第2章 死守

第9話 死に鍛練

 視界の横に光を感じて、虚ろから意識が覚醒する……窓から射し込む日の出だった。

 まだ師匠とゼオは起きていない。

 朝刊を放り込む配達人が仕事している時間。


 今日は、悪夢を見なかった……何だろう、経った1日で俺は少し鈍感に成ったのだろうか。


 昨日の朝、あの悪夢の為に身体の疲れは取れていなかった。

 その為か、昨晩俺は水浴びをして直ぐに眠りについた……外着のまま寝てしまった。

 10時間は寝たんじゃないのか……十分な睡眠が頭をスッキリさせる。

 出征の準備を続けよう……常在戦場……既に戦は始まっている。


 俺自身を平時から非常時へ切り替える。

 だが、本来は戦が平時に成らねばならん。

 戦場こそが平常時が理想……

 そして、昨日はあの悪夢の為に忘れていた朝の鍛練を思い出す……昨日、師匠にも言われたのを覚えていた。


 ▪️死に鍛錬▪️


 師匠に言われてから、ほぼ毎日している鍛練だ。

 朝の虚ろの中でありとあらゆる死に方を夢想する、出来るだけリアルに、最初は単なる夢想だったが、今の俺は、死んだ際には身体が痺れる様な、妙な感覚を得る様になった。

 そして何故か気持ちが軽くなった。


 さぁ、始めようか……

 覚醒した意識を再度虚ろにする。

『今日はどれで死ぬ』


 刺殺

 斬殺

 絞殺

 撲殺

 毒殺

 溺死

 焼死

 圧死

 縊死

 餓死

 凍死

 病死

 窒息死

 墜落死

 腹上死←コイツは難しかった。


 全部試したんだが……どうしよう?


 斬殺だ……俺は選んだ……

 いつもの半分夢で半分起きてる感覚……

 何処でもない空間に俺は居る。


 俺は素手だ……そんなつもりは無かったのだが、今回何故か俺に武器は無いらしい。


 10m程先に、顔の見えない相手が居る。

 切れ味の良さそうなバスタードソードを持っている。


 相手を探ろうと身体を動かす……

 動かない……微動だにしない……

 俺はどうなっているんだ……

 石みたいに動かない……

 相手は剣を片手に近付いてくる……

 俺は何も出来ない……

 指一本動かない……

 意識だけは鮮明だ……

 もう相手の間合いだ……

 バスタードソードが俺に届く……

 だが、相手は剣を振り下ろさない……

 まだ、ジリジリ近付いてくる……

 もう十分殺せる距離だ……

 相手の剣先が俺の脛に当たる……

 それでも斬らない……

 恐怖心が膨れ上がる……

 相手は棒立ちで斬らない……

 恐怖心が持続する……

 殺される恐怖が止まらない……

 ……

 ……

 ……待っていられない……


『なんなんだよ!!!斬れよ!!!』俺は思わず叫ぶ……あれ?声がしない、俺の声が聞こえない……

 もうとっとと剣を振り下ろせ……

 こんな中途半端は堪らない……


「ゴズッ!!!」右腕に重い衝撃……激痛……

 地面に落ちた俺の右腕を蹴り飛ばす顔の見えない相手……

 心臓の脈動と同じタイミングで切断面から血飛沫……

『がぁぁああああ』俺は叫ぶ!いや無音……

 俺の声は何処にも届かない。


「ズンッ!!!」左肩に熱い何かが食い込む……

 肩に剣の先端が食い込んでいる……

『あぅ、あっぁっ』俺は叫ぶが、声は無い……

 相手が剣を捏ねくり回す……

 その度に鎖骨が軋み「メキメキ」と音を立てる……

 いつの間にか俺は地面に倒れていたらしい……

 相手は俺の胸を足で踏みつけ剣を引き抜く……


 バスタードソードを振りかぶり右脚太股に落とす……

 下手くそだ、これは最初からなんだが、相手は斬って無い……斧の様に落としているだけ……そんなんじゃ太い大腿骨は切断できない……案の定、股の肉をザクリと斬りながらも、剣は途中で止まる……引き抜き、また振り下ろす……『下手くそが!!!』同じ場所に剣が落ちない、だから、また太股の途中で止まる……また振り下ろす……また太股の途中で止まる……俺の太股はズクズクだ……諦めたのか、左脚にも同じ事を始める……

