(後編)

 ――それが通り過ぎるのは刹那、しかしその一瞬間に倉庫の床を焦がし、壁を溶かして抜いて隣家を焼いた。

 フレアウィッチの杖は自動防衛システムを承認のプロセスを省略して発動させた。危機を察知し、判断し、俺たちを守るように円形のバリアを展開した。

 だがそれはその火力を微軽減させるしか効能を発揮せず、九割がたの威力を残したままの熱波を少女は浴びて地に転がり、変身は強制解除されて杖は転がる。


「なっ……!」

 当然のことながら、自分の作に姉弟子カナンほどでないにせよ自信はあった。ましては防衛に出力のリソースを割いた武装だ。それがまさか、ただの一撃で破られることなど、あってはならなかった。


「――常々、疑問に思う」


 鉄錆びた声が、入口の方から聞こえてきた。


「なぜ、君たちヒーローやヒロインというものは、新人研修よろしく初陣にはちょうど良いレベルの敵が都合よく現れると思うのか」


 一見しただけでも異常と見える、二メートル近い怪物が、明確な言語能力とともに弁を流している。


「戦場だ。雑兵の放った一本の矢が英雄の命を奪うこともある。はたまた新兵ばかりで組織された経験の浅い部隊が、百戦錬磨の軍に蹂躙されることもある。……そう、その理不尽な状況こそが今の君らだ」


 紳士的な物言い、にも関わらずどこか底冷えするような調子。

 それらとともに、鉄骨にも似た八本の脚爪が地を削る。

 異様に長い胴体には臼砲の口がもうもうと煙をあげ、その上の頭部ではどんぶり型の兜と檻のようなマスクの下で不気味に黄色い瞳が明滅している。


 さながら大蜘蛛と一体化した怪人。あるいは多脚砲台と言った様相。

 ――肌身でわかった。

 直接戦闘型の『征服者』。それも、上位種。

 本来であればこんなものが根付いている時点で、複数名のスタッフで構成された対策チームを派遣し、個人ではなくヒーローユニットを作らなくてはならない案件だ。


「馬鹿な……ナイトテイカーはともかく、これほどの存在をなんで見逃していた!?」

「まぁそれについてはタネがあるのだよ、守護者を気取る異星の使途よ」


 『砲台蜘蛛』はそう得意げに言い返して。


「新しい『征服者』のやり方さ。外から強大な存在を送り込めば、『中枢世界君ら』に感づかれる。だが『種』を送り込み、そこから広げていけば? そして幸いにして、この世界はある性質上、元々地球内部から天然のジャミングが施されていてね。その種が育つまさに最良の土壌であったというわけさ」

「何を、言っている?」

 俺だけでは、いや俺が不干渉の禁を破って戦力として参戦しても、とうてい対処できないレベルの相手。

 その事実を前に、俺の声は強張っていた。


「あぁ失礼。……いわば私は現地採用なのだよ。元からこの世界を制覇するのに王手をかけていた一派でね。だが、栄枯盛衰。余計な邪魔が入り力及ばず消滅しかけていたところを、『征服者』の種に救われた。そして力と新たなる目的と主君を得た私は、今ここにいる! その大いなる使命の魁としてっ!」


 己の言葉に酔うようにして、テンションを上げていく。

 猛獣じみた両手の、袖にあたる部位を掲げる。


「まぁそう言った教訓を得た私は、油断せず初手から潰していくことにしたのだよ。若き芽は、情報を漏らさぬためにも秘密裏に摘むに限る。この世界を、『征服者』増産のための一大拠点とするためにもね!」


 その袂より、いろいろな道具がこぼれ落ちた。

 特殊なバックルの形状をしたベルトもあった。ヒロイックなデザインのブレスレットがあり、スマホのような道具もあり、可愛らしいコンパクトや、あるいは俺たちのような長柄物もあった。だがそのいずれも、いずれかが大破して、原型を留めているだけマシという次元だ。


 かえって血生臭さを感じないからこそ、想像と感情をかき立てられる。

 年端もいかない。それこそ紅波ぐらいの青少年たち。それを見れば彼らヒーローの卵たちがその才能を開花する前にどのような顛末を迎えたのか、痛ましいほどに思い浮かべることができた。


