第4話 密やかな休息

 オルセー王との対談の後、トラバー隊長以下剣匠達は城を後にした。

 皆で正門を出ると……

 隊長は皆に向き直り……

「皆、今回はある意味で厳しい戦いであった……暫しではあるが、ゆっくり休養してくれ……私からは以上だ……何か質問は有るかな……」隊長の簡潔な無駄の無い発言。

 我等は、無言にて返す。

「了解した……さすればこれにて解散!!!」と隊長が言う。

「ハッ!!!」我等は鋭く応え……散開し、各自の戻るべき住み処へと帰っていった。

 大半の剣匠が歩き去り……俺とゼオもバックパックを背負い師匠の道場へ歩き始める。

 俺達の後方で……声が聴こえる。


 隊長の声だ。


 今までに無い小さな声で、隊長はライドを呼んだ。


 脚を引き摺りながらライドが進み出る。

「ハイ……隊長お待たせしました……」

「……ライド……息子よ……」先程からは一転して隊長の声は父親のそれだった。

「父さん……」ライドの声、トラバーの息子に戻る。

 隊長はライドの頭を片手で抱き抱える。


 それを遠くから俺達兄弟は見ていた。


 漸く親子に戻った二人……


 そこに、先程のライドの母親も友人に支えられ近付いてきた。

 三人が一塊になって抱き合う。

 なか睦まじい家族……俺達には存在しない両親……


 俺とゼオはそれを眩しく思う。

 若くして両親が死んでから、ずっと弟と二人三脚で生きてきた。

 若くして剣匠の師匠に拾われ、以降、人殺しの技を磨くことだけを二人は学んできた。

 いや、師匠に肉親以上の絶対的信頼を持っている。

 だが、肉親の愛情とは違い……それは師弟関係だ。


 思いがけず見入る俺に、ゼオが「行こう……」と促す。

 ばつが悪い思い……「あぁ……」俺は生返事で踵を返し歩き出す。その最中も背中で彼等を感じる。


 後ろから、母親の『悲』『喜』を混ぜた泣き声が聴こえる……

 父とライドが母を背中を擦る音……優しく触れる音……

 三人の感情まで伝わる。


 ……あぁ、こう言う事か……俺は知覚する。

 意識を向けて正しく『聴く』という事……

 見なくても、観える。

 得る事の出来ない親子の愛情を見て、俺は無意識に……彼等の一挙手一投足を聴いた。

 知らず知らずの間に恐ろしい集中力で……失礼な事だった。

 俺は背中で聴くのを止める。


 多分、ライドは、距離も位置も判るのだ。

 あの奇妙な舌打ちとあわせて……


 ……歩調を早める……

 ゼオが後ろから付いてくる。

『愚兄賢弟』という言葉が有るが、正にこいつは賢い・優しい弟だった。

 俺と異なり、静かで無駄口が無かった。

 剣も殺人剣の俺とは違い活人剣だった。

 立ち合えば、その漆黒の瞳で心の底まで見透かされている様な感じがした。

 日常生活でも、戦闘時でも、何も言わずとも状況を汲み取り知らず知らずに助力してくれた。


 ……できた弟……


 しかし、表面の冷静さの中に、燃え滾る溶岩を隠した男だ。


 優男の外見に、ダマスカス鋼の様な信念を持つ。


 俺達が師匠に会う前、両親を亡くし、道端の浮浪児として、地面を這っていた頃……

 二人は自己流の逆立ちや曲芸の紛い物をやり、通行人からコインを貰い、口に糊していた……毎日毎日を乗り切るのが精一杯……ある時は、大事なコインを持ち帰り途中で、強盗に出くわし身体中殴られ、蹴られた事もあった。