『ギィーーヤァー』無言の叫び……

 何回、何回斬るんだ……俺の両足は柘榴の如く……

 太股を諦めたら、目標は脛に替わり、また振り下ろされるバスタードソード....脛の骨が粉々になる……


 激痛が続く……続く……

『ゴェ……こっ、殺……殺せ……』俺は叫ぶ……しかしそれは頭の中だけ……


「ゾブッ!!!」腹に火の玉が入った……

『ア”ア”ァ”……』もう喋れない、そして声は無い……

 眼球を辛うじて動かして腹を見る……

 腹より先に剣が見えた……

 俺の横隔膜下10㎝程度に墓標の様に刺さっている……

 埋まった剣の先は、俺の背骨まで到達しているだろう……

 剣の長さは相手の接近時に把握している……

 見切りが得意な俺には造作もない事だ……

 そして腹の傷から「こりゃ、死ぬな……」と痛みの中で覚る……

 相手は俺の腹に刺さったままの剣をおもいっきり蹴る……「ビギャ……ギャ……」何とも言えない音を立てて俺の腹から、腸を絡み付けた剣が飛び出す……

『ゲァ……ゴフ……ゴボッ……』言葉にもならない……口から血が溢れる……


 まだ生きている……俺……

 相手は俺の顔を見下げて、剣を両手で掴む……

 俺の首に狙いを定める……振り下ろす……

 首に剣が食い込む所までは感触があった……

 そして暗転……


 ……

 ……


 ……朝……

 まだ、早朝……

 手足・身体が痺れている……こんな『死に鍛練』は初めてだった。

 何がどうなって、こんな……

 今までこんな意思を持った相手は居なかった……

 そりゃそうだ……

 俺が自分で夢想しているんだから……

 自分で計画して鍛練しているんだ……

 だが、今回のコレは、俺はこんな殺され方を夢想していない……こんなエグい……俺の予想を越えている……

 だから、恐怖した……さっさと殺せと懇願した。


 痺れる身体に力を入れて立ち上がる……部屋を出て、水を溜めてある桶に両手を差し入れ掬う……

 水を顔に浴びせる……


 漸く本来の朝が戻ってくる。

 身体に力が入る。


「兄貴、早いね……もしかして又、悪夢……」部屋から出てきたゼオが心配そう……

「いや、悪夢は観ていない……」俺はまだ事態を飲み込めなかった。

「本当に???」ゼオが珍しく大きな声で尋ねる。

「あぁ、大丈夫だ……それはそうと、お前は観ないのか悪夢」俺は頑張って笑顔で返す。

「うん、僕は観ていない」

「お前こそ本当か???幼い頃は見鬼だったのに……」

「確かに不思議なんだけどね……」ゼオはホントに不思議そう。

「そうか、まぁ、観ないに越した事は無い」俺は安心。

「兄貴、もし悪夢がずっと治まらなかったら僕に教えて」ゼオはそう言うと、自分の部屋に戻っていった。

 そして俺もえらく残酷な『死に鍛練』だったが、やはりそれでもいつも通り気持ちは軽くなる。

 漸く身体の痺れも無くなった。

 部屋に戻り今日の外着に着替える

 家を出て、小さな庭で身体を動かす……庭には5m程度の桜の木が1本生えている。

 桜の木の枝に右脚を跳ね上げ、踵をのせる……踵落としの様な体勢になり、股や脛の裏側が伸びる……心地よい痛み……その後、左脚も同様に行う……

 しっかり両脚と右腕を確認する……ちゃんと在る……腹も首も大丈夫だ。


 柔軟体操を行いながら考える。

 今までにない『死に鍛練』……リアルで、自分では思い付かない程に残酷だった……


「おはよー……どの位酷い……」背中から師匠の言葉足らずの挨拶。

 俺は柔軟を止め、師匠に振り返る。

「おはよう……何がだよ……」俺は師匠を見る、少し眉間にシワを寄せて……

「ほぅ、死狂いだな……」師匠俺をジロリと観て意味不明。

「何て?、シニグルイ……って言ったのか???」俺は師匠の言葉が理解不能。

「死に・狂い・じゃ、今日は良き鍛練をした様だな……」師匠は破顔して評する。

「俺は……狂いたく無い……」

「そう言う意味ではない……」師匠は静かに言う。

「前に言うたろ……覚悟の話……『死ぬる覚悟』よ……死ぬる覚悟にて物事に当たれば、お前の力量を越えた事柄に直面しても、乗り越える事も出来るやもしれん……」珍しく饒舌。

