第53話 再会は穏やかに

 今日は、臨時休業だと常連の患者にはいってあったが、医家へ戻ると表に見慣れぬ者が三人ほど待っていた。

「お待ちでございましたか。今日は臨時に休ませていただいております。急の病でなければ、お出かけ直しいただきたくお願い申し上げます」

 一段と丁寧な吉郎の物いいに、南針の口元が思わず緩む。

「隠居の宅へ往診を頂きたくお願いにきました」

「お聞き及びかと存じますが、南針先生はただ今、目を患っておりまして往診は遠慮させていただいております」

「御隠居は、以前に往診していただきました材木商の八幡屋でございます。先生がお戻りと伺いお願いに参じました」

「八幡屋さんでございましたか、明日は込み合いますので、明後日午後にお伺いいたします。ご隠居は、わたしの目のことをご存知でございましょうな」

 南針が問えば、「もちろんでございます。先生の手は神の手だと申します。先生にお会いすれば、それだけで元気になりましょう。それでは明後日お待ちしております」と、帰っていく。

 南針は、身体を貫かれるような不信の視線を感じている。

「お待たせしました。で、こちらさまも往診でございますか」

「いいや、こっちゃの方は」と、一人が話始めると、あとの一人がさえぎるように前へ出た。

「失礼をいたしやす。あっしは、富屋の男衆で勝次と申します。南針先生にお尋ねしたきことがあり、京都より参りました」

 いよいよ来たかと南針は思い、被っていた傘を少し上げ、肩の力を抜いた。

「ここでは何でございます。どうぞ、中にお入りくださいませ」

 もう一人は、勝次を案内してきた博多の人で、勝次に謝礼を貰って帰っていった。

 笠を脱ぎ目元の布を外した南針は、美しく剃り上げた頭を晒し客間に案内した勝次と向き合った。

 しばし無言のときが流れた。

「留吉を預かっていただいていたのが、あなたと分かり安心しました」

 南針は膝の手先を床に滑らせ深くこうべを垂れた。

「身勝手なわたしをお許しいただけましょうか」

「留吉さえ、無事でいるなら‥‥‥ それだけで‥‥‥」

 何と罵倒されようと受け止めねばならないと思う南針に、なんとも殊勝な勝次であった。尚の事、言葉に詰まる南針だ。

「それで、留吉は何処に居るのでしょうか」

「申し訳ありません。留吉は、ただ今、南宋は臨安を目指した船の上、もう間もなく戻って参りましょう。謝涛屋という豪商の持ち船でございます。決してさらわれた訳ではなく、留吉の望みで船に残りました。わたしと共に対馬へ行く為、乗船しておりましたが、船頭さんに気に入られ懐いており、船を降りずにそのまま大陸へ渡ったのです」

「ハハハハハ、あのぼんやり留吉が何と成長したものだ。己の意思で渡海とは驚きもするが、呆れちまって、洟水がでる」

「勝次どの、今少しここでお待ちいただきたい。きっと頬を染めて、得意気に戻って来ましょう」

「京都の富谷へ文を書きます。留吉は元気だと。きっと皆々喜びましょう。南針先生のことも書ければいいのですが‥‥‥ まあ、それは又の事にして‥‥‥ あんまりみんなを驚かせてもいけませんや。あっしも京都で居場所が見つけられず、留吉探しの旅に出たのです。あっ、もちろん富子さまに許しを得て、路銀もいただいてきやした」

 廊下の隅で聞き耳を立てていた吉郎は、二人が予てよりの知り合いらしいことを確かめると、ほっとして裏手に姿を消した。

 静まり返った家だが、奥に人の気配はある。勝次は、誰に聞かれても良いように、具体的な事はいわず、南針に迷惑がかからないよう配慮している。

 ありがたいことだと南針は勝次に感謝し、その心持ちは勝次にも伝わり、二人は、ほのぼのとして茶を喫した。

 常日頃は、白湯が普通の生活だ。貴重な茶は、和尚先生と南針の身体を気遣った承天寺から届けられた物だ。

 博多に於いても、まだ茶は貴重で高価な物だった。薬として尊重され贅沢な品だ。気を利かせた和尚が、遠来の客に振舞ってくれたのだ。

 勝次は、己の心持ちに戸惑っている。むかっ腹を立て顔を歪めていても可笑しくないのだが、懐かしい気持ちで南針先生となった波丸に向き合っている。挨拶もなしに、重傷を負った弟分の末吉を見捨て姿を消した波丸を、ぶっ殺してやるとも思ったが、すべてが夢のようにアワアワと不確かになってしまった。

 鎌倉では決して仲良い二人ではなかったが、夕風に吹かれて思い出すのは、崖崩れに巻き込まれた人々や馬を救った大きな事件で、小さな思い違いなど無かったことだ。

 そもそも勝次のねたみやそねみから生まれた不仲だ。女主の富子さまに身分をわきまえず懸想した勝次が、流れ着いた男が厚遇されるのが面白くなかっただけだ。

 今となっては、笑い話のようで、むしろ懐かしく穏やかな気分を楽しむ二人だ。

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