第18話 木下の彼女論
加納は亡父の因縁だったタイヤチェーンが入った箱を抱えて宿に着いた。その間、波多野は無言でただハンドルを握りながら走り続けた。話しにくいのでなく亡父の無念が詰まった物を抱え込む加納をそっとしてやりたいただそれだけだった。木下も車窓の流れ行く景色を呆けるように追っていた。
閑散としたロビーなのに受け付けには片瀬成美がいた。その波多野の配慮に加納は笑って応えた。波多野もどういたしましてと慇懃に笑い返した。これが噂の女かと木下は見ている。片瀬も波多野から聞かされていたのか直ぐに木下に挨拶した。
一通りのセレモニーが終わるとここでお役御免と帰る波多野に社交辞令を抜いて盛大に見送った。波多野を見送ると片瀬は二人を部屋へ案内した。この時に目ざとい例の荷物を持ち上げた。片瀬は荷物の重さに一瞬ぐらついて慌てて両手に持ち直した。
「何ですのこの手提げ箱はまさかと思いますが何処か修理に行ってはったんですか」
受け付けらしからぬ、それでいて特に凝った物言いでもない、親しみの籠った成美の言葉に加納は美しさを超えた感性を味わったようだ。そこに神々しい物を抱え込み加納を襲ったのは、この女は
その言い方に二人は笑った、だが木下は直ぐに重いからと代わりに持った。その手際の良さに加納は呆れて見ていた。先に立って案内する均整の取れた成美の体つきとほっそりとした顔表に似合う目許が今更ながら加納の心を捉えていた。
「伯父さんは加納さんのことをいい甥っ子だと母から聞きましたよ」
部屋の座敷机でくつろぐ二人にお茶を煎れながら片瀬が声を掛けた。
「さっき会って来ました」
「あらっ、そう、でどうでした」
差し出しお茶と共に成美はさも自分の身の上に降りかかる出来事のように感情豊かに訊いて来た。
「祖父が亡父に対する思いは言葉で無く物に変えて残していたんですよ、それで一度も会った事が無いのに飾られた遺影とは掛け離れた笑顔の祖父を思い浮かべたほどです」
「まあっ、余程の物を残されたのですね、でも財産は余りないようだと母が言ってたけれど……」
「財産がどうとかは別にして片瀬さんが受付で持ったあの箱の中にそれが入ってました」
一寸愁いを帯びながらも次には子供が「見て見て」とせがむような加納の眼差しを受けて成美も意外な顔付きで片隅に置かれた箱を眺めた。
「粗末な箱なのにいったい何が入ってるのかしら、見ていいかしら」
どうぞと
それを木下はお茶を飲みながらあれを見せるのかと神妙な面持ちで聴いていた。
何かしらっ、成美は無邪気にプレゼントを見るような面持ちで近寄り箱を開けだした。
「何! これ!」
ひと言でも止めるべきだったかと後悔する木下とは別に加納は整然としていた。片瀬はしばらく見ながら特に怖がるでもなくゆっくりと閉じた。この一連の二人のやり取りに木下は一週間前に始めて会った相手なのか? と不思議そうに理解を超えた意外な顔付きをしていた。
「これはどうしたのですか」
と元の席へ戻りながら成美は静かに訊いて来た。
納屋での伯父の説明をそのまま伝えた。
そうなのと慈しむ成美の眼差しを加納は真面に受けていた。
「母も心を痛めたけれど、
どれほど心を痛めたか、あの血糊の鎖が語られていると彼女は加納の気持ちを察して言った。
無関係の木下には不気味に見えた物でも、この事件の真相に迫れる答えを出した鎖に寄せる期待の強さを思い知らされた。
「耀子さんは物事のハッキリした人だからこれを見れば昔の嫌な思いでも書き換わるかも知れないわね」
加納も彼女も昔の母しか聞かされていない。今の曖昧な母の何処がハッキリしていたのか加納には腑に落ちなかった。どちらが本当のお袋なのかと戸惑った。
「お母さんからどんな風に聴いているんです」
「あなたのお父さんだった
「それを母がメリハリの付いたものにしたって云うのかい」
「そんな単純なものじゃあないけど簡単に言えばそう云う事なのね、うちのお母さんがそう言ってたの、でもそれでこういう風になったのだから耀子さんも遣り切れなかったんでしょうね」
感傷に浸る間もなく片瀬は油を売ってる場合じゃあないわ、とこれから夕食を手伝わないとと言うと、その間にお風呂でもどうぞと部屋を出た。
「あんな物を見せて陰険な雰囲気にならないかと気が気でなかったがサッパリしたところがある
木下は成美が出るとさっそく初対面の感想を言って来た。
今までそうは思わなかったがまだ客観的に見える木下の見立てに頷いた。
「初見と云うものは案外と的を得ていて、そこから先は朧気に霞んでくるから初心を貫くもんだ」と木下は解ったような判らないような講釈を立てて煙に巻くように風呂に誘った。
浴衣で二人は部屋を出て一階奥の風呂場に入った。
「伯父さんの話を聞かされた後にその現物を目の当たりにすればたいていの若い女は跳び上がるのに意外と冷静やったなあ」
湯煙に咽せながらも「しっかりした人ですから」と答える。
「余り驚かなかったのもその辺りなのかも知れんなあ」
何がその辺りなのか加納には判らないが女を知る木下だけにインパクトがあった。
「どうだろう木下は俺と彼女の出逢いをどう思う」
浴場はそう広くないが若狭の海を見ながら二人は湯船にとっぷり浸かり、初めて見た今朝の天橋立に木下は気に入ってたようだった。あの客を更に引っ張ろうとする波多野の熱意には頭が下がった。伯父さんとの事前の段取りが良かったからこそ加納の長年の疑問に応えられた。その波多野さんが彼女の性格に合うと見込んで引き合わせた。
「なるほど木下にそう云われればあのサッパリとした性格は俺に合うのだろうなあ。木下、お前の相手はどうだったんだ」
「俺の昔の女に振ってきたか」
「比べたくないのか」
「お前の参考のために教えてやろう」
俺は彼女に惚れられたのだ。相手はホテルのバイト先にいた女だった。目鼻立ちは普通だが強いて言うなら
「どっちが悪いと思う」
湯船から上がると木下が訊いて来た。
「それゃあ誰が見ても向こうでしょう」
「だろう、それが自分には非がない様に言うんだ。それで頭に来たがなんせあれだけの器量だから水に流そうとするんだが向こうは逆に心が離れて行って仕舞うんだ、挙げ句の果てが好きで別れるのだからしょうが無いってこんな理屈有るかよ」
「それって上手い逃げ口実ですね」
「それでも引っ越し先を訪ねるとトドメが『何しに来たの!』ってけんもほろろに追い出された」
浴衣を着て二人は部屋へ向かった。
「向こうはまだ一人で居るんでしょう」
「そんな腰の軽い女じゃあないし、つくす時はトコトン尽くしてくれる、気が合わないと一生涯、人に頼らなくても独り身も気にならないし、誰にでも人当たりが良いが身持ちが固いところがあるんだ」
「そんな一人でも気丈に生きる女が居るんですね」
「いや滅多にいない」
「それじゃあ参考にならないじゃあないか」
「いや参考になる、こう云う女は要注意ってこっちゃ。女は腰を据えて付き合えちゅうこっちゃ、それに気持ちを掴むまでは駆け引きも忘れるな」
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