ローズマリーの婿探し

燈樹

ローズマリーの婿探し


 




 ロンディア家には代々伝わる家訓があった。


 一つ。職を手につけなさい、困る事はないのだから。

 一つ。相手を真意を知りなさい、誰も心までは偽れないのだから。

 一つ。一度は親元を離れなさい、一生ともには歩む事はないのだから。

 一つ。添い遂げる相手は己で見つけなさい、幸せは己で手で掴むのです。

 一つ。外で家名を口にしてはいけない、誰も彼もが貴方に縋り付いてくるでしょう。



 この五つはロンディア家が誇る賢者、イライザが作ったものだ。

 そして彼女がこの家訓を作り上げるまでには様々な苦労があり、そして学んだ結果、後世の為にと残したものでもある。

 そして今、通常より遅い旅立ちを迎える事になった十六歳のエルシーに向かって、母親であるマティは口うるさく何度も何度も言い聞かせていたのであった。


「ちょっと待ってよ母さん、今更人里になんか降りられないよ! きっと行き遅れのレッテルはられちゃう!」


「だまらっしゃい。 貴方がその歳までここに入られたのは国同士の戦争の所為であって、特別に許されたわけではないの。本来ならば四年前に家を追い出す予定だったのを伸ばしてあげたことを有り難く思いなさい」


 酷いと項垂れるエルシーに母であるマティは荷造りを終えた鞄とリュックサックを渡しつけ、さっさとでて行きないと口調を強めた。

 決してマティがエルシーを嫌ってこのような行動しているわけではない。

 我が子が可愛いからこそ、一度は離れるべきだと心底思っているのだ。かつて自分が母にされたように、たたった一人になっても行きていけるようにと。


 半ば強引に荷物を推しけられたエルシーは泣きながら行かなきゃダメかと、もしかしら行き倒れになってしまうかもしれないと縋り付くも、マティはそれを払いのけてエルシーに背中を向けた。


「ーーーーこれはロンディア家に生まれてきたもの達が背負う運命なの、貴方だけが歯向かうことはできないわ」


「でっでも、その運命ってただの家訓じゃん! 古い家訓はそろそろ捨ててもーー」


「だまらっしゃい! さっさと行かないと麻痺薬かけて一角熊の巣に置いておくわよっ!」


「ヒィ! ────母さんのバカヤロォーー!」


 マティの言葉にエルシーは息を呑み、長年暮らしてきた家を渋々背を見せて歩み出した。扉の隙間からその姿を見ていたマティの瞳は心なしが潤んでおり、小声で彼女を案じる言葉をひっそりと呟く。


 ちゃんと帰ってくるのよ、愛しいエルシー。


 家訓がなければマティだって可愛い我が子を突き放したくはなかったのだ。だがロンディア家の家訓が、その血筋がそれを許さない。

 閉鎖されたこの土地に住んでいるのはロンディア家の血を引くものとその伴侶達。

 その他は主の違う動物であったりと、外の人間と接することはないと言っても過言ではないだろう。

 たまに物資を買い付けに人里に降りるのは嫁いできたものか、婿に入ったもの達のみで、ロンディア家の血を引くものは伴侶を探す事以外で外に行こうとは思わないのである。

 そして此処を出て伴侶を連れてきたもの達は口々にこう言うのだ。


 何で神のように讃えられているのかと。


 そして二言目には巻き込まれるのは勘弁だ、ひっとりと平和に暮らしたい、と。


 とは言ったものの身内が固まって生きていれば血は濃くなるばかりで薄まる事はない。故に十二歳を迎え成人となったもの達は己の家名を隠し、伴侶探しに繰り出すのだ。

 ただただ、自分を利用しない者を求めてーー。


 家を追い出されたエルシーは目を真っ赤にし、鼻をすすりながら人里を目指していた。一番近い街は此処から歩いて一週間は掛かるエッセラで、どう考えても途中で野宿をするしかない。


「野宿なんてできないよぉ。 ご飯はどうするんだよぉ」


 今の今まで家から出たことのないエルシーからすれば此処は未知の土地で野宿など危険行為はしたくはないのだが、しなくてはならない状況だ。女ならば教え込まれるであっただろう調理はエルシーの性格があってか全くいって出来ず、まともな食事に有り付けるのかも分からない。

