第35話 詁

 クライスは、ヨミの分の冷めたコーヒーを飲みながら、テーブルを睨む。


 再度、小男の話を頭の中で反芻する。


 今までの話から判断すれば、世間知らずの甘やかされた次男坊により、薄汚れた色街で精一杯真面目に生きて来た二人を……その二人の将来を……遊び半分に潰したという事か……


 ヨミの情報収集精度は確かで、いつもはそのまま依頼を受けるのだが、今回は違った。


 クライスには少し疑問点が在った。

 次男坊はもっと上手く殺れた筈だ。

 もしかしたら、全て小男の罠の可能性もある。

 

 あの震えも……

 あの嗚咽も……

 あの涙も……


 全て嘘の可能性はある。

 しかし実の所、クライスはあの小男の言葉以外の動作から話の内容を真実だと見抜いていた。


 人間は、言葉以外でもコミュニケーションを取る……いやどちらかと言えば、非言語のコミュニケーションの方が大半だ。


 表情

 発汗

 目線(瞳孔も含む)

 手足の動作・震え


 そういった言葉以外の動きからクライスは小男の『真の怒り』を感じたし、クライスへの恐れも感じた……『ワシを恐れて、それでも、恐怖を乗り越え、二人の為に復讐を依頼した』小男に最終確認する前、クライスは真に殺す気満々で、小男と話した。


 ……小男は震えていた『下手をすれば次男坊を殺した後、自分自身も、目の前の邪悪な隻腕の男に、何故か殺されるのでは無いか……』彼にそう感じさせる程、クライスは気持ちを込めて、彼と話した。


 余談だが、悪人が、横柄な態度、きつい口調、身振り手振りで、相手を脅すのは、単純に相手に自分の要求をのませたいだけではない。

 脅した相手が切羽詰まれば詰まる程、相手の気持ちが素直に出るからだ……

 策略、謀略、嘘、その様な様々な計略は、心理的余裕が無ければ行えない、或いはボロが出る。

 故に、悪人は相手を脅す、威圧する、そして希に共感する。

 相手の心を揺さぶり、心理的防壁を剥がして、真意を探る為に……まぁ、クライスのしている事も、それと同様の事だ。

 だから、クライスはあそこ迄、小男を追い込んだ。


 結果として、恐らくは、彼の発言は真実で、次男坊が胸糞悪い拷問を二人に与えたらしい。

 あくまで、小男が認識している情報はでは、だが……


 ……そう……人間は認識した情報がその時の感情で、情報が歪む……主観が入り込むというヤツだ。

 10の情報が、その観察者の感情で、12にも7にも変わる……そしてその観察者はその事に気付かない……その12も7も彼の中では真実だからだ。


 しかし、彼も腕利きの盗賊だった……体つき、所作で判った……自分の感情に揺さぶられて、真実が歪む……そんな人物では無いとクライスは思った……


「次男坊の所業は真か……」一瞬、苦虫を噛み潰した様なクライスの表情……現れ……そして消えた。


 ヨミの分のコーヒーを飲み干し……洗い場でカップを洗う。


「こりゃ、夜寝られんな……」クライスは愚痴る。


 そして、思い出した様に言う……


「そういや、あやつ未だに、コーヒーが苦手か……しまったな……」


 ……  

 ……






 …………真っ昼間、色街に向かって歩く人影……



 こんな人間は余程の好き者か、夜の仕事の者か……

 彼はどちらでもなく、先程、クライスの家の前で小男とクライスの話し合いを、気配を消して訊いていた者……

 ヨミだった。

 クライスと話していた時とは服装も顔も変わっていた。

 目は二重……膨らんだ小鼻……浅黒い肌……南方の出の者の様に見える。

 ヨミの知り合いでも、今の彼を、彼と感づかないかもしれない……


 実際、ヨミは東方の出だった……キルシュナでは『ヨミ』と書いているが、生まれた地では、『詁』と書く。

 痩身で、少し小柄、細い一重瞼の男だ……年の頃30を過ぎた位か……地味な灰色の長袖と長ズボン……黒い布スニーカーを履いていた、一見して通行人Aといった様な、特徴の無い風体……すれ違い後、数分も経てば思う出すのに苦労する様な特徴の無い男だった。


