第3話

 えっと、噛ん……だな。うん、こいつ絶対噛んだ。

 だって、なんか涙目になってるもん。痛そう(棒)


「うう……」


「大丈夫か……?」


 こくこくと、小さく頷いた。表情を見るに、絶対大丈夫じゃない。くっそ痛かったんだろうなぁ。どうでもいいけど。


「そ……それよりあの、どうだったでしょうか」


「ん? ああ……」


 弟子にしろって言ってたか。

 弟子、か。よく分からないが、演奏家って弟子いっぱい持ってたよな。俺が今弾いていたショパンも、後はショパンと仲のいいリストとか、なんかめっちゃ弟子がいた記憶がある。弟子一覧を見た時に、いやそんな教えられねぇだろと半信半疑だったと同時に、もしそうなった時を妄想したりした。

 その可能性が今ここに転がってるわけだ。

 勿論、俺がそういう器じゃないのは分かってる。まあ、せっかく金になる仕事してるし1人くらいは弟子をとっても……なんて思わなくはないけど。

 でもその後が面倒くさそうだ。

 まあ、目の前にいる少女の願いの強さをまだ知らないし、何も事情を知らずにバッサリ切るほど、俺は薄情ではないと思ってる。


「正直に言うと、俺はまだまともにプロとして技術を持っていないしな……。

それに、ピアノではまともに曲を作ったことがない。今のも他人の曲なんだ。だから、君の思っているほど凄い人じゃないよ。それでも、君は弟子になる気なの?」

 

 俺は若干語気を強めた。まあ、面倒だしこれで帰ってくれると……。


「は、はい! 私はそれでも貴方が師匠が良いんです!」


 いかん。今のでマジでやる気になっちゃったよ。

 違うから。別に覚悟を確認したわけでもなんでもないから! 煽ったわけじゃないから!!


「私、この曲を初めて聞きました! 本当に綺麗で、美しくて、そんな曲を華麗に弾きこなす姿を見て、ピンと来たんです!!」


 そんなんでピンと来ないでくださいお願いします。

 いいかい。俺がこんだけ弾けるのは今まで地味ーに練習曲をこなしてたからってだけなんだよ。

 こんなの誰だって出来んの。


「そんな事言われてもな……」


「ま、いいじゃねぇか。お嬢ちゃん。親に許可は取ってるのか?」


「は……はい! 頑張ってきました!」


 頑張ってって……てっきとうだなぁ。それでよくもまあ全く名前の売れてない店の、何処の馬の骨かも分からないやつに弟子入りを志願したな。


「だそうだ」


 おっさんは目の前の少女の肩を持つらしい。お前もかブルータス。

 少女の期待の目。こういうキラキラした目を向けられると、こっちも折れざるを得ない。

 くっ……やめろ! 俺は、俺は断じてロリコンなんかじゃないぃぃぃぃ!!


「はぁ……。まあ、まだ実力が分からないし、まずは弾いてもらわないとなんとも言えないな」


 絶えた。違う、耐えたよ俺。

 上手すぎても教えられないから駄目だし、逆に初心者の人生を預かる責任は、俺には負えない。

 だから、最低限俺が教えられそうなレベルなら、ある程度教えて別のヤツに匙を投げれば良い。

 我ながらいい考えだ。よし、それで行こう。


「わ、分かりました。で、では……」


 緊張が両手に伝わっている。

 しかし、椅子に座り高さを整えて、鍵盤に手を載せる頃には、少女の手に力みはない。

 ゆったりとした一連の動き。うん、これは上手いやつだ。


 少女はピアノを弾き始めた。

 優しいタッチで、ゆったりとした曲調。

 恐らく、別れの曲に対抗してのものだろう。

 この時点でほっとしたことといえば、ショパンとか、クラシック界の神様的存在ほどではなかったことだ。そこまではいかずとも、天才と呼ばれる域ではない。

 おそらく見た目的に10歳から13歳くらい。ショパンとかは、この頃は既に公開演奏をしている、もっと言えば作曲してたりする。

 だから生まれながらの天才、では無さそうだ。というか、なんかちょっとぎこちないとこがある。

 日本でも、中学のコンサートに、これより上手いやつがゴロゴロいた。以前の俺とレベルでいえばそんなに変わらん。

 まあ今は練習曲で溢れかえってるし、練習すれば誰でもそれなりの技術は付けられるからな。

 

