#八尺様と呼ばれていたお姉ちゃんと普通の子供だった僕の完成形

海野しぃる

綺麗におしまい

 僕はお姉ちゃんと二人。朝焼けのきれいなホテルに泊まっていた。

 都内の大きな道路が、見えるのだ。朝焼けに照らされて、真っ直ぐに。


『おはようユウくん。子供なのにコーヒーを飲むなんていけないんだ』


 お姉ちゃんはコーヒーを飲む僕の頭の上に胸を乗せる。


「僕、春から大学生なのに」


 お姉ちゃんは背が高い。

 240cmくらいは有ると思う。人間じゃないからだ。両親は八尺様と呼んでいた。

 けど綺麗だ。背の高いお姉ちゃんの体の上に乗って、白い肌に指を這わせて、二の腕に指を埋める時なんて、そのまま溶け込んでしまいたくなる。

 僕には勿体無いくらい綺麗なお姉ちゃんなのだ。


『ごめんごめん。ユウくんはもう大人だものね』

「まだお姉ちゃんには子供にしか見えない?」

『ごめんって』


 お姉ちゃんは僕の頬に唇を寄せる。

 困ったら甘えておけば許してくれると思っている。

 どうしようもなく適当で、姉としての威厳も何もない。

 生活だって僕に頼っているし、僕が居ないと外にも出られない。


「待って」


 朝焼けに照らされるお姉ちゃんを捕まえて、瞳をじっと見つめる。


『なに? 恥ずかしいよ……』


 白い髪が綺麗だ。

 赤い瞳が綺麗だ。

 日に焼けた肌が綺麗だ。

 飾りっ気のないワンピースも綺麗だ。

 光の中で恥じらう彼女が綺麗だ。


「素敵だよ」


 お姉ちゃんは顔を赤くして、ホテルの机の上に飛び乗り縮こまる。体重を感じさせない軽やかな動き、猫みたい。

 生まれた時から、お姉ちゃんはお姉ちゃんだった。

 僕よりも背が高くて、僕よりも背が高いままで、ずっと追い越せない。

 そして何時も綺麗で、僕にだけ笑ってくれる。

 ずっと前から、僕に微笑んでくれるのはお姉ちゃんだけだ。


     *


 ずっと前。まだお父さんもお母さんも居た頃のことだ。


「ユウ! はなれなさい!」


 お父さんが僕を抱きしめる。

 力強くて乱暴で、痛いくらいだった。


「ほらユウ! 乗りなさい! お寺さん行くわよ!」

『お母さん、連れて行かないで、ユウを連れて行かないで』

「お母さん、なんでお姉ちゃんを無視するの?」


 お母さんは何も答えない。


「お父さん!」


 お父さんも答えない。

 みんなお姉ちゃんを無視している。

 お姉ちゃんはずっと傍に居てくれたのに。


「そもそもあなたがお祖父ちゃんの一周忌に里帰りなんて言い出さなきゃ」

「こうでもしなきゃ家族なんて集まらないだろう」

「集まらなくて結構よ、こんなことになるくらいならユウは家に」

「家に放置しているだけだろう? それでも母親か?」

「あなたこそずっと仕事じゃない」

「男が稼いでくるのは当たり前だろう! なんだ君こそ何時までも!」


 お姉ちゃんは車に張り付いて、扉をすり抜けて、僕の手を握ってくれた。

 優しくて柔らかかった。お姉ちゃんはずっと大丈夫だよと言ってくれた。

 だから連れて行かれたお寺でも、お坊さんに僕は正直に話すことにした。


「お姉ちゃんは危なくないよ! 事故の時も、車の中に居た時も、変な人に連れて行かれそうになった時も、お姉ちゃんが守ってくれたんだもん!」


 お坊さんがため息を吐いていた事はわかる。

 両親は多分怯えていたんだと思う。


「ダメなんですか。んですか」

「帰ったらダメだと言っていたでしょう。お祖父様がどれだけ悩んであなたを家から引き離したかご存じないのですか」

「そんな、ですが」

「なんで私やこの子まで巻き込まれなくちゃいけないのよ……全部あなたのせいよ……!」


 人間の表情は上手く分からなかった。

 困っていたのか、哀れんでいたのか、それとも。

 ただぼんやりと嫌な気持ちだった。

 お姉ちゃんは窓の向こうから心配そうに僕を見ていた。


「私が迎えに来るまでここから出てはいけないよ」


 お坊さんがそう言っていたのは覚えている。


『迎えに来たよ』


 翌朝。

 お姉ちゃんがそう言って嬉しそうに襖を開けてくれたのも覚えている。

 朝日にすっかり肌が焼けてしまったお姉ちゃんが覆いかぶさるように僕を抱きしめて、子供みたいに泣いていた。


『怖かった?』