「いま、お前は命が無い……朝、既に死んだからだ……如何様にしてお前が死んだかはワシは知らぬが、顔を観れば判る……お前は『死体』よ……軽い……心も身体も……」師匠は続ける……

「身体を操作するのは心よ……ならば、心の限界を突破せよ……さすれば、身体の限界も同じく突破出来よう……」

「師匠、何だか小難しいが俺はこれからもこのまま鍛練を続けて良いのか???」俺は尋ねる。

「そりゃ、構わんさ……朝の気分は最悪だろうがな……」師匠は嗤う。

「あぁ、現実でも味わった事が無い状況で殺された……」俺は小さく答える。

「『現実でも味わった事が無い』か?……そうか……ならば、味わえ……それも免罪符だ……お前がした事だ……」師匠は謎の言葉を最後に、カラカラと笑い家に入っていった。


 一頻りの柔軟体操が終わり、朝飯前当番の俺が、昨日と全く同じ、サラダとパン、食器を食卓に準備する……全く『腹に入れば皆同じ』を体現するような代わり映えしない食生活。


 皆、無言でかっ込む……いつも会話というモノが無い……ここだけ観れば、なんと、寒しい食卓と思うだろうが……一瞬で皆の食事が終わる。

 師匠と俺はコーヒーを飲む。

 暫しの休息……

 今日の予定を再確認……


 今日は出征の1日前だ。

 準備を整えないといけない……ゼオは親衛隊勤務の行動規定を学ぶ為に、朝食後早々に王城に出向くらしい……親衛隊の入隊式は来週の中頃と聞いていたのだが……事前教育なんだろうか???

 まぁ、早いに越したことは無いか。

 暫くして自室で武装を整えていたゼオが出て来て……あっという間に玄関に向かう。

「じゃあ、兄貴、師匠、行ってきます」と言い、城に向かい走って行った。

「師匠、アイツ遅刻しそうなのか???」怪訝な俺……

「知らん……今日、王城に行くのも今知った……」と師匠……


 珍しくあたふたしたゼオの後ろ姿を見つつ、俺は出征迄の間、ユナとの関係をこれ以上進めない事を決断する……

 まぁ、昨日からそのつもりだったのだが……今日の出来事が拍車をかけた。

 こんな、亡霊に取り憑かれた様な俺を、夫にするのは余程酔狂な事だ。

 今日の様な事が続けば、いつか『死に狂い』の前に『狂い死に』しかねない……

 俺が死んでユナが未亡人になる未来が堪えられない……

 今、この時点なら……

 結婚式もせず、届けも出していないこの状況なら、彼女は他者から見て独身だ。


 二人の口約束だけ……


 綺麗事を言えば彼女の未来を俺の死で汚したくなかった……しかしそれは身勝手な俺の考えだが……


 彼女はあの時うっすら判っていたんじゃないか?

 別れの間際、俺をじっと観たあの黒い大きな瞳……


 それでも、彼女の残りの人生に「俺の戦争未亡人」というレッテルが貼られるのが嫌だった。


 そして、今日きっぱりと言おう。


「有難い申し出だが結婚はしないと」


 そうしないと彼女も踏ん切りが付かない筈だ。


 俺が帰って来る迄、待っていてくれ……

 などと言える訳が無い……

 そして帰らぬ人になった主人を妻はずっと待ち続ける……

 そんな美談……美談か?

