三.愛ゆえに

   三.愛ゆえに


 新宿の建造物群の最中にて、レイジは輸送車から降ろされた。時刻は午後七時。言うまでもなく、雨の東京は寒々しい空気に満ちている。


「さあ、拾ったらさっさと行け」


 レイジの前に荷が投げ落とされる。その中に、見覚えのない物があった。


「こんなものを頼んだ覚えはないが」


「アイザワ検疫官からの注文だ。ありがたく受け取っておくんだな。防毒マスクの交換用フィルタだそうだ」


「……」


 ゆうに二ヶ月分はくだらないフィルタが入っているであろう箱を水たまりから拾い上げると、その異様な軽さには奇妙な感覚があった。レイジが箱を即座に開けると、中身はごっそりと抜かれており、梱包材のみが残されているのみ。自らの置かれた状況を理解したが、それを咎める前に、統括区の人間たちはそのまま車で走り去っていってしまった。


「最高の出だしだ」


 皮肉るも、誰もそれを笑うことはなく、東京の雨が降りしきるのみだった。


 レイジの目標は、目下、野営地を築くことだ。深夜の東京を練り歩くことは、さすがに難しい。ひたすらに暗中模索するだけの余裕はない。日中に探索を進め、夜間は休息を取る。急いては事を為損じる。制限のついた行動期間内で結果を出すには、焦ることが最も愚かしいと、彼は知っていた。


 朽ちた階段に足跡がないことを確認した上で、レイジは地下へと降りていく。灯りのない地下通路で暗視装置を、バッテリ節約の意味も込めて、一瞬だけ起動する。視界に入り込んだ情報を記憶素子に刻み、擬似視野として展開する。どうやらそこは店舗の並ぶ場所であったらしい。シャッターは下りていたが、いずれもひしゃげるか、破られるかして、原型を留めていない。 


 階段から少し進んだところで、人が通れるほどに穴の空いたシャッターの中に暗視装置を起動する。人の気配が、果たして、一つあった。童女の短い悲鳴に、レイジは両手を広げて掲げた。敵意のないことを示す格好だ。


「ここは君の寝床か」


「ち、違う……」


 レイジが暫時何もしないでいると、童女はフラッシュライトを点けて、周囲を照らした。


「わ、わたし、ここで、ご飯待ってたの。お母さんが、こ、ここで、待ってて、って」


 暗視装置により浮かび上がったマスク姿の童女の肌は雨に汚染され、ところどころが赤茶けていた。指先など、長期間水仕事に曝されたかのように、年齢にそぐわぬ荒れようをしている。レイジはそこに何かを施すことはなかった。それが第二世代のgarbageの常ならば、何をすれば良いということもない。


「母親はいつここをあとにしたんだ」


「もう、二時間ぐらい、前……。あの、お母さんを見なかった?」


「知らないな。どうも俺とは別の出入り口に向かったらしい」


 レイジが暗視装置を落とし、フラッシュライトを軽く手で制すると、童女は、怯えからか身を固めた。


「安心しろ。俺は君に害意はない。何もしない」 


「何も……? だって、男の人は、みんな、敵だって……」 


 母親に言い含められていたのであろう、garbageたちの状況が、童女の言動から察せられる。弱いものは、いつだって食いものにされる。いたいけな童女の衣服がつぎはぎされているのは、つまり、幾度も“食いもの”にされてきたことを示しているのであろう。


「大丈夫だ。俺は、君に、何もしない。夜が明けるまでここに身を置かせてもらおうかと思っただけだ。心配なら、俺が離れた後、すぐここを移動したらいい。驚かせてすまなかった」