 嗚咽も漏らしながら渡されたリュックを漁ってみれば何日か持つであろう干し肉と硬い黒パンが入っていた。これがマティからの最大の親心なのだろう。

 干し肉をかじりながらさらにリュックを漁れば幾ばくかのお金を見つけることができ、とりあえずは無一文で追い出されたわけではないのだと安堵の息を漏らす。エルシーは取り敢えず進むしかないのだと心を決め、ひたすら太陽が沈むまでは歩き続けたのだった。


 日が傾き、空を紺と紅のグラデーションが染め上げ、一番星が輝き始めた頃にはすでにエルシーの足は棒のようになっていた。呼吸も少しばかり上がり、肩が上下に揺れている。

 二本並んで生えている大きな木に身体をあずけ、リュックから一本の青い瓶を取り出しエルシーはそれを飲み干した。


 するとどうだろう。

 疲れて果てていた体には力が漲り、ひくひくと痙攣しかけていた筋肉はたちまち治り心なしかげっそりしていた顔も紅みのある頬に変わったのである。


「ぷはぁ、疲れた時はこれに限る!」


 疲れが吹き飛んだからか自然と鼻歌をも歌い、そして今度は一種類のタブレットを口の中に放り込み、噛み砕く。

 体中の熱が両目に集まっていく感覚の中目を凝らし、深く濃い紺色した空の中に煌めく星を眺めた。


 この体の一部を強化できるタブレットは彼女のお手製の品だ。基本動きたくない、面倒臭い、楽したい。そんな自己主義の塊から出来たのがこのタブレットである。


「さぁてと、夜でもサクサク行こう!」


 下手に野宿をすれば野生動物に襲われかねないと、そんな不安もあって疲れを癒し、鳥のように夜に効く眼にしたのだ。

 両腕を頭の上に伸ばし一度軽くストレッチをし、またエルシーは足を進めた。


 そこから幾ばく進んだところでエルシーの目に不可思議な現状が目に付いたのだ。それは普段そこではお目にかかれないであろうツノのある兎が群れだ。

 はてどうしたものかとそっと近づきよく観察してみると、どうやらその中心に人型の何かが見えた。そして目を細めよくよく見てみると、兎たちはソレを食らっているではないか。


 別に人助けがしたいわけでない。

 ただ見える範囲で同種が無様に食われているのを見過ごすのはいかがなものだろうか。


 カタカタと震える指でリュックから小瓶を一つ取り出し、それを力の限り投げつけた。

 兎から少し離れたところに落ち割れた瓶からは轟々と炎が燃え盛り、兎たちは大きく跳ねて逃げていく。

 同胞に当たらなくて良かったと安堵の息を零しながら近づくと、そこにあった光景はエルシーの想像を絶したものであった。


 血濡れの体は所々食い千切られ白い骨が見え、腹にはひときわ大きな穴が空いておいる。そこからドロンと内臓の一部が飛び出し、血に染まった唇か小さく空気を吐き出す音が聞こえた。

 その微かな呼吸音で辛うじて生きているのがわかるほどだった。


「──っう」


 あまりのグロテクスさと濃い鉄の香りにエルシーは吐き気を催し、その場で胃の中身を全て吐き出した。何度も何度もそれを繰り返すと喉は傷み、口いっぱいに不愉快な酸っぱさが広がる。

 エルシーは片手で口をぬぐいながらもう片方の手で小瓶二本を探し、蓋を開けて一本をその人物へと振りかけ、そしてもう一本をそっと血の泡を吐き出す唇に押し込み飲ませる。口からは透明な液体か少しながら溢れるも、瓶の中身はどんどん減っていき体へと浸透していった。


