擬態

 三日前に降った雪がまだしっかりと残っており、白く化粧をされた田畑が広がっていた。遠くに見えるはずの山は霞がかっていてよく見えない。追い打ちをかけるようにちらちらと細雪が降っているが、積もるほどではないだろう。そんな上から降りてくる白さの隙間から、太陽が瞬くように見降ろしていた。

 僕はしっかりと舗装された道路を、スーパーカブC125で進んでいる。

 ヘルメットのを通して感じる風の音が少し不安をあおる。分厚い皮手袋越しに、ハンドルを強く握り気を引き締めた。雪かきはされているが、だからと言って油断はできない。後ろからトラックが迫ってきたので左側に避ける。僕は寂れた神社の前を通り過ぎ、そのまま住宅地に入っていった。

 民家にうっすらと薄い霧がかかっており、家が白い息を吐いているようにも見えた。鶏が甲高く鳴き声を上げた気がした。

 そんな中の一軒家の一つ、木造建築の古い家の前に、一人の少女が立っていた。原付の音でこちらに気が付いたのか、笑顔で手を振ってくる。

 学校指定のジャケットを着ており、マフラーを巻き、ニット帽をかぶり、耳当てをし、長めのスカートに110デニールのストッキングと完全装備だ。

 僕は彼女の前に原付を止めた。


「おはよう純ちゃん! 今日もよろしくおねがいします!」


 少女が満面の笑顔で、大げさに頭を下げながら僕に言った。

 ああ、おはよう、と言いながら僕は首で自分の背中を指して促す。彼女はそれに従いタンデムシートに乗った。腰に彼女の手が回される。

 人一人分の重さが増えたことを感じながら、僕は原付を発進させた。

 延々と続く山道と、生い茂る似たような針葉樹がの群れが、進んでいるのか不安にさせる。

 これから40分ほどで目的地である学校に到着できる。背中の少女――黒瀬南保くろせなほは黙っているのが苦手で、たとえ風が強くとも十分以上会話を止めると死ぬタイプだった。

 彼女は原付の後ろに乗っているということは、僕に命を預けているということである。なので露骨に危険なことはしない。それでも黒瀬さんと体が接している部分から退屈さと言う感情が漏れ出ている気がした。

 案の定というか、いつも通り、彼女は話しかけてきた。エンジンにかき消されないように、ヘルメット越しでも聞こえるように大声で。

 彼女の話は中々まとまりがなく、すぐに脱線し、珍妙な言い回しをする。

 邪魔にならない程度の雪の道を、カブはマイペースに進む。その長い時間の会話が僕は好きだった。

 僕と黒瀬さんは、幼馴染だ。そもそもちょっと前まで同じ家に住んでいた。兄弟同然に育ったが、連れ子とかそういうのではない。ただそのあたりがかなり複雑で、話すと長くなる。

 そしてある日僕は彼女と同じ屋根の下にいることが耐えられなくなった。自分のことを兄のようにしか思っていない彼女に、思春期を得て恋心を抱いている状態がつらくなったのだ。家族に無理を言って少し離れた場所にアパートを借りて住むことになった。田舎の一人ぐらいと言うものは何かと足が必要になる。16歳の時に普通自動二輪免許を取り、両親からのおさがりでスーパカブC125をプレゼントされた。幸いにも通っている高校はバイク通学が許可されていたので、もらった原付を生かせることとなった。

 しかしながら黒瀬さんは通学には苦労することになる。僕と彼女の通う学校は同じだが、バスの関係上、彼女はかなり早く起きることになるが、原付通学の僕はそこまでではなかった。黒瀬さんは朝がものすごく苦手で、いつも授業中眠そうにしていた。そんなわけで免許を取って一年ほどたったころ彼女に懇願され、二人乗りで通うことになったのだ。

 何やら本末転倒の結果となった。


 通学途中に黒瀬さんがが恋バナをしようと言ってきた。

 この流れはまずい。うやむやにしたい。

 しかし思いを告げたいという気持ちもある。

 

「好きなのは君だよ」


 ああ結局告白してしまった……。

 そのことにより、黒瀬さんが予想以上に動揺し始めた。振られる可能性は考えていたが、ここまで拒否されるとは思っていなかった。


「ありえないありえないありえない」


 動揺が前の僕にも伝わる。いったん止めたほうがいいだろうか。幸いにも後ろから車は来ていない。僕自身も動揺していたことにより、ハンドルにぶれがあった。歯を食いしばる。

 深呼吸をしてスピードを緩める。路肩に近づけて、原付を止めた。

 ねえ、大丈夫? と言いながら僕は振り向いた。


 ――そこには擬態が解けかかった黒瀬さんがいた。


 顔面の一部がはがれ、その部分を構成していた虫たちが、バラバラに動き始めている。ハムスターと同字くらいの大きさなナメクジのような物体が、削られたような顎の一部から数匹這い出ていた。他にも前進が亀裂のようなものがあり、かろうじで形を保っているかのようで、今にも崩れてしまいそうだ。

 彼女の口の部分を担当していた虫が、黒瀬さんの体から分離しながらも、壊れたラジオに言葉を繰り返していた。眼球部分は既に地面墜ちている。

 まずい、これはまずい。

 僕は彼女を抱きしめて、バラバラになろうとするのを防ぐ。しかし焼け石に水で、どんどんと彼女の体は崩れていった。


「あの……助けてください! 誰か! 彼女の擬態が解けそうなんです!」


 僕は叫んだ。しかしあたりには誰もいない。

 僕を待たずに、黒瀬さんは地面に崩れ落ちて言った。僕は腕の中から虫がこぼれ出る。溢れ墜ちた虫をかき集めるが、次々と彼らはその場から逃げていった。アスファルトで爪を擦り、血が出る。服の隙間から百足のようなものが這って入ってきて噛みついた。

 そこでようやく、一代の軽トラックがこちらへ来る。僕は片手で手を強く振り静止を求めた。止まった軽トラの窓からおじさんが顔を出した。


「なんやどうしたんや? 事故か?」

「す、すいません! ……あの後ろに乗せていた娘、ワライカブリだったんですが、動揺して擬態が溶けてしまって」

「ワライカブリて、久しぶりに見たわあ。おっちゃん林業やさかい、虫捕まえる装備持ってへんで」

「大丈夫です。何か入れ物があれば……」


 僕たちは二人係で虫をかき集め、朝の袋の中に入れた。持ってきていた麻酔スプレーを噴射し、虫たちには眠ってもらう。一番大切な部分の虫はなんとかなくさずに済んだ。

 これはもう学校に行ける状態ではないので、欠席することを連絡する。

 そのご両親に迎えに来てもらい、病院に行った後適切な治療を受けて、家に帰った。後は罠で逃げた虫を捕まえる。

 それでも彼女を構成していた四割ほどの虫は行方不明となっていた。

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