「ジャッカル」と「ゴート」 五


    六


 ダンフォール・ハリスを首領とする一団、〈スパイクボーイズ〉は、やはりギャングのたぐいではなかった。彼らは小規模の運び屋グループだ。言わば誰にとっても都合のいい捨て駒か、でなければ、たかがチンピラにすらなり切れない半端者の寄せ集めである。サウスランドシティの暗中を闊歩するギャングたちからしてみれば、ボーイズなど取るに足らぬ羽虫のような存在に過ぎないだろう。

 にもかかわらずアレックスは、連中の血を求めて止まなかった。

「相手が同業者でないなら、見せしめは一人で充分でしょう。あとの者は適当に痛めつけて、それで示しをつけるということにしてはいただけませんか?」

 ザックからくだんのバーで得た情報を知らされた、その夜のこと。

 真剣に言うスタンリーの言葉を、アレックス・マルドネスは取り合おうという素振りすら見せなかった。それどころか彼は、不適な笑みをその顔中に貼り付けたまま、嘲るようにこう言った。

「殺して何がいけないのさ?」

 自分は法の手の届かぬ存在だ。罪を咎められることのない人間だ。自分自身が生きるこの人生よりほかに、それと同等の価値を持つ物はこの世界に存在しない。この瞬間、アレックスははっきりとそう宣言したのである。声や表情といったものの一つ一つに、ただならぬ傲慢さを滲ませながら。

「スパイクだかスライスだか知らないけど、商売敵じゃないからって甘い顔はできないよ。むしろ、たかが運び屋の分際でこの僕に逆らったんだから、相応の支払いはしてもらわなきゃ」

 あるいは、スタンがビデオ通話のなかで最前の提案をしたことが、アレックスの神経を逆撫でしてしまったのかもしれない。「この俺に意見をしたければ、直接に顔を突き合わせるくらいの誠意を見せろ」というような思いが、この男の態度をより頑なものにしているのだろう。

 スタンは、そういう自身の思い付きを頭の中から追い払いつつ、訊ねた。

「つまり、あくまでも彼ら全員に『償い』をさせると?」

「そんなの当り前じゃない。二つ三つっていうんじゃまるで足りないよ。敵が五人なら五人分、十人なら十人分。きっちりオトシマエをつけさせないと」

「本気ですか?」

「わかってるよスタン。心配なんだろう? 堅気の人間に手を出すことが。当然さ。あの父さんでも、どうしようもない場合を除いて、その一線だけは頑なに超えようとしなかった。ある意味では、それこそがデモニアスが一代で大成した秘訣なんだろう。金と暴力と畏敬とに加え、一つまみの矜持がある。多少は古臭いけど……でも、たしかにユーモラスだ」

 アレックスのこの言葉を耳にしたときは、流石のスタンリーも意表を付かれた気がした。まさか、この横暴の化身からこういう言葉が聞けようとは。こういう態度こそ一種の思慮深さというのか、公平なものの見方というものだ。

 ならば交渉の余地はある。この街の市民生活を守るという己が使命のために、スタンリーは食い下がった。

「それがわかっているなら、なにも皆殺しにすることはないでしょう。組織が過激になり過ぎれば、我々警察としてもいずれは『能力の及ばない』場面が出てくることになりますよ」

「でもスタン、駄目なんだ」

「は……?」

「僕のファンはいつだって血を求めている。それも、飛び切り新鮮なやつをね。だけど、最近の彼らはそれにすら飽いているらしいんだ。口々に言うんだよ、ステージを降りろ、俺のほうがもっと上手にやってみせるぞ、ってさ。足りないんだ。満足してくれないんだよ、獣なんかの血じゃ。彼らは人間のを見たいのさ。死を恐れ、安寧を愛し、家族のために朝から晩まで働くようなまっとうな人々の、純粋で真っ赤な鮮血をね」

 気付けば、アレックスの表情からは喜色が失せていた。うっすらと笑みこそ浮かべてはいるものの、そこには何か、秘めた感情の機微のようなものが窺えるようでもあった。

「贄と流血は決して惜しむな……悪魔との契約っていうのはね、スタン、そういうものなのさ」


    七


 アレックスが口にしたその言葉を、スタンリーはもう数え切れないくらい頭のなかで繰り返していた。そうすることで、無意識に自分を納得させようとしたのだ。

 ボーイズが違法な運び屋であることは間違いない。しかしだからといって、マフィアやギャングと同列に扱うべきかということになれば、それは意見の分かれるところだろう。

「裏の社会に生きる」という意味においては、両者のあいだにたいした違いはない。しかし仮に、この両者間の差をもっとも単純かつ明快に示すのであれば、そのポイントは「武力」ということになるだろう。つまり、法律の定めを逸脱した武装を保持しているかどうかというようなことだ。刃物、火器、爆発物。種類はどうあれ、そういった物品の保有、あるいは使用の有無というのは、極めて重要な目安だと言える。

 裏を返せば、そういった武器や過度な害意を持たないような者に対しては、概して相応の加減をもって対応せねばならない。それがこの街に存在する、デモニアスのなかに存在する最低限のルールというものだ。

 そうした不文律がいま、塗り替えられようとしている。スタンリーが危惧するのはまさにその点だった。

 アレックスが組織の実権を握ってからまだ十年と時が経っていない。にもかかわらず近年、彼らの行動には過激化の兆候が見られていた。そうした変化がどういう理由から現れているのか、ということに関しては、いかなスタンリーでも確信めいたことは言えなかった。

 だが大きな不安要素が一つあることだけは、間違いなく確かだった。それはほかならぬケイン・マルドネスの存在である。より具体的には、ケインが存命であるという事象そのものということだ。この巨大な男の存在が、その息子たるアレックスが持つ横暴さや、敵対する武装組織に対する抑止力となっているのは間違いない。そうなるとこの先、もしもケインが命を落とすようなことにでもなれば、誰が望むと望まざるとにかかわらず大規模な変革が訪れるのは必至だ。自然、アレックスも一層の力を入れて組織を動かすことになるだろう。デモニアスの活動も現状に輪をかけて激しくなるはずだ。

 今回の「運び屋狩り」は、いわばその前兆なのではないか? 