 つまるところ、この時点での才能は無さそう。

 だから、このままただ練習させても先は見えている。


 だが、この世界はまだ音楽の歴史は浅い。

 この世界に無い知識や技術を教えれば、才能があるかのように見せることは出来る。


 ――つまり、なんだかんだ伸び代は十分にある。


「ど……どうでしょうか」


 最後の最後に緊張の糸が切れたのか、ミスタッチが一つだけあった。そこまで目立っていなかったが、本人は自信のある曲だったのだろう、ミスタッチで落ち込んでいるようだ。


「うん、悪くない。普通だね」


「そう、ですか……」


 俺のあっさりとした返事にガクッと肩を落とした。


「難しいな……」


 チラと、少女を見た。

 唇を噛んで、必死に涙をこらえている。悔しいんだろうが、それでも大袈裟すぎる。

 ピアノにそんなに拘る必要があるのか?

 音楽を仕事にする必要なんてあるのか?

 仕事なんて幾らでもある。見つからないなら冒険者にでもなればいいし、俺みたいにずっと日雇いでやりくりする人だっていっぱいいる。

 だから、別にピアノなんて遊びで弾いてればいいんだ。

 俺は、そんなに悔しそうにする理由がわからなかった。

 

「ピアノをやる理由は、なんなんだ?」


 俺は自然とそう質問していた。


「あ……うぅ……」


 少女は感極まってしまったのか、涙がじわじわと溢れてきた。


「わ……私は……好きなんです。ピアノがぁ……!」


 ついに泣き出してしまった。

 

「……おい、何責めてんだよ」


「おっさん! 誤解! 誤解だから! だって、この子の師匠になるんだから理由くらい聞いておきたいでしょ!」


「ま、まぁそうだが……」


「師匠になってくれるんですか!?」


 少女は急にパァッと顔を明るくした。

 おおぅ……。調子戻るの早いな。

 

「まあ、な。どれだけ好きなのかは演奏をよく分かったし、その道に挑戦するのも悪くは無いな」


 何処まで成長できるかは、この少女次第だけどな。

 胸を張って才能だって言えるのは、多分度胸くらい。しかも、度胸なんてちょっとした壁で砕けることがある。

 そうなれば、才能のあるやつに食いつくなら努力するしか無い。

 ひたすら練習して、ひたすら勉強。それだけだ。

 幸い、ここには実践できる場所もある。人前で演奏できるのは経験値的にもデカい。

 実を結びさえすれば、音楽だけでも食べていけるはずだ。


「やったぁ!! あ、すみませんつい……」


「いや、別にいいよ。そういえば、自己紹介がまだだったな」


「あ、ああ!! す、すみませんすっかり忘れていました! えっと、私はエルネスティーヌ・フランソワです。長いので、エルと呼んでください。師匠」


 師匠……なんていい響きだ。


「エル、か。俺は四条奏太だ。ま、呼び方は好きにして欲しい」


「シジョウ・ソウタ師匠……ですか」


「ああ。因みに、名前が奏太な」


「へぇ、珍しいですね。名前が後ろに来るんですか。では、これからよろしくおにぎゅ……うう……」


 よく噛むやつだなぁ。うっかりして舌を切らないように注意してくれよ。マジで。

 今噛むのは構わないけど、将来コンサートとかで噛んだら空気が死にかねないから本当に気をつけろよ。

 まあでも、そういうゆるゆるとしたピアニストの演奏も、案外面白いのかもな。

 

 別れの曲が呼んだ出会い。

 そう考えると、少し洒落た感じで好きだ。

 よし、リア充になるなら別れの曲だな。覚えておこう。

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