第12話 エリザベスとデビュー戦

 美夜子さんの付き人にも慣れた頃、その言葉があたしに下された。

「飯富、お前今日の第一試合でデビューだから」

 井村営業部長がラーメンでも食べるか?みたいな口調でそう告げる。

「はい?」

 一瞬意味が分からず呆けるが、

「昨日前座の試合中お前の先輩の小坂が頭から変な落ち方して試合後病院に運ばれただろ?」

 確かにその試合はリングサイドで雑用してたので見ていたしその後の騒動も知っている。

「で、お医者さんの言うことにゃしばらく安静にしとけってことらしいから、今日のカードに出られる選手が一人足りない。そこで長山さんに誰か使えないか相談したらお前のデビュー戦を組んでいいと許可をもらった。だから今日がお前のデビュー戦。気合入れて行けよ。あ!怪我には注意するように」

 営業部長はそういうとせわしげに駆けていった。


 デ!デビュー戦!!

 いきなり言われて全身に緊張が走る。

 とりあえず美夜子さんに報告して相談しないと。

 あたしは慌てて美夜子さんのドレッシングルームへ駆け込む。

「大変です美夜子さん!」

 勢い込んであたしがそういうと、

「今日デビューらしいやん?よかったなぁ」

 と祝福してくれた。

「あ、ありがとうございます…じゃなくてどうしましょう?」

 あたしが縋るような目で美夜子さんを見ると、

「どないもこないも、きちんと準備してリングに上がって、出来る事を懸命にやるしかないんちゃうの?」

 それは美夜子さんの仰る通りなのだが…

「今更慌てたかて出来ることなんて知れてるし、リズが毎日キチンと稽古しとったのはうちが知ってる。長山さんもあんたがもうデビューできる実力あると判断してくれたさかい、許可してくれたんやろ?せやったらもう後はきちんと準備して覚悟決めてリングに上がり。シューズやらリングコスチュームは一応持ってるんやろ?」

 ハっとして自分の荷物を漁る。

 巡業に帯同できると決まった時、兄と両親に報告した際お祝いに作って貰ったコスチューム、無難な水着ではあるが色は父や兄と同じサッカー日本代表のシンボルカラーである青、シューズは白という代表コスを送って貰っていた。

『リズにはもっとフリフリの可愛いコスチュームが似合うと思うけど、制作期間がないので手早く用意できる無難なのを』送ってくれたのだ。

 あたしは家族の住む甲府の方角に一礼すると、

「美夜子さん空いてる時間がありましたら…」

「スパーリングならつきおうたるで」

 食い気味に応じてくれる。

「ありがとうございます!」

 あたしは美夜子さんに一礼すると

「会場の設営に行ってきます!」

 と一言ことわりを入れて、忙しく立ち働くのだった。


 その後念入りに美夜子さんに稽古をつけてもらい、入場セレモニーが行われる前にコスチュームを身につけシューズを履き、その上にジャージを着こむ。

 オープニングセレモニーは出場する全選手が参加せねばならず、あたしはそのあと第一試合でジュニアチャンピオンの波瀬咲さんと出世争いをしている小堀真佑美選手と試合をするので、セレモニーの後に着替えている時間はない。

 なので最初から準備をしておく。


 正直安土女子プロレスAWWAのテーマが鳴った瞬間頭が真っ白になった。

 入場しリングの上から客席を見ると空席が目立つもののコアなプロレスファンがこちらを真摯に見つめている。

 エースの愛川さんの挨拶の言葉も全く頭に入ってこず、呆けたままドレッシングルームへと戻ってきた。

 あたしの様子を見た美夜子さんは呆れたような顔であたしに近づくと思いっきり頬を張った。

「リズ、デビュー戦で浮かれる気持ちはうちも経験したからよおわかる。でもなそんな地に足ついてへん気持ちのままリングに上がって試合してまともな試合ができると思うんか?うちらは怪我せん範囲で、また来てもらうために出来る事を一生懸命やる、そうやって楽しんでもろて、また見にこようおもて貰う為に試合寸ねんで!それが態々お金払ろうて見に来てくださったお客さんに対する最低限の礼儀や、そう思わへんか?」