 ひび割れたダムを流れ落ちる漏水。取り返しの付かない決壊の前触れ。莫大な被害をもたらす洪水の予兆。

――いま、自分が携わっているこの一連の出来事は、そういった事象に他ならないのではないだろうか?

 そういった悪い予感が、脈動ごとに疼く頭痛のようにスタンの脳内を反響していた。その不安感を拭い去らんと欲するがゆえに、彼は繰り返し回顧するのだ。

――悪魔との契約っていうのは、そういうものなんだよ――

 これは必要なことだ。運び屋たちの死は必然。常軌を逸した凶暴性によってデモニアスの力を誇示し、他の勢力に対するけん制を図る。すべては街の勢力図における安定性を、より強固なものとするためだ。

(何も心配することはない。勝手な思い込みでパニックになるなよ、スタン)

 彼は自分に言い聞かせた。自身の内側から沸き起こる焦燥感を、隙間なく、黒々と塗り潰すために。そうしていないと、いつもと何ら変わらぬ街角の風景ですら、まるで砂上の楼閣のようだと感じられてしまうからだ。

 このとき、スタンリーたちを乗せた車両は街のメインストリートの南端に差し掛かっていた。見上げるばかりの高層ビル群が立ち並ぶその足下、上り下り合わせて四つの車線に加え、駐停車用のレーンまで備わった広大な通りである。

 日はもう見えなくなっていた。もしかすると太陽はまだ薄い残照を地平線に浮かべているのかもしれないが、どうあれこの排気ガスに埋もれた繁華街の底にあっては、それは見果てぬ風景というものだ。

 交差点を右折し、少し進んでから、また右に曲がる。そうして何度も、一帯の周回を繰り返す。ここで誰が見付かるという期待があったわけではないが、日がな一日オフィスに閉じこもったまま、指をくわえて待つのみではいられない。どこで何が起きても迅速に駆けつけられるよう、スタンリーはとにかく動きやすい体勢でい続けることを望んだ。

 彼はポケットから携帯電話を取り出した。ついで画面を確認する。新しい連絡は入っていない。同様に、警察無線も大した情報は伝えてこなかった。

 検問はそれなりの成果を挙げているようだった。はっきりいって一人、二人の逃亡者相手には過ぎたもてなしだが、いったん予定を入れたものを容易く中止にはできない。役所仕事とはそういうものだ。いずれにせよ、運び屋に関すること以外には興味を惹かれない。度を越した速度違反や物珍しい種類の整備不良など、その手の「特報」が雑音にすら思えるほどだ。

 じりじりと時間だけが進むなか、カイルは焦れたようにハンドルを切った。タイヤのゴムが音を立て、マッシブな車体が横方向に揺れる。車内に存在するすべての物体がカーブの外側に引っ張られた。

「おいおい気を付けろよ」

「ええ、すみません」

 この新入りは余裕を失くしかけている。スタンリーの目から見てもそれは明らかだった。ともするとカイル自身にも、いくらか自覚があるのではないだろうか。

 無理もない。正義感に燃え、社会正義を成すべく苦労に苦労を重ねて警官になったというのに、そのうえでやることがギャングの手伝いだというのでは、それこそまったく報われないという話ではないか。それも、カイルにとってはこの街に来てからの初の大仕事がこれなのだ。その状態でなお平常でいろと言うのは実際、酷である。

 ただこの新入りにとって幸いなのは、この緊張感にもようやく終わりが見え始めててきた、ということだ。何といっても、現状で身柄を押さえてない運び屋は、残すところあと一名のみなのである。そのひとりさえ所在を突き止めることができれば、それでこの息苦しさからも解放される。スタンにとってそうであるように、その相棒たるカイルにしてみても、この事実が大きな希望になっているだろうことは想像に難くない。

 とはいえ、目的の人物がすぐに捕まるという保証はどこにもなかった。つまり、いますぐにでも吉報が届けられる可能性もあれば、このままずるずると同じストレスに晒され続ける恐れもあるということだ。そういう面を鑑みれば、まさに今この時点こそが正念場であると言っても過言にはならないだろう。

 スタンリーは時計に目をやった。定時はとうに回っている。

「カイル、署に戻ろう。ひとまず休憩だ」

 人手は有り余るほどにある。デモニアスの兵隊は数百人と駆り出されているし、それ以外の関係者も含めるなら、捜索態勢は相当数の規模になる。何をどう見積もっても、二人の警官が小休止を取るぐらいの余裕はあるだろう。それに、人間という生き物にはどうしても休息が必要なのだ。体力とモチベーションを維持するためにも、ここでの無理は禁物である。

 スタンリーの口から出た休憩という単語に、カイルは思わず安堵の息を漏らした。

「ええ、わかりました」

「どこかでドーナツでも買っていこう。腹ごしらえとしようじゃないか」

 スタンがそう口にしたちょうどそのとき、車載無線から声が流れ始めた。ノイズ交じりの聞き取り辛い音声ではあったが、普段から耳慣れているおかげか、内容は過不足なく理解できた。

 バリバリとうるさいばかりのその呼びかけのなかには、聞き間違いでなく、ジョシュア・ハーヴェイという名前が含まれていた。

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