遺書 七
それからの私は、彼女のお願いに本腰を入れるべく、徐々に仕事を減らしていった。
担当からは不審がられたりしたが、体調が優れない日が続くから休みたいんだと言ったら信じてくれた。ここ二年くらい、鏡越しに見る私の顔があまり良くないから、真実味があったのだろう。
そうして、ずっとやってきたリハビリをしながら、仕事を片付けていき、
「……あぁ、そうだ」
四年目にしてやっと、話を思い付いた。
仕事で書いていた新作、その主人公には互いに依存し合っている相方がいた。
子供の時分、車道に飛び出して轢かれかけた主人公、そいつを突き飛ばして助けるも、自身が車に轢かれて脚が不自由になった相方。
主人公は言うのだ。
自分が車道に出なければ──あるいは、自分がそのまま轢かれていれば良かったのに、と。
「他の人間に変わってもらえばいい」
そして私は書き始めた。
今まで書けなかったのが嘘みたいに筆が進んだ。
進捗状況を伝えるたびに、彼女は明るくなっていくが、反応は大人しいものだった。
あんまり騒いだら話が飛ぶと脅したせいだろうが、やって良かったと思う。
妻への愛は変わらない。
だが、彼女のはしゃぎ声が、今は耳障りだから。
……別に、私でなくとも良かったんじゃないか。
書き進めていきながら、そんなことばかり考えていた。
愛しているのに。本当に、愛しているのに。
彼女がしたことを許せなくとも、その気持ちだけは変わらないはずなのに。
嬉しそうな妻を見るたびに、無性に殴りたくなった。
……愛しているはずなのに。
◆◆◆
書いて、書いて、書いて、書いて。
ひたすら書いて。
仕事の方も全て片付き、後はもう、例の話を終わらせるだけ。
終わりはもう目前だった。
書くべき場面が減っていくにつれ、筆は早くなっていき、気持ちが軽くなっていくのが分かった。
四年もこんなことに付き合わされたんだ、全てが終わった時の解放感は、一体どんなものになるか。想像しただけで、笑いが止まらなかった。
──つまり私は、油断していたのだ。
終わりの目処が立ちつつも、彼女にはまだ掛かりそうだと話しておいた。
騒がれたくない、というのもあったが、
驚かせたかった、というのもあった。
彼女と結婚して、四年。
今月の中旬に、記念日を迎える。
その日までには確実に終わりそうだったから、その時に、彼女に完成品を渡そうと思っていた。
どんな顔で受け取ってくれるだろう。
彼女の反応が楽しみで、楽しみで、楽しみで、
「来月までには書き終わってね」
「……?」
「何できょとんとしてるの? 私の誕生日があるじゃない」
「え、あぁ」
「私のこと、好きなのよね? 忘れるってひどい。私は旦那様の誕生日、ばっちり覚えているのに」
「そ、それはすまない。……覚えていてくれて、ありがとう」
「それが私の趣味ですから」
「……。なぁ、雪夜」
「何よ」
「──今月のこと、覚えているかね?」
「今月? 何かあった?」
「……っ」
「……? ……あぁ、そうだった! 私ったら嫌ね、こんな大切なことを忘れるなんて」
「思い出してくれたか?」
「──あの子の誕生日だったわね」
「……あの子?」
「もうっ! 何を言ってるのよ旦那様っ! あの子よ、あの子。あの人のライバルの」
「…………今月だったか?」
「そう、今月。すっごく好きってわけじゃないけど、誰よりもあの人の死を悲しんでくれた子だもの。忘れるなんてできないわ」
「……」
「どうかしたの、旦那様」
「………………何でも、ないさ」
楽しみで、楽しみで、楽しみだったけど、
──そういえば彼女は、別に私のことを好きではなかったな。
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