第5話 龍神ナギの物語 ⑴


 「少し長い話じゃ」


 今から、ずっと昔。

 日本の歴史としてはほとんど記述がない頃、人々と神との間にあまり距離がなかった頃の話。

 この地に初めて降り立った神である、天御中主神あめのみなかぬしのかみは、人のために様々な神を造られた。

 龍神はその時、その中で最も若い神だった。日照りや洪水などで苦しむ人々を見て、水を司る神をお造りになったのだった。

 龍神の名前はナギ。

 普段は人の青年の姿をし、人と共に自由に暮らしていた。

 ナギは常に穏やかで、強くて、そして優しかった。各地を巡り、その土地その土地で人々を救った。

 理不尽に『死』を迎えようとしている人を見つけた時には、誠実に、懸命に生きてきたかを見極め、龍神の力をもって助けた。

 そちらこちらで助けては、自分の暮らす龍神池のほとりに住まわせた。



 そんなことを百年近くも続けているうち、龍神池の周りにはたくさんの人が住み、子孫を増やし、大きな村になった。

 ナギは村に住む人々を大切にし、家族のように扱い守った。村で過ごす日々は、ナギにとっても穏やかで、とても幸せな時間だったのだ。



 森の奥にあるその村は、やがて各地でうわさになっていった。

 不老不死の村、どんな病気もたちどころに治る村、人々はその村を『龍神族の村』と言った。

 そのうち、病を抱える人や、欲を持って命を長らえようとする多くの人々が、不老不死などという誤ったうわさに惑わされ、村の場所を探し始め旅立った。

 ナギは村を守るため、仕方なく村全体に結界を張ることにした。外から人が入ることができないよう、村を見つけることができないように。

 天御中主神はナギを信頼していたので、自由にさせてもいたが、人と深く関わろうとすることをとても心配していた。そして、その心配は現実のものとなってしまう。



      ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎ ❇︎



 ある日のこと。

 ナギは龍神池の中にいた。水中から空を見上げると、太陽の光がきらきらと輝いて美しい。初夏の緑を水面越しに見ながら、昼寝でもしようとナギがウトウトしていると、不意に池の中をのぞく者がいた。

 気づいて水面近くまでやってくると、村人ではない。見たこともない若く美しい娘だった。その娘は、池の中をのぞいたかと思った次の瞬間、池に身を投げた。


 ザブンッ!


 大きな水音と共に、娘がナギの目の前に落ちてきた。ナギは落ちてきた娘を受け止めると、すぐさま池から引き揚げた。

 陸で見るその娘は、それはそれは美しかった。これまでに会ったどの娘よりも美しい容姿の持ち主だった。


 「私はこの龍神池に住むナギ。お前はこの村の者ではないな。どこから来た?」


 ナギは優しく語りかけた。


 「龍神池?ここは、うわさに聞く龍神族の村なのですか?それではあなたは龍神様?」


 ナギはうなずくと、次に娘の方向に両手を伸ばした。そして、龍神の力で水を操った。

 濡れた髪や衣服から、水分だけを抜き取って、その水を龍神池へ戻し乾かしてやった。

 娘は不思議な力に驚き、目を丸くしてナギを見つめた。

 見つめられたナギはなぜかドキリとした。そして、しかたなく視線をそらした。


 「私は、訳あって死のうと思い、さまよってこの場所にたどり着きました」


 (そうか、それでだ)


 結界を張るとき、『不老不死を望む者』を拒もうと思って作ったのだった。『死を望む者』を拒むようにとは作らなかった。


「それで、この村に入ることができたのだな」


 しかし、なぜ死のうなどとしたのか。そう聞くと、娘は涙ながらに話し始めた。


 「私の住む町に、突然、西国から豪族がやってきて襲いました。町を支配し、人々を殺し、すべてを自らの物にしようと、あらゆる悪事を働いています」


 娘は、豪族の息子に無理に嫁がされることになり、それが嫌で逃げてきたのだと言う。しかし、頼る者もなく、一人で生きてゆく術も知らず、死のうとしたらしい。


「……ここでしばらく暮せばよい。ほとぼりが冷めた頃、町の様子を見に行ってやろう」


 優しく諭すように話すと、娘はようやく落着きを取り戻し、そのあとナギに願いがあると言った。


「お願いがあります。町の皆を助けてください。龍神様のお力ならきっと……」


そう言うのを遮るように、ナギは娘に背を向けて言った。


「すまないがそれはできぬ。私の役目ではない。私は水を司るもの、水害や日照りで苦しむ人を救うことはあっても、人同士の争いに割って入ることはできない」


 娘は肩を落として「そうですか」と、つぶやいた。



              つづく



   

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