警官 五

「さあスタン、これでご満足かな?」

 男は突然に声の調子を変え、甲高いトーンを壁中に反響させた。通話先の物音を傾聴していたスタンリーとしては、その音量差に戸惑うばかりである。

 そういう彼の反応がお気に召したのか、男は実に機嫌よく語りだした。

「そうさスタン、きみは一人じゃない! きみと同じ苦しみを抱えた同士が、この世界に確かに存在するわけだ。それも、きみが長い年月を過ごしてきたこの街に! 心強いとは思わないかい?」

「お前は誰だ!」

 スタンリーは怒りに任せて叫んだ。いまはその熱だけに、集中していたかった。

「おいおい、怒鳴ることはないじゃないか。そんなに不安がることはないさ、僕はきみを痛めつけるような真似はしないんだから。ただ……」

 そこで中途半端に言葉を区切ると、男はわざと大きく聞こえるように、スタンリーの耳元で手中の道具を操作した。金属と金属とが擦れ合い、歯切れのよい硬質な音を立てる。幾分か涼しげで、澄んだ響きだった。

 それはスタンリーにとっても聞き覚えのある音色だった。まだ若かったころ、それこそ何度も耳にしたものだ。連日、警察署の一室で同僚たちとスコアを競い合った。紙製の標的に向かって、何発も、何発も弾を撃ち込んだ。

 このとき彼が耳にしたのは、拳銃のスライドを操作する音にほかならなかった。

「やっぱり、きみを生かしてもおけない。だからあいだを取って、苦しまないように死なせてあげることにしたよ」

 スタンは無意識に身体を硬直させた。それまでどうにか無縁に過ごしてきた、「不慮の死」が、気づけば彼のすぐ傍に立っていた。何事か口にすべきだとは思ったが、されど、いったい何を言えばいいというのか。スタンリーは浅い呼吸を繰り返しながら、声なき自問を繰り返した。

 やがて、麻袋のざらつく感触の向こう側から銃口らしき物体が突き付けられるのを、スタンリーは彼自身の皮膚感覚で理解した。彼は、こめかみに押し付けられるそれからどうにか逃れようと首を曲げたが、やはり何ら効果はない。もはや、できることなど何一つ存在しなかった。

「腕は悪くないんだ。だから、心配しなくていい。半端に生き残るようなことにはならないからね」

「やめろ!」

「さよなら、スタン」

 男は一切、躊躇を見せなかった。

 束の間、スタンリーのすぐ耳元で火薬が炸裂した。衝撃で胴体が折れまがったかと思うと、それはすぐに、縛り付けられたパイプ椅子ごと冷たい床に転がった。

(頭を吹き飛ばされても、火薬の匂いはわかるのか)

 奇妙な発見ではある。しかし、それがいったいなんだというのだ。いったい何に活かせる? あと何秒間、何が起きて、何を理解できるのか、見当も付けられないというのに――。

 スタンリーが自らの死について受容をし始めた、まさにその瞬間、唐突に彼の視界が光を取り戻した。視神経が混乱し、脳が出鱈目な信号に戸惑う。

「いまわのきわには家族の顔が浮かぶのだろう」と、スタンは以前から予想をしていた。六年前に出て行った妻と、長らく電話でしか話しをしていない一人息子の顔が、それぞれ同時に網膜のなかに浮かぶのだろう、と。

 だがこのとき、実際にスタンの視界のなかに現われたのは、ほかならぬアレックス・マルドネスの顔であった。ついさきほどまで、とある引き出しの中に入れていた顔だ。つまり、〈これから会う予定〉というラベルの貼られた引き出しに、である。

「サプラーイズ!」

 幾人もの声が交じり合いながら、一つの言葉を形成していた。声と声との隙間には、火薬式のクラッカーの軽快な音も混じっているらしかった。

 それらの複合した音が去ってのち、一人の男の甲高い笑い声が、またひときわに大きく鳴り響いた。

「スタン、スタン、スタン、なんて顔だ! まったく、愉快な奴だなあきみは」

 スタンリーは何ら言葉を発することができず、また同時に、何事をも考えられなかった。彼はただ呆然と、確かにこの空間に存在する、アレックス氏の顔を見上げることしかできなかった。


