二.素晴らしきかな人生

   二.素晴らしきかな人生


 十三年前。未曾有の自然災害かに思われた東京の有毒雨だったが、原因はなんのことはない、ヒューマンエラーによる、天候調整装置の暴走でしかなかった。問題は起こるべくして起こる。神の手の及ぶ範囲で自らの力を過信した人間が立てたバベルの塔よろしく、雨は一度に多くの混乱をもたらした。もはや日本国は混沌の最中にあると言っても過言ではなかった。


 有毒雨には電波障害を起こさせる金属粉なども含まれており、まずは情報が錯綜、あるいは、氾濫した。不安を煽られた人間たちの取りうる第一の行動はいつの世も変わらない。安全の確保だ。そのために、地下深くに埋設された有線通信の手段を持つ者が、あらゆる見解を求めては尾ひれをつけて情報を拡散した。他国の攻撃。テロリズム。地球外生命体の侵攻。馬鹿げたものから真実味を帯びたようなものまで、玉石混交の情報が積み重なり、通信網を麻痺させてしまった。


 はじめの三時間程度は、日本国民のほとんどがこう考えていた。「どうせ誰かがなんとかするだろう。たかが雨。降水量が多いだけだ」と。


 しかし、その雨が家屋を腐蝕し始め、通信が断たれ、屋外にいた人々が肌が焼けるように痛むと叫ぶまでには、考えは改まっていた。


 いかにすれば自身や身内は助かるのか? そこに注目した人々は、通信回線の生きているうちに各自治体、省庁に救助要請を試みた。それは東京都周辺の住民からも行われ、返答を待つ間に電波塔や通信基地局は対応に追われていたのだが、ものの数十分で手が足りなくなってしまった。砂嵐のような雑音を通信端末越しに聞いた者たちは、徐々に溶解されていく屋外の建造物に焦燥感を駆られた。


 混沌へと陥るまでの一連の流れが、記録されている。


 目が焼かれる、と叫ぶ者。肌がめくれ上がる、と呻く者。ただ喉が、肺が、痛み、その場にうずくまる者。通信が困難になった状況下、それらを写した動画ファイルに限っては、ネットワーク上で際立った。コメントがそこに蓄積された。あらゆる小さな不満が無関係に連鎖して噴出し、阿鼻叫喚の様相を呈した。政府からの指示が中途半端に伝わった。動くべき時を逸し、救助を待つべき者が簡素な防雨装備で外を出歩いてしまい、呼吸困難で倒れ伏した。そして、抜け穴を見つけ出しては、新たな動画ファイルが出回った。ここで情報統制が入った。それが余計に不安を煽った。


 人間の精神が、いかにウェブ上に癒着していたかを明らかにするような記録だった。「ヒトは間柄的存在である」とあるように、関係性により人格は形成される。だからこそ、この事案に対しても、人は希薄ながらも持ってしまった関係性に踊らされた。顔も見知らぬ誰かがアップロードした生々しい映像は、一時的にでなく、強く心境を左右した。



 誰もが助かりたかった。誰もが生きたかった。誰もが苦痛から逃れたかった。そのために、救助に奔走した人々に対して、はじめは感謝の言葉が溢れた。だが、避難先の建物が汚染され、結局、場所を変えて死を待つだけではないのだろうか、という懸念が表れるまでに時間はかからなかった。どうあっても、自分の身は可愛いものであった。


「このような状況をどうしてくれるのか」「誰が責任をとる」「目が見えなくなったのは救助が遅れたせいだ」「除染を急げ」「食事を用意しろ」「いつまでこんな場所に閉じ込めておくのか説明しろ」


 天候調整装置の誤作動であることを政府が認めた頃、東京都内からの避難が三割程度しか完了していなかった。一週間だ。この一週間、雨は弱まる気配を全く見せなかった。天候調整装置への給電が断たれてもなお、だった。その七日間は、生存者たちにこう呼ばれることになる。