 偶々通りかかった同じ年格好の少女に助けられ……何とか強盗に殺されずに済んだが、こっぴどく痛め付けられた。

 それでも俺はゼオの為、翌日も道端で曲芸をした……ゼオと生きるんだ……生きて幸せになる……俺が無理ならゼオだけでも……そんな思いが俺を突き動かしていた。


 いつ終わるとも知れぬそんな日々……


 ある日いつも通り曲芸を演じている俺達の前を一人の貴族が通る……そして立ち止まる。

 跳び跳ね……逆立ちする俺達を観る。


 ……いつもの事だ……と思った。

 薄汚れていても目鼻立ちの整った弟の容姿は、着飾った目の前の貴族が足元にも及ばない……それ程だった。

 だから、弟は良く声を掛けられた。

「ウチに来ないか?」

「養子にならぬか?」

 そんな誘いが多かった。

 そんな誘惑を弟は断り続けた。

 どうせ男娼にでもさせられ貴族の慰み者になるんだ……と……


 だが、その貴族は違った。

 俺にも伝わる真摯な目で、『そなた、我が家に来ぬか?』と言った。

「私は、王立の演劇団を率いておる者だ……そなたなら修業次第でプリンシパルを張ることも充分できる……」

 その貴族は弟の顔ではなく動きを観ていたのだった。

 跳躍力・筋力・柔軟性・表現力 etc

 確かに、弟は俺と違い、柔らかく優雅に動く……

 時に『舞』に見えるような動き……


 この貴族はそれを観ていたのだ。

 モノに成ると……

 弟も、貴族が真剣に言っているのが判り、曲芸を止めて貴族を見る。

「すみません、お断りします」ゼオは言う……言葉は少ないが、真摯に応える。

「なぜ……いや……必ずそちらの兄の貰い手も探そう……如何か?」貴族はゼオの言葉から、独りにする兄の事を慮ったのだと推察し提案する。

「本当に、ありがとう……ございます、でもお断りします……」ゼオは拙い言葉だが、最大限の丁寧さで貴族に応える。

 貴族にそれが伝わる。

「……そうか幼くして強き信念を持つな……益々、私の元に来て欲しいが……無理強いはそなたの才能を潰すな……気が向けば声を掛けてくれ……私はここを良く通るから……」貴族は優しくゼオに言い……

「そなたが、私の所に来るなら、必ず兄の貰い手も探す……それは保証しよう」と続け……「そなたの才能を埋もれさせたく無いのだ……考えてみてくれ」と言いながら去っていった。


 その後はまた、いつもの路上……日中ずっと曲芸をやり、少しばかりの小銭を手に入れた。

 寝床がある広場への帰り道……

 晩飯と明日の飯を買い……夕暮れを二人で歩く。


 おずおずと小さき俺は尋ねたと記憶している。

「なぁ、昼間の貴族の……」俺がそこまで言うと……いつもの静かな弟が、周囲の人が振り返る程の声で……

「大丈夫!!!」と言った。

 そして余りの自分の声の大きさに驚き……

「……兄貴、良いんだ……忘れよう……もう……」といつもの音量で言う。

「……だけど……あれは……いい人かも……」俺は食い下がった。

「イヤだ……僕は兄貴と一緒だ……絶対……」弟は静かにだが反論を許さない声で言う。

 あの時、俺は俺なりに弟の将来を案じたのだ。

 このまま、紛い物の大道芸人の様なその日暮らし……家も無し……


「ねぇ兄貴、僕はこんな生活でも満足なんだ……兄貴と一緒に一生懸命道端で演じる……それでお金を貰う……別に不幸じゃない、父さんと母さんが居ればもっと良かったけれど……」珍しく饒舌な弟……


「そりゃ、そうかもしれないけど、いつまでもこんな生活は出来ないんだ……」俺は諭す様に弟に言う。

「うん……判ってる……僕、強くなりたいんだ……」

「???なんだよ、いきなり……」俺は聞き直す。

「ごめん……僕達が、曲芸している道を良く通るおじさんがいるんだ」また意味不明な発言のゼオ……

「???はぁ~何だよ……」俺は呆れ顔……

「その人、剣匠だと思う……絶対……片手なんだ……左手の袖が風に揺れてたもん……」ゼオは何やら嬉しそう。

 何が嬉しいのか俺には訳が判らん。

「あっ、そうなの、んで、それで俺達は飯と寝床が手にはいるの???」俺はつまらん顔してたと思う。

「……兄貴、一緒にあの剣匠に弟子入りしない」

「はぁぁーーー」何言ってんだ。こいつは……

「馬鹿か、お前……」俺はそう言ったと思う。

「馬鹿かな僕……本気なんだけど……駄目???」ゼオは上目遣いで俺を見る。

「勘弁してくれ……」俺は呆れる。

「一度だけ、お願い、僕と一緒にあのおじさんに弟子入り付き合って!!!」ゼオは俺に向かって手を合わせ、片目を瞑りお願いの姿勢……こうなったらこいつは諦めない、テコでも動かない。

