南の島(6)

「昨日のモモナは、どうだった?」

 翌日。

 マヤは昨日とまったく同じ時間に、ムラコフが住む東の小屋に現れた。

「楽しかった? 私はお酒が飲めないから参加しなかったけど、外からちょっと様子を見てたのよ」

「ええ、楽しかったですよ」

 答えながら、ムラコフは考えた。

 酒が飲めないというのは、島の決まりか何かで飲めないのか、それとも体質的に飲めないのか、どっちなんだろう。まあどっちにしたって、酒を飲めないなんて人生損してるな――と思った。

「この島ではああいう宴会――モモナがよくあるんですか?」

 ムラコフは単純に次にあのラムが飲める日はいつなのか知りたくて質問をしたのだが、その発言をマヤは非難と受け取ったらしく、寂しそうにうつむいた。

「ごめんね、驚いた? でもうちの島の人間も、毎日ああやって飲んだくれているわけじゃないの。たまになのよ」

「いえ、モモナを非難しているわけではありません。個人的には、むしろ毎日飲んだくれたいくらいです――っと」

 マヤをフォローしながら、ついつい本音が出てしまった。

 しかしまあ、事実そう思っているんだから、隠そうとしたって仕方がない。毎日酒が飲めたら最高だ。

「それはそうと、今日は何をしにここへ?」

「えっと」

 マヤは手に抱えていた風呂敷から、大きな茶色いヤシの実を取り出した。

「怪我を手当てしてくれたお礼に――と思って」

「へえ、大きいですね」

 ムラコフもヤシの実という存在を知ってはいたが、しかし実際に現物を目の前にしたのは初めてだった。

「どうやって食べるんですか?」

「違うわよ。割って、中の汁を飲むの」

 マヤは同じく風呂敷から取り出した果物ナイフでヤシの実を器用に割ると、それをムラコフに差し出した。

 割れ目から、かすかに甘い香りが漂ってくる。

「おいしいよ」

 勧められるままに、一口飲んでみる。

 甘い。

 いくらムラコフが酒に強い体質だとはいえ、昨晩のようにあれだけ大量にラムを飲めば、当然肝臓は疲労する。

 その疲労した肝臓に、甘いヤシの果汁が心地良く染み渡っていった。

「どう?」

「この甘さ、疲れた肝臓に染みますね」

 何だかくたびれた中年の発言のようだが、事実そう思ったのだから仕方がない。

「疲れた肝臓?」

「昨日――」

 そこでムラコフは思い出した。

 昨日のおかみさんの話によれば、マヤはこの時間はお祈りをしているはずである。

「昨日のモモナで少し。それよりも、お祈りはいいんですか?」

「え? ……えへへ。お父様に聞いたの?」

 お祈りという言葉を聞くと、マヤは決まり悪そうに笑った。

「だって、つまんないんだもん。毎日一時間も部屋の中にじっとしてお祈りなんて、無意味だよ。雨は、私が祈るから降るんじゃないわ。単なる天気の変化よ。そうでしょ?」

「うーん……」

 ムラコフは返答に困った。

 ここでマヤに同意すると、祈りが無意味だと認めることになるからだ。

「雨が降るのが単なる天気の変化かどうかはともかく、島と島民のことを大切に想って祈りを捧げる、その行為自体に価値があるのでは?」

 すごいな、俺にしては珍しくマトモなこと言ってるな――と思いながら、ムラコフはマヤを諭した。

 適当に笑いを取ることもできたが、一応祈りは専門分野だ。専門分野で真面目にならなければ、他に真面目になる場面がない。

「そう?」

 マヤはムラコフが自分の意見に同意してくれるものと思っていたらしく、ムラコフの発言を聞くと、意外そうな顔をした。とはいえそれは決して不快というのではなく、むしろ感心しているという様子であった。

「実際の効果はともかく、お祈りすること自体に価値がある。そんな考え持ってる人、初めて見たわ」

「これでも一応、神父を志す身ですからね」

「シンプって?」

「え? うーん……」

 そんなことを聞かれたのは初めてだ。

 そうやって改めて問われると、一言ではなかなか答えにくい質問である。

「教会で神に祈りを捧げながら、信徒を導く仕事――でしょうか?」

 自分でそう言いながら、説明できていないなと思った。

 神父が何かと質問されているのだから、教会や信徒という単語だってわからないはずだ。

 それでもマヤは、ムラコフの言葉を自分なりに解釈したらしく、大きな黒い瞳を輝かせた。

「お祈りが仕事? じゃあ、私と一緒ってこと?」

「そうですかね」

 一緒というと少し語弊があるような気がするが、しかしだからといって、百パーセント違うとも言い切れない。

 そのためムラコフは、肯定とも否定とも取れない曖昧な返事をしたが、それでもマヤは満足そうだった。

「うん。確かにそう考えると、無意味じゃないような気もするわね。私もたまには、真面目にお祈りしようかな」

 マヤは立ち上がると、脚についた砂を両手でパンパンと払った。

 どうやら、今日はもう帰るつもりらしい。

「ねえ、それにしても敬語はやめてよ。同い年でしょ?」

「ああ、はい」

 マヤはふくれっ面をして、ムラコフの顔を軽く睨んだ。

「――じゃなくて、わかった」

「ふふっ、ありがと」

 マヤは少し首を傾けて、ムラコフに笑顔を向けた。

 その拍子に頭の横のハイビスカスが揺れて、甘い香りが漂ってくる。

「それじゃ、今度からはお祈りが終わってから来るね」

 そう言うと、彼女は昨日と同様、長い髪を揺らしながら嬉しそうに帰って行った。

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