 ヨミの仕事は、クライスへの依頼を精査して、受ける受けないの判断と、受けた際の事前準備の手助けを、主な業務としていた。

 基本的に、ヨミが依頼を受ければ、クライスは却下する事は、まま無い……それだけのヨミを信用していた。


 しかし、今回は違った。

 ヨミが裏を取った情報を伝えても、それでも再度、ヨミに周辺調査を依頼してきた。

 しかしヨミはそれに口答えしない。

 クライスが指示を出したなら、それを貫徹するまで……それはクライスの指示に疑問を持たず、ただ、実行するという意味では無い。

 ヨミは知っている。

 クライスは無駄な事はしない……絶対に……指示を出すなら、クライスにとって必ずや、行う意味がある作業だ……今までずっとそうだった……だからヨミは即、次男坊の調査に繁華街へ向かった。


 ローから、『馬鹿なアイツらは大半、朝からある居酒屋に入り浸っている』との情報を聞いていたからだ。

 そしてヤツらは、その『アニーの膝枕』という居酒屋で器物破損を行いながら、昼間から馬鹿騒ぎしていた。

 店主は頭を抱えて、もう怒る気力も無く、茫然自失。嵐がざ過ぎ去るのをただ待つのみ……歯向かえば、殺す勢いで暴力を受けるからだ。

 ヨミは、その様子を道の反対側の歩道から観ている。

 小一時間の後、バカどもは壊す物が無くなったのか、店主に数枚の紙幣を握らせ、千鳥足で店を離れた。


 暫しの間、ヨミは歩道から、店舗と店主を観察した。

 肩を落とした店主は、手の中のクシャクシャになった紙幣を見ている。

 そして握る手に力が籠もるや否や、拳を振り上げ、紙幣を床へと投げつけ様と……して結果、振り上げた拳を力無く振り下ろした。

カウンターの上に、尻を拭いた後の便所紙の如くグチャグチャになった紙幣が零れ落ちる。


 ……その便所紙を店主はじっと見ている……


 しばらくして、彼はそのクシャクシャになった紙幣を1枚づつ掌で皺を取る様に撫で付け、綺麗に畳んで金庫に閉まった。


 涙と鼻水を盛大に流しながら……


 ヨミはそれをずっと観ていた。


 漸く、店主が泣き止んだのを見て、ヨミは歩道から店に入る。

 店主に、いや独り言の様にヨミは話し始める。

「お酒を……えっ、一体……何があったのですか……」知らない振りをしてヨミは尋ねる。

「あっ……すみません、只今、少々お待ち下さい」店主は直ぐに割れたグラスや食器、食べ滓を拾い集めて、ヨミの場所を捻出する。


 その慣れた手付きで、この事態が今回だけで無い事が判る。


「どうぞ、どうぞ……」店主は片付けたつもりだろうが、ヨミが歩く幅だけが掃除された床と、濡れ布巾でビチョビチョに拭かれたテーブルは、店主の心象風景そのままだった。


 未だ震える手で水を持ってきた店主に、ヨミは悲痛な表情で、もう一度訊く「大丈夫ですか?何があったんです?」

「……いえいえ、何という事も、少しおふざけされたお客様が居られまして、もうお帰りなされたんで……お気になさらず……」段々小さくなる声と同時に、肩を落として、店主は小さくなる。

