エヒトクラング

緋糸 椎

第一章 エヒトクラング

1-1 真夜中の学校

 真夜中の学校ほど薄気味の悪いものはない。そんなところに好んで行こうと思う者は、相当な物好きだ。もっともセキュリティーの厳しくなった今日こんにちでは、そうやすやすと夜中の学校になど忍び込めるものではない。

 ところが、一人の若い女性が、果敢にも深夜の小学校への侵入を試みていた。彼女の名前は矢木さやか。今年大学を卒業したばかりの新社会人……いや、社会人になれるかどうかが、この小学校侵入にかかっているのだった。

 いざ校門の前に立つと、さすがに怖気付く。それほど人通りの多くない道に面しているが、全く無人ではないので人目はどうしても気になる。

(……びびっちゃダメよ、さやか。私は試されてるんだから!)

 さやかは学校の周りをぐるりと歩いた。そして、どうにか登れそうな金網フェンスを見つけてよじ登った。ところが思いのほかフェンスが高く、ようやく乗り越えた時には警備員がやって来て、さやかをじっと見ていた。

「ちょっと、そこで何をしているんですか!」

 見つかった……こんなに早く。しかしこんな高いフェンスの上からでは逃げようがなく、さやかは大人しく警備員のところに降りてきた。

 見ると警備員は金髪の若者で、おつむのクオリティはあまり高くなさそうだが、制服の下にははち切れんばかりの筋肉が収まっていた。逆らえば何をされるかわからない。

「すみません……」

「とりあえず、詰所来てもらえます?」

 さやかは警備員の後について行った。そして詰所に入ると、警備員はさやかにパイプ椅子への着席を促した。

「……オレ、バイトなんでぶっちゃけ面倒なのは嫌なんすよ。これから社員が来ますんで、その時に弁明なりなんなり話してもらえます?」

 警備員はそう言うと、携帯をいじり出した。さやかは警備会社の社員が来るまでの時間、何をすれば良いかわからず、針のむしろにいる気分で過ごした。

 やがて詰所の扉がノックされ、二人の警備員が入って来た。先に入って来たのは年齢の読めない年増女で、続いて彼女と同世代と思しき男性が入って来た。なかなかダンディーな男だった。

(あら、素敵なおじさま……)

 髪は少し白髪まじりだが、丁寧にオールバックに撫でつけられ、スラッと引き締まった体格。やや釣り上がった眉毛は強面の一歩手前というところか……そんな風に男を観察していると、年増女のほうが話し始めた。どうやらこちらの方が立場は上らしい。

「近頃同じような侵入事件があちこちの小学校で起こっていたけど、……もしかして、全部あなたがやったの?」

「はい、すみません……」

 女性警備員はこれ見よがしに大きなため息をついた。

「いい歳したお嬢さんが……いったい何をしているのかしら。何故こんなことを?」

 しばらくの沈黙の後、さやかはおもむろに話した。

「実は……さがしものをしていたんです」

「さがしもの? まさか子供の頃の落とし物を今になってさがしているとか?」

「いえ……そういうのではなくて……」

「そういうものでなくて何なの? 見つかるまで不法侵入を続けるつもり?」

「そ、そんなつもりは……」

 と言ったものの、さやかはずばりでいた。しかしこうして捕まってしまった以上、これまで通りというわけにはいかない。

 とその時、男の方がボソッと呟いた。

「見つからなくてもし続けるのは、人間のだ……」

 一瞬で場の空気が固まった。

(え……今の駄洒落? もしかして場を和ませようとして言ったの? 全然効果ないし……って言うかどう始末するつもりなの、この空気!)

 そう思って男の名札を見たさやかはハッとなった。そして叫んだ。

「み、見つかりました、さがしもの!」

 さやかが突然大声で叫んだので、三人の警備員は呆気に取られた。すかさずさやかが言った。

「私がさがしていたのはEchtklangエヒトクラング、つまり……あなたです!」

 そう言ってさやかは、ビシッと熟年男性を指差した。

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