 “方舟無き洪水”と。



「よう、レイジ。そっちは片付いたか」


 縦横比が一対一にたどり着くのではないかというぐらいの巨漢かが、地下の集合場所で待っていた。レイジはその男の名前が思い出せず、簡単に「ああ」と返事をするだけに留めた。


 もう一人のチームメイト──こちらも名前が思い出せなかった──が細身の体躯を伸ばしながら言う。


「ったくかったりいな。早く休息日を満喫したいぜ」


 これに対しても同様に、一言、生返事をするだけだった。


 その日の仕事でも、レイジは新たな痕跡を発見することができなかった。カグラザカの名を耳にしてから、すでにひと月が経過していたが、やはり限られた時間の中で調査を進めることは困難だった。とりわけ、統括区よりの使者、ホムラという女が阻害を進めた。中年の、白髪混じりの髪を短く刈り込んだ人物で、詰襟のようなかたい制服を身に纏っており、いかにも話を聞く準備のないような高圧的な態度で、ナガレの作業室へと現れた。


「効率化を求めます、クリーナー:レイジ」


 彼女がレイジに求めたことは主に三つ。


 「素早い目標の粛清」「拾得物の提出の徹底化」そして、「チーム編成を行なっての遂行」。


 一つ目はわかりやすかった。とにかくとっとと殺せということだ。二つ目。これに関してもアイザワへの袖の下で解決できたので問題ではない。しかし、最後の集団行動を強要されることは非常に厄介であった。常に三人一組で行われる掃除夫仕事は、はっきりと効率化に繋がるものであったし、数の暴力を恐れたgarbageたちによる妨害行為も減った。


 だが、それはすなわち、業務外の活動時間も短縮されるということにも繋がってしまう。


 ホームでは統括区への批判はタブー視されており、当該の区域の人間と関わることを恐れる人間は多かった。そのような状況下で、レイジが懸念したことは、その禁忌破りによる自身の追放ではない。行動の制限を受けて本来の目的への道が阻害されることのみだ。だが、他のクリーナーたちはそうではない。


「仕事が楽になった分、手続きやらやり方が面倒くさくなっちまってしょうがねえな」


 細身の方のクリーナーがぼやく。


「給料が減ったわけじゃねえからオレは構わねえ。だろ? 帰ったら一杯やろうぜ」


「ウィスキーもどきか? 好きだねお前も」


「俺は予定があるんでな」


 レイジは断りつつ、周囲を探る。


「つれねえやつだ。お前、そんなんじゃ女にモテねえぞ?」


 人口の増減は統括区が管理しており、性行為前後の避妊薬の服用は男女ともに義務付けられている。そのために、遊び感覚での性行為はかえって増加してしまった。だからこそ、この巨漢を含め、多くの住民にとって異性の好意を集める態度はファッションのように重視されていた。


 巨漢の顔は出征前にちらりと見たが、体躯に不釣り合いな愛嬌のあるものだった。これを好む者がどれだけいるのだろうか。レイジは思考したが、即座にそれを中断した。意味がない。それを知ったところで記憶容量の無駄遣いにしかならない。


 集合場所から移動を開始し、各々が分散して隠したフロートバイクへと搭乗する。


『んじゃまあ、レイジ。ケツは任せたぞ』


 赤外線使用による短距離通信機越しに巨漢のクリーナーがレイジに向かってそう言い、顎をしゃくった。


 フロートバイクが、荒れた路面数センチ上方を、滑るように走った。甲高い駆動音が雨音に混じる。三人は、朽ちた交通標識や建造物、折れたガードレールに溢れる道を行く。そして、スクランブル交差点のあった渋谷駅周辺に差し掛かったときだった。先頭を行く巨漢の首がバイクの上空へと弾け飛んだ。バイクは操縦者の制御を失い、付近の建造物に衝突する。