「こちらがメニューです」店主は濡れたテーブルにお品書きを差し出す。


『まだ、店主は理性を保っている』

『しかし、もうひと押し』

 ヨミはそう読んでいる。


「あの棚の酒『雷鳴』ですか?頂けますか?」ヨミは酒棚に、唯一割られずに屹立している酒を指差す。

 ヨミも注文を聞いた店主が顔を上げ、指差す方を見て顔が曇る。

「……申し訳無いのですが、雷鳴は非常に高価な酒ででして……」店主は再度ヨミの風体を見て口ごもる。

 ヨミの身なりから支払える酒ではないから遠慮しておけと言う事らしい。


 ヨミは懐から紙幣を掴みだす。

 テーブルに零す。

 店主の目の色が変わる。


「……!!!……あの……申し訳御座いませんでした、今すぐお持ち致します」店主はつんのめりながら酒の準備をしに戻る。


「何が起きたかは、存じ上げませんが貴方が打ちひしがれているのは理解出来ます……」


 店主の背中越しに、聴こえる限界の囁き。


 店主の肩が震えるのを、ヨミは見逃さなかった。


「……これから……どうすれば……」


 店主の密かな悲鳴を、ヨミは聞き逃さなかった。


「今、私にしてくれた真摯な接客を受けて、貴方がお客から、この様な仕打ちを受けるとは、到底理解できないのです……」ヨミは店主と似た悲しそうな声色で、更に追い打ちをかける。


