第5話 危なっかしさへのアプローチ 2

 「ごめん、おじさん、そのやり取り聞いていて思ったが、ひょっと、これは大槻君の女性関係より、将来の方向性のほうが話のテーマってことになってない? 確かに彼は、よつ葉園で2年間働くことを条件に、郊外の東大阪だけど、まあ、大阪の大学に行った。2年目を終える来年、昭和45年の春に彼は晴れて「自由の身」になりおおせて、どこにでも行ける。でも逆に言えば、引続きよつ葉園で仕事を続けていくことも可能ということになるね。まさかおじさんが2年間だけ仕事したらあとは知ったことじゃないという気で大槻君を大学まで行かせてやったとは、ハナからぼくは思っていなかったけど・・・」

 「もちろんじゃ。で、あの御仁が自動車屋を興したとして、成功できると思うかな?」

 「ぼくは、成功するほうに賭けるね」

 「わしも、基本的には成功すると踏んでいる。さしあたりは、じゃが・・・」

 「さしあたり、ね・・・。実はぼくも、それを感じている。で、もし仮に今西さんと結婚するなら、自分がよつ葉園を飛び出して、妻となる今西さんに児童指導員として勤めてもらう。それで自由の身となって、思う存分活躍してやろう、そんなところじゃない?」

 「確かにその通りじゃが、どうも、わしゃ、心配でならんのよ」

 「実は、ちょっと、ぼくも、引っかかるところがある」

 「その一番の要素は、何だ、哲郎?」

 「聞くだけ野暮だよ、おじさん。これに、決まっているでしょう」


 大宮氏は、目の前に並んでいる2本の空瓶を指さした。

 森川園長は、黙って頷いた。


 「そこでじゃナ、来年大槻君がうちを辞めて自動車屋を興して、同時に今西さんと結婚したとしよう。子どもでもできれば、今西指導員は一時的に休職も必要か知れんが、山上さんのように長く勤めることは可能じゃ。それは構わんが、問題は・・・」

 「大槻君本人だね」

 

 そうじゃ。彼以外の誰でもない。

 なんせ彼は、近所の川上君の自動車屋に休みの日や昼の休憩時に通っては、修理を手伝っておる。何じゃ、クラッチまで直せるようになったらしい。たいした奴じゃ。そんな大槻君じゃが、自動車修理よりも営業方面でこそ、才覚を遺憾なく発揮しよう。新車であれ中古車であれ。

 それで、新車の1台でも売れて見なさいよ。月賦もあろうが、即金で払うお客だっておる。中古であっても同じこと。そうなると、自分の目の前にまとまった金がドンと入って来る。仕入れの金を払っても、しっかり残っとるわな。

 月賦と言っても、馬鹿にはできん。何件も回れば、まとまった金が毎月入る。それなしだと、毎月の売上が上下し過ぎるところを、これがある故に、事業資金どころか生活資金までがショートするなんてことを、それほど心配せずにやれる。

 加えて、度々数十万の金がドンと入ってみ、その目先の金に目がくらんで、経費で接待と銘打って遊び惚け、税金対策と自称して高級外車、それこそアメ車でも買ってガソリン代度外視で入れまくって女を連れて方々うろついて、なぁ(苦笑)。毎晩街中の柳田町やら中筋やらに出向いては飲み倒して、ちゅう調子でやってみぃ。

 まとまった金が手元にあるわけじゃから、そりゃあ、女もちやほやするわぁな。浮気もある程度は、男の甲斐性としてもええ。

 じゃが、それとても程度問題よ。

 度が過ぎれば、甲斐性の範囲で済まない話にもなりかねん。

 その点、このよつ葉園は養護施設で、給与は毎月確実に出て、衣食住は事欠かぬ。仕事と銘打って飯は食えるし、御覧の通りボロいが(苦笑)、職員住宅もある。家賃は大した額じゃないし、給料から天引きで滞納の心配もない。福利厚生は十二分この上なしじゃ。賞与も年3回出るし、倒産の心配も基本的にない。そういう場所で、福祉人として彼が身を立てて、将来的には「経営者」として立派に仕事をしてくれたらいいのじゃが。

 ところで、大槻君がもし事業を興して失敗するとしたら、どんな理由だと思うか?


 大宮氏、今度は小指を立てて即答。

 遅ればせながら、コーラの瓶はすでに片付けられている。

 「おじさんがかねて大槻君に対して仰せの通り。これ以外の何物でもないよ」

 「わしも、そう思う。ただ、それが引き金になって、金や家族に波及することは十分考えられるぞ。そういうパワーを子どもらに向けられたら、間違いなく、大槻君は福祉人として立派に成功すると、わしは思っておる。哲郎は、どう思うかな?」

 大宮青年は、思うところを丁寧に述べていった。


 あのさぁ、彼を学生時代から見てきたぼくが一番思うところは、彼の社会性の、周囲の他者との相対的な水準の問題なのよ。

 確かに養護施設をはじめ福祉関係の仕事をしている人たちの中では、彼の社会性は大いに飛び抜けていると思われるが、よその世界ではどうか?

 もちろん低くはないが、まあ、中の上のいい方ぐらいかなぁ。

 大洋ホエールズ時代の三原脩監督が、自軍の選手たちを「超二流」って言ったことがあるでしょ。まさに、そんなイメージだ。悪いが、一流としては、お世辞にも上じゃない。どんな世界にも、上には上がいるものだからね。

 そうそう、うちの会社の経理部に福岡出身の栢野さんという九州大学の経済出身の先輩がいてね、その方が言っているのがこうよ。弱者の戦略というのは、競争相手の多いところは避け、少ないところでトップを目指す。もう少し具体的には、大都市よりは地方都市、市街地よりは郊外とかね。これが基本だ。

 大槻君が養護施設業界を去って、まさに彼の望んでいる自動車屋をすると言って、岡山で、いやこの際と思って大阪に改めて飛び出たとしよう。それでも彼なら、うまくやっていくと思う。だけどどちらにせよ、彼と同等以上の能力の持ち主で、競争相手になる人は沢山いるからね。大阪はもちろん、岡山であっても、まず、トップにはなれない。

 でも、児童福祉業界なら、彼の能力はその世界で飛び抜けるだけの素養はあると思うけど・・・、どうかな?


 「ほう、哲郎の周りは、頭のええ人が多いのう。あんたもその人ら相手に、まったくそん色ないが。なるほど、そういう視点は、わしも考えが回らなかったなぁ・・・」


 大宮氏は大学で法学を学んでいたのだが、三角建設に入社後は周囲に触発されて、さまざまな経営理論も学んでいた。

 彼が森川園長に述べたのは、弱者の経営戦略のベースとなる、「ランチェスター経営」と呼ばれるものをベースとしたものだった。

 大宮氏にその理論を教えたという栢野氏は、後に故郷に戻り、博多で中小企業対象の経営コンサルタントとして名をはせたという。

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