 マスクの中はやはり無表情だったが、その語調だけは柔らかさを含めて言うと、レイジは再び両手を上げて、身を引いた。背後に、何かしらの気配を感じたからだった。


「どきな」


 若い女の声だった。


「今、そうしようと努めているところだ。武器は下ろしてくれると助かるんだが」


「おっと、振り向くんじゃない。もう一歩その子から離れろ。そして、膝をついて、頭の後ろで手を組むんだ」


 言われるがままにするレイジの首に、ナイフがあてがわれる。


「質問にはイエスかノーで答えな。この子に何かしたのか」


「ノーだ」


「本当だな?」


 童女が、自身に向けられた言葉に、頷く。


「この子の母親を知っているか」


「ノー」


「最後の質問だ。あんたは誰かを始末しにここに来たのか」


「これも、ノーだ。俺はクリーナーをクビになった」


 顎の下に沿って当たっていたナイフが、ふ、と離れ、金属製のホルダーに収められる音がする。


「もう直接的にお前らを始末する立場にない。同じ、追放者だ」


 背後の気配がにわかに離れるのを感じると、ゆっくりと両手を下ろしてから、立ち上がる。そして、振り向くと、フラッシュライトに照らされた相手の姿が暗闇に浮かび上がっていた。白色のみのマントと、防毒マスクを身につけた女だ。いや、少女と言っても差し支えのない背丈か。カルミアに近い口調以外に異なるのは、防毒マスクが比較的簡素な点ぐらいだった。高圧的な態度はカルミアのそれをトレースしている。


「ふん……。武器もないようだ。わかった。お前は少し離れていろ。それで、そこのあんた。ここに今晩近づいてはならないって知らなかったのかい」


 童女がたじろぐ気配がする。


「臨時でゴミだめから車が来る報告は受けていたんだ。まさか、何かのおこぼれが欲しくて体を売りに来たわけじゃあないだろうね」


 おそらく、女の言うゴミだめとはホームのことだ。garbageからしてみれば、捉え方はホームのそれとは真逆らしい。しかし、気にするべき点はそこではない。


「やはり、ホームの人間からの支援あってこその生活ということか」


 しかも、輸送車両の接近など、少なくとも一部の情報は筒抜けだということが分かる。


「お前は黙ってな。それで、あんたの母親はどこに行くって言ってた?」 


「駅の方に、行くって……」


「チッ。よりにもよって……。あそこはあたいらの縄張りじゃないっていうのに」


 武装した女は、踵を返した。


「お姉さん、お母さん探してくれるの……?」


「生きてりゃ連れて帰るよ。で、おい。そこの木偶の坊。ちょっとは腕に覚えがありそうだね」


 首だけ軽く振り向いて言う女は、マスクの下でレイジの立ち居振る舞いを確認しているようだった。


「どうかな」


 肩をすくめるでもなく返答したレイジに対し、女は忌々しげな態度を隠さない。


「ふん! でも、もし本当に追放者になって、行く場所がないってんなら少しくらい口利きしてやる。協力しろ」


「随分簡単に信用するんだな」


「来るのか来ないのか」


 レイジは一言、いいだろう、と頷いてみせた。これは、彼にとっては願ったり叶ったりの状況だった。 


 garbageの状況を把握、コミュニティへの接触、野営地の確保。これらが一度に向こうからやってきたのだ。状況を整える手段を断る理由がない。それが、真実の提案ならば、だが。


 荷物をあらかた童女の隠れていた廃店舗に置くと、駆けていく女の後ろに追従する。


「これから探りを入れる“レイヴン”は、ゴミだめの連中とちょっとしたコネを持ってる。追放者の荷物からいくらかの資材を横流ししている腐った連中とね」


 地下街を足音もなく駆けながら、女は話した。


「もしかしたらあんたの荷物もあるかもね」


「どうやら、地上で俺を見ていたようだな」


「追放者が最初に受ける洗礼ってやつだ。ゴミだめはやることがいちいち汚いからね」


 否定しかねる事実に、レイジは何も言わなかった。


 たとえ人口増加問題がホーム内で起きているとはいえ、人間の選別を同属が簡単に行って良いとは言い難い。完璧を求めて天候さえ制御しようとした結果が、この東京の有様だ。人間には限界がある。どうしても乗り越えられない壁が必ず現れるものだ。


 崩落して雨垂れの入り込んでいる天井から、地上へと瓦礫を足場に登っていく中、女はレイジの足運びなどを見つめているようだった。何事か難癖をつけられるものかと思ったレイジだったが、女は何も言わずに首を前に戻す。


「お眼鏡にはかなったか」


「ふん。温室育ちのくせに無駄口叩くだけの余裕はあるみたいだね。これからちょっと荒事になるかもしれない。その体力は取っておきな」


「善処しよう」


 新宿駅跡の付近には、ところどころ防毒シートが雑に張られた建造物が散見された。どうやら、レイヴンという集団の根城がこの周辺にあるらしい。建造物の影で、女はレイジの動きを手だけで制すると、気配を殺した。そして、同じく小さな動きで駅への進入口を指差す。