 そうではない、只の悲恋だ……

 喪った人は還らない……

 失った時間は戻らない……

 事実と時間は容赦無い……

 ならば、一刻でも早く、新しい人生を始めるべきだ……

 結局、昨日、俺は逢いたい会いたい、と思いつつ、逢ってその先を考えず……

 そして袋小路に迷い込んだ……

 そこまで話が進むとは考えていなかった……

 ユナの攻手に防御一辺倒で反撃の案を考えぬまま1日を無駄にした。


『さぁ、行け!彼女に言うんだ……心安からず何時も戦いの事しか考えぬ馬鹿の相手は出来ない』と彼女に言わせるのだ。

 呆れて果てて彼女に三行半を突きつけられる様……


 しかし、どうすれば……浮かばない……

 おおらかで、優しく、相手を思いやり、出逢ったばかりの俺と添い遂げようとしてくれる彼女に……

 いや、無理だ……バレる……確実に……

 俺よりも俺の心の内を観ている彼女には……

 相手を愛すという事は、そう言う事なのだろう……

 好きな相手が何を考えているのか……

 何を欲しているのか……

 愛しているなら考えずにはいられない……

 だから彼女は俺の行動を予測したのだ……

 バレているから、一手先に結婚話まで出されて俺は防戦だったのだ……

 急に俺が掌を返した様に、彼女に悪態を付き別れを切り出したとしても……

 彼女は何をもってそんな心変わりが起きたのか直ぐに考え、そしてバレる。

「どうせ、自分が死んだら、私が独り身に成るから、まずいと思って結婚を反故にしようと思ったんでしょ」と……


「だから振られようと....嫌われようとしたんでしょ」と……


「馬鹿じゃないの……子供みたい、私は私で覚悟して決めたの……決定は覆らないわ……」と……


 いつもの優しいユナも、今回ばかりは美しい眉を寄せて、そう言うのだ……

 俺にも予想できた……ダメダメ、全く解決出来ていない……

 彼女にはそんな浅はかな案は通じない……

 戦闘で無い、こういった交渉事は俺は苦手だ……

 上手くやれる自信が微塵もない……

 ユナの方が上手だ……お父さん直伝とか言っていた……それなら、お父さんにも気を付けなくては……


 ……とは言え、何もせずに放っておいてそのまま自然消滅を期待して出征等、卑怯にも程がある。

 自分の思いは伝えねばならぬ。

 もしかしたら今の案以外に良い案が在るかも知れん。

 そう思い、俺は武装を整え、師匠に、

「鍛冶屋に武装の最終確認をして貰いに行く」と伝えて家を出た。

 鍛冶屋は、師匠の家から5分も歩かず着く。ジムと言う名前の鍛冶屋で、まるで古代文書に出てきそうな髭を蓄えた風体の人物だった……

 俺よりも10才程度は年長だが……髭の為に更に10才年上に見える。

「ジム今空いてるか……」俺は暖簾を捲る。

「なんだ、ヤーンか……」剣を鍛練している手を止めて俺を見る。

「すまんが、俺の剣を観てくれないか?……柄が少し弛い感じがするんだ」剣を差しだす。

 ジムが剣を観ている間に、ナイフや棒手裏剣も棚に置いておく。「こっちも頼む……明日には出征するんだ……今日中に観といてくれ……」

「お前は……俺はお前の専属の鍛冶屋じゃない……俺の都合も考えろ……明日の朝まで我慢しろ……」ジムは髭の中に埋もれた口で言う。

「ありがたい、すまん……また礼はする」俺は合掌。

「じゃあ、明日の朝取りに来る」俺はそう言い鍛冶屋を離れた。


 ……

 ……


 ユナの家まで歩く……

 自宅に居なければ、またあの喫茶店に行く……

 いずれかにユナは居るだろう……歩きながら、何とか巧く行く手立てはないか考える……偽りは全てバレそうな、ならば、正直に言うしかない……だが、それでも諦めて貰えるのか???半信半疑……勝率は5割弱程度か……