 美夜子さんの叱責で冷水をかけられちゃように夢見がちな浮かれた気分が落ち着く。

 彼女はあたしを抱きしめながらやさしく頭を撫でると。

「リズが今までやってきたこと、リングに上がってやりたかったことを今できる全てを見せつけるつもりで相手に体ごと全部ぶつけたったらええねん。デビュー戦の新人にお客さんも多くは求めてへん。ただあんたが数年後『あの時こうしていれば』みたいな後悔をせんような試合をすればええねん。気張りや」

 そう伝え終わり体を離すと、ドレッシングルームのドアをノックして入ってきた真琴に

「リズ準備できてる?」

 と、問いかけられた。

 あたしは無言で頷くと真琴に先導され暗幕で仕切られた花道の始点に立つ。

 そこで改めて準備運動をしながら入場のタイミングを待つ。

 巡業帯同は同期に遅れたけど、一番最初にデビュー戦をする、あたしがしょっぱい試合をすれば同期も舐められかねない。

 そう思って気合を入れ、徐々に体を温める。

 そして合図がおり真琴に先導されて入場する。


 まだあたしには入場テーマはない。


 これからだ!全てこれから始まるのだ!


 先導してくれていた真琴がセカンドロープどサードロープの間を広げリングインを促してくれる。

 あたしは素直にそれに従いリングインする。

 小堀さんのテーマが会場に鳴り響き向こうの花道から彼女が入場してくる。

 小堀さんは格闘ギミック系グループの若手でキックを多用する印象がある。

 ミドルをいくらか受けて足を取ってグラウンドに持っていこう、いや!打撃で負けない気持ちがないと一気に押しつぶされるはず。

 頭の中で目まぐるしく試合の流れを想定する。

 小堀さんがリングインしたところでリングアナにあたしがコールされる。

 前に出て右手を上げたあたしは、四方に向かって礼をして下がる。

 次に小堀さんがコールされ第一試合とは思えない歓声が上がる。

 その歓声が治まるのを待ってリングアナが、

「なお、飯富エリザベス選手は本日がデビュー戦です」

 と付け加えてくれた。

 十数年前甲府のドームスタジアムで見たあの人のデビュー戦のように。


 小堀さんは若手のトップ争いをしてる実力者だ、力の差は歴然で誰もあたしの勝利どころか良い所なくのされるだろうとしか思っていないだろう…

 だったら相手が強いなら相手の強さを利用すればいい、ただそれだけのことだ。

 心の中で覚悟を決める。


 レフェリーに双方が呼び寄せられ、ボディチェックの後口頭で注意がなされる。

「チョーク、サミング、鼠径部への攻撃は反則だ。5カウント以内にやめなかったら反則負けにする。両者フェアなファイトをするように」

 そう注意をした後レフェリーは。

「リングベル!」

 と言ってゴングを要請する。


 会場にゴングの音が響く。


 あたしはまず手四つの体勢を求め右手を差し出す。

 が、小堀さんはそれに応じることなくあたしの右脇腹に左ミドルを叩きこむ。

 思わず身体を二つに折るようにかがみこむがそこで右側頭部に強烈な打撃を加えられ前のめりに倒れる。

 なに?今の左ミドルの連発?速すぎる!

 以前道場でスパーリング中真琴のロー、ミドル、ハイキックをキックミットなしで受けたことがあるが、あれより重さは欠けるものの蹴り足は速い。

 足を取ってグラウンドなんて無理だ。

 少なくとも小堀さんが消耗し蹴りのスピードが鈍るか、こっちがスピードに慣れた状態でなければどうこうすることなんてできはしない。


 混乱しながらもそう分析すると、おもむろに近づいた小堀さんが頭頂付近でまとめたあたしのポニーテールを掴んで無理やり立たせ背後に回り腰のあたりで両手をホールドする。


 ヤバいジャーマンだ!


 あたしを仕留めにかかった小堀さんの右頬に背中越しに肘を叩きこみ、腰でホールドされた両手を外すと小堀さんのお腹に横蹴りを放つ。

 油断しきっていた小堀さんが身をかがめるとあたしは右手で小堀さんの左頬を張る。

 舐めるな!

 そういうメッセージを込めた先輩への下克上。

 力が上だろうが、先輩だろうがリングの上では関係ない!

 今日デビューの新人だからといって、さっさと片付けようなんて絶対許さない。

 あたしの人生はそんなに軽い扱いをされていいものではない!


