探偵 六


    九


 ザックは携帯電話を耳に当てた格好で、相手の応答を待った。呼び出し音は何度も繰り返された。無機質な音の反復が、長く、長く続いた。それでも辛抱強く待ち続けていると、やがて通話口に人の気配が現れた。

「もしもし」

 乾いた声だった。おそらく直前まで眠っていたのだろう、とザックには察しがついた。

「ああバリー、夜分おそくに申し訳ない。ザックだ」

「なんだきみか。どうしたこんな時間に? またサーボのひとつでも壊したか?」

「いや、急患を頼みたい」

「急患……? それはいったい、どういうたぐいの事情なんだ」

「デモニアスからの依頼だと考えてほしい」

「ああ、そうか……なるほど」

 バリー氏はそこで大きな溜め息を吐くと、続けてこう訊ねた。

「わかった、どういう状況だ?」

「負傷者は四名。うち二人は銃創だ。いずれも命に別状はない。場所は……」

 ザックは部屋の窓に目をやった。近隣の倉庫に設置されている看板を見るためだ。目印となるような、名の知れた社名を探したのだ。やがてそのうちの一軒に目を付けると、彼はそこに記された文字を読み上げ、通話相手に伝えた。打ち捨てられた廃倉庫を指定するよりかは、いくらか場所の特定に役立つだろう。

 こうしたザックの意図を通話相手はすぐに汲んだらしく、心得た調子で応えた。

「わかった。とにかく、港の中のその辺りだな。近くに回収用のスタッフを送ろう。細かい部分はきみのほうで誘導してくれ」

「ああ、助かるよ。こんな時間に手間をかけてすまない」

 腕時計の表示は午前四時を告げていた。埃まみれの窓ガラスを通して見える空も、幾分か青みを帯び始めている。

「そんなこと気にするな。私のほうだって気にしちゃいない」

「ありがとう、バリー」


 通話が切れると同時、周囲から一切の音が途絶えた。波止場に寄せる波の音さえ聞こえそうなほどに、事務室の内部は静まり返っていた。

 それぞれに傷を負った襲撃者四人組は、一箇所にまとめて待機させられていた。身体的な拘束こそ成されていないものの、その負傷の具合も影響してか、男たちにはもはや反抗する気力すら残されていないようだった。うち一人は右腕と肩甲骨の骨折。違う一人は椅子の直撃による顔面及び胸部打撲。残る二人は銃創で、これは両人ともに揃って腿を撃たれていた。簡素な止血くらいは施してあるが、不必要に処置が遅れれば無事では済まない可能性もある。

 その四人のすぐ前に、右手に拳銃をぶら下げたザックが立っていた。彼は体温を感じさせない目で男たちを見やった。そうしたまま、抑揚の薄い声で告げる。

「IDを出せ」

 何よりもまず、この四人の素性をあらためるべきだ。身分証からわかることなどそう多くはないかもしれないが、今回に関しては、あるていどの期待があったのだ。

 四人は互いに顔を見合わせた。逆らってどうにかなる状況ではない。とはいえ、やはり彼らにもプライドがあるのだろう、リーダー格の男は首を横に振って、言った。

「協力するつもりはない」

「頼む。これ以上面倒を起こしたくない」

 時刻は午前四時を少し回ったところだ。悶着するには遅すぎるし、早すぎる。

 だが相手もそう簡単に意思を曲げる気はないようだ。

「駄目だ。いくら脅しても、俺たちは言いなりにはならん」

「そうか……なら、取引ということならどうだ?」

「なに?」

「ギブアンドテイクだ。そちらも、俺が何者なのか知りたいはずだ。違うか?」

「それは……」

 さきのバンでの移動のさなか、ザックも所持品の検査は受けていた。当然ながら身分証も調べられている。しかしそこから得られる情報など、氏名だとか生年月日だとか、あるいは社会保障番号くらいのものである。一番肝心な情報――その男の正体が何なのか――ということに関しては、相手方も何一つ確証を得られなかったはずだ。