 それに託した夢があっただろう。勇気、正義、平和への願い。

 それらを胸に抱いた物語が始まる前に、ユーザーも、そしておそらくはそのサポートに入るはずだった製作者も、人知れず目の前のハイクラスの怪人に嬲り殺された。


「なんて……なんてことをっ」

 胸に、酸いものが沸く。その冒涜に、おぞましさに、思わず口元を覆った。


「あぁ、嘆くには及ばない。これらは数分足らず先の君らの未来でもある」

 気に障る言いぐさだったが、それは覆り様のない事実だった。

 俺の装備じゃこいつには敵わない。出入り口を抑えられた今、逃げることさえ至難だった。そして時を経るごとに彼の使役するナイトテイカーの数が後続にて現れて、その絶望をより完璧なものとしてくれる。


 ――やはり、と後悔する。

 彼女を巻き込むべきではなかった。半端な覚悟で足を踏み入れさせるべきでは。軽はずみな気持ちでこの世ならざる権能を少女に与え、結果として抜き差しならない状況に追い込んでしまった。


 その無念さに唇を噛む俺の肩を、強めのタッチで紅波が押した。

「べつに……君が後悔することじゃあないんだよ。君は、アラト君はいい選択をした」

 膝から崩れ落ちそうな身体を俺を支えにして立て直し、魔法の解けた少女は毅然と睨み据える。


「なんで怪人たちが初手から本気を出さないかって? そりゃあロマンでしょっ!」

 素っ頓狂なことを力説しながら。


「吹けば飛ぶような相手を甚振ったところでなんの誉れにもなりゃしない! 成長? パワーアップ? 大いに結構。その成長を愛で、ありとあらゆる手練手管で勝敗を決する。それこそが怪人の矜持ってもんでしょうよ!」


 拳を握り固めて、瞳に活力をみなぎらせ、少女はそう気炎を吐いた。

 彼女はこんな時にも、圧倒的にして冷厳な現実を突きつけられたとしても、理想と自分の夢を諦めてはいなかった。


 あぁ、あぁと。

 鉄蜘蛛は呆れ半分、嘲笑半分といった調子で相槌を打った。


「恐怖のあまりネジの外れた卑小な小娘の、末期の言葉として記憶の片隅にでも留めておこう」

 と言い放ち、体内より砲口にエネルギーを供給していく。




「――卑小?」




 彼女の非力さと愚かさを嗤った直後、だった。

 瞬間的にトーンの変わった少女の問い返しが、場の空気を一変させた。

 さながら、ニュースを見ていたら唐突に地球最後の日だと宣告されたかのような、突拍子もない雰囲気の変わりようだった。

 理屈じゃなかった。ふぅ、と何気ない感じで虚空に飛ばした紅波の呼気が、是非もなくその場にいた誰もを拘束した。


「粗製乱造された再生怪人がオリジナルと劣るのは常とは言え、だ。眼と脳までそこまで劣化させるのか」

 呆れたような物言い。それは決して少女らしからぬものだった。


「吼えたじゃないか。スパイダー・アームズ。お前、三次組織の、半年2クールと保たなかった中級ごときが。たまたまこの世界に放流された外来種ブルーギルに媚びを売った怪人の面汚しの分際で」

 一度も名乗っていないその怪物の名を言い当てる。そしてそれは当たっていたらしい。格子の奥の瞳が、驚愕に歪む。


「貴様……いったい」

「せっかくの休暇中だ。せいぜい遊びで済ませてやろうと思ってたのに」


 問答はすでに無用、と言いたげにスパイダー・アームズを無視し、紅波の手には、分厚い黒鉄の鍵が取り出されていた。


「先に無粋を働いたのはお前だ――地獄を見るがいい」


 それを自身のこめかみに当てると、とても女子中学生とは思えない声の低さで、唱え、鍵を回す。


「天錠開放」


 その少女が、いや少女だと思っていたモノの衣服が、肌が、反転していく。内から、皮膚を突き出て現れた黒い突起物は瞬く間に外殻と化し。それが小柄な肉体を内包して増強されていく。


