第30話 アドリブ

 そのとき,テレビではCMが流れていた。


 そのCMが流れ出したのを確認すると,息ををフッと吐き,現実の世界に戻る。


 大子をアニメの世界に連れて行ったアニメをは,昔,自分が声優を目指そうと思ったきっかけのアニメである。大子にとっては,思い入れの深い,大事で,大切で,大好きなアニメだった。



 ——CMが流れている。



 そのCMの中に先ほど放送されていたアニメの番宣も流れてきた。


 これを見た大子は再びそのアニメの世界に想いを馳せる。


「昔,このアニメが好きすぎて台詞覚えるくらい見返したな〜」


 思い出したのは,好きな台詞。この台詞がかっこよくてすぐ印象に残った。そして,使いたくなっていろいろな人に言いまくった。これが馬鹿の一つ覚えというものであろう。大子は自嘲気味にフッと笑う。今思い返してみると恥ずかしい。


「おれも幼かったな」


 幼い頃の大子はヒーローよりも,ヒーローを支える相棒的存在のキャラクターが大好きだった。陰から主人公を支えて,役割を全うしたらさっと消える。それがめちゃくちゃかっこよくて,そのキャラクターに憧れた。


「おれに主人公は無理だな。おれには脇役がふさわしい」


 そう思うのも,脇役のキャラクターが好きだからかもしれない。

 大子は再び自嘲気味にフッと笑った。



 ——CMが流れている。



 そのCMが流れた瞬間,過去の自分の世界から現実の世界へと戻される。

「あ,そうだった。おれはあのアニメを見ているんだった」


 ふと我に返った大子。


 そのCMでは男女かっこよくてかわいいキャラクターが「gether one 放送中! みんな見てね!」とまばゆいばかりの笑顔でしゃべっていた。


 そんなキャラクターを見て,大子は思うところがあるのか目を細める。


 大子の頭の中は,優美な姿で映し出されているキャラクターのことではない。


 そう,中の人。声優さんのことだ。


 この中の人は,どんな表情で,どんなことを思い描きながら,どんな感情で,演じているのだろうか。

 CMの中のキャラクターは笑っている。


「まあ,本気で笑っている訳ではないけどな」


 仮にも声優を目指していた身。

 中の人が本気で笑っているはずがないと,たかが演技だと。


 本気で笑っているのではない。本気で笑っていると感じてもらえるように笑っているだけだ。


 演技なんて,受け取る側次第なのである。演技なんてたかがそんなものである。



 ——CMが流れている。



 そのCMでは,今回のアニメの声優さんのインタビューが切り取りだが紹介されていた。


「声優の話か。興味ないな」


 自分がなりことができなかった夢の声優という職業。その大子の夢を叶えた人の話を聞いたところで,自分が慣れなかったのには変わらないし,なんか聴くのが辛い。


 とある声優さんは言った。


『その台詞めちゃくちゃ長くてな〜,一息で言う練習を何度もしたわ。初めての主役だったから,より緊張しちゃってね。だけど,周りの先輩方に引っ張られて演技できたよ。大変だったけど,満足してるよ』


 こんな言葉も大子には上の空だった。


 しかし,次の一言で大子の世界は変わった。

『しかもだよ? あの現場,”アドリブ”がめちゃくちゃ多くてね。台本にセリフが書いてないんだよ。ぜーんぶ”アドリブ”』


 この一言を聞いた瞬間。大子に衝撃が走った。


『全て”アドリブ”』


 それを意味するのはつまり……。

 その瞬間……




 ——CMが終わった。

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