 また、仮に先方が最初からザックの正体――しがない私立探偵――を知っていたとするなら、わざわざ法を犯してまで彼を拉致、監禁した動機というのが問題になる。名のある資産家というわけでもなければ、何かしら貴重な情報を握っているわけでもない。そんな男を誘拐したところで、いったいどんな得があるだろうか。少なくとも、実銃を持ち出し、それを人間に向けるリスクに伴うだけのが意義があるとは到底、思えない。

 察するに、この襲撃者らは霧中にあるのだ。視界を遮り、肌に絡みつく深い霧に囲まれながら、そこから抜け出す光明を渇望しているのである。彼らが強行的な手段に出たのは、自分たちの敵の正体を掴みたいがための、いわば焦りの裏返しに他ならない。

 そういうザックの想像を裏付けるかのように、リーダーの男は大いに悩み、口にすべき言葉を慎重に選んでいた。その口元は歪められ、目線は無機質な床面にのみ向けられている。ザックも、あえて返答を急かすような真似はしなかった。

 やがて、男は喘ぐように言った。

「…………ひとつだけ……ひとつだけ教えてくれ。あんたは、あの場所で誰かを見張っていたのか?」

「ああ」

「それは……それはいったい誰を狙ったやったことなんだ?」

 こうした場合、嘘や誤魔化しは逆効果にしかならない。ザックは正直に、彼が追う標的の名を告げた。

「ハリスだ。ダンフォール・ハリス」

「ああ、クソっ……! やっぱり俺たちの見立ては間違っていなかった。あんた、あいつに何の恨みがあるって言うんだ!」

「教えるのはひとつだけだったはずだ」

「この野郎!」

 男は勢い込んで立ち上がろうとした。だが、やはり撃たれたほうの足がいうことを聞かないのだろう、急激にバランスを崩すと、彼は半端な姿勢のまま地面に転がった。苦悶にその身を焼かれながらも、しかし男は、目の中に憎悪の炎を燃え立たせていた。

「ザック・フィッシャー……あんたは、あんたはいったい何者なんだ」

「それが知りたいのなら、せめて名乗るぐらいはしたらどうだ」

 探偵と襲撃者。両者の視線がまともにぶつかる。彼らは互いに口を閉ざしたまま、相手の出方を待った。時間の流れさえ滞って感じられるほどの、どこまでも居心地の悪い感覚が、部屋の隅々までをも覆い尽くしているようだった。

「イーストン……」

 突然の発言に、ザックもすぐには、声の主を見付けることができなかった。直前まで話していたリーダー格の男ではない。明らかに別人の声だ。

「自分は、イーストン・ショーです」

 見ると、それまで一語たりとも発していなかった三人のうちの一人、腕を折られた男が顔を上げていた。

 リーダー格の男は慌ててショー氏を怒鳴りつけた。

「おい、何も言うな!」

「もう限界だろう! ここで突っ張って何になるって言うんだ」

 内から込み上げる恐怖がイーストンの唇を震わせる。折り重なった痛みと恐怖とに、彼はすっかり飲み込まれていたのだ。

 イーストンはリーダーの男から視線を外すと、真っ直ぐにザックのほうを見た。

「それより、なあ、あんた教えてくれよ、俺たちはこれからどうなるんだ。あんたが電話していた相手は、いったい誰なんだ?」

「医者だ。いまお前たちに死なれたら、それはそれで困るからな」

「じゃあ、俺たちは助かるのか?」

「さあな。お前たち次第だ」

「ああ、もうわかった、わかったよ」

 そこでイーストンは仲間たちを順々に見回すと、たった一言だけ短く訊いた。

「なあ、もういいだろう?」

 その一言をきっかけに、彼の諦念が一気に伝播した。重く、苦々しく、それでいて開放感をも抱かせるような入り組んだ脱力感。そういったものが、襲撃者四人のあいだを平等に行き交った。

 次に口を開いたのは、リーダー格の男だった。

「……クソ、どうなっても知らんぞ」

 言いながら、男は自身のジーンズから財布をもぎ取ると、それをザックの足元へと投げて寄越した。

「協力に感謝する」

 角の剥げた人工皮革製の財布を手に取り、中身をあらためる。望みの物は確かに見つかった。身分証の表記を信じるなら、男のフルネームは〈タイラー・ルイス・ローソン〉というらしい。

 ローソン氏に引き続き、残る三人もそれぞれに身分証を差し出した。

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