 そちらから、女の叫び声と、男たちの笑い声が遠く聞こえる。目を凝らせば、マスクを剥がれた成人の女が男たちに荒々しく引きずられていくのが見えた。どうやら、先ほどの童女の母親らしい。


「真正面からお願いをする空気じゃないな」


「……連中は話が通じないからね。これは分が悪すぎる」


 そう言いつつも、レイジは、女が諦める色を見せないことに、内心で驚いていた。芯の強い女だ、と。


「レイヴンというのは捕まえた女をどうするんだ」


「あたいの口から言うのも反吐が出そうだよ」


 女が顎をしゃくって示す先に、朽ちた人型──いや、人だったモノ──が柱に磔にされていた。その四肢は雨に侵され溶けているか、あるいは、すっぱりと斬り落とされていた。


「協力しろと言ったからには何か策があるんだろうな」


「今晩の哨戒には姐様も来ている。姐様が来れば、なんとかなるかもしれない」


 あねさま、とはカルミアのことだろうか。レイジには、あの刃物狂いの女が、たった一人のために身を投げ打って危険な場所に飛び込むとは、到底考えられなかった。


「時間はなさそうだぞ」


 女の叫びが絶叫に変わっていた。


「信号弾を使うしか……」


 やむなく、といった声色で、女が腰の塩化ビニルの筒を取り出す。そして、ひと呼吸、ふた呼吸、と決意を固めようとしたその時だった。


 青い光が駅の建造物高層に閃いた。


「なんッだ! この機械野郎ッ!」


 怒号が、破られ、腐食された窓枠の中から放たれた。それと同時に、鈍く銀に輝く物体が宙に飛び出す。


「馬鹿野郎! 品物を投げちまう奴があるか!」


「だがあの野郎、攻撃してきたぞ!」


 レイジは男たちのどら声を耳にしながら、しなやかに宙で体勢を整えつつある銀の物体の着地予測地点へと駆け出していた。


「あっ、ちょっと、お前何を!」 


「俺の荷物だ。回収する」


 飛行物体は、四足で瓦礫の頂点に着地していた。その正体は、ナガレ謹製の“S.K.Y−A.I”搭載型アニマロイド、通称“ソラ”だった。


「ナガレめ、アイザワをうまく使ったな」


 レイジがマスクの内に小さく呟く。すると、その声に反応したかのようにアニマロイドは顔を彼の方へと向けた。


「にあ」


 そして、ひとつ鳴いてみせ、瓦礫の合間を縫い近寄ってくる。少なくとも地上六階ほどの高さから着地しているというのに、その動きは滑らかで、しなやかだった。レイジがその銀色のボディに触れようとすると、すい、と身を屈めて、その手から逃れてしまう。アニマロイドの態度がいつも通りだったことが、かえってレイジに現実味を与えた。どうやら、まだ自分は目的達成を望めるらしい。


「一体どうするってんだい! そんな猫の一匹や二匹!」 


 その言葉を無視して、レイジは自身の腿を平手で二度叩く。アニマロイドに追従を促す合図だ。


「こいつがいれば、多少はなんとかなるだろう。相手方の人数が集まるまでに、あの子の母親を取り返す。つまり」


「正面から堂々と入るっていうのか!?」


 その通りだ、と言う代わりに、駆け出す。身を低く、遮蔽物を用いて、慎重かつ大胆に。


「待ちなよ! せめてこいつぐらい持ってけ!」


 レイジに追いついた女はナイフを一振り差し出す。片手で扱うにはやや重たいかもしれないが、それでも丸腰に比べたら充分すぎる武器だった。


「敵襲!」


 アニマロイドの行方を探っていたレイヴンの一人が二人の接近に気付き、大音声で周辺に臨戦態勢への移行を指示する。それが正しく伝播するまでに、レイジたちは母親の連れ込まれた進入口へと到達していた。