 こんな姿になっている人間をエルシー以外のものが見たのならば、諦めて見殺しにしていたに違いない。

 けれどここに現れたのはロンディア家の血を引くエルシー・ロンディア、かの者の末裔にあたる極めて優秀な存在。


「……取り敢えず、これて平気、かな」


 先ほどまでの生き生きとした表情とは打って変わってエルシーの顔は青ざめげっそりとし、小瓶を掴んだまま血濡れの大地へ倒れ込んだ。

 閉鎖された故郷では此処まで大怪我する人間はなく、それ故にこんな大量の血にも匂いにも肉の姿にも彼女には免疫のない代物だったのである。

 何度目かの吐き気を催しながらも身体を引きずるように移動し、燃え盛る炎の側で一晩中怪我人の様子を眺めることに徹したのであった。


 時間は絶え間なく流れ太陽が顔を出した頃、ウトウトと船を漕ぎ始めたエルシーの耳にうめき声が届く。

 そこの声にハッと顔を上げ急いで彼に近付くとチョコレート色の双眼が彼女をじぃっと見つめ、かすれた声で生きているのかと囁いた。


「──自殺希望者でしたらすいません、なんとなく、生かしました」


 もしかしてわざと食われてたかったのかと問えば、それも悪くないと思っていたと単調に彼は返した。


「しかしあれだ、思った以上に酷だった」


 生きながらゆっくりと食われるのは恐怖以外何でもないと彼は頭をかき、そしてふと己の身体が変化していることに気づいた。

 実のところ、この男、アルフは遠の昔に手足が不自由になっていたのである。動くことはできるが、かつてのように戦うこと出来ず、かといって農業をやるにも身体の痺れでうまく鍬を扱うことも出来ない。誰かと集団で暮らそうにも穀潰しにしかならず、一人で生きていくには無謀すぎた。

 だから、魔獣と言われる者達に食われてもいいかと一人で虚しく村を出てきたのだ。


 それなのに今の体には痺れなど感じることはなく、手足は自由に動く。一角兎に食われかけていた腹を綺麗にふさがり、抉られた肉もへし折られた骨も、綺麗に元どおりの姿にも変わっていたのだ。


「──嬢ちゃん、お前は一体……」


 疑いの瞳をエルシーに向けると彼女は乾いた笑みを見せ、ただの旅人だと目を背けた。


「あ、そうそう。 貴方を助けたのは私なのだけど一応治療費はもらうよ?」


「へっ? 金のとんのかよ」


「もちろんさ! でも、お金がないならエッセラまでの案内で手を打とう」


 人間、図太くなければ生きていけない。

 エルシーは考えたのだ。

 魔物に食われても構わないと思っている人間に野心なんてほとんど無いだろうと、見た目は筋肉のついた中年なのに、死にたいと願ったなら守るべき家族もいないのだろうと。

 故郷を出ての初めての人間だから警戒心を忘れているわけでは無いのだが、一人で旅をするのにはいかせん危険すぎる。ならば帰る場所のないアフルをなんとか引き止めた方がいいのではと安易な考えだが、そう思ったのだ。


「嬢ちゃんがそれで構わねぇなら、それでいい、命の恩人だしな。 俺のことはアフルと呼べ」


「私はエルシー、ただのエルシー! よろしく!」


 互いに手を握りあって笑い、エルシーは危険ならば小瓶を投げつけて逃げればいいと、アルフは命の恩人の手助けをしようと、この時は平行線の気持ちを抱いていたのであった。



 こうしてある意味運命の出会いを果たしたエルシーとアルフだが、苦労をするのはいつだってアルフの方であった。

 それは命の恩人だからとエルシーが威張るからではない。むしろ彼女はそのことに関して特に何も思ってはいなかったのだ。

 ただ、彼女はアルフが思っているよりもダメ人間だったというだけであってーー。

 朝夕のご飯を一人で準備することが出来ず、腰についてる短剣はただのお飾り。アルフが仕留めてきた魔獣を捌こうにも細切れになり、火すらまともに起こせない。

 挙げ句の果てにてかれたら取り敢えずコレで!と青い小瓶をひたすら飲み続けるという所業。


 その行動にいつだってアルフは肝を冷やし、そしてエッセラに着く頃には違う意味でげっそりとしていた。


「──ついたぞー! コレで布団で寝れるぅ」


「ハイハイ、後がつっかえってから早く行こうなぁ」


 たった一週間という短い時間だが、アルフはエルシーの扱いを既にマスターしている。面倒な事は後回しか誰かに押し付け、自分ができる事したい事を優先する、そんな小さな子供のような人物がエルシーなのだ。

 浮かれてスキップでもしそうなエルシーを捕まえ格安の宿を取り、荷物を置いてギルドを探すことにした。

 それはもちろん此処に来るまでに狩った魔獣の毛皮やツノを売ってお金へと変える為に必要な事であり、そしてエルシーにとある事実を教えるためでもある。


「エルシー、まずはこの店によるぞ!」


 エルシーの白く細い腕をアルフは握り、小綺麗な佇まいの店へと入っていく。

 そこに並べられていたのは様々な大きさで、色とりどりの小瓶。よく見ればその全てに液体が入っており、エルシーはその空間に目を光らせた。


「すごい! すごい!」


 その多くの小瓶、もといポーションはエルシーにとって初めて見る品物ばかりで、どんな効果があるのか、どのような性質を持っているのかと手に取れるものは手にとって観察する。そして一際高い場所に貴重品のように置かれている青い小瓶を発見し、おもむろに手を伸ばした。