 ……

 ……


 古いが綺麗に選定された庭木が在る、広い邸宅に辿り着く。ユナの家だ、そう昨日も来た。

 おいおい、俺はいつもこうだ……結局ろくな計画なしにユナに会うのだ……まぁ、こればかりは仕方無い、どう転ぶかは不明だが、俺の心の内のユナへの想いを伝えるのだ……


 門をくぐり抜け、玄関のドアをノックする。

「コンコン……」

「おや、どなたかな?」何故か聞き覚えのある年配の男性の声。

「あらあら、私が出ますよ……はぁ~い、どなた?」……あぁ、これはユナの母君の声だ。

「おはようございます、昨日お会いしました、ヤーンです……ユナさんは居ますか???」俺は、玄関の前で大きな声……

 カチャリと音がして玄関扉が開き、母君の笑顔で迎える。

「ヤーンちゃんお待たせね……」初めての呼び名だ……ヤーンちゃんなんて……

「はい、昨日も今日もすみません……あの~ユナさんは居ますか???」

「ユナねぇ、あの子、今日は仕事お休みなのに、朝から急いで飛び出して行ったの……王城に行く様な事をね……」母君も困り顔。

「そうなんですか……」参った……消息不明とか最悪。

「ありがとうございます。朝に急にすみませんでした」そう言うと王城に向かうべく踵を返す。

「ヤーンちゃん、貴方は思いやりのある良い子ね、でも、必ずしもそれが相手にとって幸福な判断とは限らないわ……」母君は俺の背中に言う……先程のホンワカした話口調では無い……真面目で真摯。

 俺は振り返る……ユナと同じ黒い瞳……

「えっ、俺は……」それ以上言えない。

「二人で相談しなさい……想いを隠さないの……」母君の声……

「はい……そのまま話します……」何故か俺は素直に返事した……

 何故かそうしないと行けないと感じたんだ……

「行ってきなさい、縁が在るなら逢える筈……」

「ありがとうございます」俺は会釈をして振り返り城に向かった。


 ……


 王城に向かい走る。

 ……


 自慢じゃないが、健脚の俺には王城まででは息も切れない。


 正面門で門番に剣匠許可証を見せる。

 って無い……何故だか……

 いつも胸ポケットに入れてある筈の……

 仕方無く、財布から住民証明書を提示する……

 通過を許される……

 これらはオルセー王になってから出来たシステムだ、王国が申請している各種の許可証や資格証を携帯していることで複雑な申請無しに官庁の在る王城入れる。


 しかしユナは何処に行ったのだろう。

 というか何の為に王城に……

 意味がわからない。


 中庭には、噴水が立ち上る庭園が在り、そこだけ時間がゆっくり進んでいる様な静謐さが在る。数人の貴族らしき人影が日傘をさして優雅に歩いている……


 優雅だ……

 暑い7月なのに少し温度が下がった様な……

 先程までの焦りも少し落ち着く……

 美しい庭園に……

 涼しげな水の音……


 ……


「ザッザッザッ!!!!」……清らかな庭園に似つかわしくないデカイ足音……なんだよ!台無しだよ……誰だ、風情の無い輩め、それも二人だ、異なる2つの足音……


 舌打ちしながら、音のする方を向く……

 大股で歩く背の高い女性……

 引っ張れる様に付いていく若者……


 ……


 ユナ?!!


 ……


 ッんんん!ゼオ!!……


 なんだ、住民監理局に入っていく……入った途端に速度を緩め、急に仲良く歩き始めた。手まで繋いで和気あいあい……

 どうなっているんだ……


 ……二人は……何を……監理局に入った二人はここからは見えない……嫌な予感がする……小走りに監理局の前まで近付く。


 ーーー情報を整理ーーー

 ①俺の剣匠許可証が無い。

 ②いつも沈着冷静なゼオが入隊式前にあたふたして王城に出向く。

 ③ユナも王城に行った。

 ④そして二人が、監理局に揃って入る。


 おそらく、俺の許可証はゼオが持っている……

 許可証が有れば、住民は様々な申請を国に申し出る事が出来る。

 例えば、産まれた子供の申請・失業時の手当の申請・土地や建物の売買や放棄の申請


 ……そして婚姻の申請……


 婚姻届け……

 婚姻届け……

 俺は未来を予知した……多分……


 俺が、監理局に入ろうとドアを開けようと取手に手を掛ける、寸前……

 ドアが向こうから開く……

 開いた隙間から、小さな紙を凝視しているユナの安堵した顔と、俺に気付いて、目を逸らしたゼオが見える……


 ユナが紙を綺麗に折り畳み俺を見る……

 紙を胸元に滑り込ませる……


「ユナ……何をした……今の行いは神に誓える行為か……」俺はユナを見つめる。

「神も嘘は付いたわ……それは達せねば成らぬ正しき行いを成就する為……」ユナは真っ直ぐ俺を見返す。

「私は正しき行いをしたと信じている……今もその気持ちは変わらない、その為に嘘を付いたわ……でも構わないわ……貴方も嘘を付くつもりでは無かったの???」ユナは詰問する……

