船上で(2)

 それからというもの、ムラコフはたいていの時間を、甲板で海を眺めながら過ごした。

 ラウロ司祭から与えられる仕事もほとんどなく、かといって日中を船室で過ごしていても退屈だからだ。

「はじめまして」

 その日も例に漏れずぼんやりと海を眺めていたムラコフは、金髪の小柄な少年に声をかけられた。

「自分は船乗りの見習いで、モニーと申します。よろしくお願いします」

「モニーか。よろしくな」

 相手が明らかに自分より年下だったので、ムラコフは軽い感じで答えた。

「以前からよく甲板でお姿をお見かけしましたが、僕のような見習いが聖職者にお声をかけていいものか、今までずっと悩んでおりました。えーと――」

「ムラコフだ」

「ファーザー・ムラコフですね」

 いきなりファーザーという慣れない敬称で呼ばれて、ムラコフは戸惑った。

「うーん。俺はまだ神父じゃないから、ファーザーじゃないんだけどな」

「え? でもあなたは、教会から派遣されてきたんでしょう?」

「確かにそうだけど、実際の任を受けているのはラウロ司祭で、俺はまあ見習いってところだな」

「見習い? それじゃあ、僕と一緒ですね!」

 見習いという単語を聞くと、モニーはパッと顔を明るくした。

「それでは、ブラザー・ムラコフとお呼びすることにしますね」

「うーん……」

 修道士ではないから、ブラザーという敬称も正確には違うような気がする。

 まあたとえ平信徒であろうと、信心深い人間の間では、仲間同士でそう呼び合うこともあるのだが。

「同じ見習い同士、仲良くしましょうね! ブラザー」

「ああ」

 嬉しそうに笑うモニーの顔を見て、ムラコフは軽い違和感を感じた。

 もちろん悪い意味ではないが、船乗りの見習いがこんなに礼儀正しいとは思わなかったのだ。

「ふーん、ちょっと意外だな。悪いけど、船乗りってもっと粗野なもんかと思ってた」

「ははは、僕はまだ見習いですからね。でもいずれは一目でそれだとわかるような、いかにも粗野な船乗りになりたいですけどね」

 モニーは、「粗野」という部分に一段と力を込めながら言った。

 どうやらその言葉は、モニーにとってはかなり上級の誉め言葉らしい。

「へえ、どうして船乗りになりたいんだ?」

「どうして船乗りになりたいかって聞かれても、僕にしてみれば、船乗りになりたくない理由の方がわかりません。こうして男に生まれた以上、船乗りを目指さないで、いったい他の何を目指せというんですか?」

 モニーは青い瞳を輝かせながら、水平線の彼方に目を向けた。

「あの海の向こうにはまだ見ぬ土地があって、まだ見ぬ人々がいて、まだ見ぬ明日があるんですよ! ああ、ロマンですよね!」

 それからモニーは、頭上ではためく白い帆へと視線を移した。

「それに、この船だって! 初めての航海でこんな立派な三本マストのキャラック船に乗れるなんて、僕はなんて幸運なんだろう!」

「なるほど、帆船マニアか……」

 本人に聞こえないよう、ムラコフは小声でつぶやいた。

「え?」

「いや、何でもない」

 モニーは少し不思議そうな顔をした後、船の帆を見上げていた目をムラコフへと向けた。

「そういうブラザーは、どうして神父になりたいんですか?」

 突然そう聞かれたムラコフは、返答に窮した。

 ムラコフがこの世界に入ったのは、なかば強制的に教会学校に入れられたからだ。そして教会学校に入れられた以上は、やはり神父を目指さなくてはならない。それもなるべく早いうちに――だ。少しでも早いところ出世をして、親や周囲の人々を見返すために――。

「それは……」

 適当な説明が出てこない。

 ムラコフには、モニーのように胸を張って他人に答えられるような理由がなかった。

「それは?」

「……」

 幸い、モニーのその質問には答えずに済んだ。

 ちょうどタイミングよく、近くにいた船乗りがモニーを怒鳴ったからだ。

「こら、モニー! そんな場所で油を売ってねえで、仕事をしねえか!」

「はいっ!」

 背後からいきなり名前を呼ばれたモニーは、びっくりして飛び上がった。

「すみません、ブラザー。それでは、またお話しましょう」

 早口でそう言い残すと、モニーは慌てて自分の持ち場へと戻っていった。

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