます。ただ、技術で言ったら全然です」


「謙遜しなくてもいいよ。君の演奏は素晴らしかった。うん、これなら任せられそうだ」

 

 任せられそう?


「えっと……いまいち話が見えてこないのですが」

 

「おっと、済まないね。私はランペードだ。これでも王位は継がないが、王族のものでね。是非私たちの開催する演奏会で弾いてくれないかと思って訪ねてきたんだ。あ、因みに私が王族だということは余り言いふらさないでおくれよ」


「はぁ……」


「それで、どうかな。勿論、嫌なら嫌で断っても構わない」


 王族が開催する演奏会か……。俺、そんな場所で演奏する身分では無いのだけど。

 てかヤバいだろ。そんなとこで無名の演奏家がヘマなんてしたらそれこそ社会的に死にかねない。

 滅多にないチャンスだろうが、俺には荷が重すぎる。


「師匠、凄いですね! 王族主催の演奏会ですよ! きっと沢山の貴族の方達が集まるはずです。そんな場所で演奏できるのは、本当に凄いです!」


 ああ、ありがとう。でも、俺はそんなに嬉しいわけじゃないんだよ。プレッシャーに潰されかけてる。

 

「良ければ、1度詳しく話をしようか? 城の中に場所を取る。それと、何か願いがあればできる範囲でそれも聞き入れよう」


「随分高く買ってくれるんですね」


「当たり前じゃないか。君みたいな面白い演奏家は初めて見たからね」


 願いを叶えてくれる……か。そうは言っても、俺の願いは元の世界に帰ること。そんなこと、そうそう出来るはずがない。

 

「師匠、やりましょうよ」


 エルが背中を押してくれた。

 ――ああ、そういえば現在進行形で悩みが1つあるんだよな。しかも結構大きな悩みが。そして、このランペードさんはその悩みを一瞬で解決できる大きな力を持っている。

 うん、それにしよう。


「でしたら、一つだけお願いさせて欲しいことがあるのですが」


「なんだ?」


「詳細をお城で話す日に、して欲しいことがあるんです」


「ほう、それは?」


「それはですね。――よっと」


 俺はエルの耳を両手で塞いだ。


「……? なんですか?」


 俺は条件を2つ出した。

 そして、その2つのうち片方がエルには聞こえてはいけないものだ。


「なるほど……。確かにそれは大変だね。分かった。聞き入れよう」


「ありがとうございます」


「なに、君が演奏してくれるのならそれでいい。さて、そろそろその子の手を離してもいいんじゃないかな」


「そうですね」


 ぱっとエルなら手を離した。


「なんの話しだったんですか?」


「言えないから耳塞いだんだろ」


「確かにそうですね」

 

 何とか誤魔化しは効いたか……? エルは特に俺の行動を気にする素振りはない。


「さて、では3日後にまた会おう。コーヒー、美味しかった。気が向いたらまた来る」


「あ、はい。またどうぞ」


 ガチャりと優しくドアが閉まった。

 

「……さて、練習の続きを始めるか」


「はい、師匠!」

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