「怖くないよ」


 僕は真っ白になってしまったお姉ちゃんの髪を撫でた。


『怖かった?』

「大丈夫、怖くないよ」


 そうやってしばらく撫でてあげていたら、お姉ちゃんは大人しくなって、僕の隣でしばらくじっとしていた。お姉ちゃんは怯えた顔で僕に尋ねた。


『お姉ちゃん、怖くなかった?』


 綺麗だった。


     *


 その後、遠い親戚がお金を出してくれて、僕はなんとか大学生をやっている。

 けど、それも昨日までのこと。バイトして貯めたお金で、僕はお姉ちゃんと旅に来ていた。東京に、一度は来てみたかったから。


『ユウ君ったら、なにぼーっとしてるの?』


 昔のことを思い出していると、さっき逃げたお姉ちゃんが机の上で三角座りをしながらこちらを見下ろしていた。お姉ちゃんは背が高いのに、狭いところで小さくなっているのが好きだ。猫みたいに。


「昔のことを思い出していただけだよ」

『昔のこと?』

「お父さんとお母さんが居なくなった時のこと」

『ごめんね。ユウくんを一人ぼっちにして』

「お姉ちゃんが居たから、寂しくなかったよ」


 僕には人の顔がよく分からない。

 分かるのはお姉ちゃんだけだ。

 お姉ちゃんのことはどこに居てもよく分かる。

 どこに居ても、お姉ちゃんのことはよく見える。

 暗くても、明るくても、笑ってても、泣いてても。


「一緒にご飯も食べられたし」

『遊園地も行ったね』

「お家が静かになったよね」

『ユウくんが笑う顔、久しぶりに見たなあ』

「僕、笑えたんだね」

『笑ってるよ、今も』

「お姉ちゃん、連れてってよ」

『だめ』

「連れてって」

『だめ』

「好きだよ」


 僕が腕を伸ばすと、お姉ちゃんが縮こまる。

 こわごわと触れて、お姉ちゃんの手が、僕を抱き寄せる。

 お姉ちゃんに引っ張られて半透明になった僕は、お姉ちゃんの胸元に飛び込んで、振り返った。


『ほら、見て。ユウくん、笑ってるよ』

『笑ってる』


 返事したのは僕の声だった。

 けど、それはもう僕の喉から出た声じゃない。

 僕の身体は椅子の上。眠るように死んでいる。

 お姉ちゃんは僕を抱っこしたまま、机から降りてベッドへと移る。


『ねえユウくん、見える? ユウくんは綺麗な顔をしているよ』

『そうなのかな?』

『お姉ちゃんよりずっと綺麗だよ』

『僕はそう思わないな』

『お姉ちゃん、ユウくんまで殺しちゃったよ』

『けど、これでずっと一緒にいられるね』


 お姉ちゃんの大きな身体を、ぎゅっと抱き寄せた。

 あっけないものだった。折角血の赤が映える服を着ていたのに。


     *


 狭義の相貌失認は、熟知した人物を相貌によって認知する能力の障害である。しかし、声を聞くとわかる。一方、熟知相貌の認知障害がなくとも、未知相貌の学習・弁別、表情認知、性別・年齢・人種などの判定、美醜の区別などにいくつかに障害がある病態が広義の相貌失認と診断される。

(日本神経科学学会 脳科学辞典より 一部抜粋)


     *


 最初に僕の死体を見つけたのはホテルの掃除業者だった。

 彼女はベッドの上に丁寧に寝かされた僕の死体を見つけてくれた。

 枕元にはお姉ちゃんが花が添えていた。お姉ちゃんは僕の死体を綺麗に飾ってくれた。僕が居ればそれでいいからって。

 部屋は強く冷房が効いていたせいか、顔色は少し悪かったものの、頬に紅を差していたため、業者の人は最初は死んでいると気づけなかった。

 事件性を疑い、司法の捜査が入ったものの、掃除の人が来るまでは、僕の部屋には誰も入っていない。事件は容疑者不在のままで捜査が終了した。

 奇妙なことに捜査資料には


「終わったことですから」


 という遠い親戚からの証言がわざわざ残されていた。

 あの人達は、お姉ちゃんについて、なにか知っていたのだろうか。

 けどもうどうでもいいことだ。

 僕とお姉ちゃんは二人ぼっち。忘れられて、おしまい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

#八尺様と呼ばれていたお姉ちゃんと普通の子供だった僕の完成形 海野しぃる @hibiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