第22話 深層心理

 終業式まで、残すところ1週間。

 放課後になった。僕は急いで荷物を片づける。たまには、家事をしよう。いつもモモねえばかりにやらせて、申し訳ないし。


 カバンを持って、立ち上がろうとする。が、左肩が異常に重い。後ろから誰かに体重を乗せられているようだ。


 もしかすると、幽霊なんじゃね?

 いや、一瞬で妄想を否定する。


 というのも、これだけ生々しい幽霊はありえない。ぷにぷにしてるし。


 女子が隠者の僕にいじわるしてるだと?


 鼻をクンクン。香りを分析する。

 容疑者は2名に絞られた。うち、1名がウザ絡みをするとは思えない。


「夢紅、やめろっての」

「ボクは重力魔法の使い手。貴様ごときが懇願しようが、無駄であろうぞ」

「おま、教室ではウザ絡みしないって約束したよな!」


 夢紅を軽く振りほどこうとしたところ。


「なら、わたしはこっちから」


 空いた方の腕に、美輝が回り込んで。


 ――ふにゅん。


 なんと、コアラモードを発動させる。

 僕の腕が、クラス一深い谷間に埋没しちゃった。


「ぶはぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっっっっっっっっっっっっっっ!」


 叫んでしまった。

 教室中に鳴り響くぐらいの音量で。


 当然、周囲の視線が集まるわけで。


「そマ?」「オレの美輝たそが隠キャとなんか……」「隠岐の野郎、すまし顔してパイオツしやがって」「あたし、彼の腕になりたい」


 驚くのも無理はない。夢紅と美輝とは同じクラスだが、教室では滅多に話さない。


 特に、美輝は陽キャグループ。陰キャの僕や、ウザい夢紅と仲良くしてる印象を持たれたら、彼女の地位に関わる。だから、教室では話しかけるなと念を押しておいたのに。


 まさか、禁断のコアラプレイをするとは……。

 衝撃のあまり動けないでいると。


「ムダムダムダ。おりゃぁぁぁっっっっ!」


 夢紅は僕の尻へ手を回し。

 なんとお姫様抱っこしやがった。


「太陽ちゃん、ボクの荷物は任せた」

「任されたよぉぉっ」


 教室中で僕たちが噂になる中、ドナドナよろしく僕は運ばれていった。


 数分後。部室に入る。まだ、冷花は来ていなかった。

 僕は降ろされた。


「おまえ、どういうつもりだ?」

「だって、そうでもしなきゃ……」

「慎司さま、わたしたちから逃げてたでしょ?」


 うわっ、バレてた。

 美輝の上目遣いが良心をえぐる。


「だって、昨日、おまえたち様子が変で……僕が距離を置けば大丈夫かなって、思ったんだよ」


 僕は率直に気持ちを告げる。


「だって……」


 珍しく夢紅が言い淀む。

 美輝が夢紅の髪を撫で、ふたりは目で会話して。

 甘いピーチ色をまとわせて。


 美輝が深く息を吸い込んで。


「わたしたちと……一緒にクリパに行ってくれない」

「なっ……」


 想像もつかないことを言ってきた。


「神白冷花と行くこと知ってるよな?」

「もちろんだぜ」


 夢紅が胸を叩く。態度はふざけているが、目は真剣だった。


「交代すればいいんじゃね」

「どういうことだ?」

「夢紅ちゃんが前半で、わたしが後半。慎司さまを独り占めするのはずるいでしょ。だから、交代なのぉぉ」


 どうやら、夢紅と美輝の間で協定を結んだようだ。

 しかし、ふたりのプランは肝心な点が抜けている。


「冷花と3交代ってことだよな?」


 ふたりは黙り込む。


「どういうことだ?」

「死神ちゃん、ボクたちの計画を知らないから」


 夢紅の答えにイラッときたら。


「彼女を仲間外れにするつもりはないよぉ」


 美輝が慌てた。


「死神さんの回答次第で、慎司さまには迷惑をかけるけど」

「ボクたちも我慢できなくなっちゃったんだよね」


 夢紅に漂う甘い香りがいっそう強くなったときだ――。


 部室のドアが開いて。


「あたしが慎司くんと約束したの」


 神白冷花が仏頂面で立っていて。