「にゃう」


 そこの見張りをしていた男の一人が、実弾銃を構える。だが、それよりも速くアニマロイドが飛びつき、尾の先端を相手の頸部に当てて電撃を放っていた。


「がっ!?」


 進入口に、番はもう一人いたのだが、これは女のダートナイフで額を貫かれている。


「やるな」


「世辞はいいからとっとと済ませるよ!」


 ああ、とレイジは言いつつ、体勢を整えられていない道中の男の顎を的確に殴りつけ、一撃で昏倒させる。


 銃声。反響と雨音で方向は判然としない。被弾はしていないが、狙撃手の位置が未知だ。このまま進むか、隠れるか。瞬時に二択を迫られるが、二人と一体は、道を急いだ。


「いた!」


 女が声を上げた。四十メートル前方、エレベータホールの前で、三人の男が一人の女に覆いかぶさっている。


「ああ……あなたは”ガーデン”の……」


 童女の母親はすでに衣服が乱暴に破られつつあり、頰にはあざができていた。もとより荒れた肌にも、それはよく見て取れた。


「ガーデンだァ!? おい、てめえら! 生きて帰れると思うなよ!?」


「それはこっちのセリフだよ、っと!」


 投擲されたダートナイフが一人の男の胸に突き刺さる。それが男たちの怒りを駆り立てた。 


「おっと、そいつを抜くのかい? 失血死するまで何秒もつかな?」


 残る二人の男さえ、そのナイフの処理に困り、まごついた。一瞬の隙が生じる。そこにレイジが低空のタックルを繰り出した。まともに足元を刈られた男は受け身も取れずに頭部を床に強打。気絶しないにしても、最低数秒は動けないだろう。残る一人がたじろいだ。


「て、てめえら俺たちの縄張りでこんなことして──あがッ!?」


 見れば、男の腿にアニマロイドの尾が触れ、電流がほとばしっていた。アニマロイドは仕事が終わった、とでも言うようにあくびをして、機械とは思えないほど自然に、前足で顔を洗った。


「前言撤回。やるじゃないか、このニャン……いや、猫も」


 女が一瞬、まずいことを口走った、という風に言い直したが、レイジはそれを気にせずに体勢を整えた。タックルした男の鳩尾に踵を落とすと、そのまま、胸にナイフを突き立てられたままの男を壁へと押し込んだ。その男も頭部をしたたかに打ち、気絶。そこまでしてから、レイジは即座に周囲を警戒する。


「できれば俺の荷物を全て取り返したいところだが、難しそうか?」


「もうすでに騒ぎは広まってる。母親を連れて出た方がいい」


 そうか、とレイジが頷いて周囲の音に気を払う。確かに、数えきれない足音が向かってきていた。


「立てるかい? 娘が待ってるよ」 


「あ、ありがとう……」


 童女の母親が腕を引かれ立ち上がるも、よろめいてしまう。レイジはその様子を見て、背に彼女を抱えた。


「脱出するならこの方が早い。マスクを奪い返すことはできそうにない。しばらくは耐えろ。いいな」


 脱出のために来た道を戻ると、三名と一体は途中で別の出入り口へと向かった。その間、女は壁に小型の爆薬をいくつか取り付けていく。時間稼ぎのための行動だと、レイジは理解した。


 そして、雨空の下へと戻ると、女がグリップ付きのスイッチを起動。全員が爆破された通路を振り返ることもなく、有毒雨の中を駆け抜けていった。


「お母さん!」


 童女は母親の無事を認めると、ライトを手放して遮二無二、抱きついた。この様子を、レイジは、感動の再会というものか、と冷めた頭で考えていた。


「さあ、ガーデンに戻るよ。レイヴンの追っ手はすでに放たれたはずだ」


 女が親指で道を示してから、童女を抱えた。レイジは足腰の戻った母親の方を見やり、互いに頷くと、全員で駆け出す。


 道中、先を行っている女が周囲を警戒し、時折アニマロイドがソナーを起動することで、接近する動体の存在を感知した。敵が迫っている。女子供に気配を殺させることは難しい。また、やり過ごすにしても、見敵必殺を主目的にした人間たちを相手に、全員が身を隠すのは難しいだろう。


 真夜中の地上に出て新宿区を抜け、渋谷区に差し掛かった公園跡地の中心で、ついに母親の体力が限界を迎えた。童女が言っていたように食事に困っていたと見えて、防毒マスクを身に着けていなかったこともあり、完全に呼吸困難になっていた。


