第33話 南針先生はばたく

「センセ」「先生」「せんせいさま」

 子供の声が女子の声が賑やかだ。

 ここは、聖福寺しょうふくじの店子である医者の家。小さな店舗が軒を並べる博多庶民の街筋だ。

 博多湾の海風を門戸を開けて迎い入れるように建てられた医家は、申し訳なくも尻は聖福寺の北壁に向いている。

 聖福寺は、建久六年(一一九五)日本最初の禅寺として博多に創建された。鎌倉幕府を開いた源頼朝の帰依を得て、方八町ほうはっちょう(およそ九百メートル四方)の敷地に七堂伽藍を建立、釈迦・弥勒・弥陀の三世仏を安置した。

 開山は、南宋から帰国した栄西ようさい禅師。三代源家将軍と浅からぬ仏縁を結んだ。

 ではなぜ、鎌倉ではないく博多だったのか。

 博多が求めたからだ。博多の在留宋人たちが求めたからだ。お願いしただけではない。莫大ともいえる資金の寄進があった。そもそも、寺の敷地は在住の宋人が住んでいた唐房とうぼうだった。

 故郷南宋の宗教を博多に移し、その習慣踏襲を求めた。精神的な支えもさることながら、その商売の保護も目的の第一とした。

 この由緒ある大伽藍の南に隣接して承天寺じょうてんじがある。南からの敵から聖福寺を守る役目の禅寺だ。仁治三年(一二四二)、南宋の貿易商、謝国明しゃこくめいの援助によって創建された。南宋を逃れた鍼灸師三人が、潜んだ貿易船は謝一族が仕立てた船だ。

 戦禍を逃れた鍼玄は、どうやら伝手つてがあったようで、まんまとこの寺に逃げ込んだ。初めは、南針も陽針も一緒だったが、今では二人とも追い出され、博多の医家で鍼灸師として働いている。自分の飯は、自分で稼げということらしい。医者も南宋から逃れた僧医だが、年をとり仕事が務まらぬ状況だった。

 陽針は、その幼さから鍼灸師という訳にはいかず、見習い小僧だ。掃除をし、使いに出、飯の支度を手伝う。さぞや、不満たらたらと思いきや、嬉々として博多の街を駆け回る。南宋から逃れる船底で、南針に教えてもらった拙い倭語も、今ではばりばりの博多弁でまくし立てる。

「よか、よか」は、まだ良いが、「きんしゃい、きんしゃい」は、「何かいな?」と南針は笑ってしまう。

 町を駆けまわるうち、やせ細った貧しい子供らや野良犬を従え、貰い物の菓子を分け与えることもあるようだ。

 鎌倉の街を歩き回り、路上の子らに饅頭など与えたことを思い出す。末吉は元気にしているだろうか、などとボンヤリしている南針を陽針の歓声が追ってくる。

 そも、陽針は、何者か?

 南針の弟分であるが、監視者のようでもある。幼げな十四歳だが、南針も十歳の頃には間者として働かされていた。あどけない子供は、疑惑を持たれることなく仕事をこなした。何の不思議もない間諜の世界だ。

「センセ、センセ、南針先生」と、慕われる生活は悪くない。

 多くの患者に接し、少しでも役に立ちたいと医学・薬学の知識を身につけたいと思う南針だ。

 患者の家に出向いた帰り道、「南針センセ」と声を掛けられた。博多湾を見晴るかす美しい浜辺だ。

 兄貴分の冬雨だ。何時もすっくと立っている冬雨が、今日は背筋を丸め老い先短く見える。

「お疲れでございますか」

「いらぬ節介をするでない。最後の命令を持ってきた」

 また、何処へ行くのだろうと南針は、ため息を絞め殺す。

「お頭が亡くなった。遺言を持ったきた」

「‥‥‥」

 背中のおいから、包みを取り出し差し出した。

「お頭に拾われた時、お前が着ていた物だ。あとは自由に生きろ」

「お頭は、なぜ亡くなったので?」

「病だ。おれもこれから気ままに生きる。お前も好きにしろ」

「これは、あの生意気な坊主に土産だ」懐から故郷の饅頭を取り出し手渡された。

「兄貴、何処へ行かれる」

「おれにかまうな。気に入っているなら、南針先生として生きろ」

 お頭の遺言を聞いていないぞと思う頃には、海風の中に消えて行く。


 医家に帰ると、門前で陽針が野犬と戯れていた。

「陽針、故郷からの土産だ」

「へーぇ、ありがとう」

 声を後ろに、表戸をくぐると「帰りました」と一声かけて、自分の部屋へ向かった。

 陽針は、手の中の饅頭をじっと見つめ鼻を近づけた。野良犬のケンが尻尾を振ってまとわり付く。フンと鼻を鳴らして、饅頭の一片を遠くに放った。ケンは、夢中でかけて行き、目標に食らい付いた。

 笑顔の陽針が、饅頭を口にした瞬間、「ウ、ウゥーン」とケンがのたうち回る。陽針は、食いかけの饅頭を吐き出し、唾を吐き出し、裏庭に駆け出した。何時もは飲まない井戸の水を何度も含み、えずきながらうがいをした。

「チキショウ、ちっきしょー。許さねぇ」

 犬の死骸をそっと埋め、饅頭の件は誰にも知らせなかった。ちょっとだけ南針を疑った。直ぐに冬雨に違いないと確信した。さっき、南針を訪ねて来たのだ。

(あいつが、おらを殺そうとした。南針から遠ざけるため、おらを、おらを‥‥‥)

 数日後、海岸に旅姿の男の死骸が上がった。おざなりに調べたが、分かる訳がない。身分を明かす物は、何も身につけていなかった。

 死んだ男と南針が、浜辺で話していたと告げる者があり、問い合わせが来た。死体置き場を訪ね、死骸を確認した南針は、「道を尋ねられただけです」と応えると、それ以上、問われることはなかった。

 冬雨が死んだ。傷はないが、殺されたのだ。誰に? 誰に殺されても可笑しくない。

 哀しみはない。義父のお頭が死に、何時も指令を伝える役目だった冬雨も死んだ。これで、冬雨がいったように、気ままに生きられる。もう誰かに間者の役目を命じられることはないのだ。ふつふつと湧き上がってくる解放感に、(おれも、随分と冷たい男だ)と思う南針だった。

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