「そうでしょ、判ってるんだから……どうせ、貴方が戦死して私が若くして未亡人なんて妄想して、貴方は『なら、一層別れようと、その為に嘘を付いてでも』とか考えたんでしょう……馬鹿じゃないの……」ユナは美しい眉を寄せて怒る……

 やっぱり想像通り……


 けど……


 ここから予想外……


 急にユナの大きな瞳から大きな涙が流れ落ちる……

 ユナが少し俯く……涙が頬を伝い……綺麗な顎から落ちる……


「貴方は知らないでしょ、私が子供の頃から貴方を観ていた事を……」ユナが俯いたまま話す。

『唐突に何の事だろう』俺は床に水溜まりが出来そうなユナを見る。

「弟と生活する事で精一杯だった貴方には仕方無い事だと思う、いつもゼオの事を考えて、見守っていたわよね、二人だけの兄弟、貴方は何が有っても弟を守るつもりだった……部外者の私でも判った……その位ヤーン、貴方のゼオへの愛情は強かった……」ユナは続ける。

「ユナ……」

「まだ幼い頃、10才にも満たない私……貴方は一日の大道芸の終わり、やっとお食事出来るだけのコインを容れた木箱を大事に抱えて、ゼオと寝床に戻ろうとしていた……後ろからその木箱を引っ手繰る男……引き摺られても、貴方は決して木箱を離さなかった……顔と云わずお腹云わず、あらゆる場所を、殴られ、蹴られ、踏まれ、そして腕から変な音がしたのを私は忘れない……知識の無い子供の私でも、それが何かが折れた音だと判った……それでも貴方は歯を食い縛って離さなかった……」ユナは鼻を啜りながら続ける……

 王城を行き違う人々が怪訝な顔を俺達に向ける……

 

 俺達には関係無い……

 どうでも良い……

 

 そして俺は思い出し始めていた……


「私はその時想った……貴方はゼオを食べさせるお金を護守る為に死ぬ気だった……本当に……私は……同じ位の歳の貴方が置かれているその環境の苛烈さ……それでも、そこで生きていく貴方に……驚いた……」

 ユナは涙と鼻水でグチャグチャになった顔を俺に向けて泣いてる様な……笑っている様な……ゼオは黙って静かにユナを見ている……

 俺は昨日の話を思い出す……俺の頬を両手で挟みながら……ユナは言っていた『私は知ってるの……貴方が今までずっと大変な目に遭って来て、それでも染まらなかった……今も……多分、これからも……』あの時、観客として観ていたのか……そしてあの現場を見たんだ……

「あの時、私は自分に出来る事はないかな???と考えて、そして貴方に近付き、自分のお小遣いを出した……『お怪我に使って』とか言った気がする……」とユナ……

「貴方は至る所アザだらけで、そして腫れ上がって半分閉じた瞳で……俯きながら微笑み『ありがとう、でも結構です』って……私のお金を押し返した……」ユナはまた泣く……

「幼い二人でその日暮らし、大変な生活の中で……貴方は、誇りを棄てて貰うでもなく、施しに怒るでもなく、只、優しく『ありがとう、でも結構です』って言えるの……貴方はあんな状況で……それでも、勇気も、優しさも、素直さも、誇りも、消えていなかった……」ユナは俺の手を握る。

「昨日私が貴方を家まで連れて、母親に紹介したでしょ、母も覚えていた……『あの時の子ね』と……姿形は、変わっても貴方は変わらない……峡谷で何があったとしても……これからも何が起きたとしても……」


「だから私は貴方と結婚するの!!!絶対に!!!」


 淑やかなユナからは今まで聞いた事の無い馬鹿デカイ声が王城に響き渡る!!!


