船の到着(3)

 翌日は特別に空が青く、うっすらと目を覚ますと、まだはっきりと開き切らないムラコフの両目に、強烈な太陽の光が容赦なく飛び込んできた。

 こうしていつもと同じように新しい一日を迎えると、昨日の出来事がまるきり嘘だったようにすら思えてくる。しかし遠くの浜辺に停泊する船の姿が、昨日の出来事がすべて現実であるということを、否応なく彼に教えるのだった。

 ムラコフは外に出ようとして、とりあえず起きて着替えてはみたものの、これといって特に予定がないことに気付いた。

 船の修理を手伝おうかとも考えたが、勝手を知らない自分が参加したって、おそらく邪魔になるだけだろう。それに修理を手伝うということは、それだけ船の出航を早めることにつながるのだ。そう考えると、やはり何だか気が進まない。

 ムラコフは東の小屋の前に腰を下ろして、遠くの船をぼんやりと眺めた。

 修理はすでに始まっているらしく、大きな船の下で人々がしきりに動いているのが確認できる。彼はそのまましばらく船の修理の様子を眺めるともなく眺めていたが、ふいに人の気配が近付いてくるのを感じて視線を上げた。

 そこには、マヤがいた。

「行かないの?」

「ああ」

 昨日も会ったというのに何故だろうか、ずいぶんと久し振りな感じがする。

「修理が終われば、またずっとあの中だしな」

「そっか」

 マヤは座れそうな場所を探すと、黙ってその場に腰を下ろした。

 船を見に行こうと誘いに来たのかと思ったが、それきり何も言わずに座っているところを見ると、どうやらしばらくはここで過ごすつもりらしい。

「私が船を見に行かないこと、意外だって思ってるんでしょ?」

「よくわかったな」

「わかるよ。自分でもそう思うもん」

 マヤはおどけた感じで笑ってみせたが、それから少し寂しそうに視線を落とした。

「実のところは、自分でも自分がよくわからないんだ。あんな大きな船がこの島にやって来たらな――って、子供の頃からずっとそう願っていた。でも、どうしてだろう? 今の気持ちは嬉しいっていうよりも、むしろ……」

 マヤはそこで言葉を切ったが、彼女が言おうとしていることは、ムラコフにも理解できた。

 もしこれが島に到着してすぐの頃であれば、ムラコフだってきっと手放しで喜んだに違いない。

 しかしマヤや島民と一緒に過ごすうちに、ムラコフ自身、この島で暮らすことに少なからず魅力を感じ始めていたのだ。

「修理が終わったら、ムラコフ君は自分の国に帰るんだよね」

 相変わらず砂浜に視線を落としたまま、マヤがポツリとつぶやいた。

 その寂しそうな表情を見て、ムラコフはどうにか彼女を笑顔にさせたいと思ったが、あいにく気の利いたことは何も言えず、ただ黙ってその言葉に頷くことしかできなかった。

 寄せては返す波の音だけが、何だかやけにはっきりと聞こえる。

 ムラコフは沈黙に耐えかねてマヤと何か会話をしようと思ったが、しかしいざ話そうとすると、適当な話題が何も思い浮かばなかった。今までと一緒でいいと思っても、今まで何を話していたのかすら思い出せない。

 つい先日は一緒に浜辺に寝そべっているだけであれだけ居心地が良かったのに、今はそれすらも、遠い遠い昔のことのように感じられた。

「ごめんね」

 突然、マヤが謝った。

 何に対しての言葉かはわからないが、おそらくムラコフと同様に、彼女も居心地が悪かったに違いない。

「私、お祈りに行ってくるね。あなたのこれからの旅が、どうか無事でありますように――って」

 そう言って立ち上がると、マヤは寂しそうに帰って行った。

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