 即座にバイクを停止させ、レイジは細身とともに臨戦態勢を取る。腰の無反動銃を抜き取り、姿勢を低く、周囲に乗り捨てられた廃車に背をつけて、目配せをした。


『ありゃあ狙撃か?』


 細身からの通信に、レイジは首を横に振る。


『違う、ワイヤーだ。鋼線が張られている』


 行きにも使った道であるがために、油断が過ぎた。そうレイジは思った。


 追撃のない数秒。こうしている間にも、巨漢の体は心拍を止めて完全なる死を迎えてしまう。そうでなくとも、頭部だけを切り離されて五分と経たず、脳細胞は深刻な損傷を受けるだろう。チームメンバーの死は、あらゆる意味で痛手となる。それよりも前に、なんとかして蘇生をはからねばならなかった。膠着状態が示すのは、これがわかりやすい罠であることだったが、その場に留まることの不都合が勝る。


『俺が行く。お前は索敵してくれ』


 レイジはそう言って、腰のシリンジを空いた手に握った。再生臓器抽出物の入ったそれは、冷たく鈍く、雨の東京に煌めく。


『てめえまで死ぬんじゃねえぞ。後が面倒なんだよ』


『善処する』


 指を三本立て、カウントをする。そして、最後の指が折られた瞬間に、細身は周辺に銃口を向けて立ち上がり、レイジは身を低くしたまま駆けた。巨漢の頭までの距離は三十メートル。体はさらにその先に行っており、都合、五十メートルは離れている。


 がががが、と実弾銃の発砲音が起こり、荒れ果て、ひび割れた道路に着弾。細かな礫と飛沫を立てながら、レイジの後を追ってくる。廃車の影、崩落した建造物の壁面、あらゆる物を遮蔽物として、左右へのステップを含ませながら、かろうじて頭部の回収を果たすレイジ。


 銃声は鳴り止まない。むしろその数は増えているようにも思えた。


「意識はまだあるようだな」


「……」


 巨漢の頭部はマスクが剥がれ、その愛嬌のある目元が虚ろに開かれていた。しかし、眼球はまだレイジの言葉に反応しているのか、細かく揺れている。


「もうすぐだ。待っていろ」 


 その時、一つの叫び声が上がる。女のものだ。


 首だけで小さく振り返れば、建造物の窓から一人のgarbageが胸を押さえて転落していく様子が認められた。細身がやったらしい。その間にも、レイジは足を止めることなく突き進む。


 巨漢の乗っていたフロートバイクは、かたわらに操縦者の首から下を伴い、黒煙を上げ始めていた。朱に染まった有毒雨の溜まりに浸かった肉体は、もはや痙攣などもしなくなっている。それでも、やるだけはやらねばならない。レイジは、肉体の横に滑り込むとプレートキャリアの前を剥ぎ取り、首の切断面を慎重に合わせてから、シリンジを心臓部に突き立てた。同時に心拍を促す電流が走り、巨漢の体がにわかに跳ね始める。再生臓器抽出物は、とある人間の心臓付近に新生させられた“再生臓器”から採取される細胞が産生する、細胞分裂促進因子の濃縮液だ。破壊された細胞を急速に再生させる作用を持ち、それは血流に乗ってこそ最大の効果が得られる。体積などにもよるが、この巨漢ならば五分もすれば頸部が癒着し、一日も安静にしていれば神経系も元に戻ることだろう。ただし、うまくいけばの話だ。


「失敗しても恨むなよ」


 巨漢の首元を瓦礫で保定し、時間を稼ぐべく、フロートバイクを操作、周辺に煙幕を張る。立ち上り始めた白煙の向こうで、また一人、garbageが悲鳴を上げた。


 クリーナーは恨みを買いやすい。追放者の中には、罪と呼ぶに相応しいか判別のできない行為によってホームを追われた者もいる。そして、十三年前の生存者たちが小規模ながらも徒党を組み、garbageと蔑まれてもなお、そこに生きている元都民たちもいた。彼らは「投棄した物を処理しに来る者」であるクリーナーが「自身をホームに迎えにきた者」ではないことを知っている。なればこそ、garbageは同類を狩る者にいい顔をするわけがない。汚染され切った彼らが微笑む時は、標的の死亡を確認した時のみだ、とまことしやかに噂されていた。