 巨大な岩盤のような一枚一枚の鉄片が、スケーリーフットのように全身を覆い、その隙間から溶岩のような激しい赤光が明滅する。

 その装甲は鍵を掴んだ右腕もろとも飲み込み、その巨大な半身ほどに膨れ上がる。が、左腕は対照的に必要最低限の籠手で細腕のままだ。


 そして顔面は当然ながらもはや快活な美少女のものではない。

 昆虫の類か、鬼か、悪魔か。牙を剥くかのような口元。その上に、漢数字の三を刻んだかのようなバイザー。その奥で底光りする真紅の瞳は、飢えた猛虎のようだ。

 そして右の額からは一本、三日月形に湾曲した角が生えていた。


「うん、やはりこの姿の方がしっくり来る」

 それは明らかに怪異そのもの。

 二本の足で立ち、人語を明確に発しながらも、人の、いや生物の本道から大きく逸れた怪物。

 この蜘蛛と同等……いやはるかに高位の存在。


「お前、いやあんたは……!?」


 スパイダー・アームズと呼ばれた怪物が、鉄音を立てて下がる。錆び付いた声を強張らせ、口調が崩れる。


「鬼鋼天人『ネフィリム』のグレンテル・ネフィリム!? 馬鹿な……フォトンブレイバーとの戦いで敗死したはずだ!」

「なんだお前、ニュース見てないの?」


 訳を知るもう一方の怪物が過剰なまでに反応する。

 一方で俺は、この世界の情勢も知らず、ただ霊的資質と徳の高い少女として見ていなかった俺は、ただただ言葉を失い立ち尽くしていた。


 それの、グレンテルと呼称されたその怪人は、左腕をずっと前方へと伸ばした。その影から、数体同種の異形がゾロリと這い出た。

 赤銅色の甲冑で武装した、目鼻の突起を持たない、一つ目の怪物。


「行け。ゴーレム・ネフィリム」


 ばちりと、左手の指が鳴らされる。

 そのグレンテルの号令一下、それらはナイトテイカーへと向けて歩を進めていく。怪物同士の取っ組み合いが始まった。

 単純な頭数ではナイトテイカーの側が多い。だが個体ごとの力も、集団としての強さも、グレンテルの兵隊の方が上だと動きから見て取れる。そしてその優劣や勝敗など、彼女……いやソレにとってはどうでも良さそうだった。


 闘争の合間を堂々とすり抜けて、自身はスパイダーを一直線に狙い、間を詰めていく。


「くっ……舐めるなぁ! この身はすでに、『征服者』の加護を受けている! いかにあんたとて、いや貴様程度……」

 そう言ってスパイダー・アームズの胴体がふたたび輝きを集中させていく。粒子が渦を巻き、収束していき、あのすべてを焼き払う熱波が吐き出される。


 だが、避けようともしない。グレンテルは、正面から拳を広げて待ち構える。

 あのブルドーザーのシャベルか、天から巨人のごとき右手を。


 一歩の後退もなく、鉄人は熱戦を受け止めた。指を折りたたむと、それがすっぽりと覆い込まれる。

 内側より溶かされることなく、その力の迸りに合わせて外殻の節々が明滅し、波を打ちながら変形する。

 まるで、蛇が卵を消化するように。牛が牧草を咀嚼し、反芻するように。

 ともすれば倉庫ごと俺たちを吹き飛ばすことだって可能だったその力が、拳の内側で分割され、取り込まれ、眼に見えて火力を減退させていく。

 そして数秒後、指の解かれた異形の掌に残されたのは、ただの消し炭がくすぶっているかのような煙でしかなかった。


 そして直後には、その手は蜘蛛の砲口を掴み、持ち上げていた。

 力づくでそれを飴細工のように引き千切る。おそらくはただの武装で痛覚はないだろうけど、恐怖でスパイダーは悲鳴を上げた。


 それを無視して胴体を完全に捉え、壁に何度となく、大きな亀裂が出来上がるまで叩きつけていく。

 その断末魔を聴きながら、ハウリングが効きすぎて性別さえ定かでない笑い声を弾ませる。


「あぁ、そうだ。ロクでもないお前だが、ひとつ良いところを見出したよ」

 その猛攻がひと段落つき、もはや抵抗力も残されていない蜘蛛に、グレンテルは言った。宙にかざされた左腕に、俺が拾い上げたフレアウィッチの杖が、抗しがたい吸引力で吸い寄せられた。

