「ジャッカル」と「ゴート」 八

 ひととおり説明を聞き届けると、ザックは感心して言った。

「さすがだな、スタンリー」

「お褒めいただいて光栄だね」

「しかし、応援も連れずに二人だけで来るとはな」

「わかるのか?」

「もしバックアップがいたなら、いまごろは俺もあの小僧も袋叩きにされていたさ。いや、良くて、袋叩きだな」

「悪ければ?」

「蜂の巣だ」

 一人は卑劣な裏切り者。もう一人はギャングに追われる逃亡者。それでなくても、警官から銃を奪うという蛮行に出た以上、即刻射殺されても文句は言えない。

 スタンリーがカイル一人を連れてやって来たのは、それでもザックの離反を信じられなかったからだろう。引退したとはいえ同じ警官のよしみである。ただ、まさかそんな相手に投げ飛ばされる羽目になろうとは、露ほども思っていなかったに違いない。

 呼吸はいくらか落ち着いてきたが、スタンリーはいまだ背中を丸めたままだった。しゃがみ込むというほどではないが、決して真っ直ぐに立っているわけでもない。スタンは片方の肩を下げた格好で、誰のものかもわからぬ車に重心を預け続けていた。

 その体勢で、何事かもごもごと言い淀んだあと、スタンはようやく声を出した。

「こんな台詞、聞きたくないかもしれないが……お前の家族のことは残念に思う」

 家族。家族のこと。愛しい妻と小さな娘。

 稲妻のようなフラッシュバックがザックを襲う。それはいまから十三年前の、ある車両爆破事件に関する記憶だった。標的はザック自身。爆薬は、彼の自家用車のダッシュボードに仕掛けられていた。一人の優秀な刑事が「新しい人生」を歩むよう余技なくされた直接の原因だ。それでも、彼などはまだ幸運なほうである。少なくとも、命だけは助かったのだから。

「マルドネスを恨む気持ちはわかる。それがこの行動の理由なら、俺はとてもじゃないが、お前を責める気にはなれない。しかしどうして、なぜいまになって――」

「ありがとうスタン。だが、そうじゃない」

 恨みがないと言えば嘘になる。

 ザックは当時、アレックス・マルドネスにかかる嫌疑への追及に携わっていた。言うまでもなく危険な行為だ。しかし、ザックはちょっとやそっとの脅しでは怯まなかった。

――たとえ誰を敵に回すことになろうとも、必ず真実を明らかにすること。

 そうした信念こそが当時の彼の人生そのものであり、また日々襲い来る苦難に耐えるための、揺るぎなき指針であったのだ。

 正義感の強い無謀な刑事と、権威を欲しいがままにする巨悪。よくある話だ。とくに、このサウスランドシティでは。無論、その先がどうなるかなどわかりきっている。

 やがて、多大なる喪失の果てにザックが抱いた想いとは、しかし憎悪や憤怒というものではなかった。

「あれは…………そう、あれは俺の責任だ。お前の前任者をはじめ、多くの人間から忠告を受けていたというのに、意固地になって手を引かなかったからだ。だから……彼女たちは死んだ。俺がそうなる代わりにな」

 色褪せることのない後悔。それが、この十三年間のすべて。日が昇り、そしてまた沈んでいくという終わりなきサイクルの、そのすべてだった。

「そう思うのなら、ザック、どうしてまた同じ過ちを繰り返そうというんだ」

「あの事件は確かに俺のせいだ。だが裏を返せば、それは奴らを追い詰められるだけの手段が、当時、俺の手中にあったからでもある。奴らは、自分たちの基盤が揺るがされかねないと、そう判断したからこそ俺の命を狙ったんだ。彼女たちが死んだのは……」

 あくまでも不測の事態、不慮の事故だった。そのことを頭では理解していたが、ついぞ口にすることはできなかった。

「いいか、スタンリー。今度の運び屋狩りは根の部分が違う。あいつらには、どうやってもデモニアスを脅かすことなど不可能なはずだ。殺す必要がどこにある?」

「考えるなよ、そんなこと! たとえ何がどうだろうと、俺たち風情の力でどうにか出来るわけじゃないだろう」

「だから、黙って見殺しにするのか」

「いまさらチンピラが十人や二十人死んだって、どうっていうことはないだろう。下手にその運び屋たちに肩入れするような真似をすれば、お前、今度こそ確実に殺されるぞ……いや違う。お前だけじゃない。もしもいまのアレックスが機嫌を損ねれば、本来なら死ななくてもいい人間にまで被害が及ぶ可能性だってある。その運び屋連中の関係者を片っ端から始末することだって、いまのあいつならやりかねないんだ!」