 振り返る店主、「仕方ないのです、目を付けられたのです」ほんの少しの怒りを含んだ悲しみの表情。

 ヨミは竜巻が通り過ぎた様な店内を見回しつつ

「目を付けられた……あの若者たちですか?警吏への被害届は?」ヨミは少しの怒気を孕み店主に尋ねる。

「えぇ、出しました!」被害を思い出し、怒りの感情が表れる。

「ならば、警吏に巡回して……」ヨミは怒りで少し早口に成った振り。

「被害届を出した数日後……ウチの店には牛の糞がこれでもかと……外も内も……もう奴等以外お客様は来ません……」項垂れた顔の下、折角拭いた床に又、鼻水が落ちる。

「奴等は私に最低限の金を渡すのです、今や、奴等の支払いが我が店の収入の全て……」

「奴等の金でも貰わねば、それこそ一家露頭に迷いましょう……」振り返らず店主は言い、カウンターへ向かう。

「飲食店に……なんという……酷い……」ヨミは、最早本心にしか聴こえぬ程、悲しみ、憐れみが籠もった返答を返す。

「お客様こそ、あの様な輩に目を付けられぬ様お気をつけ下さい」店主はこの碁に及んでも、ヨミの心配をしていた。


『繁華街に珍しい、正直な店主だな』素直にそう思う。


 しかし今回に於いては、それは褒め言葉では無い。

 ヨミが狼藉者と繋がっている可能性も、無いとは限らない。

 ホンの数刻前まで知りもしなかった眼の前の中年男性に、深刻な身の上話をしてしまうこの店主は、この猥雑な街では少し正直過ぎた。


「失礼に当たりましたら申し訳無いのですが、奴等に目を付けられる原因が、何か有ったのですか?」ヨミはあくまでも、店主への心遣いを忘れず話す。


「いえ、敷いて言えば、あの輩共のリーダーと口喧嘩をした事が有り……いえ、本当に些細な事なんですが……」店主は口籠る。

「何れにせよ、口喧嘩如きで、ここ迄はやり過ぎでは無いですか?」ヨミは店主の話に乗る。

「ええ……本当に、ただ私は、泥酔のあの方が『この国一番の遊女、アイツをモノにする!』と叫んでいたので……つい……」店主は暫し深呼吸。

『私は「失礼ですが一流の遊女は、お金を積んだだけでは逢う事は無理かと……』その様な事を忠告しましたのです」と店主はヨミを真正面から見て言う。


『……確かに正解だが、そんな事言わなくても……バカ息子が素直に受け入れる訳が無かろう……いや、余計に油を注ぐ結果に成るのが……この店主……』ヨミは内心、呆れる。


「全く、その通りだと思います……お金を積んでどうにか成る話ではない」しかしヨミの口からでた言葉はコレ。


「ええ、その通りで、あの方々は路地端で春を売る女性とは違うのです」店主は頷く。

「ご忠告をしたつもりだったのですが、その後のあの方の激昂振りは見るに耐えぬ……店はものの数分で竜巻が通り過ぎた後の様な有様……」店主は項垂れる。

「そこからです、私供はこの連中に付きまとわれ、一般のお客様も一切来ない閑古鳥……」またボタボタと床に水滴が落ちる。


「貴方は間違ってはいません、相手が間違っているのです」ヨミは慰める。


「そうですよね……私は忠告しただけなのに……」

「ええ……そうです、貴方は彼に高級娼婦と付き合う為の重要な要点を伝えただけ、ですが、相手が悪かったのです」ヨミは店主の目を見る。

「しかしこの様な街では、貴方の忠告は、全くもって正しいのですが、得策では無かったのかもしれません」ヨミはやんわりと指摘する。

「……その通りでした、私は元々、田舎の酒蔵で杜氏をしておりました、この様な繁華街で生き抜く術を知らなかったのかもしれません」店主の後悔。


 そして静かに置かれる透明な液体が入ったグラス。銘品『雷鳴』


「ご立派ですね、ご自身の今の境遇から思えば、そうそう言える言葉では有りませぬ」ヨミは店主を褒める……店主がヨミを見つめて、泣き笑い。


 店主の言葉を、遮らず、反復し、同意し、同調する、人身掌握の基本だ。


 1:相手と同じ感情を表して、返事を行う。

 2:相手の言葉を復唱して答える。

 3:相手の意見に同意する。


 他にも色々あるが、以上の3点を行うだけでも効果がある。

 そして、相手は自分と相手に良好な信頼関係が築けたと勘違いする。

『まぁ、そろそろ良いか……』ヨミは本題に入る準備をする。


『まぁ、その前に一杯頂くか』

 ヨミはグラスに顔を近づける。

『コレは……確かに……冴え良き……銘品』

 目を瞑り香りを愉しむ。

『……芳香……果実……』

 静かに口に含む。

『美味……旨味濃醇……少し甘口……』


 ……。。。……


『故郷の景色を想い出す……』ヨミは眼の前の店主を忘れ、一時、故郷を夢想する。


「実に豊かなお酒ですね……呑み易いが、調子に乗ると足元を掬われかねない……そんな怖さもある……」ヨミは訥々と語る。

「……お客様、大変お強いですね……確かに度数の割に呑み易いのは確かですが……」店主は驚きを隠さない……金持ちが調子に乗って、前後不覚になったのを何度も見てきた。

 ヨミほど、平然としているのは稀だった。


 ヨミの策略通り、店主は徐々にヨミに惹かれていた。


 最初は、金をもっているのかも怪しい南方の小男だと思っていたが、今は上品な話口調や、羽振りの良さに、店主は良い意味で裏切られた。

 そして、自身の苦難に共感し、時に悲しみ、時に怒りを表してくれる。


 この御仁は、悪い人では無さそうだが……店主は、涼やかに雷鳴を呑み干すヨミを『一体何者なのだろう?』と考察し、そして興味が湧いていた。


「……ところで店主殿」ヨミは尋ねる。

「あっ、はい、いかが致しましたか?」店主は我に返る。


「その無頼漢共の事をお聞きしても宜しいですか?」ヨミはあくまで低姿勢。

「ええ!私で判る事でしたら」ヨミの顔を真正面から見る。

『あぁ、大丈夫そうだ……これなら大抵の事は聞き出せよう』ヨミは先程と同じく、低姿勢で質問して行った。


 ……店主への聞き込みは15分程度で完了……


 結果、何という事もなく、次男坊の人間関係は洗い出しが済んだ……というかヤツらは何も隠さず、次男坊の周囲で太鼓持ち、うまい飯とうまい女を次男坊の金で得る為に、お坊っちゃんの周囲に纏わり付いて、何も隠さず馬鹿騒ぎ……店主は、それを嫌でも聞かされていた様で、聞き取りは非常に簡単だった。