 横で微動だにせず聞いていたゼオも思わず指で耳に栓をする。


 周囲の人々が皆振り返り俺達を見る……

 流石にこれは……少しばかり……


「ユナ、判った……思い出したよ……あの時助けを呼んでくれた……」俺はユナを抱えて噴水の脇に座らせる……ユナは長身の身体を膝を抱えて小さく座る……

「その後も、時々はあの広場に行って貴方達を観た……暫くして剣匠のおじさまと生活する様になったのね……私は本当に安心した……二人が家族を見つけたから……」ユナが涙と鼻水でカピカピになった顔を俺に向けて……

 ニコッと笑う……

 化粧もしていない彼女の顔はとても幼く見えた……

 その顔が、昔、あの時おずおずとお金を差し出した少女に重なる……

『あぁ、あの時の……確かに、覚えてる……小さなガマ口財布の口を下に向けて、手の上で降り全てのコインをその掌に落とした……そして俺を見て、何故か申し訳なさそうに、「お怪我に使って……」小さな手を俺に差し出した……』記憶が鮮明に……

 確かにあの子はユナだった……

 1日1日を生きていくのに精一杯な俺は、彼女を注視する暇が無かった……

「そうだ、俺はユナからその金を貰わなかった……何か……何かユナ……すまん……貰えなかった……何故だか分からないけど……貰ったら終わる気がした……」

「ヤーン……やっぱり貴方は変わっていない……今も……優しく素直……だからこれからも変わらない……」ユナの瞳から涙が溢れる……

「自分じゃ……ユナが泣いてくれる程の事なのか、よく分かんないんだ……俺はそのままだし……」話ながら、俺はユナの前に片膝を付き頬骨に伝う涙を親指で拭う……

「貴方は本当に……仕様が無い人……自覚症状が無いのね……フフフ……」やっとユナが笑う……良かった……俺は一安心。

「……あのさ、それで俺は現状どうなっているんだ……」ユナに問う。

 ゼオが珍しくクスクス笑い始める……

「ゼオお前が俺の許可証盗むからこんな事に成ったんだぞ……少しは反省しろ!!!」俺はゼオを怒る。

「私が頼んだの……」

「分かってるよ、分かってるけど、俺に一言も無しにゼオは……」

「言えば、余計ややこしい事になるよ、兄貴」とゼオ。


 ……まぁ、その通り……


 そして許可証の保管場所をゼオに言ったのも、おれ自身だ……

「もういいや……それで俺は……」

「そう、私と結婚受理されました……」ユナは俺の顔を下から見上げて悪戯っぽく笑う……

 俺はもう諦めた……

 母君も知っていたのだ……

 おおよそユナが何をしに王城へ行ったのか……

「良いのか?俺が戻らなくても……俺が行くのは激戦地らしい……必ず生きて戻る自信が俺にはない……」正直に言う……

「それでも、生きて帰って来て……私は待っています……あの人形を見て、毎日の終わりに思い出して『必ず帰る』と……私は信じてる……」

「私は貴方をここに引き寄せる磁石に成るの……私だけじゃない……ゼオも、お師匠さんも、剣匠のお友達も、皆が帰って来る事を祈ってる……それは貴方をここに引き戻す強い力になると私は信じてる……」

「貴方が帰ってくる確率が上がる事なら、その為だったら私は何でもする!!!ゼオに貴方の代役をして貰い、嘘の婚姻届を申請するなんて何とも思わない……神様に怒られても構わないわ……別に貴方が帰ってきて、私と結婚しなくても良いの……そんな事はどちらでも良い……貴方が帰ってくるホンの少しの磁石に成れれば、それで良い……」

『ユナ……お前……』言葉に成らない……感謝しかない……彼女と出逢えて本当に良かった……ゼオがゆっくりと場を離れる……『いい加減判っただろ....』という様な顔を浮かべ正門へ歩いていった……


 いつまでも二人で噴水の前に座っている……

 言葉は無い……只相手の顔を見る……このままで、このまま死にたい……


 ……

 ……

 このまま死ねたら幸せかもしれない……

 そう思う……

 

 ……

 ……


 ユナは噴水を観ている……

 その横で俺がユナの横顔を観ている……

 観ながら、彼女の手を握る……

 噴水の涼しい音が耳に入る……

 ユナが俺にもたれ掛かる……

 ずっとこのままで良い……

 ユナの心音を聴く……

 俺の鼓動もユナに聴こえているのだろうか……


「貴方とこれからも思い出を創りたいの……まだまだ出逢ったばかりだから……だから私の事を少しでも好きなら帰ってきて……お願い……私は祈っています……いつも、いつまでも……貴方が帰ってくるまで……」ユナは俯いて……噴水の水を白い足で弾く……

