18

「痛いだろ、熱いだろ、それは腫れるぞぉ」

 オサムが橘の顔を覗きこむ。

 東から、うすく赤と青を混ぜ合わせたような空が広がってくる。

 朝だ。

 ここは廃校の屋上だ。橘はかっぱらってきた青いビニールシートを背中に敷いて、寝転んでいる。屋上は公園/植物園だった。ヒートアイランド対策だ。名も知らない植物が無数に植えられ、強化プラスチック製のベンチが点在している。植物は無尽蔵に、無秩序に繁茂しており、白いベンチは水垢でくすんだ色をさらしている。そして濃密な土の匂いだ、腐葉土の、重なった土の匂いだ。その一番上の層/一番新しい層/地表には朝露の匂いが漂っている。未明の、匂い。

 橘は寝転んでいる。寝てはいない。顔が熱を持って痛くて寝られたものではなかった。だから起きている。空を見ている。

「負けたんだろ?」

「ああ」

「完敗か?」

「さあな」

「なんだよ教えてくれよ、なぁきょうだい」

 オサムが橘を揺すった。

「とっておき、使ったのか?」

「いてぇよ」

「ああ悪い」

 離れるとオサムは橘の隣に、胡坐をかいて座り込んだ。

「負けたのに悔しそうじゃねぇってことは、だ」

 オサムは後ろ頭をかいて言った。

「なんかつかんだってことだろ。別にそれを口にする必要はねぇけどさ。――けど、俺だって協力したぜ。とっておきだって教えたし、それにアカネの連絡先だって宗家おやじに訊いてやったじゃねぇか、ずりぃよな、ったく」

 拗ねたようなオサムの態度に、橘は少し口の端をゆがめ、それを驚いた表情で見つめるオサムになら言っていいかもしれない、と橘は思った。なにせオサムは、橘の同位体なのだから。

「スーサイドだった、昨日のは」

 橘は言った。

「それはまた、示唆に富んだ発言だな……」

 唸ってオサムは腕を組んだ。静かになった。その意味を考えているようだった。

 その時、屋上と階下をつなげている扉が開いた。

 つややかな黒髪の女性と、赤いプラフレームのメガネをかけた女の子が、そこに現れた。サトミとリミだった。ちらちらと左右に視線を泳がせて橘を見つけると、ゆっくりとふたり、歩いてくる。

途中でリミが立ち止まった。姉も立ち止まる。妹が何か言った。うなずいて姉が何か言って、姉は橘に向かって歩き出す。

 ふたりに気がついたオサムが静かに移動した。

 まぶしい朝焼けの中、サトミがこちらに向かって歩いてくる。

 橘は身体を起こすと、腫れて熱い顔から手をジャージ(下)のポケットへ。橘はポケットから指輪と白い塊を取り出して、左手に白い塊を、右手に指輪を握った。握ってそのまま橘はポケットの中に戻す、そっと手を開く。ポケットから手を出す。橘は、何も握っていない。空手からてで、橘は顔をあげる。目の前に、サトミがいた。真っ赤に腫れて熱を持ったぼろぼろの顔を橘は、サトミに向けた。

 サトミは言った。

「修、あの私、ね」

 橘は、サトミを見た。

 サトミもまっすぐ橘を見た。

 押し黙って橘を見た。

 橘は視線をそらすことなく口の中で練習する。謝る言葉を、練習した。

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