 まず、取り巻きは10名

 その中のリーダー格は、ライジャという18歳の若者とのこと。

 控えめに言って色男と言っていい、女に苦労しなさそうな風体らしい。

 思慮足りなそうな浅い笑顔で次男坊と話し、部下の9人にはぞんざいな身振り手振りで指示を出していたそうだ。


 皆が、どうやら、王都の出身で、ついでに言えば、マクシミリアーノと同じく、高級店舗の御息子達ばかりだった。


 そして高等学習校の出である。


 高等学習校は、主に魔術師や学者、医師等の職業を目指す未成年の学び舎だった。


 居酒屋を出た。歩道を歩くヨミ。

 その先には親不孝通りが在る。

 いつの間にか小男がヨミの横に並ぶ。

 ヨミより更に小男。

 ヨミがタバコを差し出す。

 会釈して小男がタバコを頂く。

 ヨミがマッチを擦って、小男がマッチにタバコの先を寄せる。


「どうやら、小僧共の裏は無い様です」小男はタバコの紫煙と共に話す。

「……ただ……ただ……子供のお遊び……」マッチを仕舞いながら独り言。

「えぇ、残念ながら奴等への教唆・依頼・脅迫等の形跡は在りません」

「……そう……残念だ……」

「特権意識……諂上欺下……集団意識……」

 小男はそう言い、タバコの礼を言い路地裏へ。

 ヨミは軽く会釈をしてそのまま歩く。


 ヨミの眉間に皺が刻まれる。


 つまり、反社会勢力等との結び付き等は全く無かったという事だった。


 一番、どうしようもない結論に成った。


 全員が裕福な家庭の息子で、兵役も逃れた連中。

 金で逃れたのか?

 他の兄弟が出兵したのか?

 何れにせよ、戦時下で、王都に居る若者なのだから、戦争とは無縁の者達だった。

 そして自身の欲望に忠実に、ヤりたい事をヤッた。

 ただそれだけ……


 自分達は恵まれた、選ばれた者。

 強い者には媚び諂い、弱い者は馬鹿にする。

 数を頼んで、ヤりたい放題。


 小男の情報はそういう事だった。


 ヨミの視界に色街が入ってくる。

 ……数日前、ローがヨミの所を訪れた後も、ヨミは裏を取る為に、短時間ではあるが、ここに来てた。

 今回は変装までしている……これはケリイの出身地である、南方の風体である。


 入口門まで着いた。

 彼が裸で吊られた門をくぐる。

 色街は……俗称『親不孝通り』と呼ばれる……王都の南の繁華街の中心……名前通りに、昼間から金を握りしめた男共が道をウロウロ……今日の店を吟味している。

 派手なのぼりや、カラフルな建物、窓から手招きする嬢の濃い化粧で、道自体から甘い匂いが立ち上って来るかの様……金儲けに忙しいチンドン屋が、店の宣伝を兼ねて往来を歌い踊りしている。


 門を通過して直ぐに、木で出来た箱に、色街の案内図が数枚ねじ込まれている……そこからヨミは1枚摘まみ上げ、往来を進む……進めば進む程、ざわざわと賑やかになってくる……季節も夜間も関係無く……ここは何時もこの調子。


 田舎の人間が間違って入り込んだら、完全に時期外れの大祭りと勘違いするだろう。

 そして甘い誘いに乗り、間違った店に入れば、文字通り尻の毛まで抜かれる。

 ほんわかした、お登りさんは、王都入場したその日に無一文で放り出されるのだ。


 ヨミは、本通り、親不孝通りを進む……赤ら顔だ……昼間っから飲酒している風体……ここには似合っている……河川を挟んで左右に道が走る。その脇に派手な店舗が建ち並ぶのが見える。


 嬢の店も多いが、飲食店、居酒屋、衣料品店等も多い、衣料品・貴金属店は特に多い、有名なブランドも出店している……これは嬢へのプレゼントであり、又、嬢自身の商売用として需要が有る為だろう。


