結び目に君



架間解人という人間は、私の中で理解の追い付かない人だった。



へらへらしながら目の下の隈をこする、猫背気味の身体によれた制服。核心を得たような発言ばかりを繰り返し不快にさせられた事も数えきれない。もっとも、これはこの人と結ばれてからも変わらずに起こっていた事だが。


制服で共に過ごした時間はとても短く、先輩と呼んだ時間も短く、いつの間にかいないと恐れるようになった人は私の心の真ん中に居座るようになった。しかし、居座り方は恐らく寝転んで頬杖をついている体勢だろう。童話の中に出てくるような王子様、運命だと言われるような人たちの美しいたたずまいでも何でもない。けれど、それが一番だと思う私がいるのも事実だった。


「質問です」


パソコン画面にかじりつきながら背後から聞こえた君の声に振り返る。台所で何か調理を始めようとする君はこちらも見ずに話を続ける。


「今日のご飯は何でしょう」


「分かりません先輩」


「先輩って、また懐かしい呼び方だな」


噴き出した君は楽しそうに手を動かす。私は机に突っ伏しその様子を眺めていた。真っ黒な金属製の机は君が選んだものだ。利便性を選んだシンプルな机は君の印象によく合っている。頬から伝わる冷たさが心地よく、もうすぐ夏が訪れる事を思い出した。私的には夏にあまりいい思い出がない。君と初めて仲違いしたのも夏だからだ。けれどそれを凌駕するくらいの思い出が、この季節に詰まっている。だからこそ、嫌いとは言えなかった。


「架間先輩、まだ夜ご飯の時間じゃありません」


「お、それは瀬戸がまだつんけんしてた時代の呼び方だ」


「先輩こそ、くそむかつく先輩だった時の話し方ですね」


「口の悪さは健在なんだけどね」


「今14時、さっきお昼ご飯食べたばかりですよ」


先程昼食を外で取ってきたばかりだと言うのに早くも夜ご飯の話を始める君はこちらの意見など無視して調理を進めていく。もう一度顔を上げ画面を見つめたが、この課題は私には荷が重すぎる。全くもって進まない手に積み上げられた参考資料が当たる。今すぐ放棄したいくらいの量だ。一体なぜ、私はあの講義を取ってしまったのだろう。


深いため息を吐きながらもう一度君の方を見る。しかし、夜ご飯を作っているとは言い難い行動をしていた。


「夜ご飯作ってるんじゃなかったの?」


「俺別に夜ご飯作ってるとは言ってないよ」


「じゃあ今何作ってるの」


「内緒ー」


相変わらず腹の立つ奴だ。付き合って随分と時間が経ったが、このむかつく所だけは変わっていない。


諦めてパソコン画面を閉じ目を閉じる。少し時間が経てばもう少し出来るようになるだろうという淡い期待を込めるが、きっと数時間後には唸りながらもう一度この課題と向き合っているのだろう。


不意に鼻孔を甘い香りが掠めた。何だろうと思い顔を上げれば視界の先にあった時計がいつの間にか一時間経過している。どうやら眠ってしまっていたようだ。肩にかけられたブランケットが床に落ちる。これをかける人物は一人しかいない。変わらぬ優しさに目を細めたが当人はどこにもいなかった。


「出かけたのかな」


立ち上がり台所に迎えば机の上にクッキーが置かれていた。少々不格好なそれは白い生地の中にラズベリーが散りばめられている。私が好きなクッキーだ。一枚手に取り口に含めば口の中でほどけるように無くなりわずかな酸味を残す。どうやら先程作っていたのはこれだったらしい。


「何で突然クッキー?」


疑問に思っていると玄関の鍵が開く音がした。そちらに向かえば君が靴を脱ぎながら私を見て、お、と呟く。


「起きたの?」


「うん」


「ただいま」


「おかえり、どこ行ってたの?」


「今日の晩御飯を買いに」


手に握られた袋が目の前に差し出される。中を見れば最近話題のチキンが入っていた。


「え……」


「食べたかったんでしょ」


私の頭を撫でながら横を通り過ぎた君は手を洗い台所に戻ってくる。机の上に置かれたクッキーが一枚減ってる事に気づいたのだろう。食べた?と問いかける声は優しかった。


「おいしかった」


「ならよかった」


「ねえ突然どうしたの?」


「何が?」


「クッキーもチキンも。今日なんか特別な日だった?」


「いや?」


「じゃあ何で……」


「俺がつむぎに喜んで欲しかったから?」


恥ずかしげもなく放たれた言葉に何故か私が赤面してしまった。


「クッキーだったら課題やりながらでも食べれるでしょ、チキンは俺も食べたかったからちょうどいいなと思って」


「……ありがとう」


「おっと、その未来は見えてなかった」


「え?」


「そんな泣きそうな顔しながら感謝される未来は見えてなかった」


私の頬に君の手が滑る。嬉しかった?という問いに何度も頷けば君はまた嬉しそうに笑った。


「じゃあ手伝ってやるから課題終わらせよう。そしたらチキン食べるぞ」


「……分かりました架間先輩」


「俺もう先輩じゃないよ、つむぎ」


クッキーを手に取り私の口の前に運んできた君は、またあの腹立つ笑みを浮かべた。私は差し出された指事口の中に入れる。驚いて変な声を上げた君に、思わず笑ってしまった。そんな、何の変哲もない幸せな日だったのだ。


「ありがとう解人!!」

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紅い糸のその先で、運命だと笑う日まで 優衣羽 @yuiha701

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