『生きているか』


 白煙に視界が包まれる前に信号を飛ばす。


『前腕を飛ばされてクスリを一本使い切っちまった。もうこれ以上、弾はもらえねえ』


 ああ、そうだった、とレイジは思い出す。細身のクリーナーの等級が低いことに加えて、チーム制度が施行され、チーム全体に支給されるシリンジ数が削減されていたのだ。これで、自身らの手持ちシリンジはレイジの一本と、巨漢の腰にある一本だけだ。もし三名が次に致命傷を負ったとして、助かるのは二人。早々にこの場を離れなければならない。


 幸いにして、足であるフロートバイクは粗悪な実弾銃で簡単に破壊されるようなヤワな装甲ではない。遠隔操作でこちらまで誘導してしまえばなんとかなるだろう。


「AI、そこの男の治癒まで何秒かかる」


『支障なく体液循環が行われれば二百四十三秒』


 音声操作でカウントを視界の端に薄く表示させ、レイジは深く呼吸してから戦場に躍り出た。途端、銃弾が有毒雨のごとく降り注ぐ。


 遮蔽物へ。背にした瓦礫の向こう側に、ぎゅば、と弾丸がめり込む。弾道計算。狙撃手の方向を大掴みに限定し、銃口だけを見せたブラインドショットを行う。牽制になればそれでいい。


 残り二百十八秒。次の遮蔽物へと身を移す。細身との距離は四十メートル。ひとかたまりになって破片手榴弾でも投げ込まれたらことだ。今はこの距離がちょうどいい。再度、弾道計算。今度は三方向からの銃撃を解析。制圧射撃のように行われる雑な攻撃が、むしろ判断材料を増やしてくれる。


 残り百五十二秒。手近な建造物からだけは銃撃が行われていないことに気付く。この状況からすれば疑うべくもない罠なのだが、残り時間を考えればそこを起点に動かざるを得ない。入り口をスキャンしてもトラップの類は見当たらない。足元で銃弾が跳ねた。先を急ぐほかないようだ。


 残り百二十秒。そして、敵対者は現れた。白色のマントに桜色の縁取りが映える、痩身の女だ。記録を呼び出すまでもない。この姿、そして目立つ白色と紅色の多層フルフェイス防護マスクがこの女を“カルミア”と自称するgarbageであることを示していた。


「クリーナー。クスリを置いていきな。そうすれば腕一本で許してやる」


「断る。俺たちは交渉をしない。腕一本でバイクが繰れるとも思えないしな」


「なら四肢を落としてからゆっくりと貰っていくことにするよ」


 両者が腰を落として、ダートナイフを投擲した。空中ですれ違う軌道を、お互いが見切って身を躱す。


「あたしにオモチャの銃が効かないってことは知っているようだね。初手も予習済み。は! どうやら有名人になっちまったようだ。まったくもって面白くない状況だよ」


 カルミアの着用するマントはミラーコート処理がされており、無反動銃の熱線で貫くことは難しい。そのように事前情報が与えられていた。なお、その情報をホームに持ち帰ったクリーナーは、後日仕事中に全身を滅多刺しにされて死亡している。


「命のやりとりに興が乗るかどうかを意識したことはない」


 時間を稼ぐ腹積もりで言葉を投げかけつつ、腿にある高周波ナイフの柄に手をかけるレイジ。順手で抜き取り、スイッチを操作すると、きん、と張り詰めた音が生じた。防錆効果と鋭利さとのバランスを取った殺傷力の高いナイフは、黒い刃の縁が白銀に細かく煌めいている。


「外のお友達が何秒耐えられる? あんたが立っていられなくなるのと、どちらが早い? その辺りはなかなか面白い賭けになりそうじゃないか。あたしは殊更、クリーナー相手にそういうことを持ちかけるのが好きでね」