 いつもの風景……


「性風俗は強い産業だ……」ヨミはここに来ると何時もそう感じる。

こんな言い方は、お堅い方は眉を潜めるかもしれない。

 しかし現に、客の色欲により、嬢が金を貰う。

 それは引いては店が潤うという事、また客は飲食店で飲み食いし、嬢の気を引こうとプレゼントを買う。

 嬢自身も少しでも多く客を得ようと服や化粧品を買い、自分の商品価値をあげるのだ。

『春を売る』という淫らな産業を軸にして、その周囲で、その他の一般的な産業も活発になる……


 そんな、派手な建物の中に、地味な平屋の木造建物が挟まれている。

 駐在所だった……

数人の警吏が室内で事務作業にあたり、多分、最年少と思われる一人は、正面玄関口で腰に長剣を差し黙して立っている。


 今更な事だが、キルシュナでも国家による治安維持組織は存在する。警吏隊がそれにあたる。

 キルシュナ警吏隊は北ラナ島の他の二国と比較してもオルセー王の政策により、治安維持精度が高い。

 また他の二国よりも他国からの移民が多い事も、その治安活動の促進に拍車を掛けた。

 警吏隊としても、この揉め事が多そうな親不孝通りに駐在所も設けている訳で、今回の様な事例が起きれば、警吏が現場調査と被害者からの被害届を受理するのも当たり前だったし、当然、マダムシェリーからも正式に被害届が出た。

 こういった、治安維持のシステムが他の二国と比較してもかなり進んでいるのが、キルシュナの治安維持組織だった。


 ヨミは実直に微動だにしない若い警吏に近寄り、駐在所の事件情報収集の掲載スペースに貼られた「親不孝通り門吊り傷害事件」と書かれた内容記述書を指差す。

「こぉの事件ですが……」ヨミは南部なまりで話し掛ける。

「この事件で何か知っているのですか?」他の二国には有り得ない丁寧な口調で、警吏が訊いてくる。

「へぇ、いえ、知っている訳では無くて、どっちかと言えば、教えて欲しいんで……」ヨミはヘコヘコ頭を下げる。

 警吏はあからさまに落胆した様子で「そうですか……」と小声になる。

「あい、すいまへん、ご迷惑ですかねぇ……」ヨミは遜る……上目遣いで小心そうに警吏見て、事件の説明を懇願する。

「いえ、いえ、大丈夫ですよ……この事件は、最近この色街で起きた傷害事件でして、この街で働いている青年が恐らく、荒くれ達とのいざこざで大きな怪我を負ったのです」若い警吏は親切に事情説明をする。

「大きな怪我……ですか……」ヨミは鸚鵡返し。

「そうです、つい先日の事ですが、被害者は、この街で働いていた若者で先程も言いました様に、地元の不良に絡まれ、この街の門柱に吊り下げられたのです……若者はこの怪我により回復不能な障害を負いました、彼を傷つけた加害者は罪を受けねばなりません、その為の情報を我々は欲しています、何卒些細な事でも構いませんので、もし何かしらご存知の情報が有りましたらお教えください」若い警吏は良く教育されているのだろう、個人情報を伏せて事件を説明する。

「へぇ、そうですか……そういや目撃情報は無いんですかねぇ」ヨミは尋ねる。

「えぇ、ほぼ深夜から早朝にかけての犯行で目撃者も土地柄、泥酔者ばかりで信用に足りませんので……」若い警吏は首を降る。


『……ほぉ、なるほど……』ヨミは心の中で納得する……目撃者は居るのだ、そして証言も有るのだ。


 恐らくは、太陽も顔を出さぬ薄暗い早朝で、視認が困難であった事、且つ、その目撃者も情婦に金を使い果たした挙げ句、道で酔ったまま寝ていたロクデナシ達で、各自、証言が違う……そんな所か……