 付き合ってやるしかない。

 それで駄目なら諦めるだろう。

「……ふん、判った、1回だけだ……いいか……」俺は本当に仕方なく了解した。


 その日は、広場の寝床で晩飯を食べ……寝た……


 翌日、毎度の如く道端で大道芸で小銭を稼いでいたら、突然ゼオが俺の脇を肘でつつく。

 右手から、確かに左袖を揺らしながら歩いてくる男……痩身、短髪、年齢は40代……

 そしてゼオの言う通り隻腕……


 ゼオが大道芸をしながら近付く……

 後ろの俺に手招きする……

 仕方無く追いかける俺……


「おじさん、剣匠ですよね……」ゼオは単刀直入。

 隻腕はゼオをチラリと見下ろす。

「……ほぅ、片腕が無いからかな???」隻腕は訊く……にこやかな笑顔……パット見、取っつき易そうなおっさんじゃ無いか???俺は一安心、ゼオの後ろに立つ。

「ううん、おじさんの後ろに色々な人が付いてきてるから~」ゼオは意味不明な発言……

「……成る程……坊主には観えるか……」隻腕は顎髭を擦りゼオを見る。

 何故か、俺は思わず、進み出てゼオと隻腕との間に立つ……

「……判るのか、ワシの一瞬の殺意……何処から読み取った……」

「なんの事だよ……けど弟に手を出したら許さない!!!」俺は隻腕に噛み付く。

 隻腕は柔和な表情になり……自身に独り言の様な……

「ワシの殺気に感付く兄と、見鬼の弟か……」

「おじさん、僕らを弟子にして!!!」ゼオが珍しく大きな声で叫ぶ。

「ははぁ……そういう算段か……」隻腕は少し驚きながらも頷く。

「そなたら、確かに兄弟とも剣匠として良き才能を持っておるよ……」

「じゃあ、弟子入りオッケーですか!」ゼオは強引に話を持っていく。

「おいおい……ワシは今まで弟子など取った事は無いのだ……」勘弁してくれといった隻腕の表情。

「それなら、僕らが第1号!!!」ゼオは譲らない。


 天を睨んで、考え込む隻腕……

 弟子入りが認められるまで離れない体のゼオ……

 二人を『ぼぉーーー』と見つめるだけの俺……


 ……懐かしい……今考えれば……


 そして結局師匠に拾ってもらった。

 師匠は、ゼオ曰く「殺した数は三桁は確実」という様な人物で、そんな事を、あの時俺が知っていたら絶対に付いて行かなかっただろう。


 ゼオが観た『師匠の後に付いて来ている人』とは彼が殺めた人達だった……それが三桁は居たらしい。

 良くそんな人間に弟子入りしようと思ったなゼオよ……


 まぁ、その数の通り、師匠は剣匠の中でも有名かと思いきや、誰にも知られていなかった。


 組合名簿の末席に書かれている人物……


 後から判った事だが、師匠が100人以上殺している事は事実だ。

 だが、公式の記録は0人だった。

 どういう事だ……


 正式に弟子入りを認められてから、ゼオはこっそり俺に言った。

「多分、師匠は暗殺専門……」

「だから、公式の記録は無い……」

『ヤバすぎるだろ……』その時、俺は本気で出ていこうと考えたモノだ。


 そんな事を考えながら道を歩く。

 もう師匠の家が見えてくる……質素な木造平屋……

 ゼオが後ろで伸びをしている。


「帰りました……師匠」二人同時。

「お帰り……」師匠は60歳過ぎに成っていた。

 白髪が目立ちごま塩頭だった……

 だが、背筋はシャッキと伸び、年齢を感じさせない。

 師匠の名はクライス……まぁ、名前で読んだ事は無い。いつも師匠……