 言いつつ虚空を蹴り上げる挙動に、レイジは反応し損なった。


「くっ」


 左肩にダートナイフが食い込んでいる。しなやかな動きで、桜色のボディスーツの足先から射出されたものだ。


「あたしはカルミア・ラティフォリア。美しい花には殺傷力があるものさ。さあ、お楽しみはここからだ!」


 カルミアが、しくじったクリーナーから奪ったのであろう高周波ナイフを手に、間合いを詰めてきた。


 レイジは剣戟の中で思考する。問答無用でクリーナーを爆殺するなりしないのは、再生臓器抽出物を安全に確保するためであることはわかる。敵対者の言うところの“クスリ”はgarbageたちの中で弩級の高級品だ。ホームで無料配布される低級品でも、この東京では一ヶ月食うに困らない程度の価値を持つという。だからこそ、クリーナー向けの高純度な再生臓器抽出物ならば、年単位で生きていけるのだろう。


 だが。


「こいつを奪うのに何人もの犠牲者を出していれば、元も子もない話だ」


 高純度のものならば、死の淵からも蘇る可能性を秘めた代物だが、それはシリンジ一本では一人分がまかなえる分量でしかない。


「あんたが気にすることじゃあないよ! 欲しいものを手に入れるためにそうしているだけさ! ほらほらほら、動きが鈍ってきた!」


 視界の端に表示したカウンターは動き続けていたが、まだゼロにはほど遠く思えた。それだけの猛攻だった。カルミアは自身の体重と同重量のナイフを携えているのではないかと思わせるほど、見た目に反した重い一撃を繰り出す。相当な密度の筋肉と鍛錬の結果なのだろう。そして、隙のなさ。最大攻撃力は間違いなく高周波ナイフに軍配が上がるが、そこに頼り切っているだけの戦闘スタイルではない。徒手空拳の技術は高く、さらには、両足から、両膝から、両肘から、ダートナイフが的確に撃ち出される。


 敵の狙いは頸部、脇の下、または腿。前者二ヶ所は致命的な傷や大量出血を狙ってのものであり、後者は機動力低下を引き起こすための攻撃だ。ナイフ格闘において、プレートキャリアを着込んだ対象への攻撃としては、セオリー。それに合わせてフェイクのナイフ投擲動作。


 カルミアは、間違いなく記憶の中でも指折りの実力者だった。しかも、ここはレイジにとってのアウェイ。万全で待ち受けていたに違いないカルミアにとって、これほど戦いやすい場所はないだろう。


 残り三十秒に到達する頃には、レイジの息はあがり始めていた。だからといって気を抜くことはできない。一つの瞬きの間に致命傷をもらう可能性もある。


 ダートナイフを高周波ナイフで弾く。回し蹴りで胴を狙う。直撃。しかし、その感触は金属──おそらくナイフをマント内部で鎧のようにしている──のそれ。距離を開けるカルミア。さらなる投擲が行われることを予感させる。身を屈め、前方投影面積を小さくし、回避。そして、再び距離を詰めてくるカルミアの連撃。


 タイマーはついにゼロを示したが、ここから易々と逃亡できるとは思えない。このままでは押し切られてしまう。ならばどうするか。レイジは思考を止めはしなかった。


 そして、解法を呈し、一つのプランに賭けた。


「スナイプモードへ」


 無反動銃を高出力に変更、さらに照射時間をマニュアルに切り替え、レイジはカルミアとの距離をとった。


「いまさら、そんなおもちゃを持ち出すのかい? それが効かないことは知っているようだったけどね!」


「狙いはお前じゃない」


 言いつつ、レイジは天井の腐食が進んだところへと視線を走らせる。そして、照射をしたまま幾何学模様を描くかのように建造物を裂いた。無反動銃の応用だ。幸いにして、光を分散させてしまう雨は建造物の中にはない。遠距離用のレーザーメスとして、充分に役に立つ。