 或は、既に買収されており、加害者に有利な証言しか得られなかった……そんな事も無きにしもあらず。


「目撃情報には、はっきり犯人が判る情報は無かったのですかねぇ?」ヨミは再度尋ねる。

「えぇ、証言も数人の人影を見たや、門にぶら下がる何かに烏が貼り付いていた、等が有るだけで……犯人に繋がる情報は、未だ、これと言って無いのが現状です」警吏は苦々しい表情を浮かべる。

「ありがとう、ごぜぇます」ヨミは腰を90度以上曲げて、大袈裟にお辞儀をする。

「いえいえ……何かご存知でしたらお教えください」警吏はヨミの大仰なお辞儀に恐縮しながら話す。


 ヨミは警吏から離れて、親不孝通りを奥へ進む。

 歩きながら、今の話を再考する。


 当初、事件の首謀者と思われる……マクシミリアーノ・シェファーが、この様な方法でケリイを痛め付けたのかが、釈然としなかった。

 上記の様な方法を用いずとも、ケリイを痛め付ける方法は五万とある。

 真に事件への関与を無くしたいなら、自身と関係の無い人物に金を握らせ、処刑させれば良い。

 自身の取り巻きを連中を使うなど、疑われる可能性を増やすだけ。

恐らく、クライスも同意見。

馬鹿でも無い限り、こんな足が付きそうな方法で事件は起こさない。

だから、ヨミに再度事件の裏を確認させているのだ。


 しかしながら、では現状のこの状況でもマクシミリアーノが有罪に成るかと言えば、甚だ疑わしい。


 確かにケリイが痛め付けられた件について、マクシミリアーノが主謀である証拠は無い、あくまでケリイの供述でしかない。

そして、これも結果オーライだが、明確な目撃者が出ていない。

 ヤツの取り巻き連中が犯行したとしても、マクシミリアーノが指示を出したかは取り巻き連中がヤツを裏切り、自白するしか無い。

 また、ケリイの証言から、マクシミリアーノはその現場には居なかったらしい……その点からもヤツの関与を取り巻き連中の自白以外に立証する術がない。

 事前のマダムシェリーの店での狼藉や流言蜚語の類いも、そういった怨恨は有ったとしても、ケリイを傷つける根拠にはならない。

 あくまで、容疑者として濃厚な人物という程度。


 ローが国家の治安維持組織に頼まず、非合法の復讐に賭けた意味が、ソコに在るのだろう。

 おそらくローは現状のケリイ証拠だけでは、警吏が動けない事を理解していたのだ……確かにケリイの証言だけでは、結果的にマクシミリアーノの有罪の立証は難しいだろう……或いは、有罪となっても、殺人教唆として正犯と判断されるかは甚だ疑問……恐らくは、下っ端が勝手に実行した等の言い訳が噴出するだろう。

 いやローの説明から薄々理解はしていたが、当初ヨミは、ローが国家による制裁など生温い、故に金銭を対価として、マクシミリアーノに犠牲者2名分の苦痛を与えようとしたという可能性を留保していた


 ……だが、違った。


 ローは、この証拠だけでは、マクシミリアーノを有罪にする事は無理だと判っていたのだ。

 だから非合法の手段を持ってしても二人の無念を晴らすしかないと、ヨミのもとを訪れたのだ。


奴等の犯罪は、確かに考え無しの馬鹿である。

しかし、それでもマクシミリアーノを有罪にするには逃げ道が多すぎた。


 そんな事を考えながら、ヨミは数日前に訪れた、マダムシェリーの店が良く見える道まで来た……


 朝の居酒屋の出来事を想い出す。


『この国を引き継いで背負って欲しい若者達……戦時にも関わらず、嘆かわしい事だ……』ヨミは想う。


 罰せられて当然、そんな気持をヨミは持つ、と同時に、彼等を哀れとも感じる。


 相手は隻腕の悪魔だ……

 只々、死んで終わり等と……

 気楽に、一瞬に、苦痛が終わる……

 そんな、その様な僥倖、有る訳無い……


「あの方にとって……」空恐ろしくなる。

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