「わたしは、置いて、いって、ください……」


 腐食されきった、雨宿りには適さない木の根元に母親がへたり込む。


「やだよ! お姉ちゃん、お願い! わたしが代わりに走るから、お母さんは置いていかないで!」


「もう少しだから頑張るんだよ。もうじきあたいらの縄張りだ」


 レイジは、無言で母親を抱えた。その軽すぎる体に、しかし、彼はやはり何も言わないのだった。


「わたし、が、いると、その子にも、危険が」


「子供に泣き喚かれる方がよっぽど迷惑だ。行くぞ」


 女が、ふん、と鼻を鳴らすが、それ以上は何も言わずに先を急ぐ。


「すみま、ゲホッ、すみません……」


 しばらく直進し、やがて風景が再び建造物の中に戻る頃、アニマロイドが、ぴん、と耳を立てて振り返る。


 瞬時に遠方からの威嚇射撃。これに対してレイジと女がそれぞれに左右へと飛び退く。追っ手が、ついにレイジたちを捕捉してしまった。


「みぃつけたぁ!!」


「チィッ! あと少しだってのに!」


 瓦礫の裏で悪態をつく女だったが、レイジは冷静に対処した。彼が始めに行ったのは、腿を二度叩き、アニマロイドを呼ぶことだった。


「今の銃撃位置を」


 アニマロイドに、戦闘補助用の一部のアプリケーションを削除されてしまったレイジにはできないことを求めるが、しかし、アニマロイドは近寄る以上のことをしない。


「……今の銃撃はどこからだ」


 今度は制圧射撃だ。すなわち、こちらの位置は明らかに把握されている。事態は逼迫している。しかし、変わらず、アニマロイドは無反応だった。それどころか滑らかな金属製の肌を、毛繕いするかのように舐め始める。


「何やってんだい! 遊んでるんじゃないんだよ!」 


「……ちっ」


 レイジは徹底したプログラミングを施したナガレの顔を忌々しげに思い出しながら、口を三度開く。


「“ソラ”、敵の位置を教えてくれ」 


「にあ」


 瞬時に展開されるホロスクリーンに、代々木公園跡の地図が示された。そして、狙撃者の位置が三つ、光点で表示される。


「おい、女」


「コルチカム! コルチカムって名前がある!」


「まったく、お前もか……。コルチカム、この中央の敵に信号弾を撃ち込め。この暗さなら目眩しにもなる」


 コルチカムは即座に信号弾の込められた筒を取り出し、怯える童女の頭を低くするように手を置いてから呟いた。


「姐様、お願い気付いて……!」


 射出された信号弾は敵に直撃、とはいかなかった。しかし、赤く発光しつつ煙を生じるそれは、敵の位置を目視可能なまでに照らし出す。


「おい、お前! 後は!?」


「祈ってろ」


 もしも、信じる神がお前にいれば、とレイジは付け加えてから瓦礫に背を預けた。銃撃が途端、雑なものになる。敵は明らかに警戒していた。自らを狩る者と認識していた人間は、兎の皮を被った狐の行動に面喰らうものだ。窮鼠猫を噛む、という言葉がレイヴンの人間たちの頭に入っていなかったとしても、同じような心境を抱いていることだろう。


 敵は光源がなまじ近くにあるせいで、暗闇の中にいるレイジたちを見失っている。しかし、暗視装置を装備していればこちらを看破してくるまでに時間をそれほど要さない。ならばどうするか。セオリーとしては物陰に身を隠すことだ。公園の木々が身を隠せるほどに太く残っていればそうしただろう。だが、汚染された森林地帯でそれは叶わない。敵に許されるのは、射撃を再開して、こちらの制圧を目指すことのみ。


 そして、発砲音は仇となる。


 一人、男が倒れた。


「なっ、なんだ!?」


「投げナイフだ! 伏せ──!」


 仲間の頸部に突き立った得物から、攻撃手段を看破した男も、倒れる。


「クソッ! どこだ!」


 残された何人かが、倒れた仲間の実弾銃をむしり取り、銃弾をばら撒く。とはいえ、標準的なアサルトライフルの装弾数は三十発前後。弾倉はすぐに空になってしまう。


「弾を寄越せ!」


「もうこっちも空──ぐあっ!」


 次々と敵が倒れる様子を気取ると、コルチカムは声を上げた。増援だ、と。


 そして、音もなく、痩躯が現れる。


「コル! 無事かい!」


 闇夜の雨中に白と桜色の縁取りが浮かび上がり、レイジは自身でも意外なことに、安堵した。


 敵対者であったカルミアの登場によって、だった。

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