第2章 船上で

船上で(1)

 サン・サルバドラ号は、中型の帆船だった。

 船が出航してしばらくの間、ムラコフは徐々に小さくなっていく陸地を、船尾からぼんやり眺めるともなく眺めていた。

(早いもんだな……)

 拝命を受けてからの一か月は、ひたすら慌しく過ぎていった。

 あっと言う間に月日が流れて、ふと気が付いたら、こうしてもう新大陸へ向かう船の上。次あの陸地へ無事に戻ってこられるのは、一体いつのことだろう――。

 ムラコフがそんなことを考えていると、一人の中年の男が近付いてきた。

「失礼、ジャン・ムラコフだね」

「はい」

 ムラコフはその男に答えながら、うやうやしく十字を切って頭を下げた。

「サン・クストー教会学校に所属しております。お見知り置きとは、光栄の至りです」

 ムラコフの目の前には、僧衣をまとった四十歳前後の男がいた。

 彼こそが新大陸の教化という今回の大役を任された宣教師であり、そしてムラコフが今後しばらく仕えることになる人物――ラウロ司祭である。

「なに、君の噂は聞いているよ。サン・クストー教会学校始まって以来の、秀才だそうじゃないか。今回選ばれたのも、そのためだろう?」

 ラウロ司祭はムラコフの横へやって来て、水平線まで続く青い海を眺めた。

「君は、航海は初めてかい?」

「はい」

「そうかい。しかし、安心していい。私の職業は司祭ではあるが、これまでに幾度も長い航海を経験しているからね。実際の船の操縦は操舵士が行うが、この船全体の指揮は私が取ることになる」

「よろしくお願いします」

 聞けばラウロ司祭は元々は船乗りの出身で、こうして神の道に入ったのは、だいぶ歳をとってからになるそうだ。

 確かにそう言われてみれば頑丈で屈強そうな身体付きで、教会にいる筋金入りの聖職者とはだいぶ雰囲気が異なっている。

「こんな大役を仰せつかった以上は、何としてでも使命を果たそうじゃないか。なに、心配は不要だ。この船には、いざという時のために武器の備えもあるからね」

「使う機会がないことを祈ります」

 ムラコフの言葉を聞くと、ラウロ司祭はおどけた感じで笑った。

「もちろん、私もそう願っているよ」

 しかしそうは言いながらも、ラウロ司祭は武器を取ることがまんざら嫌そうでもなかった。今までに幾度も実戦を経験してきたということが、その様子から窺える。

 これから仕える相手が予想以上に頼りになりそうだったので、ムラコフは少し安心した。

「それで、僕は何をすればよろしいでしょうか?」

「ふむ、今のところは特にないな」

 ラウロ司祭は、ゴツゴツとした顎に右手を置いて言った。

「船上の仕事は、船乗り達がやってくれるからな。目的地に着くまでは、ゆっくり休んでいるがいいさ。無事到着したら、忙しくなるだろうからね」

「了解しました」

「それでは、これからよろしく頼むよ」

 ムラコフにそう告げると、ラウロ司祭は聖職者の長い外套を風になびかせて、船室へと下っていった。

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