第4話 景色の先には

 まだ折り返し地点だ。

 鬼ごっこに参加していない子もいるので、もう少し減るとは思うが……ラストスパートには少し早い。とりあえず、捕まえた二人を集合地点へ連れて行こうとして、片方の男の子がある事に気づいた。


「ゆかち……、ちょっとやばいかも」


 慌てた様子ではないが、冗談でもなさそうだ。


 彼の視線を追えば、施設に預けられている子供たちの中でも幼い方に入る子が崖の近くを歩いていた。

 柵はあるが、結花千の腰くらいまでしかない高さで地面に突き刺しただけの頼りない柵だ。

 小さな子でも、やろうと思えば押して倒す事もできる。


 ハイハイを卒業したばかりのその子は、崖の先に目を奪われているためか、その先に足場がない事を分かっていなかった。

 勢い良く、全体重をかけて柵を倒す。道を阻むものがなくなってしまった。


「ゆかち!」


 コストを使って地形を変えるよりも、直接向かった方が早い。

 結花千には、反則なので鬼ごっこでは使わなかった、もう一つの足がある。

 思っただけで、気づけば手に握っている三又の槍があった。彼女が槍に飛び乗ると、浮遊したまま一直線に前へ進んだ。


 間に合うはず――と、風を切りながら目測する。

 伸ばした結花千の指先は、しかし小さな男の子の服を掠めただけで、掴む事はできなかった。


「――――っ!」


 男の子は崖から足を踏み外し、真っ逆さまに海へと落ちる。

 すると、その後を追うように一人の影が飛び出した。

 最高速度に乗ったまま、躊躇いなど一瞬もなかった。


 結花千には聞こえた。

 声はかけられていないが、背中がそう語っているように思えた。


 ――神様の事を、信じてますから。


 なら、それに応えなければ。

「……うん」


 結花千は三又の槍に乗ったまま、片手に銀の杖を出現させる。

 差し示したのは海だ。


 結花千は神として命じる。


 ――「海よ、噴き上がれ!」


 言葉通り、円柱のように水が噴き上がり、落下した二人の体を崖上まで運んでくれた。

 小さな男の子を抱えたニャオを、槍に乗っけて足場まで一緒に持って行く。

 今更恐怖を感じたのか、ニャオは地に足が着いた途端に、腰を抜かして尻もちをついていた。


 ニャオの胸の中にいる男の子は、ニャオとは逆に、楽しそうに笑っていた。


「はぁ……、人の気も知らないで」

「それはこっちのセリフだよ」


 褒めるところがあれば怒るところもある。あの状況ではああするしかなかった、とは言えだ、だからと言って許せる事ではない。

 結花千はニャオの頬を左右に引っ張って、


「一歩間違えれば、ニャオは水面に叩きつけられていたんだからねっ!」

「ご、ごべんなざいかみざまぁぁあ」


 頬を引っ張られているので上手く喋れていないニャオを見て、男の子がさらに笑い声を上げる。……でも、ニャオのその思い切った行動がなければ、この子の笑顔をこうして見る事はできていないのだ。

 お仕置きはこれくらいにしておこう、とニャオの頬を離す。


「ひ、痛いんれすけど……」


 頬を押さえていたニャオの胸から男の子が自分で降りて、なぜか再び崖へ向かう。

 後ろから、結花千が脇の下を持って上へ持ち上げる。足をばたばたさせて先へ進みたいとお願いしているので、結花千はその子に従った。柵の外側から、海を眺める。


「この柵、もっと丈夫なのにしないとね……」

「でも神様、普段、こんな場所までこの子くらいの年齢の子は来ないはずなんですよ」


 施設のウッドハウスからここまで、この子の体力では辿り着けないだろう。ただし、別の誰かが手引きしていれば話は別であるが。

 考えられるのは、誰かと一緒に近くまで散歩にでも来て、途中ではぐれてしまった、だろうか。だとすると手を引いていた子は今頃かなり焦っているだろう。

 すぐにでも知らせてあげた方がいい。


 だがその前に。


「ニャオ……この子が見ている先に、なにかあるよね?」


 崖から見る海の先の地平線には、本来なにもないはずだった。

 しかし今見ると、朝日が昇るように、島のような影が段々と出現している。


 自分だけに見えているのか、確認したかった結花千は、だからニャオに質問したのだ。


「はい、見えますよ……島、ですか?」


 ここからでは分からない。シルエットを見る限りはそう思えるが……。

 分からない事は作りたくない。


 つまり、結花千のするべき事は、もう決まっている。

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