 驚きに目を見開いた小堀さんの右頬をさらに左手で張る。

 もう一度右手で小堀さんの頬を張ったところで右手を掴まれ小手返しで腕を捻り上げられる。

 流石若手のトップクラス、虚を突かれても回復が早い。

 だが小手返しからなら!

 そう思いながらあたしは素早く飛び込むように前転し、ブリッジから小堀さんを巻き投げで放り捨てる。

 驚きに満ちた歓声が上がる。

 あたしが前世で大好きだった虎の仮面のヒーローのムーヴ、小柄なあたしが素早くやるこれに体が大きな同期の子達はついてこれなかった。

 だからこの流れはずっと練習し続けた。


 身体が小さい事は現実的に不利な理由ではある、だがそこでとどまっていては何も進歩しないし出来ない。だからあたしは素早く動く練習を重ねたし、スピードの切り替えも重視した。トップスピードで出来るだけ長い時間動き続けられるようにも稽古した。

 まだ足りていないことは沢山あるが、軽く捻られる程度で終わるような稽古をしてきたつもりはない。


 投げられた後素早くリカバリーした小堀さんは膝をつきながらあたしを敵意に満ちた目で睨みつける。

 リングの中央で悠然と構え左手を前に右手のひらを上にあげ指先でかかって来いとばかりに小堀さんを挑発すると、彼女は低い姿勢でタックルしてきた。

 そのタックルを切って上からプレッシャーを与えつつ両足で彼女の首を巻き込むように極め体重をかけ動きを封じてから相手の背中の上に体を落とし、抑え込む。

 リバースの首四の字とでもいったところか。

 完璧に極まったそれを小堀さんは必死にロープまで這いずりブレイクに持っていく。

 レフェリーからブレイクを命じられるが足が絡まっているとアピールし中々外さず粘る。

 あまりにもしつこく外さないのでレフェリーがカウントを取り始める。

 1

 2

 3

 4

 今までのアピールが何だったのか?というくらいすんなりと首を解放する。


 小堀さんは肩で息をするくらい消耗している、ここまで消耗したならあの蹴りの速さは出せないだろう。

 あたしは膝をついて呼吸を整える小堀さんとは反対方向に走りロープの反動を利用して、俯いて呼吸を整える小堀さんの側頭部にドロップキックを放った。

 たまらず場外に落ちる小堀さんリング下で両手をついてうずくまっている彼女のうなじにリングサイドから膝を落とし動きを止める。

 後頭部を抑えて悶える彼女の右足を取りフェンスの上に足を乗せ膝を頂点にフェンスを挟み彼女の脛を掴んで絞り上げる。

 レフェリーのカウントが15近くになるまで締め上げ続け、膝がしらに蹴りを入れてリングに戻る。

 小堀さんは右足を引きずりながら遅れてリングイン。転がりながら右足の感触を確かめるように屈伸させたあと何とか立ち上がる。


 あたしは彼女が転がっている間に攻撃を加えたかったがレフェリーが間に入ったので様子を見る事しか出来ず、彼女が立ち上がったのを見て素早くタックルに行く。

 それに対し小堀さんは反射的に左の前蹴りを放つがスピードの欠けたそれをあたしは喰らいながらキャッチし、リングの中央へ彼女を引っ張り込むとドラゴンスクリューで小堀さんを転がしそのままアンクルホールドを極める。

 極まった瞬間反射的に小堀さんはマットを叩いてギブアップ、レフェリーがゴングを要請し、けたたましく打ち鳴らされると同時に

「お前の勝ちだ、早く放せ!」

 と命じてくる。

 あたしは彼女の足を離すとレフェリーに右手首を掴まれ腕を上げられる。

 リングアナが試合時間とフィニッシュホールドを告げ勝者があたしであることを宣言する。


 試合が終わりセコンドが流れ込んで小堀選手が手当てされる中、狙っていたフィニッシュまでの流れが完璧に決まったことをあたしは徐々に理解していき…

 勝ったんだ!?デビュー戦で若手のトップクラスに!

 四方に礼をしてリングを駆け下り、その事実を噛み締めながら駆け足で美夜子さんのドレッシングルームに駆け込むと、

「美夜子さ」

「なんやあの試合は!?」

 頭ごなしに怒鳴られ、新人のくせに危険なことをやり過ぎだとお説教された。

 まぁ最後に

「よぉ頑張ったな」

 と褒めることを忘れない美夜子さんは多分ヒモの素質があると思う。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る