「ありがとう……ユナ……俺は生きてお前の元に帰ることしか考えない……そう決めた……」

「……ヤーン……でも貴方は……いえ……そうお願い……戻ってきて……」ユナは俺の頬にキスをする……

 頬にユナの柔らかな唇を感じる……

 暫しの間……そして離れる唇……

 俺は彼女の頬に手を添え……彼女に口づけた……

 長い様な、短い様な時間が過ぎる……

 そっと俺は目を開ける……

 目を閉じた彼女の長い睫毛を見る……

 細く綺麗な眉毛を見る……

 彼女が目をゆっくり開く……俺は少し驚く……

 俺をじっと見つめる……黒い瞳……吸い込まれる……



 時間は感覚的だ……

 自己の喜怒哀楽により長く感じたり……短く感じたり……


 ……そして、俺達の前の水面が赤く染まる……あの赤だ……


 俺は現実に引き戻されそうになる……

 それで良い……俺は血生臭いのだ……


 それでも彼女は待つというのだ……こんな俺を……いつまでも……


 ……夕方になっていた……


 どちらともなく俺達は立ち上がり……

 俺はユナの肩を抱き……ユナは俺の腰に手を回している……そして歩き始める……


 王城の正門を出る……

 ユナの自宅へと歩く……


 何も話さない……

 肌を合わせている方が安らぐ……


 ユナの家に着いた……

 ユナと相対する……もう一度口づけた……

 彼女を抱きしめる……彼女の足がつま先立ちになる....

 俺の身体で彼女を感じる……


 柔らかい胸の感触と……

 緩くS字を描いた背骨を感じる……

 彼女の呼吸と心拍……

 俺の首に回した両腕に細く柔軟な筋肉を感じる……


 ユナも感じている筈だ……

 この感触に戻るのだ……忘れない……俺の故郷……


 ……

 ……

 ……(@_@)……



 ……んんっ……なんだ……

 ……第三の気配……俺……ユナ……その何かしら……

 ……薄く目を開ける……

 玄関扉の前に人影……


「あんまり、屋外でヤることでは無いですよ……いくら愛し合っていても……節度と云うモノが在りましょう……」満面の笑みの母君……

「キャ……お母さん……ただいま……」とユナ。

「すみません……お母さんただいまです」と俺。

「まぁ、解決した様ですね……イケ面の弟ちゃんに助けて貰わないと駄目なんて……ヤーンちゃんは奥手なのね~~」やはり母君、今日もゲスかった……

「屋外でヤりたい時は、もう少し路地裏とか……叢とか……場所を考えなさい……」母君の追撃……

「本当にすみません……家の前で……こんな……」俺は謝罪する。

「大丈夫ですよ、ヤーンちゃん……久々に眼福、眼福……」母君はそれだけ言うと室内に戻って行った。

「お母さん……ごめんなさい……いつもあんな感じなの……」ユナは恥ずかしそう。

「母君の言う通りだよ……こんな家の玄関先で破廉恥だった……」俺は頭を掻く。


 ……


 フフフ……アハハ……

 どちらともなく笑い出す……

 なんと素敵な彼女だろう……

 なんと素敵な母君だろう……

 二人とも、気取ることなく……

 臆することなく……俺に気持ちをぶつけてくる。


 そうだから、今俺は帰って来ようと決心したのだ……

 この人達だからこそ……


「ヤーン……貴方を待つ……貴方は私達の家族……ゼオもね……」ユナは俺を見つめる。

「そうだ、必ずお前の元へ俺は生きて帰る……そしてその時は必ず結婚式を挙げよう」俺は宣言する。

 もう一度抱き合い……お互いの体温を感じる……


 彼女は玄関に向かい……


 振り返り俺を見る……


 俺もユナを見て……


 ……「愛してる……」とだけ言った……


 俺も……

 ……「愛してる……」とだけ言う……


 俺は、「初めて言ったな……」と俺……

「私は実は内気なのよ……これでも……『愛してる』なんて素敵な言葉、簡単には言えない……」

「そうだよな、実は俺も内気なんだ……母君にも奥手だって言われたしな……」


「私達にしては珍しいね....今まで上手く意志疎通出来なかったのに……」


「そう……これだけは……意見が一致した……ユナ……帰ってくるよ……待っていてくれ」



「うん……」




 そして俺達は別れた……俺は家路を歩く……



 明日は出陣……

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