「しまっ──」


「ここらでお別れだ」


 崩落を始めた天井が二人の間に割って入っていく。レイジはそれに乗じて、窓だったと思われる場所から交差点へと飛び降りた。


『生きているな?』


『遅えぞレイジ! てめえこそくたばってねえな!?』


 細身の男は、なんとか生存していた。


『負傷者を回収、すぐに離脱する。俺の方は無反動銃のバッテリが切れている。応戦はできない』


 巨漢の方は意識さえ戻っているはずではあったが、未だ身体が充分に動かせるほどには回復していないだろう。戦闘に時間を割いている余裕もない。細身の方がスプレッドモードに切り替えた無反動銃で牽制を行う間に、レイジはバイクに跨る。即座に動力を起こし、瓦礫に隠した巨漢のところまで移動。目標のプレートキャリアの肩を引っ掴むと、数メートル引きずりながら、バイクを走らせ、声を上げる。


「おい、生きているな」


「あ……お、う……」


 そこでようやくレイジは巨漢をバイクの後ろに引っ張り上げた。殿を務める細身の男のフロートバイクが追いつき、短く口笛を吹いた。


「なんとかなったなあ! おい!」


「二度目がないようにするぞ」


「わかってる! 家に帰るまでが遠足だからな!」


 その軽口に、レイジは反応しなかった。彼は思案していた。


 第一に、なぜワイヤーを適切なタイミングで張ることができたのか? 有毒雨の中では汚染が懸念される。長時間ワイヤーを張り続ければ、腐蝕され、本来の強度を保つことが難しいのだ。つまり、襲撃者は自分たちの通過するルートと時間をはっきりと認識していなければならない。通信手段はほぼ潰れている状況でどうやって?


 第二に、再生臓器抽出物を狙うにしても、破れかぶれなやり方にすぎたのではないか? 一人の蘇生には一本のシリンジを要するのにも関わらず、彼ら──あるいは彼女ら──が多く倒れたとしても、撤退することはなかった。ほとんどのクリーナーが複数本のシリンジを持たされることはないと、garbageの中では知られていなかったのか?


 第三に、襲撃手段の中でたった一つ、手の込んだ方法が取られたのは何故か? レイジのみがカルミアと相対するように仕向けられたことに、引っかかりを感じる。もしあの場で細身の方が蘇生に動いたとしても、やはり、カルミアが自分とやりあうことになっていたように考えられはしないか?


 ホームへ帰還しても、その疑問は晴れなかった。記録の提出を行い、左肩の治療を受けてからも、なお解が得られないまま、レイジはエマの病室へと向かう。いつものように、花を一本携え、隔離病室の前でドアを解錠しようとしたが、しかし、アクセスは拒否されてしまう。


『権限がありません』


「……?」


 再度試すも結果は同じだった。


「管理者への通話を」


『承認できません』


 彼の後ろでエレベータが開いた。現れたのは、統括区のホムラと、テーザーガンを構えた男たちだった。


「クリーナー:レイジ。貴方を反逆行為により拘束します」


「……なんのことだか分からないが」


「不用意に手荒な真似はしたくありません。私たちに従ってください」


 レイジはゆるやかに両手を上げると、指示される通り、後ろを向いて壁に手を突いた。


 彼の体を検めてから、男の一人が言う。


「凶器は持っていません」


「結構。手錠をして、連行してください」


「了解しました。さあ、行け」


 “優しく”、“丁重に”レイジは扱われた。


 彼の背後では、持ち込んだ花が踏みにじられ、壁面下方から現れた掃除ロボットが回収していく。まるで、ただの汚物がそうされるかのように。



 法廷の体で開かれる、追放申し渡し場にて、レイジは普段通り無表情で事の成り行きに身を任せようとした。しかし、それは冒頭の態度であり、半ばから眉根を寄せざるを得なくなる。


「特A級クリーナー:レイジ。あなたには、ホームの機密及び作戦行動中の情報漏洩の嫌疑がかけられています」


「なんだと?」


「記録によるとあなたは実行部隊の人員を危険に曝す行動を取っています。モニタを」


 異端審問官めいた立場の人間が指示を出すと、ホロスクリーンが展開され、かような映像が投影された。


 場所はレイジが追放者を処理した直後の地下通路。視覚情報の主が誰かは判然としなかったが、そこに彼の姿が映り込む。


『これから俺たちは帰投する。あと十五分もすればこの地点を通る。仕掛けるならその頃だろう。準備はいいな。ワイヤーを張って足止めをすればいい。あとはシリンジを渡すだけだ。うまくやれよ』