 そしてソレに、まるでフジツボのように鉄片が張り付く。


「油断はしないと抜かしながら、舌舐めずりの長広舌。そこはいかにも序盤の雑魚っぽくて気に入った」

「な、なにを……!?」


 だからさ、と言葉を切って杖で光の呪文を描く。鉄人の鎧を、光の帯が包み込み、魔法少女フレアウィッチがふたたび姿を見せた。

 正義の使徒。この星の守護者となるはずだった炎と光の巫女。

 だがあどけなく浮かんだ少女の笑みは、正体を半ば悟った今となっては、恐ろしいものでしかなかった。


「魔法少女のデビュー戦、その雑魚敵として、せいぜい派手に散りなよ」


 黒い鍵を、デバイスに寄生した鉄片の隙間に差し込む。

 まったく別の体系のエネルギーが、そこから流し込まれていく。

 原油を電気自動車に流し込むようなものだ。

 当然のようにエラー音が鳴り響くが、本人は意にも介さない。


「やめろ……」

 これは俺の、忘我したままに発した言葉だった。

 自分の作が改造された。『彼女』がやろうとしていることは、その存在意義の否定だ。


 無理やりの順応させられたデバイスから、エネルギーが漏れ出でて形作る。

 盾ではない。プログラムを書き換えられ、その魔力リソースは防御から攻性へと転換させられていく。


 奴がやろうとしていることは浄化でも撃退でも鎮圧でもない。

 人格を持つ存在への、確実なる殺戮。

 エネルギーはステッキの穂先に集中し、凝縮される。小さな柄とは遠くかけ離れた、猛獣の豪腕へと変わった。


 火花が咲く。

 鎌刃にもその爪が、蜘蛛の上下の肢に食い込んだことによるものだった。あとは、簡単な動作でフレアウィッチの初陣は完遂される。

 ただその爪を、引き倒すだけで、意思ある者の、生命を奪う。


 俺の、作品が。

 俺の、魔法少女が。


「やめろおおおおおお!!」


 それはスパイダー・アームズ最期の断末魔だったのか。

 それとも俺の懸命の懇願だったのか。


 次の瞬間、その怪物の巨体は魔法少女によって細断され、砲弾の供給源となっていた中央の動力炉を砕かれ爆散。

 そして半端にその爆心地に駆け寄ろうとしていた俺は、その爆風の煽りを浴びて昏倒した。

 意識を手放す間際、火炎を逆光に、微笑みながら屹立する少女の影を見た。


・・・


 どれぐらい、昏睡していたのだろう。

 あの化け物たちが戦っていたのとはまた別の倉庫で俺は横たわっていた。

 そこはさっきの場所と違って居住空間としての設備が整っていて、テレビではこの世界に最初に来た時と同じ、特撮番組がやっていた。

〈お前のそのデカイ図体にも見飽きたんでなっ、終わりにする! 『ネフィリム』ッ!〉

〈ははははは! ほざいたなフォトンブレイバー! 良いだろうっ、この宿縁にケリをつけようかっ〉


 どこかで聞いたようなワード。ヒーローと対する悪の小隊は、どこかで見たような黒い外殻の鬼。

 そしてフィクションと思われていたその映像には、続きがあった。


〈……この後、我々は鬼鋼天人『ネフィリム』との戦いに終止符を打つことができました。ですが〉


 ヒーローと同じ声音で、放送席に立つ、スタイルの良い青年はそう表情を曇らせた。


〈その幹部、上級ネフィリムである個体、グレンテルが戦闘の最中に戦線を離脱。以後消息を絶ちました。グレンテルは好戦的な気質を持つ享楽主義者です。現在は人間に擬態し潜伏をしているものと思われますが、非常に危険な存在には違いありません。今朝からの繰り返しとなりますが、もしそれと思しき不審者を見かけた場合は決して不用意に接近せず、今からお伝えする通報アプリより出来るだけ正確な位置情報を……〉


 その報道が、そしてソファに寝そべってサイダーを飲み、目を細めている紅波が、決してテレビの中の架空でなかったことを証明してくれる。


 そして、ふいに振り向いた彼女と目が会った瞬間、俺は寝かせられていたベッドから転げ落ちた。


「いやーあ、魔法少女って楽しいねぇ、アラト君」


 ビンをテーブルに投げ出し、上機嫌でスキップして距離を詰めようとする少女に、後ずさる。

 だがすぐに壁に行き当たり、至近に少女に擬態した鬼の顔が迫った。そして俺の首根を掴む。


 もう間違えようがない。

 俺が選んだのは、契約してしまったのは……


「善悪の別なく力をぶっ放すのも面白いけど、こういう縛りプレイもなかなか乙だよねー」


 純粋無垢、天真爛漫な少女なんかじゃない。

 お尋ね者の、幹部怪人。

 無害で非力と我々からは思われていたこの世界に……在来する、悪。


「さぁ、これからも仲良く楽しくやっていこうじゃない!」

 そして俺は、旅立つ前にカナンに言われたことを、今更ながらに強く痛感する。




「正義の味方を、ね」




 俺は、迷いに迷って……最悪を踏み抜く。

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魔法少女グレンテル 瀬戸内弁慶 @BK_Seto

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