第6話 危なっかしさへのアプローチ 3

 大宮氏は、先輩の理論をことさらひけらかすことなく、元の話に戻した。


 「ところで、今西さんって人、どうなのだろうか? ぼくは、大槻君をずっと見ていて思うに、彼女も、おそらく社会性に長けた女性ではないかと思ってねぇ・・・」

 「哲郎君のお見立ての通りじゃ。彼女、結婚後も仕事を続けていけば間違いなく、よつ葉園で園長が務まるどころか、選挙に出て公職に就ける素養すらある。大槻が逆に、そういうことに疎い女性と付合っていれば違うかもしれんが、ま、そんな女は彼のほうがいずれ相手にしなくなるだろうな。よつ葉園の子らには、大槻は熱心な若い男の先生で通っている一方で、家庭的なものの考えというか、悪く言えば、女子ども向けの考えというか、そういうものに対して根本的なところで相容れないものを持っておる」

 「それは全面的に同感。ところで、彼らがもし、結婚したとしましょう。それで、大槻君と今西さんだっけ、おじさんとしてみれば、どちらに残って欲しい?」


 森川園長の意向は、当時の社会通念通りのものだった。

 「それならわしは、大槻君に残ってもらい、今西さんには退職してもらって、家庭に入って欲しい。これは今どきの世の中だからまだ通用する考えで、彼らの子や孫の時代になったら、そうでなくなる可能性は極めて高いと、わし自身は、かねて思っておる」

 しかしながら、この老紳士、そのような考えが通用する時代がいつまでも続かないことをすでに感じ取っていた。彼の息子よりはるかに若い大宮氏もまた、そういう時代の流れが間違いなく来ることを、重々認識していた。


 「将来のこと、それこそ、うちの息子の太郎あたりが成人した先の時代の話は、置いておこうよ。当面の問題として、今西さんが大人しく、じゃあわかりました、家庭に入りますと、すんなり出てくれるだろうか? そこが一番問題じゃないかな?」

 「わしも、そこが一番の懸念するところでな。しかし、よつ葉園の業務に夫婦そろって就くというのは、どうも、わしには、違和感があってなぁ・・・」

 ここで大宮氏は、昨日大阪のなにわ帝国ホテルで西沢氏と会った時に彼と話した内容を持ち出した。


 その懸念は十分わかる。いずれにせよ、どっちかには身を引いてもらった方がよさそうだね。

 大槻君が辞めるなら今西さんに引続き勤めてもらって、幹部候補生として頑張ってもらう。今西さんが辞めるなら、彼女には家庭に入ってもらい、大槻君に幹部候補生として勤めてもらう。

 どちらでもいいとは思うが、どちらかと言えば、まあ、大槻家のことを考えたら、後者の方が確実に無難で安全だ。それこそ、事業を興したはいいが、となることを考えるとね。西沢君の弁では、顎足枕付き脱サラ無用で副業一切無用、メリットだらけのリスクなしにしてノーリスクハイリターン、なのだそうで(苦笑)。


 苦笑しながら、老紳士は若者たちの論評をさらに評した。

 「哲郎、脱サラ無用から先はええとして、顎足枕がなぁ、面白いは面白いが、今一歩も二歩も品がねぇのう、神戸の洋菓子屋の御曹司にしては、ちょっとなぁ・・・(苦笑)。でも、何じゃ、それ故に当たりすぎとるわい。それはともあれ、今西さんって娘、簡単に、家庭に入る選択をしてくれるかな。よしんば、その選択をしたとしても、将来子どもらが成人して巣立って行ったら、いつまでも大槻家の奥様でいるとは思えんのよ・・・」


 森川園長の懸念を、大宮氏はひとまず受け止めた後、答えた。

「それはまあ、先の話だから、いいじゃない。そのときはそのとき、当事者同士で解決すればいいだけのことさ。子どもたちにしても、成人してしまえば話はまったく別だよ。それよりも、問題は今でしょ、今。大槻君が退職して事業を興すというならまだいい。彼が引続きよつ葉園で勤務する場合で、なおかつ今西さんが、結婚後も働きたいにも拘らず退職を強要された! などと言い出して労働組合のひとつも作って、よつ葉園と団体交渉をする。今ぼくが考える心配要素としては、そんなところかと思うけど、どう?」


 「彼女の出たS女子大は、哲郎もご存じのとおり、岡山ではお嬢様学校と言われておるわな。学校自体が左翼筋と親和性が高いなんてことはないから、それはいい。彼女の周りも、わしが知っておる限りでは、特に左翼筋の人はおられん。ただ、彼女も社会性の高い子であるから、そういう筋とうまく連携して、いや、ひとりでも闘ってくる可能性も考えられる。正直かなわんのよ、わしも。特に後者の場合な。いつぞやの保母助手の解雇騒動のときみたいにやられたら、今度ばかりは、とんだ話になりかねないと思っとる」

 「まあ、あの件はちょっと、こちら側より相手側に大きな問題があったようだから、仕方ないよ。ところで大槻君は、どんなことを言っていたの?」

 「今西さんと結婚するなら自分が退職して事業を興し、彼女にうちに勤めてもらいたいと言っていた。ただ、彼女にぞっこん、恋は盲目みたような感じじゃなく、割に冷静に、自分と相手を見てものを言っておる印象があった。それに加えて、自分のような男は子育てには基本的に向かないところがあるから、とか何とか言っておってなぁ」

 「確かに、大槻君には子ども相手の仕事をしたくないようなところが、学生時代から見受けられた。ぼくの前でも、2年間の「御奉公」が終ったら、昭和45年4月より晴れて自由の身になって、広い世界に男大槻・羽ばたきます! とか何とか、飲むたびにそんなことを面白おかしく言って気勢をあげていたものだよ。なんせ、アメ車で速度違反を切られない程度に安全運転でぶっ飛ばして東京に乗り込むのが夢だそうで。西沢君とぼくと彼の3人で大阪の北新地で飲んだ時も、そんな調子で散々気勢を上げてくれて、西沢君やぼくだけじゃなく、居合わせた周りの客までが大ウケして、店内大爆笑だったよ」

 「その話、何度聞いても、彼らしくて笑えるのう・・・」

 「確かに笑い話だけど、今度ばかりは笑っていられないよ。で、ぼくが、この2年来の彼を見て、おじさんから話を聞いて、それで思ったことは、だね・・・」


 このあと大宮氏は、森川園長がそれまで思ってもみなかった意外な視点で、自説を展開した。

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