 この声。それは誰が聴いてもレイジのものだった。映像の中で、さらに言葉は続く。


『可能なら致命傷を与えろ。シリンジを取り出す流れを作れば、あとはそちらのプランに任せる。だが、あくまで自然な状況でな』


 映像が停止する。


「これは現地に潜伏させてあるクリーナーからのリークです。申し開きはありますか」


 瞬時にレイジは思考を巡らせた。今の場面は明らかに捏造だ。自身の記憶では、“始末”の後には即時、その場をあとにしている。さらに言えば、これほど分かりやすい統括区への造反、また、他の同行したクリーナーを危険にさらすメリットがない。結論として、明らかに誰かの陰謀でしかない。


「身に覚えがない。俺の視覚が記録していない以上、否認しかできない」


「証言もあります。証人をここに」


 ドアがスライドし、つい数時間前まで同じ作戦に従事していた細身の男が現れる。その口元は、薄気味悪く歪んでいた。


「証人」


「はい。被告は明らかな裏切りをしていました。不自然な行動から、それを察知することができました」


 レイジは口の中で小さく悪態のような言葉を吐き出す。自身は“売られた”のだ。


 ホームには、秩序を保つ助けになり、加えて口減らしのきっかけとなるのであれば、あらゆる場面での密告が推奨されている。それを冷酷に行う人間を見た数は数え切れない。そして、見返りとして受けられ得る待遇も、レイジには意味のないことであったが、一般的にはなかなか魅力的に映るのだろう。報酬としての電子通貨、居住空間の優遇、臨時休息日の付与。細身の男はそれに釣られた。


 これがホームだ。レイジは表情を変えずに細身の男を寒々しい視線で貫いた。


「……っ。つ、つまり、被告は造反行為を行なっていました。追放基準を充分に満たしているものと」


「そこまででよろしい」


「は、はい……」


 一切の言葉を発することなく、レイジは証言者の目を見た。


「それでは、余罪として、拾得物の秘匿、記録改竄などからも、被告への追放処分を申し渡します」


 間髪入れずに、裁判長──あるいは異端審問官──を担当する男の声が無情に響く。


 レイジの中にあったのは、落胆や絶望ではない。静かな怒りの感情だった。誰に向けたものでもない。ただ、怒気のみが全身の細胞を騒がせた。それを表に出さぬよう、レイジは小さくうつむく。


 殺せ、と声が聞こえる。殺せ、と繰り返し聞こえる。今すぐこの場の全員を殺せ、と。


 しかし、レイジはこれを幻聴として頭を振って取り払った。


「これにて裁判を閉廷とします」


 裁判長が宣言した途端、入り口のドアが開き、聞き覚えのある演技がかった音声が飛び込んできた。


「まあ、まあ。待ってください。映像なんてものはいくらでも捏造できます。彼らクリーナーの身体データや装備品の詳細は、統括区が最も多く保管していると思いますが? それに、潜伏させているクリーナーというのが胡散臭い話じゃあありませんか」


「アイザワ……?」


 名を呼ばれて、アイザワがレイジの方へウインクをして見せる。任せておけ、とでも言わんばかりに。


「彼を追放するのであれば、いくつかの正規の手順を踏むべきです。例えば、そう、証人が正しく証言しているかどうかを確認する、とかね」


 言われて、細身の男が、ぴくり、と肩を動かした。


「アイザワ検疫官。あなたの意見は反映させることができません。既に決定は下されました。これ以上の議論の余地はありません」


「あるでしょう? 次の追放者輸送まで五日ほど猶予があるはずだ。時間がないなんて言うのは、よほどのせっかちにすぎるというものです。違いますか?」


 無感情に発言をしていた裁判長が、ついに表情を険しくした。その隙に、アイザワが追撃する。


「ホーム内の人口削減を本旨として、出所の怪しい証言まで受け入れ続けることはよろしくない。特に彼は特A級のクリーナー。彼を簡単に切り捨てるのはさすがにいただけないでしょう」