 師匠は今は一線を退き……隠居生活……暗殺時の対価で貧しいながらもお気楽生活出来ている。本人曰く「何とか死ぬまでダラダラ暮らせそう」らしい……


 俺達はというと、実は今も大道芸を続けている。

 紛い物でも長く続けると其なりに成るのか、結構金を貰える様になり、その界隈ではそこそこ有名になった。

 お陰で、師匠は俺達から金をせびられる事もなく悠々自適だった。


 剣匠に成りたいのに、大道芸してて良いのかという反論は最もだ……

 実は今、俺達の大道芸は剣劇に成っていた。

 つまり、兄弟で木刀で切り合っていた。

 当たれば怪我、最悪死ぬ……という剣劇は観客にとって大変なスリル……

 うら若きお嬢さん達は、ゼオの綺麗な顔の直ぐ側を俺の木刀が通り過ぎた時など、俺に殺意有る視線を送ってきたものだ。

 つまり、俺は貧乏クジだった。

 そして、ゼオの綺麗な顔に珠の様な汗が浮き、剣劇が終わる頃、俺達の前に置かれた空き缶には、溢れる程のコインが投げ込まれた。



 そんなこんなで、俺達は師匠と奇妙な共同生活を行い、修行していた。


 玄関から家に入る。

 師匠が俺達を観る。

「どうだった……」師匠が訊く。

 相変わらず、言葉足らず。

「人間だった……大勢殺した……数は数えていない……」俺はそう答える。

「そうだろうな……二人とも……満場一致で地獄行きだな」師匠はうんうんと頷く。

「あの~慰めるとか無いんですか……」ゼオは呆れる。

「殺ってしまったモノ……どうしようも無いだろうが!!」師匠はキレる。キレる60代……


 ……ほんの少しの談笑じみた会話……


 ……無理に談笑したツケは直ぐに……


 ……。。。。。。。……


 ……訪れる沈黙……


 突然、師匠の目が細く……冷えた声……

「お前らはこれから、魘される……お前らが殺めた人達に……それは薄まらん……殺す度に思い出す……そうなる様にワシは鍛えた……そして育てた……」師匠はそう言い俺達を観る。

 歯を食い縛る俺達……

 知っている……

 戦いの最中……

 感じた……

「殺人凶に真の強さは無い……殺人に酔ってはいけない……故に殺人を忌避しながら殺人を続けよ……」師匠は珍しく険しい顔。

 俺達は……辛い……

 やる前から後悔すると知っていながら、また殺人せよと……

 ……そうだ、この男は俺達に命の大事さを懇切丁寧に教えた。そして共に笑い、共に泣き……

 この十数年を過ごした。

 その厳しくも優しい世界は、俺達に殺した人間の先にある景色を夢想させる。

 殺した男の子供、妻、両親……彼等の悲しい顔……彼等にも俺達と同じ、細やかな幸せが在ったのだろう……

 それを捻り潰した、元凶としての俺達……

 ……この男は不器用ながら俺達に『愛』というモノを与え、教えてきた……


 こんな事に成るなんて……苦痛……師匠は遅かれ早かれ、俺達がこの責苦に出会う事を判っていた……

 いや、その責苦が最大に成る様に……


 俺達に『愛』を注いだ……


 この責苦の為の布石……


「師匠ーーーー!!!アンタはッ!!!俺達が!!!」全部は言えなかった。

「そうだよ……お前達が悩む様に……お前達が苦しむ様に……お前達が後悔する様に……ワシが決めて12年間実行した……」師匠ははっきりと言った。

「……ッ……グッ……」俺達は師匠を睨む。

 しかし睨んでも仕方無い事も判ってる。

 殺人を喜んで犯す人間にも成りたくなかった。

 だけど……もう殺したくない……


 こんなにヤワな心に何故師匠は育てたのか?