「それには触るな!」


 後数センチで指が届く、そんな時に大声が響いた。

 驚きながらも視線をずらせば、そこには真っ白な髭を蓄えた老人がこちらを睨みつけている。


「全く最近は若いもんはソレの価値も知らずに──」


 さっさと帰れと言わんばかりに老人は悪態をつき、出切り口の扉を指差した。

 なんとなく此処にいない方がいいと察したエルシーは浅黒いアルフの腕を掴み、振り返らずにその場を後にしたのである。


 店から離れた街外れの場所で、エルシーは戸惑いながらアフルにとある言葉を投げかけた。それは先ほど見かけた青い小瓶の事だ。


「アルフは、アレが何か知ってる……?」


 目をキョロキョロと泳がせ、両手はぎゅっとスカートを握りしめている。

 そんな彼女の姿を見てため息をつきながらアフルはその問いに頷いたのであった。


 青い小瓶に刻まれた薔薇の紋章。

 それはエルシーの家紋でもあるロンディア家の証。

 エルシー自身はその紋章について何も思った事はなかったが、此処では違う。

 此処では、この国では、あの紋章はブルーローズと名前を変えて有名なのだ。


 一振りすれば傷は癒え、一口含めば病は治る。

 魔力が尽きれば飲み干せと、命が尽きても蘇ると様々な尾ひれをつけて。


 一昔前にはブルーローズのポーションを巡って国同士の争いまでに発展し、当時のソレを製作していたイライザが身を隠した事で事なきを得た。


 それなのにアフルの語るブルーローズと名のつくポーションは今、エルシーの鞄に大量に隠されているのである。


「ア、アルフは、この後どうするの?」


「まだ考えてねぇが、お前がよければ付いててってもいいか? 別にポーション目当てじゃねぇよ。 お前を一人にしとくといろんな意味で危なっかしい」


 アフルからしてみればエルシーがそんなポーションを水のように扱っていようが何だろうが、彼女は命の恩人だ、手助けする事はあっても恩を仇で返す事はしたくない。そして何より料理もできなければ戦うことも出来ないエルシーを放っておけなかったのだ。


「お前が何でそんなの持ってるかは聞かねぇよ。 ただ今後は下手に扱うな、足がついてえらいことになる」


「──わかった」


 青ざめた顔でエルシーは頷き、己が何気なく作っていたものに恐怖すらいだいた。何せ戦争を勃発させてしまうかもしれない品物だ、手元にあるのも怖ければ、誰かに見つかるかもしれないという恐怖もある。


「────そっか、だから家訓があるのか」



 一つ。職を手につけなさい、困る事はないのだから。

 一つ。相手を真意を知りなさい、誰も心までは偽れないのだから。

 一つ。一度は親元を離れなさい、一生ともには歩む事はないのだから。

 一つ。添い遂げる相手は己で見つけなさい、幸せは己で手で掴むのです。

 一つ。外で家名を口にしてはいけない、誰も彼もが貴方に縋り付いてくるでしょう。


 万が一路銀がついても瓶を入れ替えればポーションとして売る事は可能である。

 そしてエルシーを悪用しよう考えると人間に所持してたいること知られてしまえば、作れると知られてしまえば安息の地はなくなるだろう。

 親元を離れるのは万が一に備え一人で生きていく術を持つため、伴侶を自分で探すのも、信頼できる者を見定めるため。


 家名を名乗ってはいけないのは、自分の身を守る為。


 全ては血を引き、技術を植え継ぐ者たちを守る為に。


「取り合えずギルドに寄ってそっから飯にするか、何か食いたいのあっか?」


「肉、肉が食べたい! 焼いたやつ!」


 面倒くさい帰りたい。

 そんな思いを抱えながらエルシーは隣を歩くアフルをみた。

 まだアルフを信頼しきったわけではないが、大金目当ての人間だったのならばエルシーからポーションを奪うことも出来たのだ。

 それには何も語らず教えずにポーションの在り処をさぐること出来たのにしなかったのだ。

 まだまだ信頼に値するとは限らないが、今彼女が必要としている人間になるのだろう。


「アルフー、まぁ、探し物が見つかるまでよろしく頼むよ」


「嗚呼、任せとけ」


 二人で並んで歩く道。それはこれ続く旅路も同じ。





 数年後、エルシーが故郷にたどり着い時もこの並びは変わらず、マティは自分と年の近い婿に苦笑いしたのであった。




 これは、面倒くさがりの錬金術師と死にかけ元傭兵の、運命の出会いの話である。




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