 ぎらり、とアイザワが細身の男を視線で射抜く。射抜かれた方は、思わず、といった具合に視線を逸らした。


「それでは被告に対してどうしろと?」


「簡単です。監視役をつけて、東京を泳がせればいい。そこで、彼が造反行為に至る理由や、その見返りを看破すればよいのです。彼が追放後、別のクリーナーに敵対したらどうなるとお思いですか? 経歴からすれば、少なくとも片手で足りない数のクリーナーを返り討ちにすると、ええ、わたしはそう思いますが」


「ふむ……」


 アイザワの提案が裁判官たちの決定に揺らがせたようだった。それぞれが水面下でメッセージを送り合い、意見の統一をはかろうとしていることが、レイジにはわかった。


「いかがでしょう」アイザワが畳み掛ける。「わたしの意見に問題があれば、ここらで身を引きますが、一考の価値は充分にあると愚考いたしますが。それで貴方たち全員の溜飲も下がる、折衷案ではないかと」


 そして、決断は下された。


「元クリーナー:レイジ。あなたをより強固な監視下におくものとします。異論ありませんね」


 レイジはそれを受けて、静かに首を“横に”振った。



「本気なのかい、レイジ!?」


 開発室で、ナガレが取り乱したようにレイジに詰め寄る。


「なんのためにアイザワが君を弁護したと思うんだ!? 君の行動が制限されてもまだ抜け道はあるはずじゃないか! 今までだってそうしてきた、なのに君は何を考えているんだ!」


「俺はホームに執着があるわけじゃない。これまでクリーナーとして在籍しておいたのは、その方が外を合理的に探索できるためだ。装備も整っているに越したことはないが、最低限でいい」


 開発室の奥まったところから、キャスター付きの椅子を滑らせて、ニカイドウが二人の間に割って入った。


「ナガレの兄さんよう、こりゃ何言っても変わらねェって。見ろよ、あの目。レイジがマジじゃねェならこうはならねェよ」


「だけど!」


「ニカイドウ、例の物は?」


「おう、小型化させておいたぞ。だがなァ、これだと機能が万全の状態でも、もって四日ってとこだがそんでもいいかァ?」


 充分だ、とレイジは言い、生命維持装置を受け取った。


「何があるかわからないんだぞ」


 なおもナガレは食い下がる。


「君が死んだら、彼女を助けられる可能性は万に一つも──」


「ナガレ」レイジは最後まで言わせず、「俺は死なない」と話を締めた。


 そこからは何を言われてもレイジは応えなかった。ホームへの報復をしないという誓約の下、持ち出しを許可された装備品を確認する作業にかかり、そのままだ。ニカイドウは肩をすくめて見せ、ナガレは首を横に振り振り、容認しかねるという顔で応じた。


 レイジが臨時追放用の輸送車両へ乗り込むまで、二日間の準備期間を与えられた。彼はその二日で、一度だけエマとの面会を許された。


 いつものように、すなわち初対面のように、互いに自己紹介をしてから、花を差し出す。


「レイジさんは、どうして私に会いに来てくれたんですか?」


「君がもう少し成長したら、教えることにするよ」


「私これでも十七歳ですよ? もう結婚だってできる年齢なんですから!」


 彼女は今、この瞬間も若返っている。若返り続けている。新生させられた再生臓器の過剰活動により、細胞は常人の何倍もの速度で彼女を以前の姿に“再生”させている。


 時間がなかった。


 定期的に再生臓器の切除を行なっていても、DNAに刻まれた情報はそれを復活させてしまい、その結果が今だ。このまま再生が続けば、どうなってしまうかもわからない。


「そろそろ行くことにする」


「また、会えますか?」


「……ああ、必ず」


 あどけない笑顔を浮かべた少女の命は、自らが握っている。だからこそ、自分は行かねばならない。

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