「もう殺したくない……というその想いこそが、強さだ……」師匠は謎の言葉を吐き……

「さぁ、晩飯だ……嫌でも食え……」と言った。

 俺達は円卓に座し、味のしない飯を食う。


 ……俺達は早々に食事を終わらせ……

 身体を湯で洗い……寝床に入る……


 窓から、綺麗な夜空、星が見える……


 夜空を見続けながら、ゼオに言う。

「お前に、また見鬼が復活しないか……俺は心配だ……」

 弟の見鬼は彼が青年期に入った頃、突然観えなくなった。

 だから師匠に付いて回る死人の数も判らなくなったとゼオは言っていた。

 だけど今回の件で、見鬼が復活しないか心配だった……自身の殺した相手を、ゼオが見続けるなんて事は起きて欲しく無かった。

「多分、もう観れないと思う……」ゼオは小さく答える。

「そうなら良いんだが……」俺は夜空を見続ける……

「寝よう……兄貴……」ゼオは言うと布団を被る……

「お休み……ゼオ」目を瞑る。


 ……

 ……、、、……


 いつの間にか寝ていた……

 ……

 意識が鮮明に……

 もう朝か……


 なのに暗闇だ……

 漆黒……光がない……まだ夜か……


 自分の手も見えない……

 辛うじて触る事で認識できる……


 音もしない....何も聞こえない……


 靴底に柔らかい感触……


 屈んで手で触る……滑る……温かい……


 立ち上がる……足元が悪い……


 水溜り……滑る……踏ん張る……グニャリ……


 もう一度屈んで、右手でそいつに触る……凹が有る……手が滑り込む……


「ガチン……」……「痛ッ……」……何だよ……生き物???……

 しかしそれ以上動かない……


 凹から手を引き抜く……右手に小さな何か……


 両手で触る……トウモロコシの実……硬い……


 突然の火花……いや急に夜が明けたのか……「アガッ」光が痛い……

 やがて次第に目が慣れる……薄く目を開ける……


 炸裂する日光……


 青い空……

 白い雲……

 深い緑の森……

 俺を観る黒い烏……


 そして、優雅に飛ぶ白頭鷲……


 コントラストの効いた景色を見上げる……


「美しい……絶景……」俺は思わず声に出る……


 暫しの間……


 上を見続けて疲れた首を下ろす……


 赤い……

 赤黒い……

 桃……

 乳白……

 白い……

 茶……

 黒い……

 様々な色が塗りたくられた大地……

 大地というか大地が無い……

 大地の上に敷き詰められた何か……

 何かで大地が見えない……


 ……何故か、俺は尻餅を付いた……

 ……右手の中に有る何かをこぼさない様に拳のまま地面に手を突く……

 尻が濡れるのが判る……

 何故....晴天じゃないか……


 右拳を見る……拳を開く……

 トウモロコシ……では無く……白い歯……


『何か忘れていないか……』頭がぐるぐる回る……


 歯をじっと見る……何で歯がある……俺の歯は……舌で探す……大丈夫……全部有る……


 凝視した右掌の指の間から……俺を睨む歯の無い男の顔が見える……


「あぁ、あんたのか……これ……」俺はそいつに話しかける……


 そいつがニヤリと嗤う……


「すまない、今、返すよ……」俺は歯を摘まみ……そいつの口元に……


「ガッ」俺の右手首を掴む血みどろの腕……

「あぁ、俺があんたの口に剣を突っ込んだ時に俺の腕を握ったな……」覚えているよ……忘れないよ……

 その後、剣を抜いたらあんたの歯が折れたんだ……

 その時の歯だよ……

 返さないと……飯食う時……不便だ……歯を口内に戻す……


 俺の右手を掴んだあいつの腕を優しく外す……

 空になった右手を退ける……


 視界が開ける……


 なんだ、これ、青い目の眼球が視神経を垂らして転がってる……

「美しい青……あぁ、これライドの目じゃないか……」ヒョイと摘まみ上げる……

「ダメだぜ、ライド……これじゃ隊長の手信号が見えないぞ……ちゃんと戻して……」俺は周囲を見回しライドを探す……


「ライド、目だぜ……土が付いてる……水で洗ってから仕舞え……」俺はライドを探す……


「ゼオ、ライドを知らないか……あいつ目玉忘れてんだ……バカだろ……」ゼオを探す……ゼオは何処だ……


 キョロキョロ辺りを見る……360度見回す……


 死体……死体……死体……死体……死体

 死体……死体……死体……死体……死体

 死体……死体……死体……死体……死体

 死体……死体……死体……死体……死体

 死体……死体……死体……死体……死体

 死体……死体……死体……死体……死体

 死体……死体……死体……死体……死体

 死体……死体……死体……死体……死体


 その死体全てが……

 俺を見ている……

 観ている……

 視ている……


 俺が殺した全ての人……

 俺は全てを覚えていた……

 顔・胴体・両手・両足・衣服・断末魔……全て……


「ゴッアァァァァーーーー」騒音……馬鹿デカイ音……それが自分の喉から出ている事に気が付かない……


 己が喚き散らす……止まらない騒音……

 喧しい……煩い……黙れ……

 嵐の如く喚き続ける……

 鼓膜が破裂しそう……


 己の声で己が発狂する……


 肩を揺さぶられる……

「何だよ、こっちはそんな相手してられない……煩いんだよ……手を退けろよ……」俺は叫ぶ……


 衝撃……二度三度……頬に……

 目が覚める……目が覚めていたんじゃ無いのか???今目が覚めた……これは夢……


 焦点が合う……

 二人の顔が視野一杯に……

「師匠、ゼオ……」何とか声に出る。


 嘘の様に騒音……叫び声は消えていた。


 朝だった。

 窓から日光が射し込み……

 麗らかで清浄な朝だった。


「大丈夫か……」師匠が俺の目を観る。

 横でゼオが心配そうな顔……

「大丈夫……何とも無い……いい朝だ……」俺は言う....何が大丈夫なモノか……しかし俺はやせ我慢。


「兄貴……」ゼオの声……震えている。

「観たか……」師匠が相変わらず……

「言葉足らずだよ……師匠……観た……全部覚えてる……けど、今は覚えていない……」俺は伝えた。


「……そうか……生きろ……朝の鍛練を忘れるな」師匠はそれだけ言い部屋から出ていった。


「生きろね……」俺は反芻する。

 生きろ……

 殺ってしまった全ての罪を背負い……

 歩けなく成るまで……

 這ってでも生きろ……

 そう言っている……


 安らかな休息は訪れる……


 いつかは……

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