 直前までその場を支配していた静けさが、急速に熱気へと移り変わろうとしていた。その瞬間のざわめきを、ザックとスタンリーはそれぞれに感じ取った。

 スタンリーは叫ぶように言った。

「いいかザック! お前の選択でだ、死ぬ必要のない人間が死ぬかもしれない。身勝手な正義を振りかざして市民を危険に晒すなら、それはテロ行為と一緒だぞ!」

 不安からなのか、それとも怒りからなのか、その声は紛れもなく震えていた。

「身勝手な理由で人の命を奪おうというのはアレックスだ! お前はその片棒を担ぐことに、疑問を感じたことはないのか?」

「それで善良な市民の安寧秩序を守ることができるなら」

 熱い興奮を浮かばせたその両目は、それでもしっかりとザックを見据えていた。

「俺は喜んでそうするさ」


    十


 ある意味では、スタンリーはザックに感謝の念すら覚えていた。最前にパトカーの車内で頭を悩ませていたような疑問の数々が、まったくの気の迷いなのだと気付かせてくれたからだ。

 秩序を保つことこそが警官の仕事だ。それがいわゆる「大義」というものであろう。その大義を実現するためには、この街のルールを決して疑うことなく、常に信頼し、徹底的に遵守しなければならない。そういう行動指針こそが、罪のない者たちを救うことに繋がるからだ。ならば、いまのスタンリーが取るべき行動は一つしかない。

 彼は、投げられたときの傷が痛むかのようなポーズで荒い息を吐き、背を丸めた。そうしながらも、自然な様子で自らの足元に視線を落とす。そこには、日々の生活とは無縁の危機に対する彼なりの回答が納められていた。スナブノーズのリボルバー。三十八口径。装弾数は五発。火力としてはやや心もとないが、結局のところ銃撃とはつまりどこに当てるかだ。ほんの小さな鉛弾でも、きちんと頭蓋骨を捉えさえすれば大抵の標的は大人しくさせられる。たとえ相手が、脳味噌など大して使う機会もないようなゴロツキだったとしても、だ。

 ともあれ現状における問題は、いまスタンリーの前に立ちはだかっているこの探偵が、小金を稼ぎたいだけの強盗でも、自暴自棄になった薬物中毒者でもないということだ。明らかにスタンリー以上の経験を積んでいるであろうベテランの元刑事。かつ腕利きの探偵。それも、セミオート拳銃で武装した、腕利きの探偵である。敵に回す個人としては、最悪の部類に入るかもしれない。

 可能なら、あの新入りを頼りにしたいところではあった。あのカイルが運び屋の最後の一人を捕らえさえすれば、それでこの場は丸く収まる。ザックにしてみても、それ以上の反抗は無駄だと悟る良いきっかけになるだろう。

 とはいえ、カイルの実力ははっきりいって未知数だ。まだ組んで日が浅い。これまでは実力を測る機会がなかった。それほど迂闊でないことは確かであるらしいが、運がいいだけの間抜けでないとは言い切れない。

 さらに言うなら、追われる側の運び屋については、カイルの存在に輪をかけて情報がないのである。すばしっこいのは間違いないとして、しかしどれほどの腕っぷしを持っているのか、またどれほどの「覚悟」をもって警官に「接する」のかというのは、スタンにはまったく予想がつけられなかった

 そうした状況を鑑みるかぎり、やはり僥倖など望むべきではないだろう。ケリは自分でつけるしかない。

 スタンリーにとっても、ザックは長年の知人には違いなかった。友人というと言葉が過ぎるかもしれないが、多くの面で頼りになると感じているのは本心からのことである。とはいえやはり、自分自身を含むの大勢の命には変えられない。

 直前のスタンリーの発言にザックは何ら返答を返さなかった。ただじっと口をつぐみ、まるでスタンの本心を見透かそうとするかのように、厳しい目を向け続けるばかりである。

 おそらくこの先、彼ら二名のうちのどちらかが口を開くよりかは早く、いずれかの拳銃が火を噴くことになるだろう。白い閃光が束の間にひらめき、赤い血が流される。

――どこまでやる? 本気であいつを殺すのか?

――ああ、そうだ。無関係の人間が、たとえ一人でも死ぬことのないようにな。

 自問自答を繰り返すたび、だんだんと殺意が明確になる。覚悟はとうに決まっていた。あとは、タイミングだけだ。

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