 初めて会ったときのような死神のオーラをまとっていて。


「慎司くんは、あたしだけのエロゲ主人公。グループデートのとき、自分たちからいなくなっておいて……なんで邪魔するの?」


 ピーチ色と灰汁色が入り混じった色を放った。とがめる声とともに。


「邪魔だって?」

「わたしたちは、あなたの理想の恋探しを手伝う。ただ、それだけ」

「隠者くんを独り占めするのは、血の盟約に反する行為だ」

「わたしにとって、慎司さまは心の支え。あなたには渡さない」


 女の子の戦いが勃発する。僕の入り込む隙はない。


「彼の本物の恋人になるというなら、ボクたちだって覚悟がある」


 夢紅は茶髪のショートカットをかき上げ、つぶらな瞳で僕を見つめ。


「ボク、隠者くんが好きなんだ」


 信じられない言葉が鼓膜を通過したとたん、僕の心臓が跳ね上がる。

 数日前だったらありえない事態。予想外すぎて、僕は動けなかった。


 すると――。


 今度は美輝が顔を真っ赤にして。

 でも、顔を上げて、切なげに微笑んで。


「わたしも……慎司さまが好き」


 弱々しいシンプルな言葉が胸を打つ。


 色を見るまでもない。夢紅と美輝は本気だ。


「ふたりとも、僕を男と見てなかったんじゃ……」

「わかんねえっての!」


 夢紅が吠える。

 彼女の悲鳴が消えるのに被せて。


「初恋だから……慎司さまに恋してるって、数日前まで気づかなかったの」


 美輝がポツリと漏らす。


「恋は理屈じゃねえっての。ボク、隠者くんは仲の良い友だちだとばかり思ってた」

「夢紅?」

「けどな。死神さんの彼氏になるかもって思ったら……胸が苦しくなって、涙があふれてきて」


 夢紅の頬を透明の液体が伝わる。

 なんだよ。僕、見てなかったじゃないか。夢紅のことを。


「わたしも」

「美輝?」

「……普段から慎司さまに依存してる。けど、恋じゃない。ずっと、そう思っていた」


 美輝は唇をかみしめる。


「でも、いま考えたら、わたしなんかが慎司さまを好きになっちゃいけない。そう思って、自分の気持ちに蓋をしていたのかも」


 美輝の言葉で気づかされた。

 僕が物事の上っ面しか見てない、最低野郎だってことに。


 人間の心は氷河だ。上の方のごくわずかの部分しか表に出てこない。心の奥底になにがあるかは、本人でさえ知らない。いわゆる、深層心理。


 夢紅と美輝は心の奥底で、僕のことが好きだった。でも、深い場所すぎて、本人は自覚してないし、色にも出てこない。


 色に現われてこない。そこが冷花との最大の違い。

 冷花の表面はツンドラのようであっても、ビンビンにフラグを立てまくっていた。僕の力でも彼女の好意を読み取れた。


 一方、深層心理で僕のことが好きだった夢紅と美輝。僕には彼女たちの感情を読むことができなかった。


 だから、ふたりは気持ちに気づかなかった。むしろ、力があるから――。


 自分の都合の良いように、僕は解釈した。

 恋愛嫌いの僕にとって、ふたりは遊ぶのに最高の女友だち。ふざけて、身体を押しつけてきて。互いに触れ合って、癒やしあう。


 なのに、他の女子と違って、恋愛になる危険性もない。男友だちみたいな感覚で付き合ってきた。


 ある意味では身体だけ求めていたとも考えられるわけで。


 クズだな、僕。

 情欲のままに浮気しまくった、親父と同じじゃねえか。


 自分の愚かさに気づいたとたん、激しい吐き気がこみ上げてくる。


「どうしたの、慎司くん」


 僕の異変に気づいたのは、途中から黙っていた神白冷花だった。

 心配そうに覗き込んでくる。


「大丈夫だ?」

「ううん、額から汗が出てるよ」

「なら、保健室にでも行くよ」

「あたしが付き添うから」

「ごめん」


 僕は冷花の手を振り払う。


「ひとりにさせてくれないかな」


 ふらつく足で立ち上がると、部室を出て行く。

 窓から射す、冬至間近の夕陽。まるで、僕を断罪するレーザー光線だった。

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