    六


「いやあ、しかし本当に気付かなかったのかい? 僕の声なんて聞きなれたもんだろう、スタン」

 半ば噴き出すようにして呼ばれたスタンリーの名は、すぐさま笑い声に押しやられた。特注の椅子は座り心地が悪かった。スタンリーには座面が柔らかすぎるのだ。

 ストレスと疲労感とを全身に滲ませたスタンリーと、赤く腫れあがった瞼に氷のうを当てたカイル。長い足を組み、椅子の背もたれにふんぞり返るアレックス。以上の三人は、クラブの最奥にしつらえられた、アレックスの私室にいた。むやみに高価なばかりの調度品を並べ立てた、品も窓もない部屋である。聞くところによると防音対策は万全に整っているらしく、通用口のすぐ前に立っているガードマンでさえ、中で行われる会話を聞き取ることはかなわないのだそうだ。


 結局、監禁されたように思われたスタンとカイル両氏は、終始、同じ建物の中にいただけだった。同じクラブの中の、それぞれ別のスタッフルームに、だ。

 要はサプライズと空砲である。極端に退屈を嫌うアレックス・マルドネス流の、特別な客人に対する持て成しの気持ち。読んで字のごとくの「出血」大サービス。思いやりと配慮の賜物。

 ただ、この配慮という面にかんしては、気絶しているあいだに拳銃を没収しておいてくれた点についてだけは、スタンリーも素直に感謝をせずにはいられなかった。もし仮に、自由を取り戻したときに懐にそれがあったなら、スタンは己が怒りにまかせるまま、眼前に立つ人間の頭をぶち抜いていたことだろう。そうなれば、代償は警官の首一つだけでは済まなかったに違いない。


 一時は激しく燃えあがり、いまもまだ胸中にくすぶり続ける熱い怒りを押し殺しつつ、スタンは応えた。

「ええ、気が付きませんでしたよ。ただ正直……自分でもどう考えていたのか、いまとなっては思い出せません」

 思い出したくもない。

 そういうスタンリーの本心などまるで気にも留めない様子で、アレックスはさらに言葉を続ける。

「いや最初はね、ほかの奴に任せていたんだよ、喋る役はね。でも、途中から我慢できなくなっちゃってさあ、交代してもらったんだ」

「気が付きませんでした」

「へえ、そうなんだ? きみらしくないなあ」

 今年で三十路を迎えるにしては、アレックスはずいぶんと気の抜けた話し方をする。むやみやたらに明るく、軽薄という言葉がよく似合うタイプだ。スタンリーはこの男に会うたび、同じ感想を抱かされた。先方がティーンエイジャーだったころに初めて対面を果たしてから、何一つ変わっていないのだ。犯罪組織の次期党首、それも、サウスランドシティの支配者たるデモニアスの長になる男とは、とてもではないが思えない。

「そんなことより、例の襲撃事件について我々にお伝えいただくことがあると聞きましたが」

 スタンリーが性急に本題を切り出したのは、これ以上、さきの話題について触れたくなかったがゆえだった。プロフェッショナルに徹するというのにも限度がある。

 だが、そんな彼の言葉を耳にしたアレックスは、目に見えて不機嫌な顔になり、言った。

「ちょっと待ってよ、そんなことより、ってどういうことさ。何か気にいらないことでもあるっていうの?」

「冗談のために私も部下も負傷させられたのでは、納得しろというほうが無理な話です」

「だから、それはリアリティのために仕方がないんだよ。悲鳴ってのはさ、スタン、きみが考えるよりずっと重要な小道具なんだ。じゃあ聞くけど、そっちの新顔にちゃんとした演技ができるっていうのかい? 格好だけ真似させたって迫力は出ないんだよ、きみはわかってないようだけどね。それにそっちだって、僕の部下を一人、撃ったじゃないか。銃でだよ? 信じられない! つまり、怪我をさせられたのはお互いさまってことさ」

「……たしかに、仰るとおりかもしれません。私もまだ少し混乱しているんです」

 これ以上、口論に付き合うのは完全に無駄だ。それよりも、とにかく一刻でも早く自由になりたかった。このときのスタンリーの希望というのは、まさにその一点に尽きた。

「ふうん。まあ、いいや……じゃあ、そっちの話をしてあげる」

 綺麗に揃った歯並びを見せ、アレックスが笑う。嬉しげに細められたその瞳に、無情な捕食者を思わせる鋭さが一瞬、垣間見えた。

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